政治の究極目標は「将来の世代を含めた一人ひとりの生命などを守ること」であると考えています。そしてその目的を達成するためには「ミクロ」「マクロ」、「過去」「未来」、「メリット(プラス)」「デメリット(マイナス)」などという複数の視点によって目の前の深刻な問題を相対化することが必要だと考えています。
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購読料について(2006年版) (2006/9/23更新)
▽事実はテレビや新聞よりも奇なり(2005/10/18) (3/8) 「マニフェスト(政権公約)選挙」
<上下左右どこから見ても「マニフェスト(政権公約)選挙」>
いよいよ次は<2>たとえ「ルール」は大きく変わっても、「政治家(議員)」「公約」「政党」とは何か、などという民主主義の根幹部分は全く変わらないということが改めて確認された、ということを「過去から現在までの時間軸」と「ミクロからマクロへ」という2つの「座標軸」を使って可能な限り「科学的」に説明していくことにしたい。だが、今回の総選挙が「マニフェスト(政権公約)選挙」だったということにまだ完全には納得することができずにいる読者も残っているかもしれない。まずは今回の総選挙が「マニフェスト(政権公約)選挙」だったということを改めて説明し、それから「政治家(議員)」「公約」「政党」とは何かという話につなげて<2>の説明に入っていくことにする。
やはり今回の総選挙は上下左右どこから見ても「マニフェスト(政権公約)選挙」だったのである。それは政治家には「政策立案能力」だけではなく「政策を実現していく能力」も同時に求められているということに注意すれば容易に理解することができるのかもしれない(→参考:2005/8/26号etc.)。現時点ではほぼ全ての政策分野を対象にした体系的な内容で具体的な「数値」と「期限」が書かれているものという程度までしか政権公約(マニフェスト)のイメージや定義が一致していない。理想の政権公約(マニフェスト)はどういうものであるべきかなどということはともかくとしても、有権者にとっては政権公約(マニフェスト)が「絵に描いた餅」になるのならば全く意味はないはずである。「政策立案能力」と「政策を実現していく能力」の2つがそろって初めて物事は前に進み出し、政権公約(マニフェスト)は「絵に描いた餅」ではなくなる可能性が出てくるのである。つまり「マニフェスト(政権公約)選挙」でも政治家や政党の「政策立案能力」と「政策を実現していく能力」の両方の能力がやはり問われているのである。
「マニフェスト(政権公約)選挙」でも「政策立案能力」と「政策を実現していく能力」の両方が問われるという観点から見るならば、小泉自民党は体系的な政権公約(マニフェスト)を掲げ、その上で郵政民営化とそれに密接に関連する政策を「政策を実現していく能力」とセットにして国民に示したのに対して、民主党は年金問題や子育て支援などに力を入れたマニフェスト(政権公約)、すなわち「政策立案能力」だけを国民にアピールしたということになるのである。つまり小泉自民党は国民が郵政民営化を「試食」できるような形にして「国民に聞いてみたい」と今回の総選挙を戦ったのに対して、民主党は何も「試食」できる形にまではすることができなかったのである。しかも民主党は最大の争点の郵政民営化問題では「Too
little too late」だったのである。「試食」できないものよりも「試食」できるものの方に多くの国民の目がいってしまうのはある意味で当然である。ちなみに前回(2005/8/26号)筆者が民主党は「政権準備政党」に特化すべきであるなどと主張したのは、何事も「試食」できる形にするまではそれなりの時間が必要であり、とても選挙期間中に一夜漬け程度の努力でできることではなかったからである。民主党は各政党のマニフェストのすべてをじっくり読んでから比較して投票先を決めるなどというような「理想の有権者像」だけにあまりにもこだわりすぎていたのかもしれない。日常生活を考えてみればすぐに分かるように、実際にはかなり多くの人たちが理想的な方法とは全く別の「自分なりの確実な方法」によって自分にとってそれなりに正しい選択をしているのである。
<「自分なりの確実な方法」でそれなりに正しく選択>
多くの人たちは買い物をするときにどうやって買う商品を選んでいるのだろうか。値段や品質やデザインのどれを基準に選んでいるのだろうか。あるいはそれらを総合して判断しているのだろうか。さらにはCMなどのイメージを含めて判断しているのだろうか。食べ物ならば試食、車ならば試乗、本や雑誌ならば立ち読みをすることもできる。そして迷ったときにはどうしているのだろうか。また多くの人たちは恋人(あるいは配偶者)をどうやって選ぶ(選んだ)のだろうか。ルックス、性格、経済力、知性や学歴などのどれを基準に選ぶ(選んだ)のだろうか。あるいはそれらを総合して判断しているのだろうか。そして迷ったときにはどうしているのだろうか。買い物でも、恋人(あるいは配偶者)でも、迷ったときにはたいてい失敗している人ならば迷ったらやめるだろうし、迷ったけど結局最初が良かったという経験を多く持つ人ならば第一印象を重視するのかもしれない。多くの人たちは日常生活では「自分なりの確実な方法」によってそれなりに正しい選択をしているのである。だが、いつも正しい選択をしているとは限らないのである。政治家や政党だけは日常生活とは全く別の「理想的な方法」で選ばせるように強制することは困難なのである。
