「非ブタ」の論理からの脱却が必要(2009/6/18)

 (ほぼ同一内容をメールマガジン版「永田町ワイドショー」として配信予定)

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<2009年> 最近の日本の政治情勢(2009年)について (ほぼ同一内容をメールマガジン版「永田町ワイドショー」として配信予定)


「非ブタ」の論理からの脱却が必要(2009/6/18)

 相変わらず日本には閉塞感が漂っている。前回(2009/1/3)から5カ月以上が経過したが、日本の政治の閉塞状況を打破することができるような意味のある動きはまだ見られていない。「今は100年に1度の経済危機」などと言われて久しくなっている。しかし、あと10年もすれば、多くの人たちの記憶の中からは、「今現在の日本国の内閣総理大臣」の名前も、「今現在とその一つ前の野党第一党の代表」の名前も、すっかり消えてなくなってしまっているのかもしれない。
 
 「日本国の内閣総理大臣」は、昨年秋から支持率低下が止まらなかった。だが、今年3月からは「敵失」などのために下がり過ぎていた支持率が上昇に転じ、5月上旬までは少しずつ順調に回復を続けていた。ところが野党第一党の代表が新しくなってからは再び支持率が低下している。そんな中、鳩山邦夫総務相(当時)が辞任した(2009/6/12。鳩山邦夫氏が「かんぽの宿」の売却問題などを理由に日本郵政の西川善文社長の続投に反対して事実上更迭される。麻生太郎内閣発足(2008/9/24)からの閣僚の辞任は中川昭一前財務相(2009/2/17)らに次いで3人目。なお5/13には鴻池祥肇・前官房副長官も辞任)。
 
 一方、野党第一党の民主党でも紆余曲折が見られた。民主党は、政府・与党側の「敵失」などが相次いだこともあり、今年2月までは「政権交代前夜」のイメージに酔いしれていたが、3月に入ってからは状況は一変した。
 「一つ前の代表」は、準大手ゼネコン「西松建設」側から自身の資金管理団体「陸山会」への政治献金をめぐる政治資金規正法違反(虚偽記載など)容疑で公設秘書が東京地検特捜部に逮捕(2009/3/3)・起訴(3/24)された後、「一つ前の代表」本人の「説明責任」や辞任を求める党内外の声や民主党の支持率低下などが止まらず、結局、大型連休明けに辞任を表明した(2009/5/11。参考:http://www.dpj.or.jp/news/?num=15898。ちなみに5/13に約6カ月ぶり(前回は2008/11/28)に予定されていた麻生太郎首相(自民党総裁)と小沢一郎・民主党代表(当時。現・代表代行)による党首討論は中止になった)。
 「一つ前の代表」の辞任を受けて行われた民主党代表選では鳩山由紀夫幹事長(当時)が岡田克也副代表(当時)を破って新代表に選出された(2009/5/16。衆参両院の国会議員220人による投票で鳩山氏124票、岡田氏95票、無効1票)。そして鳩山由紀夫新代表は、小沢一郎前代表を代表代行(選挙担当)に、岡田克也副代表を幹事長にそれぞれ起用した(2009/5/17)。なお代表選直後からの各社の世論調査結果では民主党と鳩山由紀夫新代表に対する支持が上昇する傾向が見られている。
 
 そして麻生太郎首相(自民党総裁)と民主党の鳩山由紀夫代表が1対1で討論する党首討論(正式には国家基本政策委合同審査会)が行われた(2009/5/27、2009/6/17)。
 
 それにしても「世論」というものは、いつの間にか一昔前よりもずいぶんと移り変わりの激しいものになってしまったようである。
 
 「此の世をば 我が世とぞ思ふ 望月の かけたることも 無しと思へば」−。
 
 高校の日本史の教科書などに載っている「小右記」の中にある藤原道長の和歌(1018年)である。たとえ今が何年に1度の政治危機であったとしても、少なくとも約1000年前から全く変わっていないものがいくつかあるようである。
 
 ちなみに筆者としては「今現在の民主党の代表」が就任1カ月(2009/6/16)を迎えるまでの期間を「短縮ハネムーン期間」と位置付けて論評などを自粛してきた。日本の政治関連のその他の動きについても簡単に触れた後でいよいよ本論に入ることにする。
 
