政治の究極目標は「将来の世代を含めた一人ひとりの生命などを守ること」であると考えています。そしてその目的を達成するためには「ミクロ」「マクロ」、「過去」「未来」、「メリット(プラス)」「デメリット(マイナス)」などという複数の視点によって目の前の深刻な問題を相対化することが必要だと考えています。
当ホームページ上のすべての記事は無料ではなく「シェアウェア」です。著作権の侵害とそれに類する一切の不適切な使用、及び不正行為は固くお断りします。また不正行為等の防止のためにやむを得ないと判断する場合には事前の警告なしに報復措置を含めたすべての必要な手段を講じます。
編集・発行:http://www.jchiba.net/、筆者:千葉 潤、ご意見など:jchiba@tokyo.email.ne.jp
購読料について(2006年版) (2006/12/28更新)
○正しい「要約」と正しい「比較」のススメ -第1回- (2006/2/1)
○正しい「要約」と正しい「比較」のススメ -第2回- (2006/2/8)
○正しい「要約」と正しい「比較」のススメ -第3回- (2006/2/21)
○「心の問題」特集・正しい「要約」と正しい「比較」のススメ -第4回- (2006/4/17)
○「安全保障」特集・正しい「要約」と正しい「比較」のススメ -第5回- (2006/5/12)
○「文化」特集・正しい「要約」と正しい「比較」のススメ -第6回- (2006/8/22)
○正しい「要約」と正しい「比較」のススメ -第7回- (2006/10/2)
○正しい「要約」と正しい「比較」のススメ -特別号- (2006/11/30)
○正しい「要約」と正しい「比較」のススメ -ゆく年くる年特集号- (2006/12/28)
○サッカーW杯特集号・「文化」としてのスポーツ(2006/6/10)
第2回(2006/2/8)からの続きである。受験シーズンは後半に入ったし、トリノ冬季五輪(2006/2/10-)も始まっている。前回の最後に取り上げたラグビーの日本選手権では早稲田大学がトヨタ自動車を破ったが(→2006/2/12。28-24で。学生が社会人トップリーグのチームに勝利したのは18年ぶり)、準決勝で東芝府中(43-0早稲田。2006/2/19)に敗れた。
前回少し触れた皇室典範改正問題では小泉純一郎首相は「状況を見て判断する」ということなのだろう。「ご懐妊」による世論の微妙な変化などを総合的に判断して発言を少しずつトーンダウンさせているというのが実情なのだろう。前回から新しく使用している「(4)環境とその内部の行為者(主体)は相互作用する」という「法則」は小泉首相にも適用できるのである。ちなみに筆者は今、どこかの国の首相が「その場の雰囲気で決める」などと発言したと約3年前に伝えられていたことを懐かしく思い出している(→参考:2003/3/22号)。
相変わらず永田町周辺は「全く異常なし」の状態が続いている。そして少なくとも現時点(2006/2/21)では本物の証拠がない状態が続いている。なおどうでもいい話だが、そう言えば、「ラ」から始まる事件では証券取引法違反(偽計、風説の流布)の罪で「前社長」らが起訴(2006/2/13)された。
日本国憲法第51条「両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない」、国会法第119条「各議院において、無礼の言を用い、又は他人の私生活にわたる言論をしてはならない」、同第120条「議院の会議又は委員会において、侮辱を被つた議員は、これを議院に訴えて処分を求めることができる」−。
「(証券取引法違反の罪で起訴されたライブドア前社長の堀江貴文被告が総選挙直前に部下に対して選挙コンサルティング費として自民党の武部勤幹事長の二男に3000万円を振り込むように指示していたなどとする2006/2/16に衆院予算委で取り上げたメールを『ガセネタ』と判断した根拠は何か、に)まず武部幹事長から報告を聞きまして、永田議員の言っていること、全く事実無根であるという報告を直に受けました。そして現に…、ある、あると言って、永田議員が出しているメール等、具体的な証拠とはなり得ないものであります…(中略)…ハッキリとそのメールはどこから出たのかですね。その額を振り込んだ口座とか。それを提示すべきだと私は思っております。そういうことで人を傷つけようと、非難しようとするんだったらば…。それが依然として現在においても出されていない。でありますので私は…。それほど具体的な名前を出すんだったらば、事実に基づいた根拠を示して、出すべき、質問すべきじゃないかなと思っております」「(どのような条件をクリアしたら真正のものと認めることができるのか知恵を貸してください、に)永田さんね。冷静に、ちょっとなってくださいよね。永田さん自身が、根拠のないと言われている情報をもとに、武部さんを一方的に攻撃しているんですよ。我々は、そういう根拠があるんだったら見せてくださいと言っているんです。まず大事な委員会の場で…。我々は、事実無根である、根拠はないと武部幹事長が言っている。そういう状況にもかかわらず…。まず一方的に攻撃を始めたのは永田さんなんですよ。だから根拠があるって言うんだったら根拠のあるものを見せてくださいと。それだけなんですよ」(2006/2/17の衆院予算委での民主党の永田寿康代議士の質問に対する小泉首相の答弁から)
やはりコメントせざるを得ないのだろう。これはいったい何の騒動なのだろうか? そして誰が「泥仕合」にしたのだろうか? 不祥事関連では、少なくとも現時点までに「負け犬」に加えて「自滅の茶番劇」までもが見られそうな「確度の高い情報」が得られている。そもそも出発点である「疑惑を示す根拠」が確実なものでなければ、その後のどんな「因果関係」も不確実なものにならざるを得ないはずである。疑惑追及でも「因果関係」は確かな事実関係に基づいて科学的に考えていかなければ、ますます訳が分からなくなってしまうのである。
ちなみに筆者は「問題の政治家株」を「因果関係」が逆転している危険性から判断しておそらくただ一人だけ2005年秋の時点で大量に「売却」している(→参考:2005/10/18号(7/8))。また2005年総選挙前に民主党支持者らが「岡田克也株」の「大量売り注文」を出していたときには、「政権準備政党」の部分を評価しておそらくただ一人だけ「購入」し続けていた(→参考:2005/6/27号、2005/8/26号etc.)。そして「ラ」から始まる事件が発覚したらいつの間にか「株価」が「急上昇」していた(→参考:2006/2/8号)。さらに言えば、郵政民営化解散をほぼ確実にあると予想して「小泉純一郎株」もかなり以前から大量に「購入」し続けていたし、また民主党が郵政民営化に「反対」したことから選挙結果の大勢も予想していた(→参考:2005/5/17号、2005/6/27号、2005/8/26号etc.)。くどいようだが、あえて自慢させてもらえば、筆者の「政治家株の運用実績」はかなりのものである。もしも有権者が簡単に売り買いできる「政治家株」などというものが本当に存在していたとしたら、筆者は多くの読者と共に「勝ち組」になることは十分に可能だっただろうし、どんなに少なくとも多くの読者を「負け組」にすることだけはなかっただろう。もしも現時点で筆者が「ポスト小泉株」としていったい何をどれだけ購入しているのかなどと問われたならば、「もうずいぶん前に購入済」とだけ答えておくことにする。いずれにしても「政治家株」などというものは「全くあり得ないおとぎの国の話」である。
イラク問題は不祥事よりも優先順位が高い
自衛隊派遣を含むイラク問題は、永田町周辺の「つまみ食い」と「尻切れトンボ」の代表例の一つである。どういうわけか現時点の永田町周辺ではイラクの「イ」の字も「観測」することは難しくなっている。ようやく「イ」の字が見えてきたのかと思ったら、耐震強度偽装で政治倫理審査会がどうのこうのという別の「い」の話だった。少なくともイラク問題はいくつかの不祥事よりも優先順位が高いはずである。ちなみに同じ「イ」では、ついに国連安保理に付託(2006/2/4)されたイランの核開発問題という深刻な問題もあるが、まずはイラク問題を取り上げることにしたい。
「本日(筆者注:2005/12/8)、政府はイラク人道復興支援のための自衛隊の派遣期間を1年間延長することを決定いたしました。これまでの自衛隊による人道復興支援活動は、イラク政府並びに現地のイラク人住民の皆さんから高く評価されておりまして、今週の月曜日、イラクの(筆者注:ジャファリ移行政府)首相が日本を訪問されたときに私も首相と会談いたしましたけれども、自衛隊の活動を高く評価して支援継続を直接要請されました。今、イラクにおきましては、今月(筆者注:12月)15日に国民議会選挙が行われる予定になっております。イラク人自身が自らの力によって安定的な民主的な政府をつくろうと努力している。この努力を支援していくことが必要だと判断いたしました。また国連の安全保障理事会でイラク政府の要請によりまして多国籍軍の駐留継続決議が全会一致で採択されました。こういう情勢を判断いたしまして、日本政府としては独自に日本として何ができるかということを考えながら、今回の自衛隊の活動の継続、延長を決定いたした次第であります。国民の皆様の御理解と御協力をお願い申し上げます」「(前略)…イラク人自身がイラク人の手によって今、移行政府をつくっている。そしてたび重なるテロリストの選挙妨害に屈せず、むしろ日本人の投票率よりも高い投票をもってイラクに民主的な政権をつくろうとしている。自分たちの国を自分たちで立ち上げるんだという意欲を見せている。そういう中でイラクの首相直々に今週の月曜日に自衛隊の支援活動に対して高い評価を下し、是非とも引き続き自衛隊諸君の活動を継続してほしいという要請を直接受けた。なおかつ国連におきましては、イラク政府の要請により全会一致で多国籍軍の駐留、支援活動継続を採択した。こういう中にあって、日本が今、手を引いていいのかどうか。私は国際社会の一員としての責任を果たすのが日本の利益につながる。またイラク人自身の自らの力で立ち上げようとする努力を支援するということは、将来のイラクと日本の友好関係にもプラスになると。そういうことから私は延長を決定した次第であります。なお、この延長期間内に撤退の可能性があるかどうかという質問だと思うんですが、これはイギリス軍、オーストラリア軍がムサンナ県、サマーワを含めた治安活動を行っております。イギリス、オーストラリア両政府と緊密な連携を取って、また現地サマーワの治安状況を十分考え、そして活動している自衛隊員の防護体制も万全を期す中で適切に判断していきたいと考えております。もとよりできるだけ早くイラク人自身が他の国の力を借りないでもイラク人自身の活動によって自らの国をつくり上げる、その支援は何かということを常に念頭に置きながら日本としても支援活動をよく考えていきたいと思っております」「日本の目的は、はっきりしております。イラクに対して人道支援、復興支援をすることであります。そういう面から、イギリス軍、オーストラリア軍が現地で治安活動を行っておりますが、そういう多国籍軍とも協力していくことが日本の自衛隊諸君の人道支援、復興支援を円滑にしていくために必要だと思っております。もちろん、イギリス軍、オーストラリア軍と日本の活動は違います。そういう中で、日本は何ができるかということをやっているのであって、私はイギリスと同じ、オーストラリアと同じという考えには立っておりません」(以上、2005/12/8のイラクへの自衛隊派遣再延長決定後の小泉首相の記者会見から)