多くの人たちは様々な方法で物事を判断している。自分自身の目で確かめて本物だという直感がなければ絶対に信じないという人もいるだろうし、逆に直感ではなく論理だけで判断するという人もいるだろう。様々な「兆候」などから判断することもあるだろう。そして「兆候」の中には、「急激な引き潮がある場合には大きな津波がやってくるかもしれない」とか、「まだ雨が降り続いているのに川の水位が下がっているから土石流がやってくるかもしれない」などというようなそれなりに科学的根拠があるものもあるし、「動物の異常行動が相次いでいるから大地震がやってくるかもしれない」などというようなどこまで信じて良いのかよく分からないものもある。さらには「茶柱」などのようにあまり強く信じ込まない方がいいものもある。また大人は子どもに「知らない大人についていってはいけません」などとよく言うが、その通りにしていれば常に安心だとも限らないのである。例えば、警察官のような「知らない大人」の言うことを聞いてついていかないと危ない場合もあるし、逆に親や教師のような「よく知っている大人」であっても危険な場合も全くないわけではない。「知っている大人」は確実な安全の「兆候」ではないということである。
ある人は間違いなく「あの人」であるとか、それは間違いなく「あの人」が言ったことや書いたことだなどということを多くの人たちは様々な方法で判断している。家族や恋人ならば人ごみの中でチラッと後ろ姿を見ただけでも、あるいは道を歩いているときにどこかから話し声が聞こえてきただけでもすぐに気づくだろう。また他人にはさっぱり分からない「いたずら書き」のようなものでも筆跡や文の特徴などから誰が何のことを書いたのかを見事に解読することもできるのかもしれない。あるいは筆跡などが残らないメールや電子掲示板のようなものであっても、当事者にしかよく分からない様々な情報からこれは間違いなくあの人が書いたものだということを瞬時に判断することもできるのだろう。さらにはたった一回の「無言電話」でもかけてきた時間などの「文脈」から誰が何のためにかけてきたのかが何となく分かる場合もある。なぜそうなのかということを必ずしも他人には上手く説明できなくても正しく判断できるということはよくある。いずれにしても多くの人たちは日常生活では「自分なりの確実な方法」によってそれなりに正しい選択をしているが、いつも正しい選択をしているとは限らないのである。
現実政治においては政治家や政党だけは日常生活とは全く別の「理想的な方法」で選ばせるようにするなどということは事実上不可能なのである。政治ジャーナリズムなどはしっかりと現実を見据えなければならない。賢明な有権者が「自分なりの確実な方法」によって自分にとって本当に正しい選択をしたのかどうかを自分自身で検証することができる「道具」を提供することも政治ジャーナリズムの一つの重要な責任であると筆者は考えている。そして多くの賢明な人たちが導き出した「正解」が少なくとも今後も「正解」であり続けることを保証しようとする責任があるはずだと筆者は考えている。そうした観点から小泉首相が「国民に聞いてみたい」と郵政民営化を「試食」できるような形にして国民に示すまでを時間軸上の独自の「目盛」に基づいて見てみることにする。
<「実績」の根幹部分は「自民党内野党時代」に>
「30万人足らずの(郵政職員の)役人集団に政界が振り回されていると言ってもいいんです…(中略)…(この問題は)行政改革だけじゃない、政治改革なんです。既得権を知っている、既得権を守りたい、わずか30万人の集団に、他の帰属していない1億以上の国民が黙ってていいのかっていう問題なんです」「(妥協点は)あると思いますよ。私の視点を100%なんて思ってませんから、私は少しでも民営化の姿を示したいと。現状維持はいかんと言っているんですから。だから十分、妥協点はあり得ると。この特殊法人、財政投融資、そして入り口の郵政。一貫した流れを見なきゃいかんと。その改革の流れを、その突破口を作りたいと」(以上、小泉厚相(橋本龍太郎内閣当時)が「辞任カード」を使って郵政民営化を推進しようとしていた当時の発言、1997/10/16放送のTBS「NEWS23」から)、「一部の特権を、既得権を知っている人の勢力に振り回されちゃっている。この郵政民営化っていうのは(行財政改革であると同時に)政治改革でもある。もっと国民全体のことを考えてもらいたい」(同、1997/10/12放送のテレビ朝日「サンデープロジェクト」で)
「私は…、いろいろ改革を進める場合には必ず反対勢力、抵抗勢力、出てきます。こういう勢力に対して恐れず、ひるまず…。断固として改革の初志を貫きたい。どういう勢力かっていうのはやってみなきゃわからない(→議場内大爆笑、拍手)。私の内閣の方針に反対する勢力、これはすべて抵抗勢力であります」(小泉首相が2001/5/9(就任直後)に鳩山民主党代表(当時)の代表質問への答弁で)
