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 真贋のプリズム-第1回-(2007/1/25)

 (ほぼ同一内容をメールマガジン版「永田町ワイドショー」として配信予定)

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 政治の究極目標は「将来の世代を含めた一人ひとりの生命などを守ること」であると考えています。そしてその目的を達成するためには「ミクロ」「マクロ」、「過去」「未来」、「メリット(プラス)」「デメリット(マイナス)」などという複数の視点によって目の前の深刻な問題を相対化することが必要だと考えています。

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<2007年> 真贋のプリズム(2007年) (ほぼ同一内容をメールマガジン版「永田町ワイドショー」として配信予定)


真贋のプリズム −第1回− (2007/1/25)

 2007年になった。第166通常国会が召集された(→2007/1/25。会期は6/23までの150日間)。新年早々から安倍晋三首相は少し長めの「外遊」をして一定の成果を上げたようである(2007/1/9-15)。だが、相変わらず内閣支持率は「順調」に低下し続けている。そしていつの間にか永田町周辺でもそれ以外の場所でも「本物」がどこかに消えて「偽物」ばかりがはびこるようになっている。
 
 今度は「不」から始まる大手菓子メーカーによる消費期限切れの原材料を使用するなどの不祥事が明らかになっている。永田町周辺でもそれ以外の場所でも「本物」のプロならば絶対にあり得ない不祥事ばかりがそのまーんま繰り返されている。だが、それにもかかわらず、「しがらみ」がなくて今までと違っているもののすべてがいつの間にか「本物」にされてしまったり、どういうわけか意味のある「変化」を生み出すものにされてしまったりするようなことはとんでもない間違いのまま変わらないはずである。どうやら日本にはほとんど何の教訓も残さずに12年、8年、6年、4年、3年、2年、1年などの様々な「周期」で「不祥事」や「茶番劇」をそのまーんま繰り返していく悪しき慣習があるようである。
 
 たとえどんなに物事の「本質」が見えにくくなっているときであっても、時間の経過による「変化」に注目していれば、意外なほど簡単に「本質」が見えてくることもあるのである。例えば、地球上の科学の世界では、たとえどんなに無理矢理高く持ち上げたとしても、いつまでも浮かんでいることはなく、いずれは自然に落ちてくるはずである。また、たとえどんなに深く沈めたとしても密度のより小さなものはやがて自然に浮かんでくるはずである。あえて時間の経過による「変化」に注目すれば、物事の本質が見えてくることもあるのである。
 
 もちろん政治の世界でも中身の伴わない「イメージ戦略」や「偽装工作」にはやはり時間的な限界があるのである。何が「正解」なのかということが誰の目にも明らかになっている場合には、たとえどんなに「知的レベル」の低い政治家であったとしても、またたとえどんなに無能な政治家であったとしても、誰でも簡単にあたかも自分が有能な政治家であるかのように偽装することができるから、「本物」と「偽物」を区別することは難しくなってしまうのかもしれない。しかし、時間が経過するにつれて、どんなに「知的レベル」の高い専門家であっても何が「正解」なのかがなかなか分からないような難しい問題や、最初から「正解」が存在しないような問題がどんどん積み上げられてくるはずである。言うまでもなく誰にも何が「正解」なのかが全く分からない場合であっても問題解決につながる意味のあることをできるのが「本物」の有能な政治家である。一般に人間の真の能力を最もよく見極めることができるのは、誰にも何が「正解」なのかが全く分からないような状態でその人がどのように考えてどんな行動をしていくのかということをじっくりと観察することができるときではないかと筆者は考えている。
 
 そして政治の世界で「風」や「現象」などと呼ばれるものの多くも、実は様々な「周期」で繰り返されている「茶番劇」にすぎないと筆者は考えている。時間の経過による「変化」に注目していれば、やがて「風」や「現象」などの「本質」が見えてくると筆者は考えている。もちろん今現在の「風」や「現象」などに「過去とは少し違った部分」があるように見えることもあるのだろう。だが、それらの違いのほとんどは、時代の変化によって「表面」が修飾されて生じただけであって「本質」の部分は全く変わっていないと筆者は考えている。何にしても「風」や「現象」などは「非日常的なもの」であるということだけは間違いないようである。そしてどういうわけか「風」や「現象」という言葉を好んで使う人間たちほどそのことを見失っているようである。
 
 「風」や「現象」などを好ましいと考える人間たちにとっての「風」や「現象」などは、「何年に一度かの大イベント」や「お祭り」と同じようなものなのかもしれない。逆に「風」や「現象」などを好ましいものとは捉えていない人間たちにとっての「風」や「現象」などは、人間の力ではどうすることもできない「自然災害のような大惨事」なのかもしれない。「風」や「現象」などが「非日常的なもの」であり続ける限り、他人に自分の責任を次々と押し付けていくような最低最悪の「お任せ民主主義」がいつまでも続いて「不祥事」や「茶番劇」が様々な「周期」でそのまーんま繰り返されていくことになる。そろそろ日本も最低最悪の「お任せ民主主義」から脱皮しなければならない。
 
 まるで自分が日本国民ではないかのような他人事のコメントが続いているが、筆者も間違いなく日本国民の一人である。しかし、筆者は「それにもかかわらず」様々な「周期」で「不祥事」や「茶番劇」をそのまーんま繰り返していくような日本社会の悪しき流れをなんとか断ち切ろうとし続けているのである。
 
<「受験」という「新しい文化」>
 
 さて、話は大きく変わる。今年も受験シーズンが始まった。大学入試センター試験(2007/1/20-21)は終わったばかりである。すぐに東京周辺の有名私立・公立中学入試の集中期間がやってくる。そして全国各地の私立・公立高校入試、さらに私立大学の一般入試、国公立大学入試の前期日程・後期日程と続いていく。「受験」は毎年繰り返される冬の風物詩なのかもしれないが、筆者には少しずつ「新しい文化」が生まれてきているようにも見える。そして筆者から見れば最近の「受験」は永田町周辺などの意味不明のドタバタ劇よりもはるかに興味深いのである。
 
 最近の「受験」、特に中学受験は「親子」や「家族ぐるみ」で乗り切る「一大イベント」になっている。書店には「受験生の親のための受験対策」などを掲載した多くの受験関係の雑誌や本などがあふれているし、テレビのワイドショーや情報番組などでも親子で一緒に「受験」に立ち向かう日々の生活に密着するような特集は珍しくなくなってきている。もちろん中学受験では受験生よりも親の方が積極的なケースが多いようである。ある意味では最近の「受験」に「新しい文化」が生まれてきていると考えた方がいいのかもしれない。そしてやはりそんな最近の「受験」事情を肯定的に捉える人たちもいれば、否定的に捉える人たちもいるのだろう。いずれにしても「受験」にはメリットとデメリットが共に存在するということを見失わないことが重要である。
 
 もしかしたら「受験」がきっかけになってすれ違いの生活が続いていた家族でも一体感が回復するというようなこともあるのかもしれない。あるいは、たとえ「親の偉大さ」を実感する機会がなかなかなかった子どもたちであっても、「受験」によって父親・母親の偉大さを比較的簡単に実感することができるようになるのかもしれない。「親子」や「家族ぐるみ」で「受験」に取り組むことにはおそらくそういうメリットもあるのだろう。そして好ましいか好ましくないかはともかくとしても、そのような「新しい文化」が少しずつ大学受験の方にも広がってきているのかもしれない。
 
