政治の究極目標は「将来の世代を含めた一人ひとりの生命などを守ること」であると考えています。そしてその目的を達成するためには「ミクロ」「マクロ」、「過去」「未来」、「メリット(プラス)」「デメリット(マイナス)」などという複数の視点によって目の前の深刻な問題を相対化することが必要だと考えています。
当ホームページ上のすべての記事は無料ではなく「シェアウェア」です。著作権の侵害とそれに類する一切の不適切な使用、及び不正行為は固くお断りします。また不正行為等の防止のためにやむを得ないと判断する場合には事前の警告なしに報復措置を含めたすべての必要な手段を講じます。
編集・発行:http://www.jchiba.net/、基本方針 筆者:千葉 潤、ご意見など:jchiba@tokyo.email.ne.jp 基本方針
大いに参考になる歴史的事実
「第169回国会の開会に当たり、我が国外交の基本方針について所信を申し述べます。私は平成11年の通常国会における外交演説の冒頭で、国際社会は冷戦の終焉を経て、新しい世紀を迎えようとしているが、平和で安定した世界への道のりは平坦でないと述べました。それから9年を経た今、アジア諸国の安定と繁栄、米州やアジア太平洋、欧州での地域協力や経済統合への動き等、好ましい発展が見られる一方で、北朝鮮をめぐる問題や国際テロ、大量破壊兵器及びミサイルの拡散、気候変動をはじめとする環境問題、アフリカの開発等、世界は依然として多くの課題に直面しております。我が国の国益である、我が国国民の幸福及び我が国の平和と繁栄の確保は、世界の平和と繁栄の実現なくしてはあり得ません。そして世界の平和と繁栄は、所与のものではなく、各国の不断の努力があってはじめて実現できるものであります。我が国としてもその実現のために受け身であってはなりません。総理が施政方針演説で述べられた通り、我が国は、日米同盟の堅持と国際協調を外交の基本方針とし、中国・韓国等の近隣諸国や国連等とも緊密に協力しつつ、『平和協力国家』として、国際社会の平和と発展に向けて積極的に取り組んでまいります…(後略)」(2008/1/18の高村正彦外相の外交演説から)
「第145回国会の開会に当たり、我が国外交の基本方針について所信を申し述べます。国際社会は、冷戦の終焉を経て、新しい世紀を迎えようとしております。この間、世界規模での戦争の可能性は大幅に低下したものの、地域紛争及び国内における民族紛争の頻発、大量破壊兵器が拡散する危険性の増大、テロの深刻化など、いわば脅威の多様化とも呼べる状況が生じております。我々が目指す平和で安定した世界への道のりは決して平坦ではありません。また世界経済はグローバリゼーションの進展により、近年一層の発展を遂げてまいりました。その一方、アジア経済危機とその世界的な波及に見られるように、グローバリゼーションの陰の部分も明らかになり、それへの対応も急務となっております。このような中、21世紀に向けて我が国の安全と繁栄を確保するためには、現下の諸課題に着実に取り組むとともに、将来も見据えて積極的な外交を展開し、安定的な国際環境を主体的につくり上げていかなければなりません…(後略)」(1999/1/19の高村正彦外相(小渕恵三内閣時代)の外交演説から)
これからの日本の政治を考える上で大いに参考になる歴史的事実を一つ挙げておくことにする。高村正彦外相の2つの外交演説を並べてみた。前者は2008年の通常国会での高村外相の外交演説、後者は「9.11米国同時多発テロ」(2001/9/11)などが発生する前の自民・自由連立による小渕恵三改造内閣(1999/1/14発足)時代の高村外相の外交演説である。
さて、あのときに小沢一郎党首の自由党(当時)を代表して入閣していた野田毅自治相(当時、現・自民党代議士)も、その後の自民・自由・公明連立の小渕第2次改造内閣(1999/10/5発足)で自由党を代表して入閣していた二階敏博・運輸相兼北海道開発庁長官(当時、現・自民党総務会長)も、実は今は2人とも自民党にいるのである。当時は自民党と自由党という別々の政党だったから見かけ上は「ねじれの位置」にあるように見えたのかもしれないが、連立政権になってみると実は互いに「平行線」であるということに気づいたのかもしれない。そしてやがてそれらの直線を含む「新しい平面」ができて「再編」が起こった実例だと考えることができるのかもしれない。これからの日本の政治を考える上で大いに参考になる歴史的事実であると考えてあえて注目してみた。