「郵政事業の民営化についてでありますが、中央省庁等改革基本法と民営化の検討との関係についてのお尋ねです。基本法は郵政3事業について国営な新たな公社を設立するために必要な措置を講ずる際の方針の一つとして民営化等の見直しは行わない旨を定めております。しかしこれは公社化にするための基本法なんです。公社化後の在り方を検討すること自体は基本法に反するものではないんです。私は、これは今後大事な問題でありまして、公社化後の在り方については、先般の与党3党合意を踏まえ、早急に懇談会を立ち上げ、民営化問題を含めた具体的な検討を進めて国民的議論を大いに行っていきたい。そして郵政3事業によるこの質問は、私は枝野議員は非常に勇気がある質問だと思って敬意を表しています。この問題は実に大きな問題で与野党通じて私は反省してもらいたいと思っているんです。まず民間にできることは民間にまかせる。この基本姿勢は私の内閣は貫いていきたい。そういう観点に立って今後、これは、郵政民営化の問題は特殊法人につながっていく問題であります。枝野議員も特殊法人の資金源について言及されました。まさに最も大事な行政改革だと言っても過言ではない。そういう観点から枝野議員のご意見には私も賛同するところ多いんですよ。で、まず、公社化が決まってます。公社化は平成15年度に公社化に進めていく。その後の問題は白紙で検討します。もちろん民営化を含めて。今回は民営化はタブーで触れられなかった。私の内閣になったからタブーじゃなくなった。国営化という前提は取りません。公社化に進む過程においても、これからの問題ですが、私は民間参入、郵便事業についても民間参入を促進することについて…、できるだけ民間にできることは民間にまかせていくという方針を貫いていきたい(→民主側から拍手)。かつてのようにね。え? あの…。商品券は民間企業が配達して良い。しかし地域振興券は民間企業が配達しちゃいかんというね、旧郵政省の訳の分からない論理は小泉内閣には通用しないということを銘記していただきたい(→民主側拍手)。こういうことに対して民主党の議員の中には言っている人いました。しかしほとんどの政党、言わなかったじゃないですか。こういうことから変えていかなきゃならない。過去の郵政省の事業を見ているとむしろ民間企業の活動を妨害している面がある(→民主側拍手)。こういうことは小泉内閣では断じて許さない」(小泉首相が2001/5/9(就任直後)の枝野幸男民主党政調会長代理(当時)の代表質問への答弁で)
「私は、(2001年)4月の自民党総裁選挙、あるいは過去2回(1995年9月、1998年7月)の総裁選挙、3回総裁選挙を戦って3回目にやっと当選したんですが、基本的に主張は変わっていないんです。変わったのは、自民党が気持ちを変えて、この時代は小泉を先頭に立てて自民党を変えなきゃいかんという意識があったからこそ、同じ主張を展開したにもかかわらず、去る4月の総裁選挙で私を選任してくれたと私は理解しております。その後、いよいよ、私の初心を実現に移す段階に入ってまいりました。総論賛成、各論反対というのはいつもの例でありますが、そろそろ各論の反対が出るころだなと私は思っていたんですよ。案の定出てきております…(中略)…私はこの構造改革、まず行政側の構造改革を進めようということで主な特殊法人改革に、今そろそろ各論に入ってきたころでありますので、進めているわけですが、前進すればするほど、私の初心を実現に移そうと思えば思うほど、今、抵抗が強くなっている。しかし、これは前から覚悟してきたことであります。今までだと、この抵抗の強さにひるんでしまうんですが、私は、この今、一部で各論反対、小泉を変え(替え)なきゃ自民党はなくなると思っている人たちは、逆に、小泉を変える(替える)と自民党がなくなるということに気がついていないようだから、じわりじわり、じわりじわりと、だんだん分かるような努力をこれから進めていきたい。初心は断固として貫きますから。もう少しです。なるほど小泉は本気でやってきたなと思う姿がだんだん見えてくると思います」(小泉首相が鳩山民主党代表(当時)との2001/11/21の党首討論(国家基本政策委合同審査会)で)
「私は郵便事業へ民間が参入できることによって利用者の利便や郵便事業の効率化を進めることができると思っております。これは、将来、郵政民営化に向けた一里塚であると考えております。私の考えでは、今後、この民間参入法案、さらには郵政3事業の民営化、これが特殊法人、財政投融資制度を含めた公的部門の抜本的な改革につながると考えております。そういう面において、さらなる郵政3事業、財政投融資制度、特殊法人改革という改革に向かうということについては、その大きな、壮大な改革を本丸と見立てれば、今回の法案は外堀を埋める意味があると考えております。私は、今後とも、民間でできることは民間にゆだねるという基本的な考え方に基づき、簡素で効率的な政府を実現するため、郵政事業改革や特殊法人改革など構造改革を着実に進めてまいります」(郵政公社関連法案の趣旨説明と質疑が行われた2002/5/21の衆院本会議での小泉首相の答弁(共産党の矢島恒夫氏へ)から)、「今回の公社化関連法案に対する私の評価についてでございます。ようやくここまで来たかという感じです。民間にできることは民間にということに対して皆が賛成するのになぜ郵便事業に民間企業を参入させないのか、不思議に思っておりました…(中略)…私は民間にできることは民間にという当たり前のことをなぜこれまで反対してきたのか不思議でなりません。