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 「『文化』としてのスポーツ」

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「『文化』としてのスポーツ」

(サッカーW杯特集号) 「文化」としてのスポーツ(2006/6/10)

 サッカーワールドカップ(W杯)ドイツ大会が開幕した(2006/6/9)。以前(→2005/2/9号2005/8/26号etc.)にも触れたが、「文化」を「人類の生きるための工夫」などと幅広く捉えるならば、スポーツも「文化」ということになる。
 
 「文化としてのスポーツ」は、正しく使うならば、例えば、宗教のように自分の心を磨くための「道具」にもなるし、自分の心の中を言葉よりも上手く表現するための「道具」にもなる。さらに「文化としてのスポーツ」は、世代や国境を比較的簡単に越えることができるから、様々な人たちの間をつなぐ人類共通の「道具」としても使うことができる。
 
 スター選手たちのほぼすべてのプレーを夢中になって見ている子どもたちは、そのスポーツの「現在」を実に詳しく知っているかもしれない。そして子どもたちの歳の離れた兄や姉くらいの世代の「大人」たちならば、そのスポーツの「現在」のことでは今の子どもたちに負けるかもしれないが、若いスター選手の子どもの頃のことやベテラン選手の過去の素晴らしいプレーをよく知っていたとしても特に不思議なことではないだろう。また子どもたちの親の世代の「大人」たちならば、自分たちと「同世代」の監督や解説者の現役時代のプレーや子どもの頃のことをよく知っているかもしれないし、さらに子どもたちの祖父や祖母以上の年配の世代ならば、伝説の名選手の現役時代のプレーを実際に自分の目で見てよく知っているかもしれないのである。
 
 今、父親や母親、祖父や祖母らと一緒に様々な形でそのスポーツを楽しんでいる子どもたちがやがて大人になったときには、もしかするとそのスポーツの世界で選手として活躍するようになっているのかもしれない。あるいは自分たちの子どもたちに自分自身の子どもの頃の思い出を語りながらそのスポーツを一緒に楽しむようになっているのかもしれない。長い時間をかけてそういう段階にまで到達すれば、そのスポーツはその国に定着したその国特有の「文化」と考えることもできるようになるのである。
 
 今の子どもたちにとっては意外なことかもしれないが、実は日本でこれほど幅広い多くの人たちがサッカーに興味を持つようになったのはそれほど昔のことではないのである。日本ではほんの10年ぐらい前までは野球の人気が圧倒的に高かった時代が長く続いていたのである。そういう意味では「文化としてのサッカー」と「文化としての野球」の間にはまだまだ大きな差が残っているということになる。そして筆者は「文化としての日本のサッカー」にとっても今回のサッカーワールドカップ(W杯)ドイツ大会が大きな飛躍のチャンスになると考えている。
 
 本来ならば、野球の王貞治監督のような監督、つまり日本のサッカーで育って日本のサッカーの発展の「文脈」もよく理解している世界的な名選手が引退後にサッカー日本代表の監督を務めるような状況が実現するのは、すべてが完全に上手く行った場合でも少なくとも20-30年後になるはずである。日本代表のジーコ(Zico)監督は、世界的に実績が認められているブラジルの名選手であっただけではなく、日本でも選手としてプレーした経験がある(→1991-94年、鹿島アントラーズ(前身の住友金属を含む))。ジーコ監督は日本のサッカーを良く理解しているのである。サッカー日本代表は、日本のサッカーの発展に多大な貢献をしたブラジルという国の出身であり、しかも日本のサッカーを良く理解している監督の指揮の下、同様に日本のサッカーの発展に多大な貢献をした国であり、しかも世界の中で最も地道な努力の積み重ねを高く評価する価値観を持った人たちの多い国の一つでもあるドイツという国で、飛躍のチャンスを迎えることができたわけである。そういう意味でもサッカー日本代表にとってワールドカップは最高の舞台になっているのである。
 