 2008年度1次補正予算(2008/10/16成立)、2008年度2次補正予算(2009/1/27成立)、2009年度予算(2009/3/27成立)の「三段ロケット」に続き、「四段目」となる2009年度補正予算も成立した(2009/5/13に衆院通過、5/29に成立。なお消費者庁関連法も5/29に成立)。また今現在の衆議院議員の任期切れ(2009/9/10)が迫る中、第177通常国会の会期も延長された(2009/6/2。6/3までの会期は55日間延長されて7/28までに)。
 北朝鮮が「人工衛星打ち上げ」と称して長距離弾道ミサイルを発射した(2009/4/5。4/5,AM11:30頃に北朝鮮・舞水端里から発射され、1段目の推進装置は秋田県の西約280kmに落下、日本領空のはるか上空を通過して太平洋へ。日本の東約2100kmで日本側のミサイルの追尾は終了。なお自衛隊法に基づく破壊措置命令(3/27)を受けて秋田県や岩手県などに配備していたPAC3などの迎撃システムは使用せず。そして国連安保理が4/13に北朝鮮の「ミサイル」発射を非難するなどの議長声明を全会一致で採択)。
 さらに北朝鮮は地下核実験を実施したと発表した(2009/5/25。5/25,AM9:54頃に北朝鮮咸鏡北道豊渓里を含む吉州郡で。北朝鮮の核実験は2006/10/9に続いて2回目。国連安保理決議(1718)違反。なお北朝鮮は短距離ミサイルも発射)。これを受けて国連安保理は北朝鮮に対する追加制裁決議を全会一致で採択した(2009/6/12(日本時間6/13未明)。決議1874。北朝鮮によるすべての武器や関連物質の輸出を禁止、また小火器などを除く武器や関連物質の輸入を禁止。禁輸品目を含むと信じるに足る合理的な理由がある場合には旗国の同意の下に公海上でも船舶貨物検査を行うように全加盟国に要請、などの内容。なお6/16に政府は対北朝鮮輸出の全面禁止などの日本独自の追加制裁措置を閣議決定)。
 世界保健機関(WHO)は「豚インフルエンザ」の感染被害の拡大を受けて新型インフルエンザの警戒レベルを「フェーズ4」(2009/4/27(日本時間4/28早朝))、そして「フェーズ5」(2009/4/29(同4/30早朝))、さらに「フェーズ6」(2009/6/11。パンデミック(世界的大流行)を意味)に引き上げたと発表した。そして日本国内でも兵庫県や大阪府の海外渡航歴のない高校生らが新型インフルエンザに感染したことなどが確認されて一時大きな波紋が広がった(2006/5/16。国内での人から人への感染が明らかに。なおカナダから帰国した大阪府の教諭と生徒が新型インフルエンザに感染していたことが5/9朝までに明らかになっていた。6/18現在、国内の感染者の確定数は689人。ひとまず感染のピークは過ぎたと見られている)。
 
<「野党共闘」と「『非自民』勢力」との違い>
 
 「(前略)…言うまでもありませんが、私どもは、政権交代を果たすために、今回、小沢代表が辞任をされ、新代表として鳩山が選ばれた。かくなるうえは、政権交代を果たさなければなりません。そのためには…、願うらくは当然…、単独過半数でありますが、少なくとも、自民党を凌駕する、その議席(数)を得なければなりません。単独過半数を得たときには…、野党共闘はどうなるかというご質問でありましたが、参議院を見れば、決して楽ではない戦いでございまして、参議院においては、国民新党さん、社民党さんとの協力が不可欠でありますので…、新党日本さんも含めまして、協力をこれからもいただきながら、できる限り、この、野党協力…。小沢前代表時代に築き上げてまいりました、野党協力路線というものは、これからも引き続き、推進をしていきたい、そのように思っておりまして、単独過半数を取る取らないの如何にかかわらず…、現在の野党共闘は、これからも続けていく、政権を取った後も、社民党さん、国民新党さんとは、協力関係を強めていきたい、そのように考えています」(2009/5/16の民主党の鳩山由紀夫新代表の就任直後の記者会見から)
 
 そもそも「野党共闘」などというものにいったいどれだけの意味があるのだろうか。筆者は「野党共闘」などという低レベルの発想では、日本の政治の閉塞状況を本当の意味で打破することはできないと考えている。いくら「今現在は与党ではない」とか「クタバレ自民党」程度の共通点でまとまっているにすぎない勢力に形式的に「政権交代」してみたとしても、実質的にはほとんど何も変化しないと筆者は考えている。そのことは1993年総選挙直後の日本の政治状況という歴史的事実によっても示されている。当時とは党首の顔ぶれがすっかり変わってしまったとしても、なぜか一部では一巡して元に戻ってしまったとしても、日本の政治はほとんど進歩していないのかもしれない。
 