私は今後、この民間参入を進め、さらに郵政3事業の民営化、特殊法人の改革や財政投融資制度の改革に向けて本格的な構造改革を進めていきたい。そういう意味においては、本丸の大きな壮大な官業部門の改革にとりましては、今回の郵便民間参入法案は外堀を埋めたと言っても過言ではないと思います。本法案は与党審査において法案の内容についての了承を得ないまま国会に提出するという異例の方法はとったところでありますが、私は最終的には今反対している議員も賛成してくれるということを期待しておりますし、今国会において議論を尽くし、本法案が成立するように全力を尽くしたいと思っております」(2002/5/21の衆院本会議での小泉首相の答弁(社民党(当時)の横光克彦氏へ)から)
「(郵政民営化以外のすべての政策に賛成でも排除するということになると自民党は窮屈な政党になるのでは、などに)これは異例中の異例だと思いますね。すべての法案が衆議院で…、賛成して、参議院で反対で否決されたと。その都度解散やるかというとそうじゃないですね。これは私がもう4年前から(郵政)民営化を主張して、(自民党)総裁に選ばれて、総理大臣に就任してやってきたことで、改革の本丸だと言っておりますし…。そういう中でも、私が総理大臣に就任した4年前(2001年)の4月…。1カ月前、3月では自由民主党は(郵政)民営化行わないという決議をしているわけですよ。その後、私は民営化を主張してそれでも総裁に選ばれたんですよ。それに2年前(2003年)の総裁選挙で、自民党の衆議院議員、参議院議員、党員、全部の…、総裁選挙が行われて、郵政民営化、嫌なら私変えてください、と言ったにもかかわらず、自民党は私を再び総裁に選んだんですね。だから私は、自民党の中でね、そもそも反対だなんていうのはおかしいと思うんですね。そういうことでこの際すっきりさせるということで…」(小泉首相(自民党総裁)が2005/8/31深夜放送のTBS「NEWS23」で)、「参議院で反対した自民党議員の中でもですね、郵政民営化は国民が反対しているんだと思って反対している方もかなりいると思うんです。ですから今回の選挙で民意がですね、衆議院で自民党、公明党に過半数の議席を与えてくれれば、郵政民営化賛成反対が最大の争点ですから、ああやっぱり国民は郵政民営化に賛成なのかと、これを尊重しようと思ってですね、今まで反対していた人の中に賛成に回ってくれる議員が出てくると思っております…(後略)」(同TBS「NEWS23」で)、「(賛成に回る議員の名前を挙げることはできないのか、などに)現にね、衆議院で反対した人が37人ですか。それで棄権した人が十数人いますね。この人たちはね、反対だけども棄権した人たちが結構いたんです。それが賛成に回わちゃったんです。参議院も同じようになります」「(もう一度参院で否決されたらどうするのか、に)自公で過半数を得ればそうなりません。変わります」(以上、小泉首相(自民党総裁)が2005/9/4放送のフジテレビ「報道2001」で)
「だから、今度の郵政民営化賛成、反対かっていうのは、単に経済活性化のためだけでもない、景気回復のためだけでもないんです。行財政改革のためだけでもないんです。将来の社会保障…。高齢者が増える。若い人が減ってくる。今の保険料、それだけ増やさないで給付を維持するためには、税金を投入しないと維持できない。将来の税金負担を軽減させるためにも民間にできることは民間にやってもらう。これなくして税収は増えてまいりません」、「経済の活性化のためにも、将来の税負担を軽減するためにも、今の一部の特定勢力の既得権を守るために国民全体の利益まで疎かにしようとしている政治を改革したいから、ハッキリと分かり易い争点を今回、私は最大の選挙の争点にしたんです。郵政民営化賛成か反対か、郵便局の仕事は公務員にしかできないのか、民間でもできるのかということを皆さんに問いたいんです」(以上、2005/8/30の横浜市都筑区での小泉首相の街頭演説から)
既存のマスコミの「郵政民営化までの歩み」などとは少し違った「目盛」で時間軸上のいくつかの事実を見てみても、「2003年総選挙では小泉首相は郵政民営化を国民に明確な形で公約することを最大の目的にしてあえて『マニフェスト(政権公約)選挙』という民主党の得意な『土俵』に乗ったのではないか」などという筆者の「仮説」をそれなりに補強することができる「文脈」が見えてくるのである。小泉首相の主張は昔から驚くほど変わっていないが郵政民営化は着実に実現に向けて進んできたのである。この時間軸上の大きな流れを単なる「壊れたテープレコーダー」と解釈するのと「実績」と解釈するのとではどちらが適切なのかということは賢明な読者にはあえて説明するまでもないだろう。小泉首相は直感だけで判断しているように一部の永田町周辺の人間たちに言われているが、少なくとも郵政民営化問題ではかなり緻密に「外堀」を埋め続けたり「布石」を打ち続けたりしてきたのかもしれないのである。そしてどの時点で「国民に聞いてみたい」と言い出した場合であってもそれなりに国民に見せるだけのものがあったのかもしれないのである。さらにあえて指摘するならば、今回の総選挙で示した「実績」の根幹部分は小泉首相がまだ「自民党内野党時代」に作られたということにも注目しておく必要がある。