 その一方で、「受験」に過度に熱中することによって様々なデメリットも出てくるはずである。その中でも最大のデメリットは「子どもの知的好奇心への深刻なダメージ」であると筆者は考えている。「受験」のための知識の丸暗記、「受験」にしか役立たない様々な問題解法や受験テクニックの習得などを繰り返せば繰り返すほど、どんな子どもでも自然に持っている豊かな知的好奇心に深刻なダメージを与える可能性も高くなっていくと筆者は考えている。
 
 例えば、中学受験の「専門用語」のようになっている「○○算」は「つるかめ算」以外にいったい何種類あるのだろうか。そしてそれらの「○○算」というものを使わなければならない機会が中学受験後にいったいどれだけあるというのだろうか。確かに他人が「○○算」を知っているのに自分が知らなければ「受験」という競争では不利になることもあるのかもしれない。だが、知的好奇心に深刻なダメージを与えてまで中学受験後にはほとんど使わなくなる「○○算」などを覚えたり、知識の丸暗記をしたりすることにいったいどれだけの意味があるのかということは一度冷静になって考えてみる必要がある。
 
 そもそも「受験」という競争に参加することを決めた場合であっても、一部の勘違いした「受験産業」の「切磋琢磨」などという美しい言葉の裏に隠された「営業戦略」に乗せられて無意味な競争に巻き込まれるということも同時に決めたわけではないはずである。せっかく「親子」や「家族ぐるみ」で「受験」に取り組んでいるのならば、「親」としては様々な場面で一度立ち止まって冷静に考えてみることも必要になってくるのかもしれない。いずれにしても「受験」に過度に熱中することによるデメリットもあるのである。
 
<「コロンブスの卵」のような発見>
 
 さて、ここからいよいよ本題に入っていく。これまでに筆者は業績不振のために様々な副業に追い込まれてきた。そしてほとんどすべての副業には収入を得る以外の目的は全くなかった。しかし、「教育関連の副業」だけは収入を得る以外の目的もあったため、様々な形で筆者の貴重な時間や資金を無駄遣いさせるような「不自然で不可解な動き」などを完全に切り捨てながら現在まで継続している。そのような状況の中でどうしたらもっと多くの人たちに政治ジャーナリズムや政治関連の論説に興味・関心を持ってもらえるかということを筆者は考え続けてきた。もちろん多くの人たちが強い興味・関心を持っている「受験」や「教育」のせめて1/10程度の興味・関心を政治ジャーナリズムや政治関連の論説に持ってもらうことでさえも不可能なのだろうかなどと思うこともあった。そして今から約6年前についに筆者は「コロンブスの卵」のような発見をしたのである。
 
 当たり前と言えば当たり前の話だが、「政治」とは違って「教育」は誰でもそれなりに経験したことがあるはずである。あえて言い換えれば、多くの人たちは「政治」の素人ではあるのかもしれないが、少なくとも「教育」については全くの素人というわけではないのである。と言うことは、もしも「教育」から「政治」を見ることによって本質を見えやすくすることができるのならば、誰でも比較的簡単に政治家や偽物の専門家らのもっともらしいウソ、あるいは、既存のマスコミによって垂れ流されている無意味な情報を見抜くことができるようになる可能性が高いということになる。そして筆者が本質を見極めるために効果的な「道具」を使いながら「教育」から「政治」を分析していくことによって、多くの賢明な読者が正しく判断するのを手助けすることができるのではないかと考えたのである。
 
 もしかしたら2005年総選挙直前に筆者が「(前略)…一般的には政治家の教育観にはそれまでのすべての経験が凝縮されていると考えることができる。しかも日本では有権者の側も例外なく教育を受けているから、非常に専門的な内容にまで踏み込む必要がないのならば、誰でも実体験を踏まえながら政治家の資質・能力を判断することも不可能ではないということになる。『教育』は政治家の資質・能力を判断する指標としても『公共財』になっている…(後略)」(→参考:2005/8/26号(http://www.jchiba.net/message/050826-1.htm))などと「教育」を試験的に使用していた「実績」があるということをまだ覚えている読者もいるのかもしれない。そして「プリズム」のようなものを使用することを「予告」していたことを覚えている読者もまだきっといることだろう(→参考:2006/8/22号(http://www.jchiba.net/message/060822-1.htm))。
 
 今回から始まった「真贋のプリズム」と称する新シリーズは、「スピンオフ」(→参考:2006/11/30号(http://www.jchiba.net/message/061130-1.htm))の場合とは逆に、「教育関連の副業」の「副産物」として生まれたということになる。そして「教育」から「政治」の本質を追求するためのいくつかの「プリズム」のようなものを筆者にとっては「多額の資金と膨大な時間」を「先行投資」して既に用意している。それらを「真贋のプリズム」と呼ぶことにする。現時点では今後約1カ月間に「真贋のプリズム」を集中的に投入していくこと以外には何も読者に約束することはできない。そしてもしも筆者の予想通りで一つも「空振り」がなければ、既に用意した「真贋のプリズム」だけで参院選までの政党・政治家側の「もっともらしいウソ」のほぼすべてに十分に対応することができることになる。具体的にどの「真贋のプリズム」をどのような順番で使いながら、どのような内容の文章をいつ発表していくことになるのかについては、これからの永田町周辺と国際社会の状況を見極めながら判断していくことになる。いずれにしてもおそらくこれからの約1カ月間の勝負になるのだろう。
 
 ちなみに新シリーズになっても「ミクロ」「マクロ」、「過去」「未来」、「メリット(プラス)」「デメリット(マイナス)」などという複数の視点を採用していることは基本的には何も変わっていない。あえて強調していないだけの話である。何にしても第1回目となる今回は、既に用意した「真贋のプリズム」をあえて温存し、「過去」から「未来」へと続く時間の流れを意識しながら「教育」から「政治」を考えていく有効性を読者に実感してもらうことを目指すことにしたいと思う。 


改めて「何のために勉強するのか」
 
 ここからしばらくの間は、「過去」から「未来」へと続く時間の流れを意識しながら改めて「何のために勉強するのか」ということを考えることにする。もしかしたら政治といったいどんな関係があるのかなどと思っている読者もいるのかもしれない。だが、実はこのことが「教育」から「政治」を考えていくことにつながっていくのである。
 
 少し前に筆者は人類が長い歴史の中で少しずつ蓄積してきた様々な知的資産は多くの先人が歩んできた「確かな道」を示した地図のようなものであり、「何のために勉強するのか」と筆者が問われたならば、「手探りで『確かな道』を進みながら、その先に『新たな確かな道』をつくっていくため」と答えるなどと書いている(→参考:2006/11/30号)。現時点でも基本的にはその考え方には変化はないが、今回はあえて「たとえ何が『本物』なのかということが全く分からない状態であっても、『本物』と『偽物』を確実に見分けて『本物』だけを選び出すことができるようにするため」と言い換えておくことにする。
 
 今の時代には、人間の場合でも、モノの場合でも、情報の場合でも、かなり多くの「偽物」があふれている。そしていったい何が「本物」なのかということが非常に分かりにくくなっている。そういう今の時代においては、「正解」が分からない状態で「本物」と「偽物」を見分ける能力が非常に重要になってくるから筆者はあえて言い換えたのである。大多数の人たちがある程度「本物」と「偽物」を正確に見分けることができる能力を持っていれば、さすがに様々な「周期」で「不祥事」や「茶番劇」を繰り返すようなことは少なくなっていくはずである。
 
