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 北朝鮮問題 -複数の視点による相対化の具体例-

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 政治の究極目標は「将来の世代を含めた一人ひとりの生命などを守ること」であると考えています。そしてその目的を達成するためには「ミクロ」「マクロ」、「過去」「未来」、「メリット(プラス)」「デメリット(マイナス)」などという複数の視点によって目の前の深刻な問題を相対化することが必要だと考えています。

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複数の視点から見た北朝鮮問題(その2)(2004/12/25)

北朝鮮問題での国際政治と国内政治の連鎖

 本来ならばあえて言うまでもないことだが、どんな形であっても北朝鮮問題を解決しさえすればそれでいいというわけではない。北朝鮮問題の解決には正しい方向、そして適切な手段とその効果的な使用方法もある。

 まず北朝鮮問題は、沖縄の在日米軍基地問題の解決につながる方向に向けて解決されなければならない。そのためには「人類の歴史的文脈」と「ミクロ・マクロ」という「座標軸」を用いて北朝鮮国内の一人ひとりの生命・人権を守るということを強く意識する必要がある。人類の歴史の大きな流れ一つは、人権の拡大・強化、そしていわゆる民主主義の拡大であるはずである。

 北朝鮮問題は、日本と北朝鮮が「国交正常化」するとかしないとか、米国が北朝鮮の「体制保証」をするとかしないとかなどというような国際政治の問題だけを考えていても真の意味で解決することはできない。北朝鮮国内の末端の一人ひとりの生命・人権が守られるようにならなければどんな問題解決も目先のことだけにとらわれたその場しのぎの問題解決に過ぎなくなるのである。危機や不安定さを一時的に見えないようにしてあたかも問題が解決したかのように見せているだけにすぎなくなるのである。真の意味での北朝鮮問題の解決のためには、北朝鮮国内の末端の一人ひとりの生命・人権をどう守っていくのかという北朝鮮の国内政治の問題を考えないわけにはいかないのである。よって北朝鮮問題でも国際政治という「マクロからの視点」に加えて末端の一人ひとりという「ミクロからの視点」を導入することが有効だと考えられるのである。

 北朝鮮問題は、いわゆる「アメ」だけでも「ムチ」だけでもなく、対話と圧力の両方を用いて適切に解決されなくてはならない。そして「対話と圧力」という手段を用いる場合にも、国際政治という「マクロからの視点」だけではなく「ミクロからの視点」も用いて国内政治の問題として捉える必要がある。北朝鮮の末端の一人ひとりの生命・人権を守るという北朝鮮の国内政治の問題に加え、北朝鮮による拉致や帰国事業などによって北朝鮮国内にいる日本人らの生命などを日本が国家としてどう守るのかという伝統的な国際政治の問題、そして北朝鮮に対する経済制裁を実施した場合の日本経済への悪影響をどうするのかという国内政治の問題を併せて考える必要が出てくるのである。北朝鮮国内にいる日本人らの問題は、歴史的に主権国家が自国民を保護しようとし続けてきたというプラス・マイナスの両面を併せ持った「歴史的文脈」だけではなく、現在の国際社会では人権という価値観もがグローバリゼーションの進展によって多孔性になった国境の壁をかなり容易に通過できるようになってきたという新たな国際社会の現状をも踏まえて解決を考えるべきである。つまり「人類の歴史的文脈」に基づいて現在の国際社会の中ではたとえ北朝鮮であっても末端の一人ひとりの生命・人権は守られるべきであるという考え方、そして伝統的な自国民保護という考え方をバランスよくミックスさせて問題の解決を図ることが適切であると考えている。

 さて、日本が北朝鮮に経済制裁を実施すれば、北朝鮮に少なからぬ影響があることだけはほぼ間違いない。だが、経済制裁が北朝鮮問題の解決のための適切な手段となるかどうかは個別具体的な状況に大きく依存している。北朝鮮に対する経済制裁を実施しようとする場合には、日本経済に与える影響などのデメリット、経済制裁の有効性を十分に検討して覚悟を決めてから実施しなければならない。日本と北朝鮮の経済的相互依存関係のコストを、少なくとも相対的な影響の大きさやスピードの面から見る「敏感性(sensibility)」、相互依存関係から抜け出す相対的コストの面から見る「脆弱性(fragility)」という2つの観点から検討することは言うまでもないことだが、もしも日本の方が北朝鮮よりも圧倒的に優位な立場にあることが明らかになったとしても、その優位は経済制裁の実施で相互依存関係が断ち切られるまでの話であるということにも十分に注意する必要がある。経済制裁によって北朝鮮問題の解決を目指すことになる場合であっても、実施前に小泉純一郎首相をはじめとする日本政府が経済制裁を実施するという警告を明確な形で何度か繰り返した後に初めて経済制裁を実施し、それから少しずつ段階的に制裁の内容を強化していくということが最大の効果を期待できる最善の方法であるということも忘れるべきではない。