「与党と違って実際にやって見せることができない」「政府・与党は官僚機構という優秀なスタッフを持っているがこちらは…」などという言い訳を野党が繰り返しているうちは政権交代が実現する可能性は非常に低いのである。そしてそういう言い訳はいわゆる「小さな政府」の実現にとっても大きな障害になるはずである。繰り返しになるが、もしもある政党が創意工夫によって非常に少ない人員と資金で予想以上に大きな成果を挙げることができるということを誰の目にも明らかな形で示すことができるのならば、多くの賢明な有権者がその政党に「官僚機構」という優秀で膨大な人員・組織と「国家予算」という莫大な資金の運用を任せてみようと考えるかもしれないのである。小泉首相の「実績」は民主党はもちろん、未知の新党を含むその他の政党にとっても飛躍のためのヒントになるのかもしれない。「マニフェスト(政権公約)選挙」でも「政策立案能力」と「政策を実現していく能力」をセットにして国民に「試食」できるような形で示すことができれば説得力は大きくなるのである。そういう基本的な部分は変わっていないのである。
実は今回の総選挙では何も「試食」できる形にまではすることができなかった民主党にももしかしたらもっと多くの有権者から注目されていたかもしれない方法がたった一つだけあったのである。ただしそれは民主党が郵政民営化に賛成していることが必要不可欠な条件であったのである。もしも民主党が郵政民営化に賛成しており、その上で郵政民営化を実現することによって年金などの社会保障改革、子育て支援などの得意分野の政策実現につながっていくということを賢明な有権者に説得力のある形で示すことができていたらという話だったのである。
「(自民党政権公約の説明不足の郵政民営化の図について。民主党の岡田克也前代表の郵政民営化がなぜ外交などにつながるのか、などに)これは(郵政民営化が)あらゆる改革の基本だということを言っているんです。まず経済を活性化しないと、この今言ったいろいろなことというものは展開できなくなる。社会保障についてもそうですね。経済の活性化を果たさないと税負担が重くなると。外交についても日本の経済がよくならないと外交活動も展開できなくなると。いわゆる郵政の改革なくしていったいどういう改革ができるのかと。その基本を分かり易く述べているということです」(小泉首相(自民党総裁)が2005/9/4放送のフジテレビ「報道2001」で)、「(前略)…社会保障は公的分野がしっかり守らなければならない分野があるんです。だから税金を投入してでもやろうといっているんです。1、2年じゃできません。(1年でできなければ2年やる、に)やりません。私は今回の選挙勝っても来年の9月いっぱいまでは精一杯やります。(国民年金の改革やるべき、に)私は…、他の人がやる。これは長いからあれですよ。難問は山積してます。(民主党の岡田克也前代表のそれは先送り、に)先送りじゃないんです。一内閣一仕事でいいって言ったのは誰ですか。皆さん。総理になる前は。いつまでもやることあったら総理大臣辞められなくなっちゃうよ。そんなことはやめてくれよ、もう…」(小泉首相が2005/9/4放送のテレビ朝日「サンデープロジェクト」で)
「私は小泉さん見ててですね、やっぱり時代認識が私と全く違うと思うんです。人口減少時代に入って、これだけ世界に例のない(国などの)借金を抱えて、このままじゃやっていけないと私は思っているんです。このままじゃぶっ壊れるとこの国。だから急いで本当にね、改革していかなければいけない。小泉さんの4年4カ月は結局、先送り先送りの歴史だったんですが、これ続けていったらもう本当に日本はね、先ないですよ。次の世代に本当に申し訳ないと私は思っています」(岡田克也前民主党代表が2005/9/4放送のNHK「衆議院選特集」で)、「小泉さんは総選挙、郵政の民営化…。すべての街頭演説で郵政の民営化9割以上ですよ。私は総理大臣としてあまりにも小さな土俵で議論しすぎている(と思う)。国の将来を考えれば、この財政の問題、あるいは少子高齢化、人口減少の問題。そのことを正面から問うべき…(後略)」「皆さん、小泉さん、何言ってますか。郵政の民営化以外何も言っていない。あとは白紙委任しろということですよ。しかし白紙委任していいか…(中略)…(9/4のテレビ各局の番組で)小泉さんと議論をした。そこで分かったことを2つ申しておきます。1つは年金の改革。小泉さんは、あるいは他の与党はやる気がないということ…(中略)…年金もらえない無年金者が続出するという問題。小泉さんには関心ないんですよ。今も。それで本当にいいのか。年金抜本改革、先送りでいいのかということ。そして2番目が…、皆さん、増税ですよ、増税。自民党のマニフェスト…、これはほとんどが役人の作文だ。しかしこの増税のところだけはやけにハッキリ書いてあります。まあ、おそらく財務省の役人が一生懸命書いたんだと思います…(後略)」(以上、2005/9/7の岡田克也前民主党代表の浅草雷門前での街頭演説から)