 「(筆者注(以下( )内は基本的に同じ):1993/7/18投・開票の)総選挙で自民党が過半数を割り込んだことにより、メディアや国民の関心は今後の政権の形態がどうなるかという一点に集中していった。自民党を中心とした政権か、それとも『非自民政権』かということである。小沢(一郎)氏は水面下で精力的に新生党を中核にした非自民勢力を結集し、自民党もまた右往左往しながら、不足議席を埋める政党が出現することを期待していた。ただ、電光石火、小沢氏が『非自民』勢力を結集して囲い込んだので、自民党から見れば、われわれと共産党しか残っていなかった。端的に言えば、われわれ(さきがけ・日本新党)がどちらにつくかによって『自民政権』か『非自民政権』かが決まる。文字通りのキャスティング・ボートを握ることになってしまったのだ。 細川(護熙・元首相)、武村(正義・元蔵相)両氏の本心はいざ知らず、私にとってはすこぶる迷惑なキャスティング・ボートであった。握ったというより、握らされたという感じであった。 開票の翌日から、毎朝七時に細川、武村両氏と私の協議が始まった。時には園田(博之)氏(現・自民党政調会長代理)や鳩山(由紀夫)氏(現・民主党代表)にも参加してもらい、党の対応を話し合った…(中略)…自民党と『非自民』から、『この指止まれ』と迫られ、連日の朝の三者協議は、『どちらと連立すべきか』と『どんな条件をつけるべきか』ということにしぼられていた。その指が日に日に目を突き刺さんばかりに顔面に突きつけられたのである。 私は特に『非自民政権』という言葉に納得できなかった。 『自民党政権を終わらせる』ことが、それなりの政治的意義があることは理解できる。しかし、その目標は、政権を樹立したとたんに失われる。それ以上何をするのか、何ができるのか。基本政策で一八〇度の違いを持つ政党が連立を構成して、名実ともに自民党政治を乗り越えることができるのか。それに、どちらにつくにせよ、いわゆる数合わせのための補完勢力だ。そんなことを目指して進んできたわけではない」(p102-104)
 「(前略)…七月二一日、早朝に目が覚めた私は、あることに気づいて飛び起きたのである。それは、二本の指に止まる他にもう一つの道があるということ。他でもない、こちらから『この指止まれ』と指を突き出す道がある。『自民政権』と『非自民政権』ともう一つ、われわれが呼びかける政権がある。私はこれに気づいてベッドから飛び起き、直ちにその政権の概要を考え出した。 思想信条の違う政党による連立政権は、臨時・緊急の事態にしか通用しない。だからわれわれが提唱できるのは特別の使命を負う言わば特命政権だ。そしてその特命は、『早期の政治改革の処理』の他はない。景気対策をはじめとする懸案処理を遅らせている政治改革、与野党逆転をもたらした民意も政治改革。この実現に期限を明示して取り組む政権。『政治改革政権』――これ以外にない。 このとき私は、この政権がどのような政治基盤に立つにせよ、必ず成立すると確信して身震いした。そして『この道以外に行く道なし』と感じて、積極果敢に突き進む姿勢に転じた。すなわち、ここで私自身が積極的に政権樹立に関与することを決断したのである…(後略)」(p104-105。以上、田中秀征著、「判断力と決断力 −リーダーの資質を問う」、ダイヤモンド社、2006年から)
 
 田中秀征・元経済企画庁長官の著書からの引用である。もしもこのまま民主党の鳩山由紀夫代表が小沢一郎代表代行(前代表)が構築した「野党共闘」などを引き継ぐのならば、それは約16年前に小沢氏が電光石火の早業で囲い込んだ「非自民」勢力と同じようなものを総選挙前から事前につくっておくのとほとんど同じ意味を持つことになるのだろう。筆者に言わせれば、1993年総選挙直後の「非自民」勢力と今の「野党共闘」などとの違いは、総選挙直後に電光石火の早業で囲い込むのか、それとも総選挙前から事前に囲い込んでおくのかという形式的な違いにすぎないということになる。よって「非自民」や「野党共闘」のような「思想信条の違う政党による連立政権は、臨時・緊急の事態にしか通用しない」という本質は今現在も全く変化していないことになる。そして現時点ではかつての「さきがけや日本新党」のように「歴史」から「キャスティング・ボート」を半強制的に握らせられることになりそうな動きやその兆候は全く見られていないのである。
 
 あくまでも念のために言っておくが、いくら私利私欲以外にはほとんど中身もないような人間たちがテレビなどにしつこく出てきて「政治家ごっこ」を繰り返したとしても、日本の政治の閉塞状況を打破することはできないのである。もっとも「キャスティング・ボート」などというものは私利私欲にとらわれた人間たちがどうにかして握ってやろうと強く思えば思うほど、どんどん遠ざかっていくものなのかもしれない。あえて繰り返すが、「野党共闘」などという低レベルの発想では、過去の過ちを何度でもそのまま繰り返すだけで終わり、日本の政治の閉塞状況を本当の意味で打破することはできないと筆者は考えている。
 
<「政権交代」とはいったい何か>
 
 「(前略)…非常に分かりやすく申し上げれば…、皆さん方(筆者注(以下( )内は基本的に同じ):自民・公明・保守)が政権与党を作っていると。政権与党の中に入っていない人間が、その全員で…、こう、何か一つの政権構想を作らなければおかしいなどいう議論は全く論外であって…、これはかつて、ある方から言われたことがありますが、『ブタ』と『非ブタ』というのがあって、『ブタ』(グループ)に対しては、性格を作ることはできるけども、じゃあ、『非ブタ』という…、『ブタ』でないという(その他大勢の)集団に対して、それを一つにまとめろという議論を大胆に行うべきではない。私は当然のことながら、政権を目指すそれぞれの政党として、政権構想は持っている。その政権構想は…、当然、われわれ(民主党)の考え方に協力をしてくれる人でなければならない。それは言うまでもない話でございます。そのために必要なことは、参議院選挙にしっかりとした勝利を収めて、その勢いで衆議院の解散を求めなければ、政権というものの樹立を図ることができないことは言うまでもないんです。したがって、私たちは、早く政権を実現していくために、衆議院の解散を求めていく戦いを進めていかなければならない。その後に、政権構想というものが出てくるのが当然ではないかと思っておりまして、今、どことどこと組みます、あるいは、自民党のどことどこが崩れてくるのを待っています、みたいな話を申し上げるべきときではないと思っています」「共産党と、当然、組む考えはありません」(2001/7/11(7/29投・開票の参院選の公示前日)の日本記者クラブ主催の7党党首討論会において民主党の鳩山由紀夫代表(当時。現在は新代表)が公明党の神崎武法代表(当時)の質問に答えて)。
 