 「武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である。それは古代の徳が乾(ひ)からびた標本となって、我が国の歴史の○葉(さくよう)集中に保存せられているのではない。それは今なお我々の間における力と美との活(い)ける対象である。それはなんら手に触れうべき形態を取らないけれども、それにかかわらず道徳的雰囲気を香らせ、我々をして今なおその力強き支配のもとにあるを自覚せしめる。それを生みかつ育てた社会状態は消え失せて既に久しい。しかし昔あって今はあらざる遠き星がなお我々の上にその光を投げているように、封建制度の子たる武士道の光はその母たる制度の死にし後にも生き残って、今なお我々の道徳の道を照らしている…(後略)」(武士道、p25(第1章))
 「CHIVALRY is a flower no less indigenous to the soil of Japan than its emblem, the cherry blossom; nor is it a dried-up specimen of an antique virtue preserved in the herbarium of our history. It is still a living object of power and beauty among us; and if it assumes no tangible shape or form, it not the less scents the moral atmosphere, and makes us aware that we are still under its potent spell. The conditions of society which brought it forth and nourished it have long disappeared; but as those far-off stars which once were and are not, still continue to shed their rays upon us, so the light of chivalry, which was a child of feudalism, still illuminates our moral path, surviving its mother institution.」(CHAPTER 1(p21))
 
 「武士道は上述のごとく道徳的原理の掟であって、武士が守るべきことを要求されたるもの、もしくは教えられたるものである。それは成文法ではない。精々、口伝(くでん)により、もしくは数人の有名なる武士もしくは学者の筆によって伝えられたる僅(わず)かの格言があるに過ぎない。むしろそれは語られず書かれざる掟、心の肉碑に録されたる律法たることが多い。不言不文であるだけ、実行によって一層力強き効力を認められているのである。それは、いかに有能なりといえども一人の人の頭脳の創造ではなく、またいかに著名なりといえども一人の人物の生涯に基礎するものではなく、数十年数百年にわたる武士の生活の有機的発達である。道徳史上における武士道の地位は、おそらく政治史上におけるイギリス憲法の地位と同じであろう。しかも武士道には、大憲章(マグナ・カルタ)もしくは人身逮捕令(筆者注:人身保護法)に比較すべきものさえないのである…(後略)」(武士道、p27-28(第1章))
 「Bushido, then, is the code of moral principles which the knights were required or instructed to observe. It is not a written code; at best it consists of a few maxims handed down from mouth to mouth or coming from the pen of some well-known warrior or savant. More frequently it is a code unuttered and unwritten, possessing all the more the powerful sanction of veritable deed, and of a law written on the fleshly tablets of the heart. It was founded not on the creation of one brain, however able, or on the life of a single personage, however renowned. It was an organic growth of decades and centuries of military career. It, perhaps, fills the same position in the history of ethics that the English Constitution does in political history; yet it has had nothing to compare with the Magna Charta or the Habeas Corpus Act.」(CHAPTER 1(p24))
 
 「(前略)…上杉謙信は十四年の間、武田信玄と戦ったが、信玄の死を聞くや『敵の中の最も善き者』の失せしことを慟哭(どうこく)した。謙信の信玄に対する態度には終始高貴なる模範が示された。信玄の国は海を距(へだた)ること遠き山国であって、塩の供給をば東海道の北条氏に仰いだ。北条氏は信玄と公然戦闘を交えていたのではないが、彼を弱める目的をもってこの必需品の交易を禁じた。謙信は信玄の窮状を聞き、書を寄せて曰く、聞く北条氏、公を困(くるし)むるに塩をもってすと、これ極めて卑劣なる行為なり、我の公と争うところは、弓箭(ゆみや)にありて米塩にあらず、今より以後塩を我が国に取れ、多寡(たか)ただ命(めい)のままなり、と。これはかの『ローマ人は金をもって戦わず、鉄をもって戦う』と言いしカミラスの言に比してなお余りがある。ニイチェが『汝の敵を誇りとすべし、しからば敵の成功はまた汝の成功なり』と言えるは、よく武士の心情を語れるものである。実に勇と名誉とは等しく、平時において友たるに値する者のみを、戦時における敵としてもつべきことを要求する。勇がこの高さに達した時、それは仁に近づく」(武士道、p47-48(第4章))
 「Kenshin, who fought for fourteen years with Shingen, when he heard of the latter's death, wept aloud at the loss of "the best of enemies." It was this same Kenshin who had set a noble example for all time in his treatment of Shingen, whose provinces lay in a mountainous region quite away from the sea, and who had consequently depended upon the Hojo provinces of the Tokaido for salt. The Hojo prince wishing to weaken him, although not openly at war with him, had cut off from Shingen all traffic in this important article. Kenshin, hearing of his enemy's dilemma and able to obtain his salt from the coast of his own dominions, wrote Shingen that in his opinion the Hojo lord had committed a very mean act, and that although he (Kenshin) was at war with him (Shingen) he had ordered his subjects to furnish him with plenty of salt − adding, "I do not fight with salt, but with the sword, "affording more than a parallel to the words of Camillus, "We Romans do not fight with gold, but with iron." Nietzsche spoke for the Samurai heart when he wrote, "You are to be proud of your enemy; then the success of your enemy is your success also." Indeed, valour and honour alike required that we should own as enemies in war only such as prove worthy of being friends in peace. When valour attains this height, it becomes akin to Benevolence.」(CHAPTER 4(p47-48))
 