もしも民主党が郵政民営化に賛成しており、注目を集めていた最大の争点の郵政民営化という「土俵」の上で、郵政民営化を実現することによって年金などの社会保障改革、子育て支援などの得意分野の政策実現につながっていくということを賢明な有権者に説得力のある形で示すことができていたのならば、小泉自民党は自分たちが最も輝いて見える「郵政民営化に賛成か反対か」というところだけでは勝負することはできなかったはずである。小泉自民党もあまり自信のない他の部分を避けて通ることはできなくなっていたはずである。やはり政治でも歴史でも「もしも」は禁句であるが、民主党が対案を示さずに郵政民営化に事実上反対してしまったことによって民主党が勝利できる可能性はかなり低くなったことはほぼ間違いのない事実なのである。個別具体的な場面での判断ミスや失言などだけではなく、このような「マクロ」の視点から見た「大きな基本的構図」も民主党の敗因として挙げることができるのだろう。
<「政治家(議員)」「公約」「政党」とは何か>
いよいよこれから「政治家(議員)」「公約」「政党」とは何かという話になる。ここから先は例の数学などの集合で使われる「ベン図」(→参考:2004/3/23号、2005/8/26号etc.)を多用することになるので改めて簡単に説明しておくことにする。基本的なパターンは4種類ある。
(1)Aグループの大きな円(→例えば、「すべてのパン」)の中にBグループの小さな円(→例えば、「トースト」や「フランスパン」など)が完全に入ってしまうような「パターン1」。今回は「パン(Aの円)とフランスパン(Bの円)の関係」と呼ぶことにする。
(2)Aグループの円(→例えば、「コンビニエンスストア(以下、コンビニと省略)」)とBグループの円(→例えば、「スーパー」や「携帯電話ショップ」)のように2つの円が交わっていて、2つの円に共通する部分(→AでもBでも売っている商品)と、共通していない部分(→AかBのどちらかでしか売っていない商品)に分かれているような「パターン2」。今回は共通部分が大きい方を「コンビニ(Aの円)とスーパー(Bの円)の商品の関係」、共通部分があまりない方を「コンビニ(Aの円)と携帯電話ショップ(Bの円)の商品の関係」とそれぞれ呼ぶことにする。
(3)AグループとBグループの2つの円が全く交わらない「パターン3」。今回はAとB以外のものは存在しない場合を「20歳未満(Aの円)と20歳以上(Bの円)の関係」、AとB以外のものが考えられる場合を「朝食はパン(Aの円)
と朝食はご飯(Bの円)の関係」(→ちなみに朝食はハンバーガー(Cの円)、朝食は食べなかった(Dの円)など他にも多くの選択肢が考えられる)とそれぞれ呼ぶことにする。
(4)「2の倍数」(Aの円)と「偶数」(Bの円)のように実は全く同じものである「パターン4」もある。そのまま「2の倍数 (Aの円)と偶数の数字(Bの円)の関係」と呼ぶことにする。
「政治家(議員)」「公約」「政党」とは何か。簡潔に説明するのはなかなか難しいが、現実政治の説明や分析を重視して「政治家(議員)」「公約」「政党」を大雑把に定義することにする。そして現実政治の説明や分析を重視しようとすればするほど、「政治家(議員)」「公約」「政党」をセットで考えなければならないということにも気づくのである。まず「政治家(議員)」とは有権者(→国民)の「代表」である。ちなみに「代表」とは選挙で有権者(→国民)から一度選ばれてしまったら任期中は何をやっても許されるというような「特権階級」ではない(→参考:2005/2/9号)。既存のマスコミや「職能代表」ということになっているらしい参議院の中には「特権階級」と勘違いしている人間がまだかなり残っているようだが、断じて「特権階級」ではない。「特権階級」であるということを否定する最も分かり易い証拠が「公約」である。「政治家(議員)」は有権者(→国民)の「代表」になるために選挙で「公約」を示してその実現を約束している。もちろん実際には様々な理由から「公約」をしていないことでもやらなくてはならない場合も出てくるだろうし、逆に「公約」していたことでも実現できない場合も出てくるだろう。そのときに問題になってくるのが現実政治に基づいた「アカウンタビリティ(説明責任、accountability)」の本質である。つまり「政治家(議員)」は様々な形で「公約」の責任を問われることになるのである。
有権者(→国民)の「代表」になった「政治家(議員)」は議会で「公約」の実現に向けて最大限の努力をすることになるが、そのときに役立つ「道具」が「政党」である。「政党」を「道具」として使えば「政治家(議員)」は自分が不得意な政策分野を補うことができるし、逆に自分が得意な政策分野に「特化」(→参考:2005/8/26号)することもできるようになる。ちなみに「新入生」や「劣等生」の「政治家(議員)」にとっては「政党」は「道具」というよりも「保護者」ということになるのだろう。「政党」はある意味で「政治家(議員)」に求められる「政策立案能力」と「政策を実現していく能力」を有権者に対して責任を持って保証しているのである。「政党の公約」という形でなら「政治家(議員)」は自分の不得意な政策分野でも公約をすることができるし(→「政策立案能力」の補助。「政党全体の政策立案能力」
