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 最近の日本の政治情勢について(2005/10/18更新)

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 政治の究極目標は「将来の世代を含めた一人ひとりの生命などを守ること」であると考えています。そしてその目的を達成するためには「ミクロ」「マクロ」、「過去」「未来」、「メリット(プラス)」「デメリット(マイナス)」などという複数の視点によって目の前の深刻な問題を相対化することが必要だと考えています。

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事実はテレビや新聞よりも奇なり -「小泉新党」から政局が見えてくる- (2005/10/18)

  
▽事実はテレビや新聞よりも奇なり(2005/10/18) (8/8) 「自動安定化装置」としての「大連立」構想

<「自動安定化装置」としての「大連立」構想>
 
 自民党が「公募・予備選制度」を導入する可能性も、民主党に「対案提出・改革競争路線」が定着する可能性も共に高いことから、日本の民主主義をレベルアップするための「自動安定化装置」についても触れておくことにする。日本の民主主義をレベルアップするための「自動安定化装置」とは、自民党と民主党の「大連立」構想である。もちろん自民党が「公募・予備選制度」を導入し、民主党にも「対案提出・改革競争路線」が定着するということが前提になっている。つまり自民党と民主党は激しく改革競争を繰り広げるが、単独過半数を得られない場合であっても反改革勢力とだけは絶対に組まず、場合によっては「大連立」をしてでも改革路線の堅持では一致協力するということである。
 
 もしも選挙で「改革に賛成か反対か」ということを最大の争点にして自民党も民主党も単独過半数を確保できない場合には、両党が「大連立」して過半数を確保できるのならば、一部の国民の支持しか得ていない「キャスティングボート」を握ろうとする小政党に「改革に賛成」という国民の意思をねじまげられる危険性は非常に少なくなる。逆にもしも選挙で自民党か民主党のどちらかが単独過半数を確保できる場合には、国民は「改革に賛成か反対か」だけではなく、改革の中身と「政権交代に賛成か反対か」も選ぶことができるようになるのである。
 
 多くの国民にとっては、国民に甘いことばかりを訴えて支持を拡大しようとする「デマゴーク」や「ポピュリスト」、特に「現在の世代」にとっては間違いなく利益になることであっても「将来の世代」にあまりにも大きな負担を押し付ける無責任な勢力を排除するための高くて厚い「防波堤」になるはずである。もしかしたら「大連立」構想は自民党と民主党以外の政党にとってデメリットしかないように見えるかもしれないが、必ずしもそんなことにはならないのである。自民党と民主党との三つ巴の戦いを演じてでも絶対に勝とうというような自分たちの政策に対する強いこだわりと十分な能力を併せ持った勢力だけがこの高くて厚い「壁」を乗り越えられるのならば、「壁」を乗り越えた「本物」の政党は偽物の政党に埋没する危険性が低くなるのである。このように「大連立」構想には多くの国民にとっても新党を含む「本物」の政党にとっても大きなメリットがあるのである。
 
 実際に改革を進めていく場合に、自分たちの支持者の中の改革に非常に強く反対する人たちのことをあまり気にしなくても済むような状況をほんの少し努力するだけで作り出すことができるということに小泉首相と「ポスト小泉」、そして前原民主党代表が気づいているかどうかということが今後の注目点の一つになる。今の日本の政治状況においては、そういう「大きな基本的な構図」を作り出すことも不可能ではないのである。
 
 ここまで非常に長々と書いてきたが、多くの読者は「事実はテレビや新聞よりも奇なり」ということに十分な説得力を感じてくれているだろうか。今回の総選挙に限らず、多くの人たちは「自分なりの確実な方法」を用いてそれぞれの「正解」を出しているのだろう。だが、その多くの人たちが用いている「自分なりの確実な方法」はどんな場合でも自分にとって正しい答えを導き出すとは限らないのである。賢明な有権者が「自分なりの確実な方法」によって自分にとって本当に正しい選択をしたのかどうかを自分自身で検証することができる「道具」を提供することも政治ジャーナリズムの一つの重要な責任であると筆者は考えている。そして多くの賢明な有権者が導き出した「正解」が少なくとも今後も「正解」であり続けることを保証しようとする責任があるはずだと筆者は考えている。
 
 ちなみにこの文章の中の本論とはあまり関係ない部分で全く無関係なことを何度も「連想」してしまった読者は「テレビ」などからもう少しだけ距離を置いた方がいいのかもしれない。
 
 最後に筆者が約10年前と約5年前に「日本の政治をあきらめるのはまだ早い」と感じた印象的な出来事を披露しておくことにする。1つ目は、橋本龍太郎元首相と小泉首相の争いになった1995年9月の自民党総裁選で街頭演説などが実施され、自民党が再び国民全体を意識し始めたことである。2つ目は、1996年3月に政府の住専処理策に反対して「座り込み」戦術を採用して結局は失敗した旧新進党も、それまでの野党では考えられないような「対案らしい対案」を提出したということである。そして3つ目は、2000年11月の「加藤の乱(加藤政局)」(→参考:2002/3/31号etc.)で政治センスというものが全くなかった加藤紘一代議士と山崎拓代議士が挫折した直後、記名投票を終えたばかりの小泉首相が衆議院本会議場の階段の手すりをドンとたたいて降りていったことである。もしかしたらあの日あの時あの場所で気づいていた人間だけが本当の意味を理解することができるのかもしれない。いずれにしても筆者もまた他人とは全く違った「自分なりの確実な方法」を用いて「正解」を出していたのかもしれないのである。


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