 北朝鮮が核問題の完全解決のために誠意を持って6カ国協議に出席するまでは北朝鮮の貨客船「万景峰(マンギョンボン)92」などの日本入港を一切認めないとか、米国議会で成立(10/19)した北朝鮮の人権状況の改善を目指す「北朝鮮人権法」の日本版の法制化を本気で進めるなどという形での「制裁」実施に向けた準備を真剣に考える程度のことならば現時点(12/25)で問題はないと筆者は考えている。そしてそういう形での「制裁」ならば経済制裁実施に消極的な中国や韓国も納得しやすくなることだろう。

沖縄の在日米軍基地問題と北朝鮮問題の本質的解決

 「望ましい未来からの逆算」という「人類の歴史的文脈」からも検討を加えることにする。沖縄の在日米軍基地問題の解決のために必要なことを考えるという「望ましい未来からの逆算」をすると、北朝鮮問題を解決しなければならないということが分かる。そして「望ましい未来」を一時的なものにしないためには北朝鮮問題の本質的な解決が必要不可欠であるということにもすぐに気づくはずである。そしてここで問題になるのは北朝鮮問題の本質的な解決とは何であり、そのためには何が必要かということである。

 北朝鮮問題の本質的な解決とは、現時点で不安定かつ不可解な状態のまま残されている北朝鮮問題を不可逆的な形で完全に解決することである。つまり北朝鮮を含めた東アジアの人たちが共存・協力関係を安定的に構築できるような状態になることである。したがってどんなに少なくとも北朝鮮国内の末端の一人ひとりの生命・人権が守られなければならないということになるのである。「東アジア共同体」のような目に見える形になるのか、あるいは国家の形態に大きな変化は見られなくとも国家間の実態には大きな変化が見られるようになるのかは現時点では予測するのは困難である。いずれにしても「望ましい未来」として具体的にどのような状況を思い浮かべるかは人それぞれであるが、どのような「望ましい未来」であっても人類の「過去から現在までの流れ」とは無関係には実現し得ないはずである。

 もしも北朝鮮が「領域内の一人ひとりの市民の人権を蹂躙する非人道的な独裁国家」であり続けるのならば、日本は断じて北朝鮮との国交を正常化させてはならないし、ましてや過去の植民地支配の「賠償」としての性格をも併せ持つ国交正常化後の経済協力などを行うことは絶対に許されない。日本が朝鮮半島の人たちに耐え難い苦しみを与えた過去の植民地支配を真の意味で反省しているのならば、「領域内の一人ひとりの市民の人権を蹂躙する非人道的な独裁国家」の存在を認め、そして独裁国家内の一人ひとりの人権を蹂躙することを間接的に支援することなど絶対にできるわけがない。もしも「領域内の一人ひとりの市民の人権を蹂躙する非人道的な独裁国家」と国交正常化し、過去の植民地支配の「賠償」としての性格をも併せ持つ国交正常化後の経済協力などを行うことになるのならば、日本は過去の植民地支配に加えて21世紀になってからもさらに朝鮮半島の人たちに耐えがたい苦しみを与えたと将来の世代から見なされることになってしまうだろう。日本は断じて新たにそのような取り返しのつかない大きな歴史的な過ちを犯してはならないのである。

 また「望ましい未来」として「東アジア共同体」のような国家共同体などを考える場合には、19世紀から20世紀初めのヨーロッパにおける「勢力均衡(バランス・オブ・パワー)」がやがて第一次世界大戦につながっていったということ、20世紀初めの世界恐慌後の「ブロック経済」が第二次世界大戦につながっていったことという2つの歴史的事実をあえて思い起こし、間違っても人類の「過去から現在までの流れ」に逆行することだけはないように注意をする必要がある。

複数の視点から見た北朝鮮問題(その1)(2004/9/21)

 核問題や日本人拉致問題などの一連の北朝鮮問題は相変わらず見通しが立たない状態である。「ミクロ」の視点から見れば、北朝鮮の「瀬戸際外交」などというものは、国際社会の「ルール」を破ってでも何が何でも米国から安全の保証などを得るという形で問題を解決しようという典型的な「問題行動」(→参考:「心理学的アプローチ」の(3)の「出口」)であると考えることができるし、北朝鮮の数々の「問題行動」や自分勝手な主張は明らかに「自己中心性」から解放されていない「幼稚」なものであるということは否定しようがない。そのことは北朝鮮が韓国の未申告の核関連実験が明らかになると、自分たちの核兵器開発問題のことは完全に棚上げして先に韓国の核問題の徹底解明を求めるなどという姿勢を示していることを見ても明らかだろう。韓国は国際原子力機関(IAEA)の査察に対して北朝鮮がどんな自分勝手な言い訳もすることもできないくらい積極的かつ完全に応じて北朝鮮に正しい学習をさせてやって欲しいものである。