(Aの円)と「政治家(議員)の政策立案能力」(Bの円)がベン図の話の「パン(Aの円)とフランスパン(Bの円)の関係」(パターン1))、もしも「政治家(議員)」に実績や能力が乏しくても「政党の公約」ならば政党全体に必要な「政策を実現していく能力」があればいいということになる(→「政党全体の政策を実現していく能力」(Aの円)と「政党の公約を実現するために必要な能力」(Bの円)が「パン(Aの円)とフランスパン(Bの円)の関係」(パターン1))。「政党」の公認は「政治家(議員)」が「政党の公約」の実現を約束していること(→「政党の公約」(Aの円)と「政治家(議員)の公約」(Bの円)が「パン(Aの円)とフランスパン(Bの円)の関係」(パターン1)になっていること)を有権者(→国民)に対して責任を持って保証しているはずなのである。
国会議員は全国民の代表(憲法43条1項)である。だからこそ歳費を含めた国会議員としての活動に必要な費用には税金が使われているのである(憲法49条)。そして国会議員は全国民の代表であり、税金を使っているのだということをいつまでも忘れることがなければ、あとは「器」の方が人をつくっていくのだろう。「政党」には自分たちが選んだ新人が「器」にふさわしい人物になるために手助けをするという役割も責任もあるはずである。
実は有権者(→国民)の側も「政党」を「道具」として使うことができるのである。そして特に選挙では有権者(→国民)が「政治家(議員)」「公約」「政党」をセットで考えると効果的に「道具」を使うことができるようになる。民主主義国家の選挙では少なくとも「政治家(議員)」と「公約」の2つはセットで有権者(→国民)に示されなければならない。そして言うまでもなく民主主義の基本的なルールの1つは多数決である。有権者(→国民)がある「公約」の実現を望んでいる場合であっても実際にその「政治家(議員)」が「公約」を実現することができるかどうかを判断することは難しいし、何よりも議会で過半数の賛成を集めることができるかどうかを判断することは困難である。有権者(→国民)がそういうことをある程度確実に判断するために使う「道具」が「政党」である。有権者(→国民)から見れば「政党」の公認・推薦は「政治家(議員)」の品質と「公約」の実現を保証するマークのようなものなのである。あるいは一昔前の「日本で一番難しい大学や有名大学の学歴」のようなものであると言った方が分かり易いだろうか。だから全員当選しても過半数を大きく下回る候補者しか擁立していない「政党」がいくら保証したとしても有権者(→国民)にはあまり説得力がないはずだし、全員当選すれば過半数を大きく上回る候補者を擁立していたとしても有権者(→国民)がほとんど信頼していない「政党」ならば保証してもほとんど説得力がないということになる。このことは多数決という民主主義の基本的なルールを採用していれば「マニフェスト(政権公約)選挙」であってもなくても全く変わらない。
<「マニフェスト(政権公約)選挙」で何が変わるのか>
それでは選挙制度が「中選挙区制」から「小選挙区比例代表並立制」に変わり、さらに「マニフェスト(政権公約)選挙」に変わっていくといったい何が変わるというのか。一番大きな変化は「公約」の性質である。特に今までずっと曖昧な形でごまかされてきた「政党の公約」(Aの円)と「政治家(議員)の公約」(Bの円)の関係である。
もしも「政治家(議員)」が「政党の公約」(Aの円)と矛盾しない「政治家(議員)の公約」(Bの円)を実現していくというのならば(→ベン図の話の「パン(Aの円)とフランスパン(Bの円)の関係」(パターン1))、「マニフェスト(政権公約)選挙」であってもなくても何も問題はない。だが、「政治家(議員)」が「政党の公約」(Aの円)の一部に反対し、しかも「政治家(議員)の公約」(Bの円)には「政党の公約」と矛盾する公約があるような場合(→ベン図の話の「パターン2」。「コンビニ(Aの円)とスーパー(Bの円)の商品の関係」など)は、「中選挙区制」時代などではあまり問題にならないのかもしれないが、「小選挙区比例代表並立制」あるいは「マニフェスト(政権公約)選挙」では非常に大きな問題になってくるのである。そして「政党の公約」(Aの円)と「政治家(議員)の公約」(Bの円)のずれが大きくなればなるほど(→「コンビニ(Aの円)とスーパー(Bの円)の商品の関係」から「コンビニ(Aの円)と携帯電話ショップ(Bの円)の商品の関係」へ)問題も大きくなっていくのである。
理由は簡単である。この文章の「新ルール」の部分の繰り返しになるが、「小選挙区比例代表並立制」では、(1)どの政党も1つの選挙区にはたった1人しか候補者を擁立できなくなったのである。そしてどの政党の候補者も1つの選挙区に1人しかいないということは、(2)政権獲得を目指す政党が選挙で総理大臣候補や公約などを国民に約束しようとする場合には、すべての公認候補が政党の総理大臣候補や公約などを国民に約束しなければならなくなるのである。そして(3)ある政党が選挙で単独過半数を獲得したのならば、その時点で総理大臣は事実上決定し、公約の衆院通過も確定するということになるはずなのである。「政党の公約」と「政治家(議員)の公約」のずれが大きな問題になるのは「新ルール」になったからである。そして「新ルール」の下では、国政選挙での「公約」は中央銀行が発行する「中央銀行券」(カネ)のようなものになり、候補者は「中選挙区制」時代には自由に発行していた「軍票」とか「地域通貨」のような政党の政策と矛盾する「個人公約」をもはや勝手に発行することは認められなくなっているのである。「政党の公約」と「政治家(議員)の公約」のずれを曖昧な形でごまかすことができなくなるということが「マニフェスト(政権公約)選挙」になることによって生じる最大の変化である。