 「(前略)…私の歩いて来た道は、普通の意味では別にけわしくはなかった…(中略)…しかし、『学問の道では』と聞かれると、簡単には答えられない。好運だったとも思えるが、人一倍、苦労したことも否定出来ない。何しろ原子物理学といえば、二十世紀に入ってから急速に進歩した学問である。その上げ潮の中で、自分の好きなことを自分の好きな流儀で、やって来ただけだともいえよう。ただ、私は学者として生きている限り、見知らぬ土地の遍歴者であり、荒野の開拓者でありたいという希望は、昔も今も持っている。 一度開拓された土地が、しばらくは豊かな収穫をもたらすにしても、やがてまた見棄てられてしまうこともないではない。今日の真理が、明日否定されるかも知れない。それだからこそ、私どもは、明日進むべき道をさがし出すために、時々、昨日まで歩いてきたあとを、ふり返って見ることも必要なのである。 上に述べた二つの道はしかし、実は重なっている。私が学究者として成長して来た道は、同時に、人間として歩いて来た道でもある。 二十年近くの間、私は随筆の形で、簡略にではあるが、自分の過去について何度か語った。そしてまた、私以外の多くの人の手によっても、私のことがいろいろと書かれて来た。私の評伝といったものも、五指に余る。世間は私という人間について、一応のイメージを作りあげてしまった。そのイメージが、どこまで正しいか。一つの判定資料を提供したいと思うのである。 ある人が、鏡に向って自分の顔を見る。それは他人が見たその人の顔でもある。ところが、自分が他人の目に見えない自分の本質について語る時、聞き手は意外な顔をするかもしれない。主観と客観の一致は、この場合むつかしいのである。ことに私は生れつき、自己を表現することに困難を感じる人間である。それにまた自意識過剰の人間でもある。自分を客観的に見ようと努めながら、自分でそれを裏切ることになるかもしれない…(後略)」(湯川秀樹(1949年ノーベル物理学賞受賞)著、「旅人」、角川ソフィア文庫205、1960年(初版、ISBN 4-04-123801-3)、p5-6)
 
 日本人初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹博士の著書からの引用である。人生を「旅」のようなものだと考えている人たちは今も昔も少なくはないのかもしれない。そしてどんな職業であってもその専門分野を極めようとすれば、「新たな道」を切り開きながら「旅」をしているような状態になるのかもしれない。そのように考えていけば、多くの人たちにとって「本物」と「偽物」を確実に見分ける能力が様々な場面で役に立つということをよりよく理解してもらえるようになるのかもしれない。そして筆者があえて「過去」から「未来」へと続く時間の流れを強調する意味も少しずつ理解してもらえるようになっていくのかもしれない。
 
 せっかくだから少しだけ永田町周辺を意識した話もあえてしておくことにしよう。言うまでもなくどんな個人にも「他人の目に見えない自分の本質」というものがあるはずである。だが、たとえどんなに「ある個人」の近くに長くいてその人のことを真剣に理解しようとしていたとしても、「ある個人」の「他人の目に見えない自分の本質」のすべてを完全に理解することができるとは限らないのである。このように考えていけば、ある政治家の「自称・側近」だとか「○○氏周辺」などの「肩書き」の胡散臭さがよく分かるのかもしれない。ちなみに「自称・側近」らの「不祥事」や「茶番劇」はあまりにも「周期」が短すぎてほとんど「日常茶飯事」になってしまっている。
 
 例えば、いつも何らかの不純な動機を持って相手に近づいていくような「永田町周辺のよこしまな人間たち」ならば「発言者本人も全く知らないような発言」を次から次へとあちこちでもっともらしく語っていくことになるのかもしれない。そして「極東の非人道的独裁国家」に行ったときには「超大国」や「平和な民主主義国家」の政治家たちの「真意」を好き勝手に語り、「極東の非人道的独裁国家」から帰ってきたときには相手側の「意図」などを好き勝手に「解説」したとしても、そんな「何カ所も詰まってたくさん穴が開いたパイプ」では遅かれ早かれすべての関係者から「完全否定」の記者会見をされて最終的には誰からも相手にされなくなるという非常にお粗末な結末になるだけであろう。
 
 そしてもちろん次回以降は、賢明な読者が実際に永田町周辺の政治家の中から「本物」と「偽物」を正しく見分けるために役立ついくつかの「真贋のプリズム」を使って分析していくことになる。より多くの人たちが簡単に「本物」と「偽物」を正しく見分けることができるようになれば、永田町周辺では「日常茶飯事」になっている「不祥事」や「茶番劇」をかなり減らすことができるのではないかと筆者は期待しているのである。
 
 「(前略)…科学をやるってことは、一つは知的好奇心によるのですね。これは探検にも通じると思うんですけど。知的な好奇心というものが科学をする時に非常に重要な役を果していると思うんです。だから好奇心を麻痺させるようなことはあんまりしないほうがよろしい。好奇心ってのは、あんまりすぐわかることには起こらないんで、やっぱりある程度抵抗があることが必要だと言えるんじゃないか。それで、食欲と同じように、好奇心というのは知的な飢えを感じないと本物にならない。 これは私の経験なんですが、今度の戦争が終戦になりまして、そして学生たちが兵隊から復員してきたり、それからいろいろの工場へ勤労奉仕で動員されていたのが大学に戻ってきた。そういう連中は、戦争中はろくに勉強もできないような状態であったのが、戦後、学園に戻って来て、非常に意欲的に仕事を始めた。これはおそらく彼らが戦争中に非常に知的な飢えを感じていたからじゃないかと思うんです。江崎[玲於奈]さんもその頃でしょう。終戦の頃大学を出た連中の中から非常にすぐれた人がたくさん出ております。飢えというのは非常に大事なものじゃないかということを、私それで痛感したんです…(後略)」(朝永振一郎(1965年ノーベル物理学賞受賞)著、江沢洋編、「科学者の自由な楽園」、岩波文庫(緑152-2)、2000年、p31(「京都と私の少年時代」(1974年11月の講演会)))
 
 次は湯川博士と同じノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎博士の著書からの引用である。繰り返しになるが、今の時代にはモノだけではなく情報もあふれている。そして世の中にはかなり多くの「偽物」があふれているのである。そういう状態ではいくら「本物」を見分ける高い能力を持っている人たちであっても、あまりの「偽物」の多さにうんざりして疲れきって挫折してしまうこともあるのかもしれない。一人ひとりの「本物」を見分ける能力そのものを一瞬のうちに大幅に高めるようなことはできないが、誰でも最低限の能力がありさえすればすぐに使うことができる「本物」と「偽物」を見分けやすくする「プリズム」のような「道具」を提供することは十分に可能なことであるし、また十分に意味があることであると筆者は考えているのである。
 
 ちなみに筆者は、あふれる膨大な情報を整理して無意味な情報を減らす、さらには無意味な情報の発生源となっている勘違いした政治家、一部のメディアや偽物の専門家らを排除する、ということもジャーナリズムの重要な役割の一つとして「基本方針」に掲げて実践し続けている(→参考:http://www.jchiba.net/jchiba.htm)。
 