 約8年前の民主党の鳩山由紀夫代表の発言からの引用である。日本の政治が少なくとも約8年前からほとんど進歩していないということに改めて気づいて驚いている読者も少なくはないのかもしれない。ちなみに当時(2001年)の内閣総理大臣は小泉純一郎元首相である。読者は約8年前の「日本国の内閣総理大臣」と当時も野党第一党だった「民主党の代表」の名前を共に覚えていただろうか。
 
 ほとんどの読者は鳩山由紀夫代表が使っていた「ブタ」と「非ブタ」という言葉がそれぞれ何を指しているのかということはおそらくすぐに分かったことだろう。つまり「与党」が「ブタ」だとすれば「野党」は「非ブタ」になり、逆に「与党」が「非ブタ」だとすれば「野党」は「ブタ」ということになるわけである。どういうわけか権力欲を丸出しにして「ゆ党」などと不可思議なことを言い出した野党政治家がかつていたような気もするが、普通は「与党」でなければ「野党」になり、逆に「野党」でなければ「与党」ということになる。当たり前と言えば当たり前の話である。
 
 そもそも「政権交代」とはいったい何か。鳩山由紀夫代表の言葉を用いれば「ブタ」から「非ブタ」になるということなのかもしれない。しかし、本当の意味での政権交代というのは、「ブタ」から「非ブタまるごと」になるのではなく、「非ブタ」の中から「イヌ」や「ネコ」や「ハト」などを選ぶということだと筆者は考えている。さすがに「今現在のブタ」でなくなりさえすればどうでもいいということにはならないはずである。いくら野党第一党の民主党が今現在も安全保障を含めた個別具体的な政策になるとまとまりを欠く「小・非ブタ」のような政党であったとしても、それでもやはり有権者から見れば「野党共闘」などという「大・非ブタ」よりははるかにましな「選択肢」になるはずである。「政権交代」とは何かということを一般社会の中の具体例を用いて一歩踏み込んで考えてみることにする。
 
 例えば、恋愛や結婚の場合を考えてみることにする。仮に誰かが「今の恋人」や「今の結婚相手」と別れたいと思っているような場合には、試しに一度「新しい恋人」や「新しい結婚相手」を慌てて選んだりしなければ本当に「今の恋人」や「今の結婚相手」と別れることはできないのだろうか。そんなことはないはずである。もちろん「新しい恋人」や「新しい結婚相手」と運命的に出会ったから「今の恋人」や「今の結婚相手」とはやがて自然に別れることになるというようなケースもあるのだろう。だが、「今の恋人」や「今の結婚相手」には愛想が尽きて本気で別れたいと思っているのならば、「新しい恋人」や「新しい結婚相手」を探すよりも前に、まずは一刻も早く別れようとすればいいだけの話である。もっとも相手がどうしても諦めようとしないなどという異常な状態ならば、例外的な非常手段として新しく「恋人」や「結婚相手」をとにかく作ってしまうということを考えた方が手っ取り早いのかもしれない。
 
 いずれにしても日本のような民主主義国家においては「新しい恋人」や「新しい結婚相手」が見つからなければ「今の恋人」や「今の結婚相手」と別れることができないなどというような理不尽なことは絶対にないのである。従って、いくら「今の恋人」や「今の結婚相手」(→「ブタ」)だけは絶対に嫌だと心から思っているような場合であっても、どんなに少なくとも結婚相手として選ぶときには、「今の恋人」や「今の結婚相手」以外ならば誰でもいい(→「非ブタまるごと」)ということには絶対にならないはずである。多くの賢明な読者は「政権交代」などと称して「ブタ」から「非ブタまるごと」に交代するなどということがいかに愚かなことなのかということをよく分かってくれていることだろう。
 
 有権者に向かって試しに一度「非ブタ」に「政権交代」させてみようなどと叫ぶようなことは、人類が滅亡するような兆候も全く見られない状態で「人類が滅亡して男性1人と女性1人だけが生き残ったらどうするか」とか、無人島に取り残されるような危険性が全くない状態で「無人島に男性1人と女性1人だけが取り残されて一生ずっと暮らさなければならなくなったらどうするか」などというような「非常に理不尽な究極の選択」を無理強いしているのと同じことになると筆者は考えている。有権者を愚弄するのにも限度というものがあるはずである。
 
 相変わらずテレビなどでは「政権交代カルト」が「先進国で政権交代がないのは日本だけ」「とにかく一度政権交代をしてみることが必要」などともっともらしく叫んでいるようである。そういう「政権交代カルト」の中には、議員バッチを付けて1993年以降の日本の政治の動きに当事者として深く関与し続けてきたにもかかわらず、「政権交代」が実現しさえすれば、それだけですべてが上手くいくと信じて疑わない愚かな人間たちも数多く含まれているのである。また最近はどういうわけかしつこくテレビなどに出てきて「公共の電波」を私物化しながら政治運動を繰り返すような不届きな輩が増えている。ひどいのになると、例えば、自分たちが「審議(入り)拒否」をしておきながら、まるで「審議拒否」をしていないかのような「デマ」を垂れ流して有権者を欺こうとする輩まで出てくるのである。有権者を平然と欺こうとするような輩は「人でなし」や「人間のくず」と呼ばれても仕方がないが、困ったことにそうした輩の数が選挙のたびに増えているのである。
 