ちなみに故・小渕首相が施政方針演説で「(前略)…いま必要なのは、確固たる意思を持った建設的な楽観主義であると思います。コップの半分の水をもう半分しか残っていないと嘆くのはたやすいことであります。私はまだ半分も残っているじゃないかと考える意識の転換が今まさに求められていると確信するものであります…(後略)」などと述べたり、何カ所か原稿を読み間違えたりしていたことが筆者の記憶には残っている。そしてそのときに筆者は「建設的な楽観主義」に対抗して「オブチミズム」という「造語」を使用したことをふと思い出した。
「万能バインダー」と「クリップ」
「(前略)…政治家も国民の前で耳に痛いことを言えば、票が逃げるから、言いたがらない。国民に迎合するんです。迎合型政治というのは、国民に対して色々耳障りのいい話をしながらやっていく。例えば、あんた方の税金は少なくしますよ、国の収入は減るけど国のお金をたくさん使いますよ、というような話だね。要するに、国民の負担は減らし、行政のケアやサービスはより多くするということでしょ。 それが成り立ってる間は、それでもいい。政治的な問題がなくて、経済も右肩上がりの状況の時は、ある程度やっていける。だけど今は、まず政治的なコストの決断を求めなければならないし、財政的、経済的には下り坂だから、税収は相対的には減ると思わなければならない。耳障りのいいことを言っていては所帯がもたなくなっている時代なんです、日本自体がね。ところが、多くの政治家はまだ、国民には耳障りのいいことだけを言っていればいい、結果はどうなろうが本当のことは言わないでおこう、という考え方でいる。僕に言わせれば、これこそ日本の悲劇ですよ。取り返しのつかないことにならないうちに何とかしなければ、と思っているんですがね。 コストを負担するとか、あるいは自分たちの生活パターンを変えるとか、これは誰にとっても苦痛だ。酒飲みが酒飲むなって言われたら、タバコ吸う人が吸うなって言われたら苦痛でしょ。誰だって、苦痛を伴わないでうまくいくように望むのは当然です。だけど今や、何の努力も苦痛もなしに、変革することはできない。それを国民はうすうす知りつつあるのに、国民に対してはっきり言う勇気と見識が政治家にないんです。 僕は苦痛を伴うことも、国民に隠さずはっきり言うべきだと考えているし、事実、はっきり言うから、ある種の政治家や国民には嫌われるかも知れない。しかし、選ばれて政治を預かる身としては、それを言うのは義務だし、言わないことは政治家の怠慢ですよ…(後略)」(小沢一郎著、「語る」、文藝春秋、1996年、p64-65から)
もしかすると「著者名」を見てとても驚いている読者も少なくはないのかもしれない。これからの日本の政治を考える場合には、今の民主党に「ガソリン値下げ隊」などとは全く別物の「立派な主張」を持った政治家が一人もいないのか、そしてそういう「立派な主張」を持った政治家たちがいるとしたら彼・彼女たちの影響力はどのくらいなのかなどということもキーポイントの一つになるのかもしれない。
そして政党の「枠組み」の強さもこれからの日本の政治を考える場合にはキーポイントの一つになると筆者は考えている。必ずしも適切な表現ではないかもしれないが、自民党は「万能バインダー」のような政党かもしれないし、民主党は「クリップ」のような政党かもしれないと筆者は思っている。
もしかすると自民党は「政権与党であるということだけが求心力」になってまとまっているのかもしれない。だが、自民党という政党の「枠組み」は非常に強力である。自民党は、55年体制の下で派閥連合政権としての実績を積み重ね、その後も自社さ、自自、自自公、自公保、自公と連立政権での経験を積み重ねてきた。だからB5でもA4でも、あるいはそれ以外の規格外の大きさの用紙でも、26穴のルーズリーフでも穴の数が違ったり穴が開いていない用紙でも、みんなまとめて閉じたり貼ったりすることができるような「万能バインダー」になっているのではないかと筆者は見ている。
一方の民主党はもしかすると「政権交代だけが求心力」になってまとまっているのかもしれない。そして確かに民主党は今のところは比較的よくまとまっているが、それは形も大きさもバラバラな用紙を「クリップ」でまとめているような「まとまり」なのかもしれない。だから「クリップ」でとめた紙の厚さが分厚くなってくるにつれて、何枚かの用紙を引き抜くのはどんどん簡単になっていくのかもしれない。しかもそんな不安定な状況を放置したまま、なぜか野党共闘などと称して「色も大きさも厚さもバラバラのグロテスクな紙」まで無理矢理一緒に閉じようとしているのである。