(以上、武士道、新渡戸稲造著、矢内原忠雄訳、岩波文庫(青118-1)、1938年(改版1974年)(原著:BUSHIDO, THE SOUL OF JAPAN, Inazo Nitobe, 1899(増訂1905年)。例えば、IBC Publishing, 2003, ISBN 4-925080-37-7など)から)
 
 サッカー日本代表を応援する「SAMURAI BLUE 2006」から「武士道」を連想する人たちも少なくはないだろう。新渡戸稲造が「武士道」を書いた時代と現在とでは時代が全く違う。そして何よりも「武士道」のようなものを言葉だけで表現したり理解したりすることはなかなか難しいから、もしかすると今の日本の子どもたちは引用した文章を読んでもあまりピンとこないかもしれない。だが、そんな日本の子どもたちでも、もしかするとサッカー日本代表のプレーを見ているうちに「武士道」に書かれたことの中に理解できることがどんどん増えていくのかもしれない。
 
 自分たちの今までの努力も自分たちのそのスポーツに対する思いなども、試合の中では基本的には「結果」でしか示すことができないのである。もちろん「結果」が出なければ今までの努力などがすべて否定されるわけではないし、逆に良い「結果」が出さえすればそれだけで他のこともすべて良くなるというわけでもないということは言うまでもないことである。
 
 本当の意味での勝者になるためには、自分たちもそして敵の選手たちも共に試合の中で全力を出し切らなければならないのである。もちろん応援する側も、本当の勝利を味わいたいのならば、味方の選手も敵の選手も共に全力を出し切ることを心から望まなければならないのである。選手たちも、応援する側も、本気になるからこそ負ければ言葉にできないくらい悔しい気持ちになるし、勝てばどんなに喜んでも足りないくらいうれしい気持ちになるのだろう。そして一度でも本物の勝利を経験するとその快感を忘れることができなくなってしまうのかもしれない。スポーツの世界には、永田町周辺を含めた政治の世界はもちろん、ビジネスの世界などでも絶対に経験することができない種類の「最高の快感」が存在するのかもしれないのである。
 
 誰の目にもハッキリと分かる形で自分の方が相手よりも強いということを示したいというような感情はあらゆるスポーツに共通するごく自然な感情ではないかと筆者は思っている。あくまでも念のために言っておくが、誰の目にも明らかな形で自分の方が相手よりも強いということを示すためには、まず自分自身も相手も共に試合の中で本気になって全力を出し切らなければならないのである。
 