 ちなみに筆者の記憶に間違いがなければ、民主党の鳩山由紀夫代表がまだ自民党議員だった頃には、たしか「御輿は軽くてパーがいい」などと言ったなどと伝えられた与党政治家がいたような気がする。もっとも筆者はその種の発言を直接聞いたわけではないから「パー」という言葉が具体的にどういうことを意味しているのかはよく分からない。「パー」はゴルフで使われる「パー」と似たような意味なのかもしれないし、全く違う意味なのかもしれない。そして一昔前のテレビなどの世界ではどうやら「パー」は「アホ」とは違っていたらしい。いずれにしても本当のところは「御輿は軽くてパーがいい」などと発言したという政治家に聞いてみないことにはよく分からないのだろう。
 
 戦前の日本でも、「大正デモクラシー」などと呼ばれた短い特殊な期間に「憲政の常道」などというもっともらしいことが言われていたらしい。しかし、結局のところは政党政治は機能せず、やがて政党や官僚の無能と腐敗のために社会が行き詰まっているなどという認識が多くの国民の間にも急速に広がり、ついには軍部などによる「直接行動」や「テロ」や「クーデター」などを誘発して無謀な戦争へと突き進んでいったはずである。たとえ今の日本に何度も失敗して時間を無駄にしているような余裕がまだ残されていたとしても、少し前の歴史を振り返ってみるだけでも、試しに一度「政権交代」してみてダメだったらまた別のものに交代してみるなどというような虚しいことを繰り返していけば「破滅」してしまう危険性も十分にあるということに気づくはずである。
 
 歴史的事実から何も学ぶこともできないあまりにも愚かな政治家たちを次の総選挙で一掃しなければ、日本の政治の閉塞状況を本当の意味で打破することが非常に困難な状態がまだしばらくは続くことになってしまうと筆者は考えている。日本の政治の閉塞状況を打破するためには「非ブタ」の論理からの脱却が必要だと筆者は考えている。
 
<「ブタ」とはいったい何か>
 
 まだしばらくの間は「ブタ」と「非ブタ」の話が続くことになる。確かに鳩山由紀夫代表が使っていた「ブタ」と「非ブタ」という言葉が与党と野党を指しているということはすぐに分かることなのかもしれない。だが、「ブタ」という言葉の持つ意味を一歩踏み込んで考えていけばいくほど、様々な意味で「ブタ」とはいったい何かということがよく分からなくなってくるのである。たとえ「ブタ」と「非ブタ」という別々の「ラベル」が付いていたとしても、実際に中身を見てみると「ブタ」にも「非ブタ」にも似たようなものが入っていて違いがよく分からなくなることも多いのである。
 
 例えば、「ブタ」(=与党)の中には、野党議員として初当選した後に様々な紆余曲折を経て自民党入りしてきた「元野党」の議員たちがかなり多くいる。そしてもともとは自民党の議員だったが、離党して野党になり、その後に再び自民党に戻ってきたという「元野党」かつ「元自民党」という議員たちも少なくはないのである。一方の「非ブタ」(=野党)の中にも、鳩山由紀夫代表を含めて1993年以降に自民党を離党して「元自民党」になったという議員たちが少なくないのである。そして最近は郵政民営化が主な争点になった2005年総選挙直前までは自民党だったという比較的新しい「元自民党」の議員たちもかなり目立つようになっている(参照:http://www.jchiba.net/message/051018-6.htmの「自民党内の『隠れた一大勢力』」etc)。さらに言えば、最近流行の「世襲」や親などが政治家だったという議員たちについても似たようなことが言えるのである。確かに自民党には「世襲」や親などの親族が政治家だったという議員たちがとても多いが、野党にも「世襲」や親などの親族が政治家だったという議員たちが少なくないのである。「ブタ」を見ても、「非ブタ」を見ても、「世襲」や親などの親族が政治家だったという議員たちを見つけることは簡単にできるのである。
 
 そうしたことに注意してみると、そもそも「野党」「自民党」などという「ラベル」、あるいは、「元野党」「元自民党」などという「ラベル」には、いったいどんな意味があるのかということがよく分からなくなってくるのである。もしも「ブタ」と「非ブタ」という別々の「ラベル」が付いていたとしても、「ブタ」にも「非ブタ」にも似たようなものが入っていても構わないのだとしたら、別々の「ラベル」を付けなければいけない理由がよく分からなくなってしまうのである。
 
 もしかすると「野党」「自民党」などという「ラベル」は「自分が生まれたり育ったりした場所のようなもの」を意味しているのだろうか。そして今現在も「野党」「自民党」などにいる場合には「野党」「自民党」などという「ラベル」をそのまま付け続け、今現在は別のところにいるという場合には「元野党」「元自民党」などという「ラベル」に付け替えているということなのだろうか。つまり「野党」「自民党」などという「ラベル」は、誰でも届け出ればすぐに変更できる「戸籍」や「住民票」のようなものなのだろうか。
 