 欲求不満が高まってくると、なかなか解決しない一連の北朝鮮の問題を解決するためには、例えば、毎年、「プルトニウム○○kg、濃縮ウラン○○kg、ミサイル○○基、覚せい剤・麻薬○○トン、偽ドル札○○ドル」などを持って金正日総書記本人が米国に「朝貢」にやってくることを条件に「金印」と「汝を北朝鮮国王と為す」などと書かれた「安全の保証の文書」を食糧などと一緒に米国大統領が与える方向で米朝二国間交渉を進めた方がいいのではないかなどという極端な意見も出てきてしまいそうだが、そんなときには北朝鮮という集合の内部を見る「マクロ」からの視点を思い出すことが重要である。「北朝鮮」の中には軍や党などの「非人道的な独裁国家を支える人間たち」の他にも「非人道的な独裁国家に人権を蹂躙されている一人ひとりの市民」もいるはずである。「朝貢」では「非人道的な独裁国家に人権を蹂躙されている一人ひとりの市民」は救われることはないだろう。

 もちろん北朝鮮の問題を考える場合にも、やはり「過去」と「未来」からの視点が欠かせないし、「過去」の共存・協力関係を素直に受け止めることができるような「未来」にとって大きな障害になるものはすべて取り除く必要があると筆者は考えている。筆者としては、「過去」の共存・協力関係を素直に受け止めることができるような「未来」にとって大きな障害になるものをすべて取り除くという観点からあえていくつか疑問を投げかけておくことにする。北朝鮮が「同じ民族」だということで思考停止してしまう韓国の一部の若い人たちがいるようだが、本当にそれでいいのか。「親日派」、ましてや「親日派の子孫」も「同じ民族」ではないのか。「同じ民族」が自分の生命・財産などを常日頃から脅かされている状態から逃れることも許されない現実があったとしてもそれを黙って見過ごすのか

 日本、韓国などの朝鮮半島、そして中国などの将来のことを考えれば考えるほど、筆者には「領域内の一人ひとりの市民の人権を蹂躙する非人道的な独裁国家」の存在を認めることはできない。もしも北朝鮮が「領域内の一人ひとりの市民の人権を蹂躙する非人道的な独裁国家」であり続けるのならば、日本は断じて北朝鮮との国交を正常化させてはならないし、ましてや過去の植民地支配の「賠償」としての性格をも併せ持つ国交正常化後の経済協力などを行うことは絶対に許されない。日本が朝鮮半島の人たちに耐え難い苦しみを与えた過去の植民地支配を真の意味で反省しているのならば、「領域内の一人ひとりの市民の人権を蹂躙する非人道的な独裁国家」の存在を認め、そして独裁国家内の一人ひとりの人権を蹂躙することを間接的に支援することなど絶対にできるわけがない。もしも「領域内の一人ひとりの市民の人権を蹂躙する非人道的な独裁国家」と国交正常化し、過去の植民地支配の「賠償」としての性格をも併せ持つ国交正常化後の経済協力などを行うことになるのならば、日本は過去の植民地支配に加えて21世紀になってからもさらに朝鮮半島の人たちに耐えがたい苦しみを与えたと将来の世代から見なされることになってしまうだろう。日本はそんな取り返しのつかない大きな歴史的な過ちを犯してはならない

 日本の国益、国際社会の責任のある一員という観点から考えても、北朝鮮が「領域内の一人ひとりの市民の人権を蹂躙する非人道的な独裁国家」であり続けることを容認することはできないはずである。かつて北朝鮮を「地上の楽園」と信じて日本から北朝鮮に渡った多数の元在日朝鮮人や日本人らが北朝鮮にはいるはずだし、また北朝鮮による拉致という形で強制的に連れて行かれた日本人らもまだ北朝鮮にはいるはずである。日本は少なくとも日本国籍を持った人たちの人権保障を北朝鮮側に要求し続ける権利も義務も持っているはずではないのか。いくらグローバリゼーションが進展して国家や国民の定義が変わったとしてもそういう根本的な部分だけは絶対に変わるはずがない。さらに言えば、国際社会の責任のある一員であるはずの日本が「地上の楽園」ではない「領域内の一人ひとりの市民の人権を蹂躙する非人道的な独裁国家」に多数の人たちが渡ったという事実を知りながらあえて知らなかったことにできるわけがないだろう。いくら彼・彼女らがそのまま音信不通になったり、なかなか近況を知ることができなくなっていたとしても北朝鮮を「地上の楽園」と信じて日本から北朝鮮に渡った多数の元在日朝鮮人や日本人らがすべていなくなったわけでも、最初から一人も存在しなかったわけでもないはずである。日本は多数の人たちが「地上の楽園」ではない「領域内の一人ひとりの市民の人権を蹂躙する非人道的な独裁国家」に渡って今も北朝鮮国内に残されているという事実を決してうやむやにせず、国際社会の責任のある一員として恥じない行動を取らなければならないはずである。


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