複数の「人類共通の知的資産」によって評価
 
 見落とされがちではあるが、情報の持つ意味を正しく理解して「本物」と「偽物」を確実に見分けるためにかなり効果的な方法があるのである。それは何かと言うと、複数の「人類共通の知的資産」によって情報を評価して整理するということである。以前から何度も繰り返し用いている「ミクロ」「マクロ」などという複数の視点で捉えれば物事の本質が見えやすくなるという考え方と基本的には同じであると言った方が読者には分かりやすいだろうか。
 
 そして「人類共通の知的資産に値するもの」同士を組み合わせていさえすれば、それで十分だというわけでもないのである。言うまでもなく組み合わせようとしているそれぞれの「人類共通の知的資産」の間には、どんなに少なくともそれぞれの観点から全く同じ情報の本質をそれぞれ正しく追求することが可能であるという意味での共通性が存在しなければならないはずである。例のベン図の話(→参考:2006/11/30号etc.)を使って説明すれば、「人類共通の知的資産」同士は2つの円が交わる「コンビニ(Aの円)とスーパー(Bの円)の商品の関係」でなければならないということになる。もしも「コンビニ(Aの円)とスーパー(Bの円)の商品の関係」になっていなければ、いくら複数で捉えたとしても新しく無意味な情報を付け加えるだけになってしまうのである。意味のある共通性が全くない状態で複数のものを組み合わせるということは、例えば、ある物の「ミクロ」と全く別の物の「マクロ」を組み合わせて「もっともらしいウソ」を言うようなことと同じようなことになるのである。
 
 もしかすると多くの人たちは意外に感じるかもしれないが、いわゆる文科系の「人類共通の知的資産」といわゆる理科系の「人類共通の知的資産」の間には共通する部分が実はかなりあるのである。「自然科学」「社会科学」「人文科学」という言葉をあえて思い出してみなくても、いわゆる理科系だけではなく、いわゆる文科系であっても、「科学」や「科学的な考え方」が必要不可欠であるということをよく理解している人たちも少なくはないことだろう。そして文科系にも理科系にも「科学」や「科学的な考え方」が共に必要であるということにひとたび気づけば、いわゆる文科系の「人類共通の知的資産」といわゆる理科系の「人類共通の知的資産」を適切に融合させることによって、ある情報の持っている真の意味が見えやすくなったり、場合によっては、新たな価値が生み出される可能性があるということにもやがて気づくことになるのだろう。
 
 「わが国では明治政府の施策によって文科と理科が高等学校のうちから分離されてきた。今でも文部科学省などではこの区分が通用している。したがって担当の教師たちも互いに異なった教科の教師と話し合いができなくて当然と考えていたために、今に至るまでこのような問題は指摘されていないのである。しかし学問は日々進んでいる。一例を挙げれば、白川静氏の『初期万葉論』(中央公論社、一九七九年)には次のようなケースが伝えられている。柿本人麻呂の「東(ひんがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」という歌の成立年代と時間について、誰かが東京天文台に問い合わせたというのである。東京天文台からは、この歌が成立したのは陰暦十一月十七日、太陽暦では西暦六九二年(持統六年)十二月三十一日の午前五時五十分ころという回答を得たという(一〇七ページ)。 もし私が大学一年生で、授業でこのような話を聞いたら、たいへん興奮させられたであろうと思う。国文学の講義と天文学が結びついているという発想が一年生にはないからである。講義というものは何よりも学生を発憤させるところに意味がある。すでに述べたように、考古学や日本史の講義も最新の自然科学の知識なしには行えない状況なのである。しかし、大学における一般教育の現状はそれとはほど遠い。各大学で現在一般教育の再編成を行っているが、教養という概念について共通の理解がないところで教養教育の再編成を行おうとしても、原理がないところでの再編成であるから本来難しいのである。 人文科学と自然科学との間だけでなく、人文諸科学相互の間ですら、ほとんど連絡がないのが現状である。その理由はそれぞれの学問分野の担当者が『世間』を構成しているためである。しかし多くの学者は自分の学会が『世間』を構成していることに気づいていない。『世間』を構成している学会では対象とする領域がほとんど固定されており、その領域から出ることはまずない…(後略)」(阿部謹也著、「学問と『世間』」、岩波新書(新赤版735)、2001年、p48-49)
 
 たとえいわゆる「私立文系」のような特殊な世界の中であっても、いくらなんでもさすがに文科系と理科系の間に共通性が全くないなどと考えるような人たちはほとんどいないのかもしれない。それでもやはり世の中の多くの人たちは文科系と理科系の間には簡単に越えられない高い壁があると思い込んでいるのかもしれない。だが、実は必ずしもそうとは限らないのである。
 
 「(前略)…日本の現代小説は、父の蔵書の中に少なかったが、紅葉は読んだ。漱石も読んだ。古典では、有朋堂文庫をかたはしからひきぬいて来て、毎日のように読みあさった。 勉強部屋の机で、裏庭に面した縁側で。――里見八犬伝も三国志も水滸伝も、数多い登場人物の名をほとんど覚えてしまうほど読んだ。伊勢物語や平家物語は、理解出来たようだが、近松や西鶴や浄るりなどが面白く思えるようになったのは、中学へ入ってからのことだ。さすがに源氏物語は、開いて見てもまだ歯が立たない。 外国小説も手当り次第であった。ツルゲーネフも読んだ。トルストイにも接した。フランスやドイツの小説もあったはずだ。が、その当時からひきつづき、今日まで私の興味をつないで来たのは、結局、ドストエフスキーだった。国文学では、近松である。この二人の間に、何か通うものがあるのだろうか?――それはともかく、私は文学少年であった。物理学を専攻する人間になるような要素は、そのころの私には全く見られない…(後略)」(湯川秀樹著、「旅人」、角川ソフィア文庫205、1960年(初版)、p73-74)
 
 超一流の科学者であっても文学や漢籍などにのめり込んでいる人たちもかなりいる。逆に科学分野を専門にしていない作家であっても、最新の科学知識に非常に詳しかったり正しい科学的な考え方を活用したりしている人たちは何人もいるのである。
 
 いずれにしても情報の持つ意味を正しく理解したり、「本物」と「偽物」を確実に見分けて情報を整理するためには、異なる複数の分野の「人類共通の知的資産」同士を融合させることが効果的な方法の一つになるのである。あえて念のために繰り返しておくが、何でもかんでも結び付ければそれでいいというわけではない。例えば、いわゆる「政治学(political pseudoscience(偽科学))」のように「人類共通の知的資産に値しないもの」と「偽科学」を結び付けても、何ら評価されることもない無意味な情報が新しく作り出されるだけである。ベン図の話を使って説明すれば、いわゆる「政治学」の場合には、どういうわけか2つの円の共通部分に含まれているはずの「科学」や「基礎知識」などがすっぽりと抜け落ちているから、本物の政治学(political science)とは簡単に区別することができることになるわけである(→参考:2006/8/22号、2006/11/30号etc.)。
 
 そろそろ多くの読者にも、筆者が「何のために勉強するのか」と問われたときに、「たとえ何が『本物』なのかということが全く分からない状態であっても、『本物』と『偽物』を確実に見分けて『本物』だけを選び出すことができるようにするため」と答える理由がよりよく理解してもらえてきているだろうか。


<約6年前から始まった劇的な環境変化>
 
 どうやら永田町周辺と国際社会の中に「真贋のプリズム」を使って分析すべきものが蓄積されてくるまでにはまだもう少し時間がかかりそうである。ここからはしばらく教育関連での「寄り道」をしながらおとなしく待つことにしようと思う。
 