例えば、それぞれの用紙をバラバラな方向に引っ張ったときに用紙よりも先に「枠組み」の方が外れたり壊れたりしてしまう危険性が高いのは「万能バインダー」か「クリップ」か。大量の用紙が一度になだれ込んできたときにバラバラになってしまう危険性が高いのは「万能バインダー」か「クリップ」か。超党派議連などをつくって「合コン」の真似事をしてみる以外にもいくらでもやるべきことがあるはずである。何にしてもこれからの日本の政治を考える場合には政党の「枠組み」の強さもキーポイントの一つになると筆者は考えている。
「<細川擁立のようなアイデアは、一日の生活の中で一体いつ思いつくんですか。それが他人にわからないから、秘密主義といった批判も出るんじゃないですか> いつってことないけど、いろいろですね。口はばったいようだけど、もし僕の思考パターンがわからないとしたら、それはその人が自分の大局観を持ってないからじゃないかな。誰でもやっぱり自分の思惑が先行するから、目が曇る。例えば、自分たちがポストをほしいとか、選挙がどうだとか、どうしても身のまわりの目先の話になっちゃうんだよ。 これは頭の良し悪しとかなんとかじゃない。時代の流れはこうだ、我々の使命はこうだと、まず幹の部分がわかってから、枝葉にいかなければいけないんだ。ところが、とかく逆にやりがちでしょ。だから、ものごとがわからなくなっちゃう。 要するに、あの時我々が新党を作ったのは、戦後の五五年体制を打破することが最大の目標だった。したがって、羽田さんが内閣を組織するとか、誰が大臣になるとか、誰が何になるかなんてことは二の次でしょ。非自民政権を作るためには誰が一番いいかっていうことから発想しなきゃいけないわけで、事実そうなった。 自分が大臣になりたいからこうやって他人を口説く、とかいうやり方ではダメなんです。みんな、僕が何かになりたいから細川さんを口説いたと思ってるから、僕の思考パターンがわからない。大局が見えてないんだね。僕は何にもなる気がなかったから、大局を見失うこともなかったんじゃないかな」(小沢一郎著、「語る」、文藝春秋、1996年、p90-91から)
筆者に言わせれば、参院選前のある時点からいくつかの出来事を結んでいった直線の延長線上に次々と新しい出来事が現れてくる。だが、残念ながらこのままの状態では当事者たちの思惑とは全く無関係に「政権交代」はおろか、「大連立」や「政界再編」でさえも仮に起こったとしても「おまけ」程度でしかなくなってしまうのかもしれない。
繰り返しになるが、政治とは「環境」を創造するための「芸」(→art=the
ability or skill involved in doing or making something)でもあると筆者は考えている。そして「芸」というものは「つくる側」と「伝える側」と「受け取る側」が上手く一本の線で結ばれたときに初めて生み出されるものではないかと筆者は考えている。
「猿芝居」も満足にできないような「大根役者」たちが何が何でも「主役」を引きずり降ろして「主役」の座を射止めようとするような「得体の知れない見世物」は本物の「政権交代」劇でもなければ「芸」でもないのである。またサルくんたちが「網」や「ロケット花火」や「爆竹」などと勇ましく「対決」しているような場面をいくら分かりやすく伝えたとしても読者や視聴者には日本の政治の本質が伝わることはないのである。
今現在は永田町周辺の政治家たちの中には「芸のある役者」がほとんどいないし、永田町周辺の記者たちの中には「芸の分かる人間」が非常に少ないのである。残念ながらまだしばらくの間は勘違いした「劇場政治」と「頭脳崩壊」が続いていくことになるのだろう。
編集・発行:http://www.jchiba.net/、基本方針 筆者:千葉 潤、ご意見など:jchiba@tokyo.email.ne.jp 基本方針
当ホームページについてのご意見、ご感想、反論などは、jchiba@tokyo.email.ne.jp まで電子メールをお送りください。なお当ホームページに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての著作権は千葉潤に帰属します。
Copyright1997-2008 Jun Chiba No reproduction or republication without written permission..