 しかし、もしも「野党」「自民党」などという「ラベル」が「自分が生まれたり育ったりした場所のようなもの」だとするならば、選挙で投票する候補者や政党を決めようとするときにはほとんど役に立たない無意味なものになってしまうはずである。確かに世の中には「自分と故郷が同じ」というだけの理由で選挙で投票してくれるような人たちがごく一部にはいるのかもしれない。だが、いくらなんでも同じ故郷ならばすべての問題で意見が一致するなどということには絶対にならないはずである。もしも同じ故郷の人たちの意見がすべて一致しているのならば、そう遠くないうちに政治家を選ぶときには選挙の代わりに「戸籍」や「住民票」から「くじ引き」で政治家を選んで税金の無駄遣いをなくすという話になっていくのだろう。
 
 それでは、「野党」「自民党」などという「ラベル」は「自分の出身校のようなもの」を意味しているのだろうか。しかし、もし仮にそうだとするのならば、政治家たちが選挙のために次々と所属政党を変更するようなことはほぼ不可能になるはずだから、やはり現状とは矛盾することになる。もちろん学校の中には「トーダイ」のようにとても難しい試験に合格しなければ入学できない学校もあるし、入学する年や卒業する年を本人が完全に自由に選ぶことができるというわけでもないから、「同級生」「先輩」「後輩」などという「ラベル」は誰でも届け出ればすぐに付けられるような種類の「ラベル」ではないのである。よって「野党」「自民党」などという「ラベル」は「自分の出身校のようなもの」を意味しているわけではないはずである。もちろん仮に「野党」「自民党」などという「ラベル」が「自分の出身校のようなもの」だったとしても、やはり「同級生」「先輩」「後輩」ならばすべての問題で意見が一致するなどということにはならないから、選挙で投票する候補者や政党を決めようとするときにはほとんど役に立たない無意味なものになるはずである。
 
 繰り返しになるが、そもそも「野党」「自民党」などという「ラベル」、あるいは、「元野党」「元自民党」などという「ラベル」には、いったいどんな意味があるのだろうか。たとえ「ブタ」と「非ブタ」という別々の「ラベル」が付いていたとしても、実際に中身を見てみると「ブタ」にも「非ブタ」にも似たようなものが入っていても構わないのだとしたら、別々の「ラベル」を付けなければいけない理由がよく分からなくなってくるはずである。
 
<このままでは選挙を戦えない?>
 
 最近は、与党でも、野党でも、支持率が低下してきたり党首の人気がなくなってきたりすると必ず党内から「このままでは選挙を戦えない」などという声が出てくる。もちろんそうした声が党内から出てくる背景には、衆議院議員の選挙制度が小選挙区比例代表並立制になったという特別な事情もあるのだろう。だが、いくらなんでも党首を交代させればそれだけですべての問題を解決することができるというわけでもないはずである。政府・自民党側の2年連続の「投げ出し」劇、そしてほんの少し前の民主党代表の交代劇の直前にも、それぞれの党内では「このままでは選挙を戦えない」などという声が強まっていた記憶がまだ鮮明に残っている読者も少なくはないはずである。ここ数カ月の日本の政治の動きを見てきた賢明な読者の中には、「党首らの威光や人気などを利用しなければ選挙を戦えないようなお粗末な政治家たちしかいないのだろうか?」という素朴な疑問を持った人たちも少なくはないはずである。
 
 もちろん他人の威光や人気などを利用しているのは政治家たちだけではないのである。永田町周辺や霞が関周辺には、議員バッチを付けていてもいなくても私利私欲のために「大物政治家」や「人気者」を次々と呼び捨てにして親密な関係を偽装したり、図々しく政党や政治家の近くに陣取って「学者」や「評論家」、「元秘書」や「議員関係者」などという怪しげな肩書きを掲げながら様々なレベルでホラを吹きまくっている「人でなし」や「人間のくず」と呼ばれても仕方がないような輩がウロチョロしている。また最近は「蟹工船ブーム」に便乗して勢力を拡大しようとするだけではなく、なぜか米国のオバマ大統領に出した手紙に返信があったことを異常なまでに大喜びしながら、あたかも人気者の大統領と親密な関係にあるかのような救いようのない勘違いをしている政治勢力まで出てきているらしい。
 
 もちろん私利私欲のために他人の「寄生虫」になるような真似をする「人でなし」や「人間のくず」と呼ばれても仕方がない輩がウロチョロしているのは永田町周辺などに限った話ではない。例えば、テレビなどの世界でも「タレント」や「俳優」などの人気が急上昇してくると、本人の記憶にはほとんど残っていない「親類」や「同級生」などがどこからともなく次々と現れてきて好き勝手なことを言い始めることも少なくはないのである。ひどいのになると、実はみんなと一緒に電車やバスに乗ってお弁当か何かを食べに行ったことがあるだけの「親類」や「同級生」などが想像力を最大限に発揮して「昔の彼・彼女はああだった」などと語っているだけのこともある。確かに「タレント」や「俳優」などは、結婚、離婚、出産、交際、破局、あるいは交際発覚スクープなどを含めて「ありとあらゆる私生活」を売り物にしてまで「多くの人たちに夢を売る商売」なのかもしれない。だから、私利私欲のために他人の私生活を私物化して生き長らえようとする「人でなし」や「人間のくず」と呼ばれても仕方がないような輩が群がってきたとしても「有名税」などという言葉で片付けられてしまうのかもしれない。しかし、誰にでも1つや2つぐらいは他人には絶対に踏み込んで欲しくないものがあるはずである。たとえ有名人であったとしてもそうではなかったとしても、誰にでも他人には土足で足を踏み入れて欲しくないものが1つぐらいはあるはずである。そして他人が大切にしているものを私利私欲のために踏みにじるような真似をすれば「人でなし」や「人間のくず」と呼ばれても仕方がないはずである。当たり前と言えばあまりにも当たり前の話だが、人間にはどんなに少なくとも「人間として失ってはならないもの」があるはずである。
 