 ところで読者は、今の受験生たち、特に大学受験生たちは、それ以前の世代とは明らかに大きく異なる環境の中で成長してきたということに気づいているだろうか。と言うと、例の「ゆとり教育」の話か、とすぐに思ってしまう読者もいるのかもしれない。だが、筆者が注目しているのは「ゆとり教育」ではないのである。もちろん筆者も「ゆとり教育」については導入以前から現在に至るまで一貫して否定的に捉えている。そして多くの人たちは「ゆとり教育」を学習内容や時間数が削減されたことを主な理由にして批判しているが、筆者の場合には学習内容の厳選方法が非常に不適切だから問題であると考えている。なおあくまでも念のために言っておくが、やれ「知識教育」ではなく「全人教育」だとか、やれ「人間力の向上」がどうのこうのなどという「精神論」にも筆者は否定的である。いずれにしても今はあえてこれ以上詳しくは触れない。
 
 話を元に戻すことにする。これからまさに大学入試を受験しようとしている今の高校3年生のほぼすべては6年前は小学校6年生だったのである。もしかすると6年前のちょうど今頃は中学入試の受験生だったのかもしれない。読者は今度は何を当たり前のことを言い出しているのかと思っているのかもしれない。あえて当たり前すぎるくらい当たり前のことを強調したのは、なるべく多くの読者に少なくとも2つ存在する「約6年前から始まった劇的な環境変化」に筆者が説明する前の段階で気づいてもらいたかったからである。
 
 約6年前に始まった1つ目の劇的な環境変化としては、いわゆる「小泉政治」を挙げることができる。今の高校3年生は小泉純一郎内閣が発足した2001年4月にちょうど中学校に入学したことになるわけである。そして中学生時代に「小泉ブーム」の中の2001年7月の参院選、また2003年総選挙を経験していることになる。さらに高校生になってからは2004年参院選、そしてあの郵政民営化解散の2005年総選挙を経験していることになる。つまり、彼・彼女たちが学校教育の中で日本の政治の仕組みを勉強していくときに、教科書の記述と比較しながら実際に自分自身の目で見ていた現実政治のほぼすべてがいわゆる「小泉政治」だったということになるわけである。
 
 彼・彼女たちが物心がついたときには、既に中選挙区制度と結びついた自民党の派閥全盛時代の政治は痕跡ぐらいしか残されていなかったのである。そして現実政治を見ればいつもそこにはいわゆる「小泉政治」があったということはかなり劇的な環境変化であると筆者は考えている。かつて「小泉首相は子供や若者にもどういうわけかものすごく人気がある。2001年の参院選で小泉首相に声援を送っていた幼稚園児や小学生や中学生は、2003年の総選挙ではそれぞれ小学生や中学生や高校生になって小泉首相に声援を送っていたのだろう…(後略)」(2004/1/5号。参照:http://www.jchiba.net/message/040105-1.htm)などと書いたことがあったが、彼・彼女たちが成長しながらいわゆる「小泉政治」をどのように捉えてきたのかということは筆者にとっては非常に興味深いのである。ちなみに念のために言っておくと、筆者はいわゆる「小泉政治」のすべてを「小泉劇場」とか「ポピュリズム」などで簡単に片付ける考え方を否定的に捉えているから、いずれ「小泉劇場」や「ポピュリズム」とは全く別の「仮説」を検証することになるだろう(→参考:2005/10/18号etc、参照:http://www.jchiba.net/message/051018-3.htm)。何にしてもこのことについても今はあえて詳しく触れないことにする。
 
 そして、約6年前に始まった2つ目の劇的な環境変化としては、「ノーベル賞受賞ラッシュ」を挙げることができる。今の高校3年生は、小学6年生のときの2000年に白川英樹博士がノーベル化学賞を受賞し(日本人として9人目)、中学生になっても2001年に野依良治博士のノーベル化学賞受賞(同10人目)、2002年に小柴昌俊博士のノーベル物理学賞と田中耕一氏のノーベル化学賞(同11、12人目)という形で多感な時期に特異な体験をしているのである。しかも彼・彼女たちは今もなお多くのノーベル賞受賞者から直接話を聞こうと思えば比較的簡単に聞くことができるような機会に恵まれ続けているのである。
 
 ちなみに日本人として初めてのノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士がノーベル物理学賞を受賞したのは1949年、2人目の朝永振一郎博士のノーベル物理学賞は1965年、3人目の川端康成氏のノーベル文学賞は1968年、4人目の江崎玲於奈博士のノーベル物理学賞は1973年、5人目の佐藤栄作元首相のノーベル平和賞は1974年、6人目の福井謙一博士のノーベル化学賞は1981年、7人目の利根川進博士のノーベル生理学・医学賞は1987年、8人目の大江健三郎氏のノーベル文学賞は1994年であったということを振り返ってみれば、今の高校3年生だけではなく、その前後数年間の若い世代も同じように年配の世代と比べればかなり特異な体験をして今なお幸運な機会に恵まれ続けているということがよく分かるだろう。
 
教育関連での「寄り道」
 
 どうやらまだもう少し時間をつぶす必要がありそうである。このまま教育関係での「寄り道」を続けることにする。引き続き「過去」から「未来」へと続く時間の流れを意識しながら「教育」から「政治」を考えていくことの有効性を多くの読者に実感してもらうことを主に考えていくことにする。
 
 「(筆者注(以下( )内同):宮澤喜一元首相の発言部分)(前略)…そこのところが私にはどうも正確にわかっていないんですが、(東京)教育大学附属[旧・東京高等師範附属小学校](現・筑波大学附属小学校)も受験しているんです。教育大学附属というのは実験校ですから、男だけのクラスと、男女のクラスと、少しretarded[発育遅滞]な人のクラスとかいろいろありまして、私のクラスは男女のクラスでございました。入学には抽選があるわけです。私は自分の記憶ではどうも最初の抽選には落ちて、その後補欠か何かで附属小学校に入ることになったようです。したがって、茅ヶ崎の小学校には行きませんでしたが、親は茅ヶ崎とか平塚におりますから、祖父の家、日比谷の内幸町の家に預けられました。高等師範附属は大塚にありましたが、日比谷からかなり長い時間を費やして通学しておりました。その日比谷の家はいまのプレスセンターのあたりでございます。したがって私はそこに一、二年住んでおりまして、大正天皇のご葬儀が牛車でございましたとき、それを沿道の窓から覗いていた記憶がございます。 御厨 日比谷から大塚まではどういうふうにお通いでしたか。市電ですか。 宮澤 はい、市電です。そのとき内幸町にあった建物は、富国生命ビルです。勧銀はまだできていなかったような気がしますが、市政会館は不況で工事が途中になっていたか、そんな状況だと思います。内幸町から市電に乗りまして、神田橋を通って春日町を通り、富坂を上がって、学校へ行きました。ですから、三〇分やそこらでは行きません。 私の場合はたまたまそういう高師の附属みたいなところに入ってしまったのですが、その後父が当選して、(関東大)震災後の騒ぎも終わって、大森の馬込に住んだんです。今度はそこからまた大塚に通学をする。これは省線[いまのJR]でいろいろな行き方がございますが、品川から山手線に乗り換えるか、そうではなくて水道橋まで行って、そこから市電に乗り換えるか。つまり親としては、時間がかかることはいいが、なるべく乗り換えの交通の安全を考えていたらしくて、ときどき通い方が異なりましたが、やはり朝晩一時間余り、たっぷり一時間余りかかりました。殊に馬込は大森の駅から遠くて、VIPは人力がございましたが、バスのある時代ではありませんから、全体で一時間四〇分ぐらい往復ともかかっていたと思います。 それで先ほど申し上げたように、男女組で二〇人ずつぐらいのクラスでした。私は遠くから通っているのですが、学友は学校の周辺住人なんですね。ですから帰り道に道草を食ったりしているのが羨ましかったです…(中略)…宮澤 とにかく家まで一時間四〇分ぐらいかかりますから、道草をして遊んでいると、翌朝また早いので、問題にならないわけでございます。遠くへ通学するということは、それなりの意味があったんでしょうが、そういう意味で近所の友達と遊ぶこともできないわけですね。自分の住んでいるところの子たちは違う学校に通っているのでつき合いはありませんし、そういうメリットとデメリットがございますね…(後略)」(御厨貴・中村隆英編、「聞き書 宮澤喜一回顧録」、岩波書店、2005年、p5-7)
 