「イラク国民は自らの手で平和な民主国家をつくり上げようとテロに屈せず懸命に努力しています。2年にわたるサマーワでの自衛隊員の献身的な活動は、医療指導や住民への給水に加え、多くの学校や道路の改修など多岐に渡っており、我が国自衛隊は日本国民の善意を実行する部隊として現地から高い評価と信頼を得ております。現地情勢と国際社会の動向を注視しつつ自衛隊員の安全確保に万全を期しながら日本は国際社会の責任ある一員としてイラクの国づくりを支援してまいります」(2006/1/20の小泉首相の施政方針演説から)
イラクへの自衛隊派遣が決定(2003/12/9)されたのは、イラクで奥克彦大使・井ノ上正盛書記官・ジョルジース在イラク大使館職員(イラク人)が車で移動中に銃撃・殺害された事件(2003/11/29)の直後であった。そして派遣期間の延長は2回目である(2004/12/9、2005/12/8)。イラクでは、暫定政府に主権が移譲(2004/6/28)され、暫定国民議会選挙(2005/1/30)が行われて移行政府が正式に発足した(2005/4/28)。そして新憲法草案も国民投票(2005/10/15)で承認されて議会選(2005/12/15)が行われ、その最終開票結果も明らかになった(→2006/1/20。移行政府与党・イスラム教シーア派政党連合の「統一イラク同盟」が128議席で第1党、連立与党・クルド人会派「クルド同盟」は53議席、今回の選挙で初めて本格的に政治参加したイスラム教スンニ派の主要政党連合「イラク合意戦線」は44議席、イラク国民名簿(国民イラクリスト。アラウィ暫定政府元首相らシーア派世俗派)は25議席、国民対話戦線(スンニ派)は11議席、など)。まだまだ混乱は続くだろうが、なんとか新しい民主主義国家としてのイラクができるまであと一歩のところにまではたどり着いたのである。
結局イラクには大量破壊兵器は存在しなかった。イラク戦争開戦直前からイラクへの自衛隊派遣直後の永田町周辺では「大義や大義名分などがない」「イラクは戦闘地域か非戦闘地域か」などという全く無意味な議論が繰り返されていたことを思い出してもらいたい(→参考:2004/1/5号etc.)。イラク戦争開戦時に議論されるべきであったのは、「大義」や「大義名分」などの有無ではなく、「イラク攻撃の正統性」の有無だったと筆者は当時から考えている。そもそも米国などが最初から素直に「フセイン元大統領自身が大量破壊兵器」などと主張していたのならば少なくとも「大義名分」には何ら問題はなかったはずである。「大義」や「大義名分」ならば探せばいくらでもあったのである。「大義名分の大量破壊兵器が存在しなかったのだからイラク攻撃は間違いだった」などという「もっともらしいこと」を言っている勘違いした政治家たちもまだいるが、言うまでもなく当時も今も本質は全く変わらず「イラク攻撃の正統性」である。仮に大量破壊兵器が存在したとしても、それだけではイラク攻撃を正当化することができなかったということを見失ってはならないのである。ちなみにイラク攻撃に「支持」でも「反対」でもなくて「理解」を示した筆者としては、米国などが新しい民主主義国家としてのイラクから事実上の撤退を開始するまでは「イラク攻撃の正統性」についての最終判断を留保しておくことにする。
筆者は派遣決定時にイラクに自衛隊を派遣するのならば「国際社会と共に歩む新しい平和なイラク社会の建設のために必要な橋頭堡(きょうとうほ)」をつくることを目的にすべきであると主張した(→参考:2004/1/5号)。そして今もその主張は不変である。あれからもう2年である。相変わらずイラクでは自爆テロなどを含めた混乱が続いているが、それでも客観的に情勢を分析するならば「国際社会と共に歩む新しい平和なイラク社会の建設のために必要な橋頭堡」をつくるという目的の達成は秒読み段階に入っている。
イラクへの復興支復などの究極目標が「イラク人自身の手によってイラクが民主主義国家として自立する」などということであるのならば、たとえが適切かどうかはよく分からないが、教育や子育てと同じように「過保護」は避けなければならないはずである。もしも日本政府が「国際社会と共に歩む新しい平和なイラク社会の建設のために必要な橋頭堡」ができたと判断してイラク・サマワに派遣している陸上自衛隊を撤収する決断を下すのならば、それは日本がイラクの人たちを見捨てるということを意味するのではなく、イラクの人たちが自立を始める新しい段階に到達したということを責任を持って保証するということになるのである。そして客観的に情勢を判断するならば日本政府の決断は秒読み段階に入っていると考えるべきなのである。
イラク問題でも「温故知新」
「(筆者注(以下( )内は同じ):昭和)二十五(1950)年の六月には参議院選挙が予定されていた。そこで吉田(茂)首相としては、国民の不満をやわらげて選挙を有利に戦うために(価格差補給金の縮小・打ち切り、復興金融金庫の新規支出停止、均衡予算の実現などという)ドッジ・ラインの手直しを直接(連合国軍最高司令官財政顧問だった)ドッジに会って頼まねばならない。具体的な方法としては、すでに閣内でかなりの勢力をもち、対ドッジ交渉を通じてワシントンとも気心の知れた池田(勇人)蔵相をアメリカへ派遣しようと考えた。そのような構想が首相の胸に去来するに至ったのは、私の知る限りでは(昭和)二十五年の初頭か二月ごろのことである。その際、問題になるのはマッカーサーの存在である。当時の彼は、日本のことは自分が引き受けた以上、本国アメリカによけいな口出しさせないという一種の気位をもつとともに、日本の政府や国民に対しても、あたかも自分が新しい天皇として君臨するがごときポーズを好んでとっていた。その彼の統治下から抜け出して、有力閣僚が占領母国へ直接出かけていくということは、よほど上手に切り出さなければ、ただちに彼の拒否するところとなるばかりでなく、その後の日本政府に対する態度に好ましくない影響をあたえる心配が十分にあった」(p22-23)、
「約一か月の訪米を終え、帰国したのは(筆者注:昭和二十五(1950)年)五月二十二日であった。池田蔵相としては、羽田で帰国声明を出さねばならないのだが、それを印刷するところがない。幸か不幸か当時の飛行機は途中ハワイで降りて給油しなければならない。そこで、ハワイの日系新聞社に頼んで和英両文を印刷してもらうという一幕もあった。午前四時すぎに羽田へ着いたところ、吉田首相は参議院選挙の遊説で京都にいるという。さっそく列車で京都へ向かったが、留守中に大変な事件がもちあがっていたことを知ったのは、その車中であった。逢坂山のトンネル手前にさしかかったころ、車掌がやってきて私に一通の電報を手渡した。自由に電報が打てる時代ではなく、おまけそれは英文で書かれていた。 大蔵省渡辺財務官発京都駅長気付、大蔵大臣秘書官宮沢喜一宛(訳) 渡辺はマアカット、ウイットニイ両将軍から左の旨を、大蔵大臣が選挙運動に入る前に届くように、直ちに電報を以って伝えることを命ぜられた。 一、今回の大蔵大臣の渡米の目的は、米国に於ける事情の視察と、日本の実情の説明にあったことは、大蔵大臣が渡米前によく承知しておられたところである。従って今回の渡米を経済問題(注:いわゆるドッジ・ラインの緩和)についての政治的な交渉として扱うことは甚だしく妥当を欠く。 二、ドッジ氏からの手紙によっても、ドッジ氏は大蔵大臣に対して、日本の将来の政策は占領軍最高司令官の決定に従うべき旨を強調したといっている。大蔵大臣が直接米国当局と話をつけたことはないはずである。 三、ドッジ・ラインの緩和を獲得したというようなことを政治的キャンペーンとして打ち出すことは、総理大臣及び大蔵大臣として甚だしく礼を失する(シリアス・ブリーチ・オブ・エティケット)ものと考える。もしそのようなことがあれば今後、経済安定計画の実行について総司令部との間に困難を生じることになろう。
これを読んだときの私の気持ちは、いいようのない不愉快なものであった。ことに最後のくだり、命令に従わなければ困難が生じることになろうとは、なんと卑しい表現であろう。ただ、この電報がマアカット、ウイットニイ両将軍の共同命令になっているのは事の重大さを示していた。この二人は昭和十七年三月、マッカーサーが日本軍の攻撃の前にフィリピンのバターンを脱出していらいの取り巻きで、しかもお互いは犬猿の仲だった。それが共同の行動に出たのは、とりもなおさず背後にマッカーサーがいる証拠であった」(p41-43)、
「司令部とのごたごたは十日足らずの間続いた。最後は、ばかばかしいかぎりだが、大蔵大臣が総理大臣に渡米報告を出し、その中で今後行いたい施策(ワシントンでの合意)を述べる、総理大臣はマッカーサーに、その報告をそえた書翰を送って『指導と忠言』を求める、それに対してマッカーサーが返事を書くという手順をふむことで、ようやく落着した。占領下にあることがいかに不愉快なものか、いまの人にはわかってもらえないかもしれない。この経緯がそのまま世間にもれたわけではないが、新聞は『司令部と政府の間が急速に冷却しはじめた』と書き、選挙をひかえた政府ははなはだ微妙な立場に立たされた。同時に、この事件は占領下において議会政治がどの程度可能か、という問題をなまのかたちで提起したわけでもあった」(p44-45。以上、宮澤喜一著、戦後政治の証言、読売新聞社、1991年から)
「(前略)…そして実際の占領行政そのものも、事実上は日本政府を使う形で行なわれましたから、国民の水準において、彼らの直接の命令や区処を受けるというケースは非常に少なかった。みんな日本政府がやっていたわけですね。たまに軍政部の人たちがジープを乗り回しているようなことはいろいろあったと思いますが、直接毎日の生活に占領が関与したということは、それこそ日比谷の交差点でMPが交通整理をするとかいうケースを除いては、比較的少なかった。そういうことで国民から言うと、占領という状態は、子供がアメリカ軍からチョコレートをもらったとか、そういう記憶のほうが大きくて、非常に屈辱的な状況であったという印象は残っていないのかな、といまになるとつくづく私はそう思います。毎日の行政をやっておった者が、直接、毎日毎日占領者から命令を受けるという屈辱を味わったものの、それは国民にとっては間接的な出来事でしかなかった、というようなことであったのでしょうか…(後略)」(p138)
「(前略)…振り返りますと、講和は早いほうがいいということを、非常に早い機会にマッカーサーは言っているわけです。それは一九四七年ですから、きわめて早い。この時にマッカーサーが言ったことは要するに、『占領というのは、まず第一に軍閥体制をつぶすために行なわれた。第二にその他の制度の民主化を図るために行なわれた。第三は経済の再建ということだと思う。第一の話は済んだし、第二の話もかなり緒についている。しかし第三の経済の再建というのは、とめどもなく長くかかる話であった。それが済むまで講和を待つなんていうことはあり得ない』ということですね。したがって一九四七年の段階でマッカーサーは、講和の条件はだんだん熟しつつあるんだ、ということを言って世間を驚かせたわけです。その頃は、たしかに米ソの関係が急速に悪くなっていました…(中略)…そういう状況は、米ソの協調ができる形で日本の講和を考えることがだんだんできなくなって、米ソがもう協調できないということの中から講和を考えるか考えないか、ということになってきたと思うのです。したがって、そのような講和は、おそらくソ連が同調するはずがない。アメリカの陸軍的な発想からいえば、みすみす空き巣をつくってソ連が入ってきたらどうするの、というような議論がどうしても優勢になる、というのが客観的な情勢であったと思います。 その中から、前回申し上げましたように、アメリカ側からは言えないことであるから、日本側から、いわゆる安保条約のような発想を、吉田(筆者注:吉田茂首相)さんが自分で考え出して言う、ということだったわけです…(後略)」(p141-142。以上、御厨貴・中村隆英編、聞き書 宮澤喜一回顧録、岩波書店、2005年)
