元衆議院東京2区の泡沫候補・千葉 潤(jchiba)のプロフィール(2013/10/11更新)

(東京都心⇔仙台市中心部)

元衆議院東京2区の泡沫候補・千葉 潤 (国会議員政策担当秘書資格試験合格者(2008年)。2009/8/18に「政治家としての出生届」を提出。無所属)

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昭和43(1968)年、宮城県仙台市(現・仙台市青葉区)生まれ。

  現在43歳です。仙台市で生まれ、大学入学までの約20年間は仙台市で育ち、大学入学後の約25年間は東京で生活していました。

昭和56(1981)年、宮城県仙台市立荒町小学校卒業(現・仙台市若林区)。

 仙台市立荒町小学校(第7学区第1中学区1番小学校)は、片平丁小学校、東二番丁小学校、上杉山通小学校、木町通小学校、立町小学校、南材木町小学校と共に明治6(1873)年に開校した歴史と伝統のある学校です。

 東京では、例えば、中央区立阪本小学校(明治6年。第1大学区第1中学区第1番小学 阪本学校)、中央区立久松小学校(明治6年。第1大学区第1中学区2番小学)、中央区立常盤小学校(明治6年。第1大学区第1中学区第4番小学 常盤学校)、中央区立有馬小学校(明治7年。第1大学区第1中学区第6番公立有馬小学校)、文京区立湯島小学校(明治6年。第1大学区第4中学区第1番小学湯島校)、文京区立礫川小学校(明治6年。第1大学区第4中学区第3番小学礫川)、文京区立明化小学校(明治7年。第1大学区第4中学区第7番小学 明化学校)、文京区立誠之小学校(明治8年)、台東区立根岸小学校(明治7年。第1大学区第5中学区5番小学 根岸学校)などの小学校とほぼ同時期の開校になります。

昭和59(1984)年、宮城県仙台市立五橋中学校卒業(現・仙台市青葉区)。

 仙台市立五橋中学校(昭和22(1947)年開校)は、主に学区内の荒町小学校、片平丁小学校、東二番丁小学校、連坊小路小学校(一部)の卒業生が入学する公立中学校です。

 東京では、例えば、文京区立第一中学校(昭和22年)、文京区立第三中学校(昭和22年)、文京区立第六中学校(昭和22年)、文京区立第八中学校(昭和22年)、文京区立第九中学校(昭和22年)、台東区立上野中学校(昭和22年)、台東区立忍岡中学校(昭和22年)、台東区立駒形中学校(昭和22年)などの中学校とほぼ同時期の開校になります。

 小学校、中学校の9年間、同じ地域に住む同年代という以外にはあまり共通点のない多様な価値観を持った友人たちに自然に囲まれる公立学校で過ごしたことは、自分自身の人生の中では貴重な財産になっています。特に「全国民の代表とは何か」を考えるときには公立小中学校での学校生活の経験がとても役に立っています。

昭和62(1987)年、宮城県仙台第一高等学校卒業(現・仙台市若林区)。

 宮城県仙台第一高等学校(明治25(1892)年創立。以下、仙台一高)はいわゆる伝統校です。仙台一高がとても自由な校風だったこともありますが、まだ高校生なのにもう既に大学生になったかのような好き勝手な行動を繰り返し、後から振り返ってみると行事の記憶ばかりが残っている不思議な学校生活を送りました。全国でも非常に珍しい公立の男子校でしたが、平成22(2010)年度からは男女共学になりました。昭和の時代の仙台一高の一卒業生(OB)としては、男女共同参画社会の中で、これまでの男子校としての長い伝統に加え、多数の知性豊かな女子からも選ばれ続けていく新しい魅力を兼ね備えた新しい仙台一高になっていくといいと心から思います。そして仙台一高の一卒業生(OB)として、多数の知性豊かな仙台一高の卒業生(OG・OB)を生み出していくために何らかの形で積極的に協力していくつもりです。

 仙台一高を他の高校と比べるのは非常に難しいのですが、外部の人間として見た文化祭などから判断する限り、例えば、東京都立小石川中等教育学校(文京区。旧・東京都立小石川高校)、筑波大附属高校(文京区)などに似たような雰囲気を感じることもあります。