 「(前略)…大正二年四月。 私は小学校に入学した。 居住地の学区からいえば、私は春日校に入るべきであった。が、私は兄たちのあとを追って、京極校に入った。つまり、学区外からの入学である。 将来の進学コースを予想して、越境入学を企てるということは、何も最近に始まったことではない。私たち兄弟がすでに、その体験を持っている。今ではそんな差別はないはずだが、当時は京極校の方が、春日校よりすぐれているように、世間からは思われていたらしい。上級学校への入学希望者が多く、事実、進学率もよかったようだ。学者の子弟が、多く集った小学校である…(後略)」(湯川秀樹著、「旅人」、角川ソフィア文庫205(ISBN 4-04-123801-3)、1960年(初版)、p60-61)
 
 もしかすると多くの人たちは誤解しているかもしれないが、実はかなり昔から都会でも地方でも、小中学校受験や遠距離通学などは結構あったのである。また最近各地で広がり始めている公立小中学校の「学校選択制」も、実はかなり昔から「越境入学」という形で程度の差はあっても事実上認められてきたのである。「受験」や遠距離通学をしていれば、確かに寄り道をするような時間も無くなってしまうのだろう。その上、最近は子どもの安全も大きな問題になっている。だが、だからと言って、「受験」や塾通い、遠距離通学などはすべてやめるべきだという結論にはならないということは言うまでもないことである。自宅周辺の公立学校がすべての人たちの望んでいることに十分に対応できるわけがないのだから、「受験」や塾通い、遠距離通学などがなくなることはないはずである。「受験」や塾通い、遠距離通学などがなくなることがない以上、それらの悪影響をできるだけ小さく抑える方法を考えることが現実的である。筆者は悪影響をできるだけ小さくするためには根拠のない「学歴神話」を完全に崩壊させる以外には有効な方法は存在しないと考えている(→参考:2006/8/22号etc.)。
 
 いずれにしても「政治家になりたいだけの人間たち」や「政治家であり続けたいだけの人間たち」が教育改革などと絡めて「地域の再生」などともっともらしいことをいくら唱えたとしても、そう簡単にすべての問題が解決するわけではないということである。
 
 「(前略)…小学校一年の三学期に京都に来まして――いま転校、学校かわるってことはそれほどたいへんなことじゃないんですけど、そのころは転校っていうのはまあ子供にとっちゃたいへんな問題でありまして――、京都に来まして学校に行ってもですね、みんなの言う言葉がわからん、京都言葉がさっぱりわからない。私はたいへん気が小さくて、泣き虫なので、心細くなってよくメソメソ泣いてたことを記憶しているんですけど、しかし小学校の一年生というのには、割合、あんまり意地の悪い子とか、人をいじめるような子もいなかったように思いました。で、私がショボショボ泣いていると、泣いたらあかへん、泣いたらあかへんてなぐさめてくれる。京都人はやさしいというさっきの湯川さんの話があったんですけれど、小学校一年頃からなかなかやさしい子がいたわけです。ですけど、やっぱり心細くて、時々、学校へ行くのがいやになって――今は登校拒否という、そういう病気がはやっているそうですけども(笑)、――私も、たしか二年生の頃でしたか、学校行くのいやだって言い出しまして、朝、学校へ行く時間になると、お腹が痛くなってくる。それで親を困らせて、親からどうして学校へ行くのいやなんだと聞かれました。 それは確か二年生の頃だと思うんですけども、私はお習字が大嫌いで…(後略)」(朝永振一郎著、江沢洋編、「科学者の自由な楽園」、岩波文庫(緑152-2)、2000年、p16-17(「京都と私の少年時代」(1974年11月の講演会)))
 
 今も昔も、子どもにとって「転校」は短い人生の中で1番目か2番目ぐらいの重大事件になるのだろう。テレビの普及などによって日本国内では互いに言葉が理解できないなどという悩みはほとんどなくなってきているのかもしれない。だが、それでもやはり子どもにとって「転校」はほぼすべての環境が激変してしまうかもしれないほどの重大事件なのだろう。
 
 「(前略)…軍の学校が無理となると、行けるところは高等学校しかない。旧制中学校は五年制だが、四年の段階で旧制高校を受験することができた。だから、わたしも四年生で仙台の第二高等学校を受けたが、落ちてしまった。五年のときには一高を受けたが、また落ちて、一年浪人して、一高へ入った。 四年のときは、ほとんど受験勉強もせずに落っこちたから、これはいけないと、五年になってからは、仲よしの友だちと誘い合わせて、いっしょに勉強をすることにした。夜中の一一時ころの打ち合わせた時間に、わたしがそいつの家に行く。彼は自分の手にひもを結びつけて、窓の外へ出して寝ている。わたしがそのひもを引っ張ると起きてきて、戸を開けてくれる。それから、彼の部屋で二人で勉強する、というのが建前だった。しかし、二人集まると、ああでもないこうでもないとくだらないおしゃべりに終始して、そのうちくたびれて寝てしまう。結局どれだけ勉強したか、はなはだあやしい。ちなみに、彼は浜松の高等工業学校(現静岡大学工学部)に進んだ。 浪人してからは、駿河台にあった明治工業専門学校(現明治大学工学部)に籍を置いて、半年くらい通った。なにしろ戦時中のことだ。どこかの学校に通っていることにしておかないと、『徴用』といって、工場ではたらかされる羽目になるからだ。浪人はめずらしいことではなかったが、それなりに挫折感はあった」(小柴昌俊(2002年ノーベル物理学賞受賞)著、「物理屋になりたかったんだよ ノーベル物理学賞への軌跡」、朝日選書719(朝日新聞社)、2002年12月、p80-81)
 
 確かに「戦時中の日本」と「今の平和で豊かな民主主義国家の日本」を比べてみればやはり時代が大きく変化していることは間違いない。だが、このような昔の受験生の話を読めば、いつの時代でも受験生はかなり似たような部分もあるということを改めて実感することができるのかもしれない。そしておそらく大学全入時代に入っても、あくまでも自分が希望する大学への入学を目指してあえて浪人する受験生がいなくなることはないのだろう。数は減っていくのかもしれないが、やはり浪人生がいなくなるようなことだけはないのかもしれない。
 