今回の総選挙で小泉首相は少なくとも郵政民営化問題については「政党の公約」(Aの円)と「政治家(議員)の公約」(Bの円)のずれを一切許さなかった(→「パターン4」の「2の倍数
(Aの円)と偶数の数字(Bの円)の関係」)。「小選挙区比例代表並立制」あるいは「マニフェスト(政権公約)選挙」の「新ルール」に基づいて「政治家(議員)の公約」が変わらないと判断した場合には郵政民営化に賛成する候補を新しく擁立した。そしてすべての公認候補について郵政民営化を含む「政党の公約」(Aの円)と「政治家(議員)の公約」(Bの円)のずれを完全に解消したのである(→ベン図の「パン(Aの円)とフランスパン(Bの円)の関係」(パターン1))。
実は「政党の公約」(Aの円)と「政治家(議員)の公約」(Bの円)のずれは「中選挙区制」時代からあってはならないことだったのである。「政治家(議員)」が政党の公認候補として選挙で有権者に「政党の公約」を掲げるのならば、「政治家(議員)」が「政党の公約」を守るべきであるのは当たり前すぎるぐらい当たり前の話である。1つの政党から1つの選挙区に1人しか公認候補を擁立できない「小選挙区比例代表並立制」になって曖昧さが許されなくなり、そして小泉首相のような「新ルール」を理解して厳格に適用する指導者が登場したから初めて「政党の公約」と「政治家(議員)の公約」のずれが解消されたのである。そして実は「新ルール」になっても「政治家(議員)」「公約」「政党」とは何かという民主主義の根幹部分は全く変わっていないのである。むしろ「新ルール」になって初めて「政治家(議員)」「公約」「政党」の関係が有権者にとって望ましいものに変わってきたと考えることもできるのである。
1つの政党から1つの選挙区に何人も候補者が立候補する「中選挙区制」では、ある候補者が「政党の公約」の特定の政策に反対であってもあえて反対とは言わず、その代わりに同じ政党の別の候補者が特定の政策に賛成と主張していれば「政党の公約」と「政治家(議員)の公約」のずれは非常に見えにくくなる。そしてあまりにも「政党の公約」と「政治家(議員)の公約」のずれが大きくなる場合には、「自由社会、民主主義社会を守ります」とか「景気対策をやります」程度のことしか事実上の「政党の公約」にすることはできなくなるのである。「中選挙区制」では結果的に有権者に政策ではなく候補者(人)で判断してもらう選挙になっていたわけである。また現実の社会ではかなり多くの人たちが「契約書」が必要な場面でも「契約書」よりも「人」の方を重視して判断しているのである。極端な場合には信頼できる「人」ならばそれほどひどいことにはならないだろうなどと「契約書」もろくに読まないで決めることも少なくはないのである。繰り返しになるが、多くの人たちは日常生活では「自分なりの確実な方法」によってそれなりに正しい選択をしているが、いつも正しい選択をしているとは限らないのである。
このような日本の現実政治の状況を考えれば考えるほど、「契約書」のような「マニフェスト」に必要以上にこだわることは理想の「マニフェスト(政権公約)選挙」の実現からさらに遠ざかることになってしまう可能性が高いのである。最も優先順位が高いのは「政治家(議員)」「公約」「政党」の関係、特に「政治家(議員)」と「政党の公約」の関係を適切なものにすることである。「政治家(議員)」と「政党の公約」の関係を適切なものにするために非常に役立つ「道具」が「小選挙区比例代表並立制」あるいは「マニフェスト(政権公約)選挙」の「新ルール」である。まずは「政治家(議員)」と「政党の公約」の関係を適切なものにし、「政治家(議員)」と「政党の公約」をセットで考えながら一歩ずつ両者の質を高めていくというのが最も効果的な方法であると筆者は考えている。
民主主義とは創造することだと筆者は考えている。民主主義というものは基本的には何かを止めたり、壊したり、あるいはでっち上げたりするものではないのである。負担増になる悪い法律案だろうが、憲法改正だろうが、何であろうが、本来は止めればそれで良いというわけではないのである。本当の民主主義ならばそこで思考停止してはいけないのである。そういう意味では小泉自民党の「改革を止めるな。」というスローガンは実に興味深い。選挙中は「創造するのをやめさせようとするのをやめさせろ」というような「二重否定」として多くの有権者は理解したはずである。小泉首相が選挙後に実際に何を創造したのかで有権者が賢明だったのかが最終的に確定することになるのである。
長々と書いてきたが、ようやくこれで<2>たとえ「ルール」は大きく変わっても、「政治家(議員)」「公約」「政党」とは何か、などという民主主義の根幹部分は全く変わらないということが改めて確認された、ということを説明することができた。次はいよいよ「壁」の話になる。
事実はテレビや新聞よりも奇なり(2005/10/18) (4/8) 「壁」を破った自民と「壁」が迫ってきた民主
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