約60年前の日本でも米軍による占領の長期化はとても耐えられるものではなかったという「歴史的事実」を今こそ思い起こすべきであると筆者は考えている。いわゆる「ネオコン」もかつての日本やドイツでそれなりに効果があった「占領政策」から都合のよい部分だけを切り取ってイラクで使おうとしても上手くいかないということぐらいは学習したことだろう。少し前に説明した「(4)環境とその内部の行為者(主体)は相互作用する」、だから「(5)ある物やその性質は元の環境から切り離して考えることは難しい」(あるいは「(5')ある物の今現在の状態は変化の経路に依存している」)という「法則」を思い出してもらいたい。当たり前と言えば当たり前の話だが、歴史的背景を無視して都合のよい部分だけを切り取って別の場所に持っていったとしてもまず上手くいかないのである。米軍などの「占領軍」に対するイラクの人たちの悪化した感情というマイナスのエネルギーを、「占領」の終わりが見える形で少しずつプラスの方向へと転換していくことが国際社会とイラクの次の最優先課題になると筆者は考えている。
もはや内戦に逆戻りすることなく議会制民主主義という「民主主義の学校」を既につくっているアフガニスタンの一歩か二歩後にはなるのだろうが、イラクでもすぐに「民主主義の学校」ができるのだろう。そして「民主主義の学校」では暴力や武器を捨てて民主主義のルールを学ぶ意思があるのならば基本的には誰でも大歓迎されるのである。たとえ最初は理想的な状態からはほど遠い状態であったとしても、可能な限り多くの人たちが暴力や武器を捨てて「民主主義の学校」に参加し、そこで本当の意味での民主主義とは何か、国民を代表するということはどういうことなのかなどということを実践的に学んでいけばいいのである。「民主主義のルールに基づいた権力闘争」は「暴力や武器を使わずに選挙を含めた様々な民主主義のルールに基づいて邪魔者に消えてもらう戦い」であるという本質を決して見失ってはならないのである。
また民主主義とは自分たちの文化を捨てて米国や欧州諸国のような国になることだという根拠のない批判に対しては、民主主義にはそれぞれの形があってイラクも「イラクの民主主義」をつくることができるはずだということを最も説得力のある形で示すことができる国の1つが日本なのである。以前(→参考:2005/8/26号)の繰り返しになるが、「暴力や武器を使った権力闘争」から「民主主義のルールに基づいた権力闘争」への変化というのが「人類の歴史的文脈」である。もちろん議員たちが「民主主義のルールに基づいた権力闘争」を繰り返しているだけならば国民の「代表」としては決して十分な状態ではないということは言うまでもないことである。だが、それでもやはり暴力や武器を捨てて民主主義のルールに基づいて権力闘争を行うようになるだけでも「人権の拡大」という観点から見れば「産業革命」に匹敵するぐらいの劇的で非常に大きな変化であると考えることができるのである。
イラク問題でも「温故知新(おんこちしん)」という「基本戦略」は有効であると筆者は考えている。歴史を科学的に考えるためには「歴史的事実」と「歴史認識」をまず明確に区別する必要がある。そして歴史の本質あるいは「歴史の大きな流れ」といったものを理解するために必要不可欠なすべての「歴史的事実」を正確に理解し、その上でそれぞれの地域の文化や歴史的背景の相違点をも十分に考慮に入れるのならば、歴史というものは少なくとも今現在の深刻な問題を解決するために役立つヒントにはなると筆者は考えている。
「歴史的事実」と「歴史認識」の区別
歴史を科学的に考えるためには、「歴史的事実」を体系的に収集するための基準や目的などが非常に重要になってくる。言うまでもなく膨大な「歴史的事実」をある意味で「要約」することによって歴史の本質や「歴史の大きな流れ」といったものが見えてくるのである。そして歴史の本質などを見極めるためには、何らかの基準や目的などが必ず必要になり、その採用された「基準」などに合致すると判断された「歴史的事実」だけが集められることになるわけである。もしも明らかに間違ったり偏ったりした「基準」などを採用してしまったのならば、必然的に間違ったり偏ったりした「歴史的事実」だけが集められることになり、その結果として間違ったり偏ったりした「歴史認識」が生み出されることになってしまうのである。だからこそ歴史を科学的に考えるためにどのような基準や目的を採用するのかということは非常に重要になってくるのである。
確かに採用された「基準」などと「歴史認識」とは密接不可分の関係にあるが、それでもやはり「歴史的事実」と「歴史認識」は別々のものとして明確に区別することができるのである。繰り返しになるが、「歴史的事実」と「歴史認識」とを明確に区別しなければ歴史を科学的に考えることはできないのである。歴史を科学的に考えようとするのならば両者を明確に区別しなければならないのである。
「歴史的事実」を体系的に収集するために採用される「基準」などは、それぞれの立場や時代によってかなり異なっており、唯一絶対的なものは存在しないのである。前回から取り上げている「(1)ある物にはプラスとマイナス(あるいはメリットとデメリット)の両面がある」、そして「(2)ある物のプラスとマイナス(あるいはメリットとデメリット)は基準(あるいは目的)によって変化する」という「法則」を思い出してもらいたい。そして実際の「歴史的事実」の収集作業では、それぞれの研究者の問題意識や個性、それぞれの国家のアイデンティティなどが反映された独自の「基準」が採用されている。よって「歴史認識」が完全に一致するということは非常に難しいということになる。ちなみに、それぞれの研究者などがそれぞれの研究対象の内部で研究をしているのだから、これも「(4)環境とその内部の行為者(主体)は相互作用する」という実例の一つになるのだろう。
しかし、「歴史的事実」を体系的に収集する際にいくら独自の「基準」を用いた場合であっても、「基準」の主要な部分は共通しているはずである。例えば、どんなに少なくとも他者との共存をある程度は意識して「歴史的事実」を体系的に集める「基準」になっているはずだし、また様々な混乱したものの中から「基準」に適合した「歴史的事実」を選び出すことができる「基準」になっているはずである。そしてほとんどの場合には「歴史的事実」と「歴史認識」を別々のものとして区別する「基準」が採用されているはずである。ちなみに筆者自身が歴史を科学的に考える場合には、どんなに少なくとも「将来の世代を含めた一人ひとりの生命などを守ること」を重視した「基準」を採用することになる。言うまでもなく、どんな研究者や組織や国家であっても、他者との共存を全く考えないような独善的な歴史、あるいは「歴史的事実」と「歴史認識」とを明確に区別しないような珍妙な歴史を記述するための「基準」などを採用してしまったならば、現代の国際社会の中では完全に孤立してしまうだろうし、場合によっては「カルト」と見なされることにもなってしまうのである。
なお「歴史的事実」は確かに膨大だが、たとえ地球上のすべての「歴史的事実」を集めたとしても人類の長い歴史のごくごく一部分にしかならないということを絶対に忘れるべきではないのである。人類は文字で記述するようになって初めて長期に渡って正確に「歴史的事実」を残すことができるようになったのである。そして「書かれて残される歴史的事実」よりも「書かれずに消えていく歴史的事実」の方がずっと多いのである。また、「書かれて残される歴史的事実」であっても、その「歴史的事実」の中に一緒に含まれている、例えば、色や味や匂いや感触などといった言葉で正確に表現することが困難な情報は消えていくのである。要するに、どんな歴史も実際には人類全体の歴史のごく一部分に過ぎないと考えるべきなのである。
「Good historical writing includes, although it may not be limited to, a compressed
verbal summary of a welter of historical detail.(筆者仮訳:良質の歴史書というものは−もっともそれは良質な歴史書に限らないのかもしれないが−何らかの厳選された言葉による雑多な歴史の細部についての要約を含んでいるのである)」("Designing
Social Inquiry", Gary King, Robert O. Keohane and Sidney Verba, Princeton University
Press, 1994, p53 ("2.5 Summarizing Historical Detail")から。ちなみに日本語訳は「社会科学のリサーチ・デザイン」(勁草書房、2004年))
まだ受験シーズンだから多くの読者にも試験問題の話に再び脱線することを大目に見てもらえるのかもしれない。どうでもいい話かもしれないが、大学入学試験の英語で京都大学が「次の文の下線をほどこした部分(1),(2),(3)を和訳しなさい」(2004年前期)などという「下線部和訳問題」を、東京大学が「1(A) 次の英文の内容を、60〜70字の日本語に要約せよ。句読点も字数に含める」(2005年前期)などという「要約問題」をそれぞれ約30年(以上)に渡ってほぼ例外なく一貫して出題し続けてきたことは筆者にとっては実に興味深い現象なのである。一般的に「下線部和訳問題」では、単なる英語力だけではなく、文章の全体的な文脈を正確に理解する能力も同時に問われているのである。また「要約問題」では、単なる英語力だけではなく、文章の「要点」を正確に理解する能力も同時に問われているのである。言うまでもなく、文章の全体的な文脈を正確に理解するとか、著者の主張の「要点」などを正確に理解するなどということは、研究でも、ジャーナリズムでも、そしてもちろんその他のほとんどの「知的生産活動」でも必要不可欠な基礎的能力である。
仮に大学入学時に「文脈」や「要点」を理解する能力が全く問われることがなかったとしても、その後の大学・大学院教育では「知的生産活動」を行なう機会がどんなに少なくとも何度かはあるはずである。よって何らかの「学位」を持っていたとしても、正しく「文脈」も理解できず、正しく「要約」もできないということになるのならば、そういう意味でも「学位工場(diploma
mill)」出身者と疑われても仕方がないのである。まして正しく「文脈」も理解できず、正しく「要約」もできないような人間がどういうわけか「教員」や「研究者」を名乗っているということになるのならば、大学・大学院における「教育」と称するものは実際には何をやっているのかということにならざるを得ないのである。