 「(前略)…勉強は学生の本職であるが、これについては昔と今のちがいよりも、学生同士間のちがいの方が大きいようだ。いつの世にも教師を驚嘆させるほど勉強熱心なのもおり、また教師をア然とさせるほどの怠けものもおり、それは人間の本性に根ざす万古不易の現象のようである。ただ、本を読んでいるという点では昔の学生の方が平均において上ではないか。昔は今とちがって、一般教養が学科になかったけれど、たとえば理科の学生でも、哲学や文学の本を読まないと仲間の尊敬が得られないので、わからなくても西田哲学の本を持ちあるいたり、ゲーテやトルストイに感激したり、ドストエフスキーを読んで深刻な顔をしたりした。そして人格の形成とか個我の完成とかがうたわれ、個性の強い人間が尊敬された。そして人生とか恋愛とかを論じ、感激とか熱情、そうかと思うと懐疑とか虚無とか、そういうことばが好んで使われた。 ところが、個性的であれということがおかしな形であらわれた。敝衣破帽も関係あるが、奇行をもてはやし、奇人に人気があるということである。俗習のよしとするところに、わざと外れたことをやる。そんなことに人気があった…(後略)」(朝永振一郎著、江沢洋編、「科学者の自由な楽園」、岩波文庫(緑152-2)、2000年、p48(「学生気質の今と昔」(1961年)))
 
 「教育の方面では、現在、詰め込み教育に対する批判がいろいろと出ています。しかし、いまのこの複雑な社会では、ある意味で、昔よりもたくさんの知識が要求されることも事実でしょう。しかしつまらない知識の間食いで知的な飢えをなくさないためには、知識を整理しなければならない。そういうむずかしい問題に、みなさんは直面しておられると思うのです。私が大学生と一緒にくらしてみて、ひとつ感じることは、非常に情報過多の世界の中で、彼らは情報を得るのにたいへん熱心だということです。そこまではいいのですが、それでもうお腹が一杯になってしまって、本当に自分の知的な要求がどこにあるのか、わからなくなってしまう傾向がある。こういう事態のもとで教師の役目は、情報を与えることよりもむしろはんらんする情報の中から本質的なものを選び、その他のものは相手にしない、そういう能力を学生に与えることではないでしょうか。つまり学生たちに知的な好奇心を大事にして、つまらない間食いなどしないような知恵を与えることではないでしょうか。 この『知的な好奇心を大事にしなさい』というときに、好奇心と似た言葉ですが、似て非なることばがあること、その区別をはっきりさせる必要があります。それは、いわゆる『野次馬』というもので、大きな好奇心の持ち主だと思うのですが、はなはだ付和雷同性がある。大勢の人がやるから俺もやろうという、そういう軽薄性がある。そこには、私のいう好奇心の中にあった、『徹底的に精密にかつ精緻に追求する』という気持がないわけです。そういう、他の人がやるから、自分もやるという野次馬的な態度が好奇心と混同されている。どうも現在の人びとの中にそういう混乱があるような印象を受けるわけです。この好奇心と似て非なる傾向は、いまの情報過多に拍車をかけることになります。先ほど、学術論文が非常にたくさんになったといいましたが、これは必ずしも、研究そのものが多様化した結果ではなくて、いろいろな人が、人もやるからじっとしていられないということで、みんな同じことを同じようにやっている結果なのです。そしてそれが、多すぎる情報のもとになり、健康な知的好奇心の邪魔になるということがあるのです…(後略)」(朝永振一郎著、江沢洋編、「科学者の自由な楽園」、岩波文庫(緑152-2)、2000年、p72-73(「好奇心について」(1972年の講演))から)
 
 30-40年ぐらい前に年配の世代から「今の学生」を見た話は実に興味深い。約45年前にも年配の世代から「今の学生」はあまり本を読んでいないなどと言われていたのである。そして約35年前にも年配の世代から「今の学生」は「情報過多」「情報を得るのにたいへん熱心」などと言われていたのである。そして今も昔も「個性的であれということがおかしな形」で表れたり、あるいは、程度の差はあっても「奇行をもてはやし、奇人に人気がある」ということも変わらないのかもしれない。そして様々な「奇行」や「奇人」の中で時間が経過して時代がすっかり変わってしまってもそのままの形で生き残っているものは非常に少ないということにあえて注目する必要がある。そろそろ筆者が「過去」から「未来」へと続く時間の流れを強調してきた意味が多くの読者にもかなり理解してもらえてきた頃だろうか。
 
 「対照実験」(→参考:2006/2/8号(http://www.jchiba.net/message/060208-1.htm)etc.)の話を思い出せなどとあえてくどいことは言わないが、現在は昔と違って新聞や本や雑誌ぐらいしかないのではなく、テレビもあれば携帯電話やインターネットなどもある時代である。そう考えていくと、今も昔も1日は24時間のまま変わらないから、たとえ現在の「今の学生」が30-40年ぐらい前の「今の学生」よりも本をあまり読まなくなっていたとしてもそれほど不思議な話ではないということに気づくことになる。ただ単に情報を得るためだけならば、本や雑誌などの活字メディアよりもずっと便利なものがたくさんあるのである。そんな中であえて「活字離れ」を問題にするのならば、まずは本などを読む意味やメリットとは何かということを改めてしっかりと見つめ直す必要がある。ちなみに年配の世代が若者の「活字離れ」を問題にするような現象は、「かつての若者がかつての自分と同じくらいの年の若者の親になるぐらいの周期」で繰り返されている「茶番劇」であるのかどうかは筆者にはよく分からない。
 
 またどうやら「付和雷同性」や「軽薄性」はかなり昔から一般社会や学者の世界には広く見られる現象であったようである。そういうことになると、一般社会の影響を強く受ける政治の世界にもおそらく昔からかなりの程度の「付和雷同性」や「軽薄性」があった可能性が高いと推測することができる。やはり「付和雷同性」や「軽薄性」はかなり以前から「日常茶飯事」であり続けた日本社会の悪しき伝統、悪しき慣習なのかもしれない。そしてもしかすると「好奇心」を「付和雷同性」や「軽薄性」と誤解したまま成長すると、政治に強い興味を持った場合には「政治家になりたいだけの人間たち」や「政治家であり続けたい人間たち」になり、研究に興味を持った場合には「研究」と称して無意味な情報ばかりをつくり出す「野次馬」のような人間たちになるのかもしれない。
 
 ここまで具体例を挙げて簡単に説明してきたように、いくら時代が大きく変わってしまったとしても、古い時代の知識やノウハウのすべてが無意味になってしまうというわけではないのである。前に触れたことがあるが、筆者は「温故知新」という考え方が重要であると考えている(→参考:2006/2/21号(http://www.jchiba.net/message/060221-1.htm)etc.)。そして「政治家になりたいだけの人間たち」や「政治家であり続けたいだけの人間たち」の中には、完全に捨て去らなければ新しい時代の中で生き残ることができないような「過去の時代の遺物」を断固死守し、逆に、導入しなければ生き抜いていくことができない「新しいもの」の導入に断固反対するというような人間たちも少なくはないのである。そういう「政治家になりたいだけの人間たち」や「政治家であり続けたいだけの人間たち」は「温故知新」の意味を良くてもせいぜい「字面」程度しか理解していないということになるのだろう。
 