 「(前略)…十五歳にして成年に達し、行動の自由を許さるる時に至れば、いかなる業にも用うるに足る鋭利なる刀の所有を誇りうる。この兇器の所有そのものが、彼に自尊ならびに責任の感情と態度を賦与する。『刀は伊達にささぬ』。彼が帯に佩(お)ぶるものは心に佩ぶるもの−忠義と名誉の象徴である…(後略)」(武士道、p111(第13章))
 「When he reaches man's estate, at the age of fifteen, being given independence of action, he can now pride himself upon the possession of arms sharp enough for any work. The very possession of the dangerous instrument imparts to him a feeling and an air of self-respect and responsibility. "He beareth not the sword in vain." What he carries in his belt is a symbol of what he carries in his mind and heart,−loyalty and honour.」(CHAPTER 13(p128))
 
 日本代表に限らず、そしてサッカーに限らず、「代表」のユニフォームを着て、「代表」として試合をする選手たちには、これまでの競争や試合の中で打ち負かしてきた多くの敵からも尊敬されて「代表」と認められるプレーをしなければならないという意味での「責任」もあるはずである。
 
 あるスポーツで敵からも尊敬されるようなプレーが繰り返されるたびにそのスポーツは本当の意味での人類共通の「文化」に向けて一歩ずつ近づいていくはずだと筆者は考えている。今回のサッカーワールドカップ(W杯)ドイツ大会は「文化としての日本のサッカー」にとっても非常に大きな飛躍のチャンスになると筆者は考えている。


「温故知新」という「基本戦略」(2006/2/8)
 
 自分がやりたいスポーツや楽しみたいスポーツを「学校選び」の基準として重視する人たちもいるのだろう。スポーツでもそれぞれの学校には伝統がある場合が多いのである。スポーツにも校風のようなそれぞれの独自のスタイル(style)があることも多いのである。もちろんスポーツを重視して自分が行きたい学校を選択することも「正解」である。
 
 「(筆者注:2001年)三月三日、監督として初めて東伏見のグラウンドで選手たちの練習を見た。初日は体力測定をした。三〇〇〇メートル走、五〇メートル走、ベンチプレスやスクワットの測定だ。そして、そのレベルの低さに愕然とした。身体は小さく、足は遅く、筋力はない。また、プレーの基本ドリルをさせればパスはこぼすし、コンタクトプレーも未熟だった。言葉も出なかった…(中略)…しかし、大学生全体のレベルが落ちているかというと、そういうわけでもない。ほかの大学では足の速い選手をたくさん見かける。つまり、早稲田の学生たちのレベルだけが低くなったということなのだ。もちろんこの数字だけで判断したわけではないが、すべてのレベルで劣っている。持久力はある者もスピードがない。継続プレーで球を出せる者も相手を殺していない。バランスがひどく悪いのである…(中略)…また、古くから早稲田ラグビー部には、先輩が後輩に教えるというすばらしい伝統があった。早稲田的常識というようなものだが、そういった意識も低くなっている。戦い方も、かつては現在のサントリーの戦い方に近いもので、攻撃のスタイルがほぼ決まっていた。選手はその枠のなかで最大限のパフォーマンスを出せばいいので、結果を生むことができた。ところが、一目見るかぎりでは、そういう要素もまったく影をひそめてしまっている。よい伝統はすべて姿を消してしまったということか……。チームの状態が下り坂のなかで、よいものがどんどん姿を消してしまったのだろうか」(p59-62)、「それほど時を待たずに、これが早稲田ラグビーだというものがはっきり見えるプレーを展開できると思っている。オリジナリティ、つまり独自性というのは、いわば、ジャージを隠して試合をしても早稲田だとわかるようなプレースタイルを身につけるということである。理想的なオリジナリティを持つことは、チームの目標でもある。最近ボールの動き方が、ようやくかつての早稲田に近づきつつあると言われる。対戦相手がそれを意識して対応してくれば、すでにそれだけでゲームにアドバンテージが生まれる。相手が身構え、次の動きを予測し、早稲田がやってくることに対応しようとすれば、すでにその時点で相手を一歩リードしていることになる…(後略)」(p242-243)、「弱いチームを強いチームに仕立て上げていくためには、精神的な部分、頭のなかを変えることが第一歩だと思う。頭を切り替えなければ、何も始まらない。今までのラグビーについての知識、常識から離れ、あるいは生活面でもまったく白紙でラグビーと対面させる必要がある…(中略)…強いチームは、前年の経験を継承していけるのである。そして、それこそが誇るべき歴史であり、伝統なのである。大切なことは、そうした経験を途切れさせないことである…(後略)」(p256-257)、「二〇〇二年の目標は、もちろん大学日本一であった。チームが突然強くなるということはありえない。ひとつずつステップアップしていくのだが、そういう意味では二〇〇二年は二〇〇一年よりも高い位置からスタートした。どんな相手にも徹底的に勝つ、しかもわずかな隙も見せずに大差で圧勝できる−そんなチームを目指した。その意味をこめて、二〇〇二年のチームスローガンはアルティメット・クラッシュ(ULTIMATE CRUSH)とした。相手を徹底的につぶし、早稲田が通った後はペンペン草も生えないというほど完全な勝利を狙っていくという意味を込めた。このチームスローガンは、三月のイギリス遠征時に考えられたものだ。早稲田大学ラグビー部OBで、オックスフォード大学を卒業した(筆者注:2003年11月にイラクで殺害された・故)奥克彦(大使)氏をアドバイザーとして招き、私から日本語でのイメージを伝え、それに合った英語を考えてもらったのだ。しかし、なかなかしっくりする言葉が見つからない。一〇個くらい出してもらって、やっと『これだ』という言葉にぶつかったのだ。しかし、そのためにはむしろ、小さなプレーひとつひとつにこだわっていく姿勢が大切になるのだ…(後略)」(p260-261。以上、清宮克幸著、最強の早稲田ラグビー −世界を狙う「荒ぶる」魂、講談社+α文庫、2004年)
 