 確かに永田町周辺以外でも様々な形で他人の「寄生虫」になるような真似をする「人でなし」や「人間のくず」と呼ばれても仕方がない輩がウロチョロしている。もしかすると最近は「人でなし」や「人間のくず」と呼ばれても仕方がない輩があまりにも多くあふれているので、多くの人たちは永田町周辺にいる「人でなし」や「人間のくず」と呼ばれても仕方がない輩にも少し鈍感になってきているのかもしれない。しかし、そういう輩が政治家や官僚に「寄生」している場合には、政治家や官僚から直接何かを奪い取っているだけではなく、実は国民から目立たない形で様々なものを同時に奪い取っているということも絶対に見失ってはならないのである。
 
<「政治主導」とはいったい何か>
 
 再び「ブタ」と「非ブタ」の話に戻る。実は「ブタ」と「非ブタ」の中身が似通っているのは、豊かな政治的遍歴のある中堅以上の議員たちに限った話ではないのである。最近は「ブタ」と「非ブタ」のどちらの新人議員たちの中にも似たようなタイプのお粗末な人間たちが急速なスピードで増えている。筆者に言わせれば、最近の新人議員たちには、「どこかの大金持ちや偉い人のバカ息子のような政治家たち」や「たまたま宝くじが当たったりITバブルで急騰した株を売却したりして大儲けした虚業家のような政治家たち」がとても多いのである。
 
 例えば、最近の選挙では「マニフェストなるもの」が「流行」としてすっかり定着してきている。そして数年前からは「マニフェスト・バブル」とでも呼ぶべきどさくさに紛れてどういうわけか議員バッチをつけてしまった「虚業家のような政治家たち」が増えているのである。確かに「マニフェストなるもの」が「流行」として定着してくれば、たとえ「マニフェストなるもの」に書かれた内容の持つ意味を十分に理解できないようなお粗末な人間たちであっても、「ただいまマニフェストをお配りしています」などと叫びながら「マニフェストなるもの」を必死に配っていれば「政治家」らしく見えてくるのかもしれない。そしてひどいのになると、選挙運動中に「パパフェスト」や「ママフェスト」などというくだらないダジャレを連発してみたり「40404」などという怪しげな数字を掲げたりしながら「政治家ごっこ」をしつこく繰り返す勘違いした人間たちまで出没してくるようになってしまうのだろう。ちなみに「ただいまマニフェストをお配りしております」などと叫びながら「マニフェストなるもの」をひたすら配っている勘違いした人間たちを見ていると、まるで一昔前のどこかのメーカーのCMのように「マニフェストでござーる!」などと言っているように聞こえてくるから実に不思議なものである。あくまでも念のために言っておくが、いくら「マニフェスト・バブル」などと呼ぶべきどさくさに紛れてどういうわけか議員バッチを付けてしまった「虚業家のような政治家たち」が増えたとしても、そうしたお粗末な人間たちに議員バッチを付けることを許したのは有権者自身であるということは何も変わらないはずである。「マニフェスト・バブル」によって「虚業家のような政治家たち」を誕生させたのは有権者自身であるということは絶対に忘れてはならないはずである。
 
 また筆者に言わせれば、2005年の総選挙では「どこかの大金持ちや偉い人のバカ息子のような政治家」が大量に誕生したのである。もちろん「○○チルドレン」などとまとめて呼ばれたお粗末な人間たちの中にも能力のある新人議員たちがいることは間違いなく事実である。だが、2005年の総選挙では、たとえ今までどんなにあらゆる改革に激しく抵抗してきたような政治家たちであっても、あるいは、たとえどんなに政治家として必要な最低限の能力すらも持っていないお粗末な人間たちであっても、「郵政民営化賛成」と叫んだり小泉純一郎元首相や「その側近」の威光や人気などを利用したりすれば、どういうわけか当選してしまったということも残念ながら事実なのである。もちろん「○○チルドレン」などとまとめて呼ばれたお粗末な人間たちに議員バッチを付けることを許したのは有権者自身であるということも絶対に忘れてはならないはずである。
 
 本当に有権者は次の総選挙でも選挙後に「○○チルドレン」などとまとめて呼ばれることになるかもしれないお粗末な人間たちに議員バッチを付けることを許してしまうのだろうか。いくらなんでも「政権交代」や「政治主導」などと叫んだり「政権交代のイメージ」などを利用したりすれば、たとえどんなに政治家として必要な最低限の能力すらも持たないお粗末な人間たちであったとしても、たとえどんなに昔の自民党的な体質を持っている政治家たちであったとしても、どさくさに紛れて当選してしまっても構わないということにだけはならないはずである。もしもそういうことになってしまうのならば「御輿は軽くてパーがいい」などという言葉が再びどこからか聞こえてきそうである。
 