 「(前略)…大学三年生になって、身のほども知らず、新量子力学の勉強をやってみようと思いたったのは、新しものずきという、若気のいたりからであった。その時分、新量子力学を理解していた先生は教室には誰もいなかった。ただ二、三の野心的な先輩が独学でそれをやっていたのでその仲間に入れてもらい、いろいろと指示を受けた…(中略)…身のほど知らずのむくいは、たちまちにやってきた。大学入学以来、病気ばかりしていたので、たくさんの試験が受けないままに残っていた。一年生のとき受けるべきものを二年に残し、二年のとき受けるべきものを三年に残し、などしていたが、三年生になると次の年に残すわけにいかないので、試験が山のように積み重なって、登山者の前に立ちはだかる巨大な岩壁のように目の前にたちふさがっていた。その上、量子力学の論文を読んで卒論を作らねばならない。何しろ量子力学はまだ出来たての学問であったので、それについての教科書などはない。原論文だけが唯一の資料である。ところが、論文というものは、教育用に書かれてはいないので、その理解には多くの予備知識を必要とする。そして、予備知識を持つためには、その論文に引用してあるおびただしい論文を一つ一つ読んでいかなければならない。そのおびただしい論文を理解するためには、さらにまたそこに引用してあるたくさんのものを読まねばならない。このようにして、読まねばならない論文の数はほとんど無限にひろがっていく。これは大変な仕事であることが、あとになってわかった。しかし今さらやめるわけにもいかず、全くやけくそのようになって、とにかく、まがりなりにも、何とか卒論をまとめ、試験もどうやらパスしたけれども、その結果見出したものは、全く疲労困憊し切った自分自身であった。劣等感のかたまりのようになった自分自身であった」(朝永振一郎著、江沢洋編、「科学者の自由な楽園」、岩波文庫(緑152-2)、2000年、p160-162(「わが師・わが友」(1962年)))
 
 かつて大学生だった経験のある人たちの中には「卒業論文」で苦労したり、卒業するために必要な「単位」の取得に苦労した人たちもいるのかもしれない。もちろん現役の大学生の中には、今まさに「卒業論文」や「単位」のことで頭の中がいっぱいの状態になっている人たちもいるのだろう。もしかしたらいつの時代になっても、「今の大学生」の中に「大昔の大学生」のような大学生を探し出すことができるのかもしれない。
 
「的中(?)」
 
 インターネットを彷徨(さまよ)っていたら、偶然この妙な文章にたどり着いてしまったという受験生の皆さん、こんにちは! 教育関連と政治関連の話が一緒になっているこの妙な文章はいったい何なのだろうと思っているのかもしれない。仮に興味を持ってここまで読んでしまった場合であっても単なる時間の浪費には終わらせない方法があるということを最後にあえて付け加えておくことにする。実は昨年2006年の今頃の文章(→参考:2006/2/8号(http://www.jchiba.net/message/060208-1.htm)etc.)を読んでいた大学受験生の中には入試のときにほんの少し役に立ったりちょっと得をした気分になった人たちもいたかもしれないのである。
 
 受験産業のように「的中」などと大騒ぎはしないが、例えば、2006年の東京大学の後期日程の文T論文U(→第1問・問1の一般公募にしなかった理由)では、もしかしたら「対照実験」の説明(→参考:2006/2/8号etc.)が少し役に立ったという人たちもいたのかもしれない。また2006年の名古屋大学法学部の後期日程の小論文では、「立憲主義」(→参考:2006/2/8号etc.)、そしてそれまでに何度も説明に用いてきた「ベン図の話」(→参考:2006/11/30号(http://www.jchiba.net/message/061130-1.htm)etc.)が少し役に立った可能性があるのかもしれない。さらに2006年の北海道大学法学部の後期日程の小論文(問題1)の課題文は「立憲主義」の説明で触れた「有名政治学者のダール(Robert A. Dahl)」の別の著書の翻訳からの引用だったから、ほんの少しだけ得をした気分になったり「立憲主義」の話が少し役に立ったりした人たちもいたのかもしれない。もちろん高校入試の受験生にとっても、中学入試の受験生にとっても、「ベン図の話」や「対照実験の話」は数学(算数)や理科、あるいは、それら以外の科目の入試対策につながる可能性がそれなりにあるということは言うまでもないことである。
 
 ちなみに今年2007年の大学入試センター試験では、「政治・経済」の第2問の「立憲主義思想」の出題に良い意味でかなり驚いた人たちもいたのかもしれない(→参考:2006/11/30号、2006/2/8号etc.)。さらに「立憲主義」の話に加え、「政治・経済」の第1問の「人間の安全保障」では「安全保障特集」(→参考:2006/5/12号(http://www.jchiba.net/message/060512-1.htm))、「現代社会」の第1問の「議会制民主主義」や「法の支配」では「代表」とは何かの説明(→参考:2006/2/1号(http://www.jchiba.net/message/060201-1.htm)etc.)をそれぞれ読んでいた人たちの中にはほんの少しだけ得をした気分になった人たちもいたのかもしれない。なお「正解」が存在しないとか「正解」がいくつも存在するなどの「珍問」が実際の入試問題には今もかなり多く出題されているということを改めて認識して貴重な試験時間を無駄にせずに済んだという人たちも昨年は何人かいたのかもしれないし、今年もまた何人か出てくるのかもしれない(→参考:2006/2/8号)。
 
 もしも筆者の文章を読んでいるときに気になった「固有名詞」を受験直前の中途半端な時間を利用して書店や図書館の中で探してみたり、あるいは、思い切って移動時間中にまとめて読んでみたりすることにしたのならば、ごく近い将来に得をした気分になるようなことはなかったとしても、少なくとも損をするようなことはないと思う。いずれにしても、ここまでの入試問題の「的中(?)」などの話は、偶然この文章にたどり着いて興味を持って読んでしまった受験生に対する筆者からの気休め程度の言葉でしかないと思っておいた方がいいだろう。
 
 受験生に限らず、賢明な読者がこの文章を読んでしまったことを単なる時間の無駄で終わらせないようにするためには、少なくとも1つだけやっておいた方がいいと思うことがある。それは、この文章を読んで、(1)あなたがいったい何をどう思ったりどう考えたりしたのか、そして(2)そう思ったり考えたりした理由はいったい何か、ということをほんの少しだけ時間をかけて自分なりに頭の中で整理しておくことである。そうすれば、もしかしたらそう遠くない将来に役に立ったり少し得をした気分になることがあるのかもしれない。仮にそう遠くない将来に役に立つようなことはなかったとしても、「人生」という長い目で見た場合にはどんなに少なくとも損をすることだけは絶対にないはずだと筆者は考えている。これから公開していくことになる一連の文章によってそういうことも多くの賢明な読者に実感してもらうことができればいいと考えている。
 
 さて、長々と教育関係での「寄り道」を続けているうちに、永田町周辺と国際社会の中にようやく少しずつ「真贋のプリズム」を使って分析すべきものが蓄積されてきた。どうやら次回は今回の文章の中に何度も繰り返し出てきた「○○○○」を1つ目の「真贋のプリズム」として使って日本の民主主義を考えていくことになりそうである。


<2007年> 真贋のプリズム(2007年) (ほぼ同一内容をメールマガジン版「永田町ワイドショー」として配信予定)

<2006年以前>

   正しい「要約」と正しい「比較」のススメ(→2006年以前へ) (ほぼ同一内容をメールマガジン版「永田町ワイドショー」として配信済)


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