歴史の正しい「要約」
「(前略)…第2次世界大戦中、私の父と、そして『コイズミ』という名前の日本政府関係者の2人は互いに敵味方に分かれていました。今日では、その2人の息子たちが2つの自由主義国家の選ばれた指導者となっています。小泉首相は国際社会における私の親友のひとりです。私はこれまでの大統領としての任期中、小泉首相と何度も会談をしました。私は小泉首相のことを良く知っており、彼の判断を信頼しており、彼の指導力に敬意を持っています。そして米国は、平和と自由のために彼を盟友として持つことを誇りにしています…(中略)…皆さんは民主主義を支持し、皆さん自身の必要性や状況に合わせてそれを取り入れてきました。したがって、日本の民主主義は米国のそれとは異なっています。日本には大統領ではなく首相がいます。日本の憲法は君主制を容認しており、それは日本国民の誇りの源泉となっています。日本は、自由な社会が、真の民主主義の基礎となる普遍的な自由を保証しながら、独自の文化と歴史を反映することができるのかという好例を示しています。 皆さんは、こうした自由の普遍的理念の下で『新しい日本』を創造し、『アジアの姿』を変容させてきました。自由を目指すあらゆる段階で、日本経済は繁栄し、他国の手本となったのです。そして、民主主義は、政府が国民に対する責任をより良く果たす手助けができるということを、日本は示したのです。さらに日本は、この地域の平和と安定を築く勢力となり、国際社会の重要な一員となり、そして米国にとって信頼のおける同盟国となりました。 自由主義国家としての日本は国民生活を変容させてきました。アジアにおける自由の広がりは、半世紀以上前に日本から始まりました。そして今日、日本国民は世界で最も自由な国民の仲間入りをしています。日本には誇れる民主主義があります。日本は世界でも最高の生活水準を享受する国のひとつです。政治・経済両面での自由を支持し、日本はすべての国民の生活を向上させてきました。そして、自由が繁栄と安定への最も確実な道だということを他の国々に示してみせたのです。 自由主義国家としての日本は、この地域の他の国々の国民生活を変容させる手助けをしてきました。近隣諸国への日本の投資は多くのアジア諸国の経済発展に貢献してきました。日本の援助は重要な社会基盤の整備に貢献をし、地震や台風、あるいは津波といった災害の被災者への救援にも貢献しています。そして、日本が作り上げた米国との同盟関係は、この地域の安定と安全の柱となっており、アジアの未来に対する自信の源にもなっています。 自由主義国家としての日本は世界の変革にも貢献しています。日米両国は世界の他のどの2国よりも多くの海外援助を行っています。今日、日本の援助で、アフガニスタンでは高速道路が建設されています。アフガニスタンのカルザイ大統領は、日本の援助は新しく生まれ変わった民主主義国家としての同国の経済復興にとって、なくてはならないものだと述べています。イラクについては、日本は50億ドル近い復興援助を約束しています。そして、日本はイラクに自衛隊を派遣し、同国のムサンナ州で自由という大義のために活動しています。始まったばかりの21世紀に、日本はその自由を世界中の平和と繁栄という大義を前進させるために使っています。そして、日本の指導力は世界をより良い場所にしています…(後略)」(2005/11/16のブッシュ米大統領の京都での演説から。日本語仮翻訳「京都で自由と民主主義を語る」:
http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-j20051118-50.htmlから引用。なお原文は"President
Discusses Freedom and Democracy in Kyoto, Japan"
http://www.whitehouse.gov/news/releases/2005/11/20051116-6.htm)
米国は約60年前には日本の敵国であったが、現在では日本の同盟国である。米国のブッシュ大統領の京都市での演説には「戦後日本の歴史の要約」が含まれていた。もちろん日本と米国、そして筆者とブッシュ大統領(のスピーチライター?)の「歴史認識」はそれぞれ異なっているから筆者から見れば補足や修正したい部分が何カ所かある。だが、やはりブッシュ大統領の演説で示された「戦後日本の歴史の要約」は正しい「要約」であると筆者は考えている。筆者とブッシュ大統領(のスピーチライター?)の「歴史認識」は、少なくとも何が「本質」や「要点」であるのかという部分ではほぼ完全に一致しているのである。
それでもやはり筆者から見れば、ブッシュ大統領の演説の中には補足や修正したい部分が残っている。例えば、「日本の民主主義は米国のそれとは異なっています。日本には大統領ではなく首相がいます。日本の憲法は君主制を容認しており、それは日本国民の誇りの源泉となっています」という部分があるが、日本と米国の民主主義の違いをそんなに簡単に片付けることは筆者には抵抗感があるし、実際に日本と米国の民主主義の大きな違いはまだ他にもたくさんある。そして民主主義の説明をこの程度で終わりにしてあとは「自由(freedom)」を繰り返すだけになってしまうのならば、地球上の別の地域にいる民主主義のことをほとんど理解していない人たちは「自分たちの独自の文化を捨てて米国と同じようになることが民主主義だ」などと大きな勘違いしてしまうかもしれないのである。
民主主義国家には米国型の大統領制、あるいは英国型の議院内閣制のような制度しか許されないというわけではないはずである。民主主義国家を正しく「要約」するならば、どんなに少なくとも、一人ひとりの生命などが保障されていること、成人一般に選挙権・被選挙権が保障されていること、「自由で公正な選挙」「結社の自由」「表現の自由」、そして情報への自由なアクセスなどが保障されていることが確実に「本質」や「要点」として残るはずである。言い換えれば、そうした「本質」や「要点」が残っていさえすれば民主主義国家と考えることができるわけである。民主主義とはそういう意味で非常に柔軟な制度であると筆者は考えている。
例えば、有名な政治学者のレイプハルト(Lijphart)は、スイス、ベルギーなどの言語的、民族的な大きな亀裂が存在する国家に見られる「多極共存型」の民主主義システム(Consensus
Model)に注目している (→例えば、Arend Lijphart, Patterns of Democracy, Yale
University Press, 1999)。こんなことは有名大学出身のブッシュ大統領(のスピーチライター?)にはあえて指摘するまでもないことなのかもしれない。もちろん演説でも日本の民主主義が「独自の文化と歴史を反映」したことにも触れられてはいるが、筆者ならば「民主主義はその国の独自文化や歴史的背景などにも十分に対応することができる柔軟な制度である。そのことは日本を見ればよく分かる」などと民主主義の「柔軟性」の部分をもっともっと強調していたことだろう。
なお筆者は地球環境問題でも京都は非常に有名な場所だということをブッシュ大統領にもぜひ思い出してもらおうとずっと思っていたのだが、ブッシュ大統領が一般教書演説(2006/1/31)で「米国は石油中毒」などと訴えていたから、現時点では地球環境問題については深入りしないでおくことにする。
「『国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ』、この憲法前文の精神を体して、戦後、我が国は自由と民主主義を守り、平和のうちに豊かな社会を築いてまいりました。今後も日米同盟と国際協調を外交の基本方針としていかなる問題も武力によらずに解決するとの立場を貫き、世界の平和と安定に貢献してまいります」「テロとの闘い、貧困の克服、感染症対策など国際社会が抱える問題に対して、ODAの戦略的活用や人的貢献により、日本も積極的に協力してまいります。国連が効果的に機能するよう安全保障理事会を含めた国連の改革に取り組みます」(以上、2006/1/20の小泉首相の施政方針演説から)
もちろん言うまでもなく日本には「戦後の歴史」だけではなく、「侵略などの負の歴史」もあるし、「はるか昔からの近隣諸国との共存・協力の歴史」もある。以前(→参考:2005/5/11号)にも触れたが、いわゆる「過去の清算」などを考える場合には、「日本のどこがなぜ悪かったのか」という問題と真正面から向き合わなければならなくなる。そして戦争体験の全くない筆者に言わせれば、「日本のどこがなぜ悪かったのか」という「問い」に対する答えは、過去の日本が(1)多くの人たちの生命を奪ったり、人権を蹂躙したり、財産を奪ったこと、さらに(2)そのための手段として暴力だけではなく固有の文化を否定するような手法を用いたことも「人類の共存・協力のために必要な最低限のルール」を破ることになったから悪かったのだということになる。
つまり過去の日本は、国家というマクロのレベルでは、「武力による威嚇又は武力の行使」によって国境線を変更したり他国の領土全体を奪ったりして「国家主権」を侵害し、また一人ひとりの人間というミクロのレベルでは、暴力だけではなく固有の文化を否定するような方法をも用いて生命を含む基本的人権をはじめとする様々な権利を侵害したのである。日本はそういう「負の過去」を本当の意味で反省しなければならないと筆者は考えている。そしてもしも本当の意味で日本が「負の過去」を反省したのならば、「武力による威嚇又は武力の行使」によって国際紛争を解決しようとする動きを肯定することはできないはずだし、また暴力や固有文化を否定するような方法を用いて一人ひとりの人間の生命などの基本的人権をはじめとする様々な権利を侵害するような動きを容認することもできないはずである。
外務省を中心とする日本政府が国際社会で熱心に主張している一人ひとりの人間を中心に考える「人間の安全保障」(→http://www.humansecurity-chs.org/ なお「人間の安全保障」(アマティア・セン著、東郷えりか訳、集英社新書(0328A)、2006年)も参考になる)は、日本の歴史的文脈を正しく反映したものにならなければ十分な説得力を持たないはずである。例えば、吉野作造の「民本主義」(→吉野作造著、岡義武編、吉野作造評論集 「憲政の本義を説いてその有終の美を済すの途を論ず」、岩波文庫(青131-1)、1975年。ちなみに、詳説日本史(山川出版社、2002年文部科学省検定済、p300)などの高校の教科書にも「抜粋」が載っている)やその考え方を生み出したような歴史的背景、「武力による威嚇又は武力の行使」による侵略や一人ひとりの生命を含む権利の侵害などという「負の過去」に対する本当の意味での反省、そして戦後日本の国際協力活動の実績などといったことが最も適切な形で結びついたときに初めて日本が主張する「人間の安全保障」にも大きな説得力が出てくるはずである。
北朝鮮は「主権国家」と「犯罪組織」の中間状態
「先月(筆者注:2005/12/16)、国連総会で北朝鮮の人権状況を非難する決議が初めて採択され、拉致問題の解決の必要性が国際社会において広く認識されました。北朝鮮との間では平壌宣言を踏まえ、拉致、核、ミサイルの問題を包括的に解決するため関係国と連携しながら粘り強く交渉してまいります」(2006/1/20の小泉首相の施政方針演説から)