平成5(1993)年 早稲田大学理工学部応用化学科卒業。

 正直に言えば、大学には二浪した上で不本意入学しました。そうした事情もあったのかもしれませんが、入学後しばらくは個性豊かな学生が全国から集まってくるという早稲田大学もごく普通の詰まらない大学だと思っていました。しかし、大学3年になったある日、個性豊かな環境を「ごく普通の詰まらないもの」と感じてしまう自分自身の方が実は「1万人に1人以上の変人」ではないかということに気づきました。そして同じ頃、自然科学の研究にも再び魅力を感じるようになりました。

平成7(1995)年 早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。

 修士課程修了後、「研究職」などにはこだわらず、研究が持っている「真実の追求」という性質を極めようと考えて進路を変更しました。そして結果的に「無職」(今で言う「フリーター」の状態)を選びました。

平成9(1997)年から平成21(2009)年6月まで 日本政治を中心とした調査・研究・報道のためのインターネットを利用した「独自活動」に従事。

 約12年間に渡ってこのホームページ(http://www.jchiba.net/)を媒体として利用してきました。一部のマスコミの低レベルな「報道と称したもの」などを基準にするのならば「ジャーナリスト」や「評論家」などという「肩書き」を名乗らないわけにはいかなくなってしまうのかもしれません。また過去に何度か日本の政治の現状を記録した画像などを掲載したこともありますから「報道写真家」などという「肩書き」を使用することもできるのかもしれません。あるいは、日本政治に関するそれぞれの「長文」を論文などとして見るのならば、日本の「政治過程」などを独自に研究してきた「民間の研究者」などという「肩書き」を名乗ることもできるのかもしれません。しかし、あえて「独自活動」については何の「肩書き」も示さないことにしておきます。

平成16(2004)年 早稲田大学政治経済学部政治学科学士入学 (第3学年編入学)。1年間で発展科目を含む78単位を取得して退学。

 「修士(工学)」の学歴に「最終学歴」として上書きすることはできませんでしたが、教員免許の取得を考えていたこと、そして早稲田大学の一卒業生として大いに義憤を感じる出来事があったためにあえて学士入学した上で「そこそこ優秀な成績」で中途退学しました。ちなみに発展科目として教職課程も同時に受講し、「高等学校教諭1種免許状(公民)」「中学校教諭1種免許状(社会)」については実習を終了すれば免許を取得できる状態まで単位を取得していました。

平成20(2008)年 国会議員政策担当秘書資格試験合格。

 国会議員政策担当秘書資格試験は、衆議院と参議院が合同で事務を行う政策担当秘書資格試験委員会が原則として毎年1回、7-8月にかけて筆記・面接試験によって政策担当秘書に必要な知識及び能力を有するかどうかを判定する国家試験の一種です(参考:衆議院のホームページ参議院のホームページ)。

 日本政治に関するそれまでの約11年間の「独自活動」の成果を「ロンダリング」したなどと一部では言われているようです。

平成21(2009)年8月 第45回衆議院議員選挙に東京都第2区(文京区・中央区・台東区)から無所属の新人として立候補、落選。

 2009年の衆議院議員選挙(総選挙)において、「政治家・千葉 潤」は、従来型の選挙運動を徹底的に見直して政治改革を続行するなどという「公約」を掲げ、選挙期間中には客観的事実を一つ一つ積み重ねていくという形で「公約」を実現しました。私・千葉の「選挙運動」は、「選挙カー」「選挙ポスター」「応援演説」は一切採用せず、候補者の千葉本人がノボリなども付いていない普通の自転車に乗ってたった一人で地味に移動しながら、ポスター掲示場に「壁新聞」のような「文字だけが書かれた紙」を一枚一枚張って回り、時々それほど目立たない場所に立ち止まっては地味な街頭演説をするというかなり「風変わりな選挙運動」でした。

平成25(2013)年8月 大学入学後約25年間生活していた東京都心を離れ、生まれてから約20年間生活していた仙台市中心部に本拠地を移す。


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