 2年連続ラグビー大学日本一を達成(2006/1/8)した早稲田大学の清宮克幸監督の著書からの引用である。「温故知新(おんこちしん)」という「基本戦略」はスポーツの世界でも有効であるということを示す一つの実例としてあえて取り上げた。
 
 今年は、「トリノ冬季五輪(2006/2/10から開幕)」、「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC。米国、キューバ、日本、韓国、中国などが参加する初の国際野球大会。2006/3/3から開幕)」、ドイツで行われる「サッカー・ワールドカップ(W杯、2006/6/9から開幕)」などと大きなスポーツイベントが多い一年である。筆者は「独自のスタイル」を確立したり、「独自のスタイル」の上にどれだけ多くのものを新しく積み重ねたりしていくことができるかが日本チームや選手たちの活躍を左右する一つのポイントになるのではないかとひそかに考えている。圧倒的に不利な状況に追い込まれたとしても、いつでも立ち戻ることができる原点としての「独自のスタイル」があれば不利な流れを変えることも不可能ではないだろうし、圧倒的に有利な状況であっても、常に意識する原点があれば大きくペースを乱して逆転されるようなこともないだろう。それぞれの選手たちもチームも「独自のスタイル」を持っているかどうかで大きく変わってくるのではないかと筆者は考えている。
 
 事実上の「名誉監督」になっている長嶋茂雄名誉監督も応援する中、王貞治監督の指揮の下、イチロー選手、松坂大輔投手らが出場する野球では、世界の中で日本の伝統に基づいた「独自のスタイル」を認識したり確立したりする貴重な機会になるのかどうかということにも注目している。
 
 また日本サッカー協会が全面的にバックアップする中、日本のサッカーをよく知っているジーコ監督の指揮の下、W杯ドイツ大会の日本戦の試合開始前に国旗を持って選手を先導する中学生の「フラッグベアラー」を公募するアイディアを出したという中田英寿選手(http://nakata.net/jp/)らが出場するサッカーでも、そろそろ「日本独自のスタイル(style)」を確立することができるかどうかということが日本チームのさらなる飛躍を左右する重要なポイントの一つになると考えて注目している。
 
 ちなみにわざわざスポーツの話題を取り上げたにもかかわらず、なぜか名前を挙げた選手が極端に少ないような印象を持った読者もいるかもしれないが、それは次から次に有名選手の名前が出てくるどこかの国の総理大臣の演説のようになるのを避けただけの話であって他意はない(以上、2006/2/8号から)。


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