「米国はまた、北東アジア、特に過去に列強が衝突した朝鮮半島での自由の行方を懸念しています。休戦とは終わりのない戦線を凍結するものです。核兵器の開発は地域の安定を脅かします。衛星写真によると、北朝鮮にはひとつの市ほどの大きさの収容所があり、国全体が夜には真っ暗闇に包まれます(筆者注:(原文)
Satellite maps of North Korea show prison camps the size of whole cities, and a country
that at night is clothed almost in complete darkness.)。 この新世紀に、中国、日本、ロシア、米国、そして韓国はこの困難な半島に平和と自由をもたらす道を模索し始めました。6者協議は朝鮮半島から核兵器をなくすという誓いを立てました。この誓いを達成するために行動を起こさなければなりません。それは固い決意に裏打ちされた、関係国すべての包括的な外交努力を意味します。われわれは北朝鮮国民のことを忘れません(筆者注:(原文)
We will not forget the people of North Korea)。21世紀はすべての朝鮮半島の人々にとって、自由の世紀となるでしょう。いつか彼らは尊厳、自由、繁栄の下に生き、近隣諸国と平和に共存するでしょう」(2005/11/16のブッシュ米大統領の京都での演説から)
最近の北朝鮮関連の大きな動きだけをまずは簡単にまとめておくことにする。
中国の胡錦濤国家主席が北朝鮮を訪問して金正日総書記と会談した(2005/10/28)。そして北朝鮮の核問題などを協議する6カ国協議が北京で始まったが(2005/11/9)、成果なく終了した(→2005/11/11。次回再開予定も決まらず。なお前回協議の共同声明(2005/9/19)の履行を再確認する議長声明。なお11/8には佐々江賢一郎・外務省アジア大洋州局長が北朝鮮の金桂冠外務次官と会談)。また金総書記が非公式に中国を訪問(2006/1/10-1/18)し、胡国家主席と会談(1/17)していたことが帰国後に正式発表された(2006/1/18)。
日本と北朝鮮の政府間交渉が行われたが(→2005/11/3-4に北京、2005/12/24-25に北京、そして2006/2/4-2/8に北京(→拉致、国交正常化、安全保障の並行協議。2/5は拉致問題、2/6は国交正常化協議、2/7は核・ミサイルなどの安全保障の協議、そして再度の拉致問題の協議)、目立った成果は得られなかった。
国連総会で北朝鮮の外国人拉致を含む人権侵害を非難する決議が賛成多数で採択された(→2005/12/16。賛成88(欧州連合(EU)が策定した決議案の共同提案国となった日本や米国など)、反対21(中国、ロシアなど)、棄権60(韓国など)。決議に法的拘束力はなし。国連総会本会議での北朝鮮を名指しで非難する決議の採択は初。ちなみに北朝鮮の人権を非難する決議は国連人権委では3年連続で採択)。そして米政府が2005年9月にマカオの銀行「バンコ・デルタ・アジア」を北朝鮮による「資金洗浄(マネーロンダリング)の主要懸念先」に指定して米金融機関との取引を禁止し、同銀行が北朝鮮関連口座を凍結して取引を停止したことで北朝鮮側が猛反発し続けている。
日本人拉致問題をはじめとする人権問題、核やミサイルなどの問題、偽ドルや麻薬のような非合法活動などという一連の北朝鮮問題は相変わらず深刻な状態である。これだけ長く北朝鮮が不誠実な対応を続けていると、本当にこのまま北朝鮮を「主権国家」と見なして政府間交渉を続けることは正しいことなのだろうか、むしろ拉致を含めた人権蹂躙、偽ドルや麻薬の製造・密輸などという非合法活動を繰り返す「犯罪組織」と見なした方が早期の問題解決につながるのではないかなどという疑問が国際社会の中に浮上してきたとしても不思議ではない状態になってくるのかもしれない。
筆者は北朝鮮を「主権国家」と「犯罪組織」の中間状態にあると見なすべきだと考えている。なぜなら、どんなに北朝鮮が「主権国家」だと言い張ったとしても、「犯罪組織」が専門とするような様々な非合法活動に北朝鮮が組織的に深く関与していることは「事実」であるし、逆にどんなに北朝鮮が広い「縄張り」と多くの「構成員」と「人質」を抱え持った「犯罪組織」にしか見えなかったとしても、それでもやはり「主権国家」と見なさざるを得ない部分は残るからである。前回から新しく使用している「(1)ある物にはプラスとマイナス(あるいはメリットとデメリット)の両面がある」、そして「(2)ある物のプラスとマイナス(あるいはメリットとデメリット)は基準(あるいは目的)によって変化する」という「法則」を思い出してもらいたい。ここからは北朝鮮が「主権国家」と「犯罪組織」の中間状態であると「仮定」してあえて問題解決などを科学的に考えてみることにする。
「国際社会は国家を基本的な単位として成立している。領域、国民、主権を国家の三要素という。主権とは、国家がそれぞれ内政と外政について、他国の指図を受けずに独自に判断して政策をたてたり、問題に対処してものごとを決定する権限のことである。国際社会では、国家は、人口の多さや領土の広さ、経済的な豊かさなどにかかわりなく、主権をもつ等しく独立したメンバーとして平等に扱われる」(「現代社会」(高校公民科)、東京書籍、平成14(2002)年文部科学省検定済、p160より)、「一定の領域(領土・領空・領海)・国民・主権を国家の三要素とよんでいる」(高等学校 政治・経済、第一学習社、平成14(2002)年文部科学省検定済、p7(注)より)
「第二条 用語 この条約の適用上、(a)『組織的な犯罪集団』とは、三人以上の者から成る組織された集団であって、一定の期間存在し、かつ、金銭的利益その他の物質的利益を直接又は間接に得るため一又は二以上の重大な犯罪又はこの条約に従って定められる犯罪を行うことを目的として一体として行動するものをいう…(後略)」(国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約(→日本も2002年に署名、2003年に国会承認)より)
国際社会の中での一般的な「主権国家」の定義は、もしかしたら日本の小中学生でも知っているかもしれない「国家の三要素」とは少し違っている。すなわち「永久的住民」「明確な領域」「政府」「他国と関係を取り結ぶ能力(外交能力)」(→参考:国の権利及び義務に関するモンテヴィデオ条約第1条)である。また「犯罪組織」の方はあえて定義しなくても大きな問題にはならないかもしれないが、いちおう条約から定義を引用しておくことにする。ここで筆者が強調したいことは、北朝鮮は「主権国家」かつ「犯罪組織」であるということである。北朝鮮には「永久的住民」「明確な領域」「政府」が間違いなく存在するし、ときどき疑問にはなるが「他国と関係を取り結ぶ能力(外交能力)」もあることはあるから「主権国家」である。だが、北朝鮮の国家組織の一部が組織的に外貨獲得などのために非合法活動に関与するのならば同時に「犯罪組織」でもあるということになる。「主権国家」の領域内に「犯罪組織」が存在するという状態ならばほぼすべての国にあてはまるが、北朝鮮の場合は「主権国家」かつ「犯罪組織」という点に特異性があるのである。
さて、定義の次は、国際社会の中で通用する日本が北朝鮮を「主権国家」や「犯罪組織」とそれぞれ見なす「根拠」について考えることにする。国際社会の中で通用する日本が北朝鮮を「主権国家」と見なしている「根拠」は、小泉純一郎首相と金正日総書記が署名した「日朝平壌(ピョンヤン)宣言」(2002/9/17)である。そして日本と北朝鮮は国交を結んでいないから、この「日朝平壌宣言」が北朝鮮を「主権国家」と見なす唯一の「根拠」になっていることにも十分に注意をする必要があるのである。つまり、もしも「日朝平壌宣言」が破棄などされることになるのならば、国際社会の中で通用する日本が北朝鮮を「主権国家」と見なさざるを得ない「根拠」、すなわち国交正常化の前提となる「根拠」は何もなくなるということなのである。
逆に日本が北朝鮮を「犯罪組織」と見なさざるを得ない「根拠」は、北朝鮮による日本人拉致事件や北朝鮮国内の末端の一人ひとりに対する様々な人権蹂躙、偽ドル製造、麻薬製造・密輸などの非合法活動である。そして日本が北朝鮮を「犯罪組織」と見なさざるを得ない「根拠」は、人権蹂躙を含むすべての非合法活動の真相が完全に解明され、その上ですべての実行犯や責任者などが法に基づいた裁判を経て処罰され、さらにその上で国際社会の中でも十分な説得力を持つ有効な再発防止策が講じられることによってはじめて解消されることになるのである。言うまでもなく、北朝鮮がどんなに繰り返し「既に解決済み」などと主張したり、虚偽の事実をでっち上げようとしたりしても、日本人拉致事件をはじめとする様々な非合法活動に北朝鮮が組織的に関与していたことを示す多くの「証拠」は絶対に消えることはないのである。もしも北朝鮮が「犯罪組織」と見なされるような状況から解放されたいと考えるのならば、「犯罪組織」と見なさざるを得ない「根拠」のすべてを科学的に解消していく、あえて言い換えれば、「犯罪組織」と見なさざるを得ない「根拠」のすべてを「完全で検証可能かつ不可逆的な廃棄(the
complete, verifiable and irreversible dismantlement, CVID)」にする以外の方法は存在しないのである。
北朝鮮の対応によってどんな「事実」と「認識」が生まれるのか
次に、もしも北朝鮮がこのまま日本人拉致事件の完全解決につながる誠意のある対応を示さず、核開発を強行し、ミサイルなどの問題をエスカレートさせ、しかも偽ドル製造、麻薬製造・密輸などの様々な非合法活動を続けるのならば、どのような事態になるのかということを考えてみることにする。この場合には、「歴史的事実」と「歴史認識」を区別して考えたのと同じように、北朝鮮の対応によってどのような「事実」が発生するのかということと、どのような「認識」が生まれるのかということを区別して考えるべきである。
北朝鮮が日本人拉致事件で不誠実な対応を繰り返すということは「双方は、国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認した」「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国(筆者注:北朝鮮)側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した」(日朝平壌宣言)などに明らかに違反する「事実」を既に発生させていることになる。また北朝鮮が核開発を強行するということは「双方は、国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認した」「双方は、朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を遵守することを確認した」(同)などに明らかに違反する「事実」を既に発生させていることになる。さらに北朝鮮が「人工衛星のようなもの」を含めたミサイルを発射することがあるのならば「双方は、国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認した」「朝鮮民主主義人民共和国側は、この宣言の精神に従い、ミサイル発射のモラトリアムを2003年以降も更に延長していく意向を表明した」(同)などに明らかに違反する「事実」を新たに発生させることになるのである。