 言うまでもなく、最近流行している「政治主導」などを本気で実現しようと思うのならば、当然、テレビなどで「政治主導」などと叫んでいる政治家たちの資質や能力などが問題にされなくてはならないはずである。例えば、いくら「政治主導」や「官僚支配からの脱却」などと強く叫んでみても、議員事務所に「PLEASE DON'T DISTURB」の札をかけておけば官僚たちが根回しにやってくることができなくなるというわけではないし、都心の超一流ホテルの部屋に「PLEASE DON'T DISTURB」の札をかけておけば政府・与党から邪魔されずに官僚側との事前協議だか何だかを実現することができるということでもないはずである。
 
 なおあくまでも念のために言っておくが、英国の下院議員たちの悪い部分を見習って、アダルトビデオ代金だとか、愛人との密会のために費やした交通費やガソリン代だとか、愛人と過ごしたホテルの宿泊代金だとか、不倫疑惑を追及する記者たちの質問から逃げ回るために費やした様々な経費などをこっそり税金で支払わせるようなことも断じて「政治主導」などではあり得ないはずである。さらに付け加えるのならば、まるで「政治家キャラの芸のない芸人」のように週末になるたびにテレビ局にカネをせびりにやってくるなどという陰口をたたかれながらテレビなどにしつこく出演し続けたとしても、あるいは、自分たちの品位のない寝顔などを娘よりも若い女性に限定せずに幅広く公平に「情報公開」したとしても、すべてを「オープン」にしているなどということには絶対にならないはずである。
 
 あえてもう一度繰り返すが、このままでは「御輿は軽くてパーがいい」などという言葉が再びどこからか聞こえてきそうである。
 
<「ブタ」あっての「非ブタ」>
 
 どうやらそろそろこの辺で「ブタ」と「非ブタ」の話にも一区切りを付けることができそうである。最後に「非ブタ」とは何かということを改めて確認しておくことにする。当たり前と言えば当たり前の話だが、「非ブタ」というものは、「ブタ」が存在して初めて「非ブタ」になることができるのである。つまり「ブタ」あっての「非ブタ」である。従って、もしも何らかの理由で「ブタ」の存在感が非常に希薄になってしまったとしたら「非ブタ」の存在感も同様に希薄になってしまうはずである。あるいは、なぜか同じ「ブタ」の中に、おだてなくても勝手に木に登ってしまう「ブタ」とか、都合が悪くなると空を飛んで逃げる「ブタ」とか、どんなに無理をしてでもテレビカメラの前だけでは絶対に二本足で歩く「ブタ」などというような著しい例外が次々と出てきたりして、「ブタ」というものがいったい何なのかが全く分からなくなってしまったようなときには、「非ブタ」の意味はほとんどなくなってしまうはずである。当たり前と言えば当たり前の話だが、「非ブタ」というものは、「ブタ」がいなくなったり「ブタ」が「ブタ」でなくなったりすれば、たったそれだけのことで雲散霧消してしまうようなあまりにも脆い存在なのである。
 
 あえて繰り返すが、「非ブタ」では「政権交代」が実現したその瞬間から崩壊を始めるということになるはずである。そしていくら「ブタ」と「非ブタ」という別々のラベルが付いていたとしても、どちらにも似たようなものが入っているだけならば、次の総選挙で有権者が「ハズレくじ」を引かされる危険性が非常に高くなってしまうはずである。有権者が「政権交代」などというもっともらしい言葉で思考停止させられて「ハズレくじ」を引かされてしまわないようにするためにも、そもそも「ブタ」と「非ブタ」の間でどれだけ中身が違っているのかということを総選挙前にしっかりと検証する必要があるはずである。
 
 現時点ではいくら有権者が「ブタ」が嫌だと強く思っていたとしても、まだ「イヌ」や「ネコ」などを選ぶことができるような状態にはなっていないのである。そういう意味では有権者には「ハズレくじ」しか用意されていないことになる。そして少なくとも現時点においては、次の総選挙で「政権交代」があったとしてもなかったとしても、また政界再編などがあったとしてもなかったとしても、各党の「政権公約」や「マニフェスト」などの公約は「絵に描いた餅」にされてしまうということだけはほぼ確実な情勢になっている。
 
 ちなみに筆者としては、そう遠くない将来に「ブタ」の中から突然ハトが飛び出してきて「兄弟2羽」になるとかならないとか、「10年以上前のソフトクリームやアイスクリーム」が真夏の日差しで融けて中から「元祖ブタ」が飛び出してくるなどという類の「くだらないマジック」を本当に国民が見せつけられることになるのかどうかということについてはほとんど興味がないのである。筆者が現時点で最も関心があるのは、有権者を欺く危険性が非常に高くなっている「御輿は軽くてパーがいい」などという声が再びどこからか聞こえてきそうな「いくつかの状況」と「その種明かし」である。そしてもちろん現時点では「麻生が、やりぬく」という言葉にまだどれだけ重みが残っているのかということについてもそれなりに興味を持っている。いずれにしても、これからしばらくの間は非常に長い沈黙を守り続けることになるのだろう。


<2009年> 最近の日本の政治情勢(2009年)について (ほぼ同一内容をメールマガジン版「永田町ワイドショー」として配信予定)

<2008年> 最近の日本の政治情勢(2008年)につい (ほぼ同一内容をメールマガジン版「永田町ワイドショー」として配信済)


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