また言うまでもなく、北朝鮮が日本人拉致事件で不誠実な対応を繰り返し、核開発を強行し、ミサイルなどの問題をエスカレートさせ、しかも偽ドル製造、麻薬製造・密輸などの様々な非合法活動を続けるということは、日本だけではなく国際社会全体の北朝鮮に対する感情を悪化させる方向に様々な「認識」を変化させることになるのである。
そして北朝鮮の不誠実な対応によって生み出された様々な「事実」や「認識」は、「日朝平壌宣言」に非常に重大な影響をどの時点で与えたとしても全く不思議ではないということである。つまり、日本側が北朝鮮の不誠実な対応によって生み出された様々な「事実」を「日朝平壌宣言」に対する「重大な違反」と「認識」しさえすれば、日本側は「日朝平壌宣言」の破棄や凍結や無効などを宣言することは可能なのである。繰り返すが、「日朝平壌宣言」が破棄などされることになるのならば、国際社会の中で通用する日本が北朝鮮を「主権国家」と見なさざるを得ない「根拠」、すなわち国交正常化の前提となる「根拠」は何もなくなるのである。そして日本と北朝鮮の国交正常化ができなくなれば、「過去の清算」の意味をも併せ持つ国交正常化後の「経済協力」もあり得ないということである。
もちろん日本にとっても「過去の清算」ができないのは望ましいことではないが、「犯罪組織」と国交正常化して「経済協力」をしても「負の過去」を清算することは絶対にできないということをしっかりと確認しておく必要がある。日本の「負の過去」を清算するということは、「領域内の一人ひとりの人権を蹂躙する非人道的な独裁国家」や「犯罪組織」と「国交正常化」して「経済協力」をすることとは全く別物である。人権蹂躙を繰り返すいかなる組織に経済的支援を与えることも人権蹂躙に加担することになるはずである。「過去の清算」というものは「過去の清算」を行うという目的を間違いなく達成することができる適切な対象だけに行わなければならないのである。
もしも本当の意味で日本が「負の過去」を反省したのならば、核やミサイルなどの「武力による威嚇又は武力の行使」によって国際紛争を解決しようとする動きや一人ひとりの人間の生命を含む基本的人権をはじめとする様々な権利を侵害するような動きを容認することはできないはずである。もしも日本が「領域内の一人ひとりの人権を蹂躙する非人道的な独裁国家」や「犯罪組織」と「国交正常化」して「経済協力」をするようなことがあるとしたら、日本は21世紀になってからも「清算しなければならない負の歴史」を積み重ねる「軍国主義国家」あるいは「軍国主義を支持する国家」だったと歴史に記録されることになるだろう。日本は「過去の清算」を本気で考えるのならば、間違っても「犯罪組織」や「領域内の一人ひとりの人権を蹂躙する独裁国家」と「国交正常化」してはならないし、そのような「犯罪組織」や「領域内の一人ひとりの人権を蹂躙する独裁国家」にいかなる時期にいかなる形式であっても支援をしてはならないのである。
もちろん一人ひとりの人間の生命などを守るために必要不可欠な緊急の人道援助については国際的な枠組みを用いた適切な形で継続すべきであるということは言うまでもないことである。そしてたとえ北朝鮮がどんな許しがたいことをしたとしても、北朝鮮にいる多くの末端の一人ひとりの人たち、あるいは大多数の在日朝鮮人やその子どもたちには全く何の関係も全く何の責任もないということも絶対に忘れてはならないのである。どういうわけか北朝鮮との国交正常化を急ぐ私利私欲にとらわれた勘違いした一部の日本の政治家たち、あるいは、なぜか北朝鮮にいる末端の一人ひとりの実情が見えなくなってしまう一部の「同じ民族」の人たちがいたとしても、国際社会の多くの人たちは、北朝鮮による日本人拉致被害者や日本と様々な関連のある人たちを含めた北朝鮮にいるすべての一人ひとりの人たちのことを忘れないだろう。
韓国の金大中大統領(当時)が北朝鮮を訪問して金正日総書記と首脳会談(2000/6/13-15)を行ってからもうすぐ6年になる。そして小泉首相が最初に北朝鮮を訪問(2002/9/17)してからやがて4年になる。前回から新しく使用し始めた「(3)(人間を含む)ある物は常に変化する可能性がある」という「法則」は良い意味で北朝鮮にも適用することができるのだろうか。「法則」が北朝鮮に適用できるかどうかにかかわりなく、いつまでも繰り返される北朝鮮側の不誠実な対応を受けて日本と国際社会の北朝鮮を見る目は確実に変化している。韓国側の北朝鮮を見る目もいつまでも変化しないとは限らない。北朝鮮にはもうあまり多くの時間は残されていないのである。
ロシアには北方領土の領有を正当化できる国際法上の根拠は全くない
「ロシアとの間では北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を早期に締結するとの基本方針の下、様々な分野における協力を拡大いたします」(2006/1/20の小泉首相の施政方針演説から)
もうずいぶん前になってしまったが、日ロ首脳会談(2005/11/21)が行われた。この機会にロシアには北方領土(→国後島・択捉島・歯舞群島・色丹島)の領有を正当化できる国際法上の根拠は全くなく、またロシアが「不法占拠」している北方領土は過去に一度も日本以外の領土になったことはないという「歴史的事実」を改めて明確にしておく必要がある。さらにウルップ島以北の千島列島、サハリン(旧樺太)南部に対するロシアの領有権も国際法上は確立されていないということを改めて明確にしておく必要がある。
日ロ両国の国境が最初に定められた条約は、日露通好条約(1855年)である。両国の国境は千島列島ではウルップ島(以北はロシア領)と択捉島(以南は日本領)の間に定められたが、樺太(サハリン)では定められなかった。そして千島樺太交換条約(1875年)によって樺太全島をロシア領とする代わりにウルップ島以北(シュムシュ島まで)の千島列島が新たに日本領となったのである。さらに日露戦争の講和条約であるポーツマス講和条約(1905年)によって樺太南部が日本領となった。
第二次世界大戦終了間際に旧ソ連が対日参戦(1945/8/9)し、樺太、そして日本の無条件降伏(1945/8/14)後には北方領土を含む千島列島を占領した(同8/24-9/5)。旧ソ連への樺太南部の「返還」と千島列島の「引渡し」が密約されたヤルタ協定(1945年)は秘密協定であり、国際法上の根拠とはなり得ない。そしてそもそも連合国はカイロ宣言(1943年)で領土不拡大を宣言しているから旧ソ連の領土拡大が正当化されることもない。また日本が無条件降伏時に受諾したポツダム宣言(1945年)は千島列島には一切触れられていないし、日本が樺太南部と千島列島の権利、権原、請求権を一方的に放棄(第2条(C)。放棄後の帰属先は未定)したサンフランシスコ平和条約(1951年)にも旧ソ連は参加していないのである(→同条約第25条には、条約を署名・批准しない国に対していかなる権利、権原、または利益を与えるものではないなどと明記されている)。
さらに両国が国交正常化時に調印した日ソ共同宣言(1956年)は平和条約締結後の日本への歯舞群島・色丹島の引渡しを定めただけであり、領土問題を最終的に解決したものでも国境線を画定したものでもない。そして旧ソ連がロシアになった後には4島(→国後島・択捉島・歯舞群島・色丹島)の帰属などを「歴史的・法的事実に立脚し、両国の間で合意の上作成された諸文書及び法と正義の原則を基礎として解決することにより平和条約を早期に締結」するなどとした東京宣言(1993年)もある。あくまでも念のために言っておくが、どういうわけか一時期ごく一部から流布された「2島返還論」とか「2島先行返還論」、あるいは「ムネオ論」などという珍妙なものは全くの論外である。
過去の一時期の珍妙な主張の「後遺症」のために、北方領土問題についての筆者の記述だけではまだまだ説得力が弱いのかもしれない。そこで北方領土問題の正しい「要約」の具体例として、少し前に取り上げた宮沢喜一元首相の著書の記述、サンフランシスコ平和会議での吉田茂首相(当時)の演説もあえて引用しておくことにする。そして当時の旧ソ連の主張からは、他ならぬ旧ソ連自身が、北方領土はもちろん、ウルップ島以北の千島列島や樺太(サハリン)南部の領有を正当化できる国際法上の根拠が存在しないということを自覚していたことがよく分かるのである。最近の北方領土問題についてのロシア側の主張は明らかに「歴史的事実」に反するのである。日本もロシアも「歴史的事実」を決してうやむやにせずに正しく捉えなくてはならないのである。
「いわゆる北方領土問題についての(筆者注:サンフランシスコ)講和会議当時の様子をもう少し述べておきたい。(筆者注:米国代表の)ダレスが条約草案として当初、関係国に配布した『三月案』では、日本が『ソ連に対し南樺太及びその付属島嶼を返還し、及びソ連に対し千島列島を引き渡す』となっていたのに対し、わが国が異論を述べた結果、最終案は『ソ連に対し』を削除して、これらの地域についての『権利、権原を一方的に放棄する』と書き改めたことは前に述べた。グロムイコは、これを不満として『南樺太及び千島列島に対するソ連の主権を承認することを明記せよ』として修正案を提出したが、これは否決され、ソ連は結局退場して条約には署名せず、その状態が今日までつづいているわけである。ところで、講和会議の第二日目、九月五日に千島列島関係の領土の問題について、条約案の起案責任者であるダレスが逐条説明をしており、その会議記録が今日も私の手元にある。それを要約すると、第一に日本はポツダム宣言以外の、たとえばヤルタ協定のようなものには拘束されないこと。第二に千島列島といわれる領域に何が含まれるかについて争いが生じた時は、条約第二十二条によって国際司法裁判所に付議できること。第三に日本によって放棄される領土がどこに帰属すべきか、この条約会議では関係各国の一致をみるに至らなかったので、将来何らかの国際的な解決にゆだねるのが賢明な方法ではないか、ということ。以上がダレスの説明の主な点であった。前に述べたように、グロムイコは修正案を出して否決されたが、吉田首相全権は最終日に演説して、南樺太や千島列島を日本が侵略によって奪取したというグロムイコの主張は歴史に照らして誤っており、これらの地域は日本の降伏後の一九四五年九月二日、正当な権限なく上陸したソ連によって今日もなお占領されているのが事実であると、わが国の立場を明らかにした…(後略)」(宮澤喜一著、戦後政治の証言、読売新聞社、1991年、p65-66)
「千島列島および南樺太の地域は、日本が侵略によって奪取したものだとのソ連全権の主張は承服いたしかねます。日本開国の当時、千島南部の二島、択捉、国後両島が日本領であることについては、帝政ロシアもなんら異議を挿さまなかったのであります。ただ得撫(ウルップ)以北の北千島諸島と樺太南部は、当時日露両国人の混住の地でありました。1875年5月7日、日露両国政府は平和的な外交交渉を通じて樺太南部は露領とし、その代償として北千島諸島は、日本領とすることに話合をつけたのであります。名は代償でありますが、事実は樺太南部を譲渡して交渉の妥結を計ったのであります。その後樺太南部は、1905年9月5日ルーズヴェルト・アメリカ合衆国大統領の仲介によって結ばれたポーツマス平和条約で日本領となったのであります。千島列島および樺太南部は、日本降伏直後の1945年9月20日一方的にソ連領に収容されたのであります。また、日本の本土たる北海道の一部を構成する色丹島及び歯舞諸島も終戦当時たまたま日本兵営が存在したためにソ連軍に占領されたままであります」(1951/9/8のサンフランシスコ平和会議における吉田茂首相(当時)の演説から)
以上のようにロシアには「不法占拠」している北方領土の領有を正当化することができる国際法上の根拠は全く存在しないし、それどころか、ウルップ島以北の千島列島、サハリン(旧樺太)南部に対するロシアの領有権も国際法上は確立してはいないのである。そのような「歴史的事実」をしっかりと認識すれば、平和条約締結・国境線画定は日本だけではなくロシアにとっても非常に大きな利益があるということに気付くはずである。日本もロシアも将来のために共に「歴史的事実」をしっかりと見据えなければならないのである。
現在のロシアは旧ソ連のように指導部に「異変」があったときにはすべての放送局が当局の正式発表までクラシック音楽などを流し続けたり、あるいは軍用機が民間航空機を突然撃墜したりするような共産主義国家ではない。現在のロシアは日本などと同じ民主主義を追求しているのである。民主主義に必要不可欠な「言論の自由」などで様々な大きな後退が何度か繰り返し見られたとしても、それでもやはりロシアが民主主義を追求していることは変わらないのである。そして日本人とロシア人はかつてサハリン(旧樺太)で共存していた実績があるのである。あえてプラスの側面だけを強調すれば、日本とロシアはグローバリゼーションの時代になった今でも有効な共存のための様々なノウハウを自分たち自身の歴史の中から探し出すことができるかもしれないのである。いずれにしても日本とロシアはひとたび確固とした未来志向の新しい関係を構築することができたならば、その新しい関係を両国の過去の歴史に前例がないほど密接なものに発展させていくことも不可能ではないのである。
「歴史認識」などを押し付けることも「過去」に対して目を閉ざしている
くどいようだが、歴史を科学的に考えようとするのならば、どんなに少なくとも「歴史的事実」と「歴史認識」は区別しなければならないのである。そして歴史を科学的に考えようとするのならば、どんな立場の人たちの間であっても「歴史的事実」は完全に共有することはできるのである。さらに言えば、たとえどんなに異なる立場の人たちであったとしても、互いに相手と共存していくことを目的にしているのならば、「歴史認識」の「違う部分」だけではなく「同じ部分」にも注目するはずである。だが、どんなに努力したとしても、やはりどうしても「歴史認識」の微妙な違いは最後まで残ってしまうのかもしれないのである。
いわゆる「歴史認識」の問題では、中国や韓国などの人たちが科学的に「歴史的事実」の誤りを指摘したり、あるいは今まで知られていなかった「歴史的事実の詳細」を科学的に明らかにしたりすることについては筆者は大歓迎である。そういう「歴史的事実」ならば日本だけではなくどの国の人たちも中国や韓国などの人たちと共有することができるはずである。おそらくほとんどの日本人も筆者と同じような考えを持っていることだろう。しかし、「歴史的事実」と「歴史認識」を区別せずに一方的に「歴史認識」を押し付けるようなことは絶対に受け入れられないのである。
さらに言えば、将来の世代のことを考えるならば、「日本は『加害者』で中国・韓国などは『被害者』」などという「もっともらしい認識」についても少なくとも筆者は絶対に受け入れることはできないのである。中国・韓国などの子どもたちは「生まれながらの被害者」であり、日本の子どもたちは「生まれながらの加害者」であるなどという「身分制社会」のような「致命的に間違った歴史認識」は絶対に認めるわけにはいかないのである。そしてそのような「致命的に間違った歴史認識」を痕跡も残さないように完全に破壊するために必要な全てのことをするために歴史を科学的に考えていくというのが筆者の基本的な方針である。どうも21世紀になった今でも「歴史的事実」と「歴史認識」の違いも理解できない人間たちが日本の中にも外にも多く残されているようである。筆者に言わせれば、過去の日本の侵略という「歴史的事実」をなかなか認めようとしなかった人間たちも、そして「歴史的事実」と「歴史認識」の区別もせずに一方的な「歴史認識」を押し付けるような人間たちも、共に「過去」に対して目を閉ざしているのである。
「"Germany settled its past thoroughly to the extent that it yielded its own
territory. The country did not even make a special memorial for those who inflicted pain
on neighboring nations in the name of the state."」(韓国大統領府ホームページ(http://english.president.go.kr/)上(Home→Library→Press
Releases/Video Briefing for Foreign Media)の"At East Asia Summit, President Roh
Cites Germany as Model Case Recognizing Past Wrongs and Making Friends with Others Again
[December 14, 2005]"(最終アクセス:2006/2/21)から)
これはいったいどこの国の何のことを言っているのだろうか。思わず目を疑ってしまうような「あまりにもひどく間違った歴史認識」である。隣国への外交上の配慮からあえて日本語には訳さないでおくことにする。筆者は「韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は(筆者注:2005/12/14にマレーシアで開かれた東アジア)サミットで、全首脳を前に小泉首相の靖国参拝を強く批判した。『ドイツは一部領土をあきらめてまで歴史を徹底的に清算した。戦争で隣人に苦痛を与えた人たちの追悼施設など一切つくらなかった』…(後略)」(朝日新聞2005/12/15付朝刊記事)などという報道を受け、仮に報道が事実だとすると「歴史的事実」を歪曲した重大な「妄言」ではないかと考えて情報収集をしていたところ、韓国大統領府ホームページ上で「英文の問題発言」を発見したのである。
もしかするとどこかの「おとぎの国」では近隣諸国に苦痛を与えた責任のある人間たちをたたえるための特別な記念碑を建設したということなのだろうか。ちなみに国のために戦闘で命を落とした人たちに加え、いわゆる「A級戦犯」も合祀されている靖国神社は戦前からずっと存在する(→1869年に東京招魂社創建、1879年に靖国神社に改称)。そして靖国神社は敗戦までとは違って戦後は日本政府とは全く別の宗教法人になっている。もちろん靖国神社にある「博物館」も日本政府とは全く何の関係もない。いずれにしても韓国大統領の「頭の中」だけにあるらしい「おとぎの国」と日本とは全く別の国であるということである。
日本と韓国の間にも竹島(韓国名・独島)問題という領土問題が存在する。もちろん日本は日本国憲法に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」(第9条第1項)と定めている。だが、他国と全く同じように、国土などへの侵略は、国家の「自然権」としての自衛権(→参考:国際連合憲章第51条)に基づいて撃退することになる。さらに必要ならば、日米安全保障条約(→第1条、第5条)や国際連合による集団安全保障(→参考:国際連合憲章第39−43条etc.)という枠組みを利用して侵略を撃退することになる。あえてそういうことをしていない事例が存在するとしたらそれは隣国との特別な関係に最大限の配慮をしているからである。ちなみに国際連合憲章には「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない」(第2条3項)などと定められているし、「武力による威嚇又は武力の行使」による領土問題の解決を明確に否定する国連総会決議も積み重ねられている(→参考:「友好関係原則宣言」(国連総会(第25回)決議2625、1970年)、「侵略の定義に関する決議」(国連総会(第29回)決議3314、1974年))。
なおドイツはもちろん、ポーランドのような侵略の被害国でさえも、戦争終結後に一方的に「武力による威嚇又は武力の行使」によって領土を奪取したり、拡大したりすることはなかったし、ましてや「武力による威嚇又は武力の行使」によって奪取した領土を一方的に他国に諦めるように強要することもなかったというのが正しい「歴史的事実」のはずである。
一般社会と同じように国際社会の中でも、いくら「ある物」の「所有権」が自分にあると強く主張したとしても、他人から一方的に力によって「ある物」を奪い取るようなことは認められないのである。どんなに少なくとも奪い取ったものに対する「所有権」が間違いなく自分たちの側にあるということを国際社会の中で客観的な形で示すぐらいのことをしなければ、力には力で対抗するという「過去の危険な遺物」である「勢力均衡(バランス・オブ・パワー、balance
of power)」の状況が地球上のあちこちで次から次へと復活することになってしまう。21世紀の国際社会の中では「勢力均衡」を前提にした「バランサー」などを目指すような国家はそう遠くない将来に孤立してしまうということは本来ならば言うまでもないことである(→参考:2005/5/11号)。
さて、地球上の「どこかの国」では、隣国を「代表」すると思われる政治家が問題発言をすると、ほぼすべてのマスコミが「妄言」などと繰り返し繰り返し報道し、その国民も猛反発する。もしも韓国大統領が日本を誤解して「英文の問題発言」のように思っていたのだとしても、大多数の日本人も日本のマスコミも「妄言」などと大騒ぎすることはおそらくないだろう。だが、それでもやはり多くの日本人は、韓国大統領に根拠のない強い思い込みを完全に捨て去り、正しい「歴史的事実」に基づいた正しい「歴史認識」を持ってもらいたいと心から思うことだろう。ちなみに「妄言」などと大騒ぎしない理由は、大多数の日本人が間違いなく韓国も日本などと同じ民主主義国家だと考えているからだと筆者は思っている。そして大多数の日本人が全体としての韓国国民は賢明だと考えているからだと筆者は思っている。
たとえ民主主義にとって必要不可欠な「報道の自由」や「学問の自由」などを形骸化させようとする動きが「青瓦台」の内部を含めたごく一部から繰り返し出てきたとしても、それでも韓国はなんとか変わらずに民主主義国家のままでいるのである。それは韓国大統領の「英文の問題発言」が大統領府のホームページ上にそのまま掲載され続けていることを見ても明らかである(最終アクセス:2006/2/21)。ちなみに地球上の別の「どこかの国」の外相が「靖国参拝はナチスやヒトラーの墓を参拝するようなもの」などという「問題発言」をしたように記憶しているが、韓国の現状は、そんな「問題発言」などは最初から存在しなかったかのようになっている「どこかの国」の現状とは明らかに異なっている。
たとえごく一部で根拠のない強い思い込みに基づいた感情的な言動などが何度か繰り返されたとしても、やはり全体としての韓国国民は賢明である。そういうことはクローンES細胞研究捏造発覚の経緯やその後の全体的な韓国国民の反応を見れば明らかである(→参考:2005/12/23、2005/12/29、2006/1/10にソウル大が黄禹錫(ファン・ウソク)同大教授の研究結果は捏造などと発表)。「実事求是」(→「事実に即して真理・真実を探求すること」(広辞苑(第5版)))などということは、金大中前大統領のような古い世代だけではなく、若い世代も間違いなく理解しているという意味でも韓国国民は賢明なのである。
「温故知新(おんこちしん)」という「日本語」
「文化・芸術は、国の魅力を世界に伝えるだけでなく、多様な価値観を有する世界各国の間をつなぐ架け橋になると信じます。伝統文化ばかりでなく、映画やアニメ、ファッションなど我が国の文化・芸術は世界で高く評価され、多くの人々を魅了しています。新進気鋭の人たちによる創作活動を支援したり、子供たちに我が国の文化・芸術を体験させる活動を充実するとともに、『日本ブランド』を育成し国内外に広く発信してまいります」(2006/1/20の小泉首相の施政方針演説から)
あえて繰り返すが、日本には「戦後の歴史」だけではなく、「侵略などの負の歴史」もあるし、「はるか昔からの近隣諸国との共存・協力の歴史」もあるのである。日本には「映画やアニメ、ファッション」などの比較的新しい独自文化だけではなく、様々な伝統文化も同時に存在するのである。また少し注意して見れば、実は比較的新しい独自文化の中にも「日本の伝統文化を反映した部分」がかなりあるのである。そして日本の様々な伝統文化も、もともとは外国からの「輸入」が出発点であったとしても、日本という環境の中で日本人の手によって長い歳月の間に「新しく積み重ねられてきた部分」もかなりあるのである。ポップカルチャーなどのような比較的新しい独自文化の中にも古い部分があり、また「漢字」「民主主義」などのような「輸入」した伝統文化の中にも最初からあった「古い部分」だけではなく日本で積み重ねてきた「新しい部分」もあるのである。
「幕末の時代、吉田松陰は『志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず』、すなわち、志ある人はその実現のためには溝や谷に落ちて屍をさらしても構わないと常に覚悟している、という孔子の言葉で志を遂げるためにはいかなる困難をも厭わない心構えを説きました」(2006/1/20の小泉首相の施政方針演説から)。
「(前略)…孟子曰、昔齊景公田、招虞人以旌、不至、將殺之、志士不忘在溝壑、勇士不忘喪其元、孔子奚取焉、取非其招不往也、如不待其招而往、何哉…(後略)」(p227)「(前略)…孟子はこたえられた。『むかし、斉(せい)の景(けい)公が狩をされたとき、狩場(かりば)係りの役人を旌(はた)をふって招き呼んだが、いくら招いても来なかったので、景公は怒ってこのものを殺そうとされた。孔子はこれをきき、その役人をほめて『志士は道のためなら、殺されて屍(しかばね)を溝(みぞ)や谷間に棄てられるくらいのことは、常に覚悟しているし、勇士は義のためなら、いつ首をとられても、些(いささ)かも恐れぬものである。[この役人もやはりこの志士や勇士となんら変りはない]』といわれたとのこと。孔子はいったい、なぜこんなにその役人をほめられたのであろう。それは、その招き方が間違っておれば、たとえ命をおとすとも往(ゆ)かぬというのをほめられたのに違いない。狩場の役人でさえそうであるのに、今もし私が諸侯から招かれもしないのに、こちらからのこのこ出向くとは、いったい何事であるか…(後略)」(p229-230。以上、「趙氏注 孟子 巻第六 滕文公章句 下」、小林勝人訳注、孟子(上)、岩波文庫(青204-1)、1968年から)
もちろん筆者は歴史学や漢文などの専門家でも何でもないから、吉田松陰が「志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず」という言葉を用いていたことは小泉首相の施政方針演説を聞くまで知らなかったし、また吉田松陰が「孟子」を読んで孔子の言葉を知ったのかどうかなどということも全く知らない。なぜかたまたま「孟子」にそういう部分を見つけたという程度の話に過ぎないのである。
「子日、志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁…(中略)…先生がいわれた、『志しのある人や仁の人は、命惜しさに仁徳を害するようなことはしない。時には命をすてても仁徳を成しとげる。』」(p308-309、「論語 巻第八 衛霊公第十五」、金谷治訳注、論語、岩波文庫(青202-1)、1963年から)
ちなみに孔子の言行などを集めた「論語」の中に同じ「志士」の話を探せば上記のような部分がある。そして繰り返し筆者があえて「日本語」であると主張している「温故知新(おんこちしん)」(→「昔の物事を研究し吟味して、そこから新しい知識や見解を得ること」(広辞苑(第5版)から))ももちろん「論語」の中にある。
「子曰、温故而知新、可以為師矣…(中略)…先生がいわれた、『古いことに習熟してさらに新しいこともわきまえてゆくなら、人の師となれる。』」(p40-41、「論語 巻第一 為政第二」、同から)
孔子の言葉を「出発点」とする「温故知新(おんこちしん)」は長い年月を経て日本と日本人にすっかり溶け込んで「日本語」になったのである。そして日本人は、幼い頃に「温故知新(おんこちしん)」という言葉を覚えても覚えなくても、ごく自然な形で「古くからあるもの」の上に「新しいもの」を積み重ねてきたのである。
中国や韓国などの人たちが日本や日本人を批判したとしても、あるいは日本や日本人を見直したとしても、それは少なくとも民主主義国家の日本では完全に自由である。しかし、やはり日本や日本人もそれぞれの国やそれぞれの国の人たちと「同じ部分」と「違う部分」の両方を持っているということだけは忘れないでもらいたいものである。どんなに少なくとも日本をもっと正確に知ろうとしてもらいたいと筆者は心から思っている。「温故知新(おんこちしん)」を「出発点」にして日本と中国の「同じ部分」と「違う部分」の話をしようとしたら「中国語を勉強しているのか」などでお終いにされてがっかりしてしまった経験が何度かある。くどいようだが、ここでもう一度「温故知新(おんこちしん)」は「日本語」であるとあえて主張しておくことにする。
「漢字」は、もともとは同一文字だったものでも長い年月の間にそれぞれの国で独自の形に変化しているし、「漢字を使用する文化」もそれぞれの国に定着して発展していく中で独自の形に変化しているのである。ルーツが同じ「漢字」や「漢字を使用する文化」などの「違う部分」の中にある意味でそれぞれの国の独自の歴史が「要約」されていると考えることもできるのである。ルーツが同じ文化要素を多く共有する日本や中国や韓国などは、それぞれの「違う部分」を正しく「比較」するだけでもそれぞれにとって様々な有用な情報を得ることが現在でもできるはずである。そして民主主義国家である日本や韓国などは、ルーツが同じ文化要素に加え、さらに民主主義制度などでも「違う部分」を正しく「比較」して互いに有用な情報を得ることができるはずである。
もう永田町周辺の不祥事関連のことはほとんど気にならなくなってきた。ここまで来れば、不測のことがない限り、やがて八方ふさがりの「心の問題」もおそらく見えてくるのだろう。筆者としては「難攻不落」の「心の問題」であっても科学的に考えて解決の糸口を見出していくつもりである。
<< 続く (→第4回(2006/4/17)) >>
○正しい「要約」と正しい「比較」のススメ -第1回- (2006/2/1)
○正しい「要約」と正しい「比較」のススメ -第2回- (2006/2/8)
○正しい「要約」と正しい「比較」のススメ -第3回- (2006/2/21)
○「心の問題」特集・正しい「要約」と正しい「比較」のススメ -第4回- (2006/4/17)
○「安全保障」特集・正しい「要約」と正しい「比較」のススメ -第5回- (2006/5/12)
○「文化」特集・正しい「要約」と正しい「比較」のススメ -第6回- (2006/8/22)
○正しい「要約」と正しい「比較」のススメ -第7回- (2006/10/2)
○正しい「要約」と正しい「比較」のススメ -特別号- (2006/11/30)
○正しい「要約」と正しい「比較」のススメ -ゆく年くる年特集号- (2006/12/28)
○サッカーW杯特集号・「文化」としてのスポーツ(2006/6/10)
○事実はテレビや新聞よりも奇なり -「小泉新党」から政局が見えてくる- (2005/10/18)
事実はテレビや新聞よりも奇なり(2005/10/18) (2/8) 「ルール」はかなり以前から変わっていた
事実はテレビや新聞よりも奇なり(2005/10/18) (3/8) 「マニフェスト(政権公約)選挙」
事実はテレビや新聞よりも奇なり(2005/10/18) (4/8) 「壁」を破った自民と「壁」が迫ってきた民主
事実はテレビや新聞よりも奇なり(2005/10/18) (5/8) 「あと1年」のために必要なこと
事実はテレビや新聞よりも奇なり(2005/10/18) (6/8) 「小泉新党」から今後の政局が見えてくる
事実はテレビや新聞よりも奇なり(2005/10/18) (7/8) 「こんにちは前原誠司」で良かったのか
事実はテレビや新聞よりも奇なり(2005/10/18) (8/8) 「自動安定化装置」としての「大連立」構想
○この選挙はどのような意味を持つことになるのか(2005/8/26)
○日本は「民主主義立国」になることができるのか(2005/6/27)
○「カルトからの自由」の実現に必要不可欠な挙証責任(2005/2/9)
(参考)前回からの動き(2004/12/25-2005/2/9)
○複数の視点は「連鎖」の理解にも必要不可欠(2004/12/25)
(参考)主な動き(2004/9/21-2004/12/24)
○現実政治の問題解決に必要不可欠な複数の視点(2004/9/21)
○永田町も国際社会も相変わらず「異常なし」(2004/6/22)
○正しい判断のために必要な最低限の能力や知識とは何か(2004/3/23)
○「今という時代の本質」を探し求める共同作業(2004/1/5) (補足(2004/1/12))
○「今という時代の本質」を探し求める共同作業(2004/1/5)
(参考) 2003年後半の海外の動き
▽参考:日本の政治。
編集・発行:http://www.jchiba.net/、筆者:千葉 潤、ご意見など:jchiba@tokyo.email.ne.jp
当ホームページについてのご意見、ご感想、反論などは、jchiba@tokyo.email.ne.jp まで電子メールをお送りください。なお当ホームページに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての著作権はJCATSニュースに帰属します。
Copyright1997-2006 Jcats-news. No reproduction or republication without written permission..