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 最近の日本の政治情勢について(2005/2/9更新)

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 政治の究極目標は「将来の世代を含めた一人ひとりの生命などを守ること」であると考えています。そしてその目的を達成するためには「ミクロ」「マクロ」、「過去」「未来」、「メリット(プラス)」「デメリット(マイナス)」などという複数の視点によって目の前の深刻な問題を相対化することが必要だと考えています。

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「カルトからの自由」の実現に必要不可欠な挙証責任(2005/2/9)

 (参考)前回からの動き(2004/12/25-2005/2/9)


複数の視点は「連鎖」の理解にも必要不可欠(2004/12/25)

  (参考)主な動き(2004/9/21-2004/12/24)


現実政治の問題解決に必要不可欠な複数の視点(2004/9/21)


永田町も国際社会も相変わらず「異常なし」(2004/6/22)


正しい判断のために必要な最低限の能力や知識とは何か(2004/3/23)


「今という時代の本質」を探し求める共同作業(2004/1/5) (補足(2004/1/12))

「今という時代の本質」を探し求める共同作業(2004/1/5)

(参考) 2003年後半の海外の動き


(2003年総選挙特集)

「壁」を打ち破るためには(2003/12/8)


 最近の日本の政治情勢について(2003年)

 最近の日本の政治情勢について(2002年)

▽参考:日本の政治


「カルトからの自由」の実現に必要不可欠な挙証責任(2005/2/9)

 前回(2004/12/25)から約1カ月が経過した。通常国会が開かれている。永田町周辺は相変わらずである。もしも「永田町歳時記」などというものがあったらおそらく既存のマスコミももう少しレベルの高い報道ができるようになるのだろう。代表質問の「再質問」では1年前も与野党がもめていたはずだし、「妄言録」なら1年前の衆院本会議でドイツの憲法を独断と偏見で勝手に改正していたやがて「未納兄弟」の仲間入りを果たすことになる人物のものもあったはずである(→参考:2004/3/23号)。

 第162通常国会が召集(→1/21。会期は6/19までの150日間)され、小泉首相の施政方針演説など政府4演説(→1/21。小泉首相は郵政民営化に強い意欲。閣議決定した郵政民営化の基本方針に従って4分社化(持ち株会社の下に窓口ネットワーク、郵便、郵貯、保険の4事業会社を設立)や非公務員化などを明言)、そして各党代表質問(→1/24-26。1/24の衆院本会議では岡田克也民主党代表の再質疑に対する小泉首相の「すべてに明確に答弁している」などという答弁に民主・社民の代議士たちが反発、一時議場を退席。河野洋平議長が誠意を持って答弁するように「注意」して再開。ただし予定されていた民主党の小宮山洋子代議士の質疑は延期に)が行われた。そして新潟県中越地震などの災害対策を柱にする2004年度補正予算が全会一致で可決され、成立した(→1/28に衆院通過、2/1に参院)。そして衆院予算委で2005年度予算案の審議が始まった(2/2)。

 また日本人拉致問題などで緊張状態が高まる中、2006年W杯ドイツ大会アジア最終予選第1戦が埼玉スタジアムで行われ、日本が北朝鮮を2-1で破った(2/9)。政府は魚釣島の政治団体の建設した灯台を国有化、海上保安庁が管理する航路標識法に基づく正式な「魚釣島灯台」として管理・運用を開始(→2/9。中国や台湾にも通告)した。武装勢力による襲撃などが相次ぐ中、イラク暫定国民議会選挙の投票(1/30)も行われた。

 北朝鮮とイラクの問題については基本的には前回までに主張していることに新たに付け加えることはない。一つだけ付け加えることがあるとしたら、北朝鮮による日本人拉致問題などは日本と北朝鮮の二国間問題ではなく、国際社会全体で考えるべき人権問題であるということである。筆者が以前から主張し続けているように、北朝鮮問題を考える場合にも(→参考:2002/9/7号、2002/11/3号etc.)、イラク問題を考える場合にも(→参考:2003/12/8号etc.)、一人ひとりの人間の生命などを守るという政治の原点が重視されるべきである。

 インドネシア・スマトラ島沖でM9.0の巨大地震が発生(12/26午前)し、タイ(プーケットなど)、バングラデシュ、インド、スリランカ、さらにアフリカ東部などのインド洋沿岸で大規模な津波の被害を受け、20万人以上が死亡したと見られている。

 前回は「テレビドラマ」のような思わせぶりな中途半端な終わり方をしたが、「科学(science)の系譜」(→参考:2004/3/23号)を持つこのメールマガジンが空前の大規模な自然災害を予知していたに「違いない」などという「非科学的なこと」は断じてあり得ない。そもそも科学とは、人類が「事実との真正の結合」に基づいて自然や人間自身を正確に理解しようとしながら発展してきたものだと考えられる。つまり科学は、「祟り」や「タイムスリップ」や「テレポーテーション」などという類のものとは相容れないのである。だからもしも科学や理科系「だから」タイムスリップやテレポーテーションなどという類のことを言い出す人間がいるとしたら科学の最も基本的な部分すらも理解できない知的レベルにあるということになる。人類は21世紀になっても「科学のようなもの」(→参考:2004/12/25号etc.)をはじめとする様々な「カルトからの自由」を追求し続けなければならないのである。なおここで言うカルトとは「事実との真正の結合とは全く無関係な強い思い込み」のことを意味している。

 今回は「カルトからの自由」、そして「世代間変化」をキーワードにしながら、小泉首相の答弁などを通じて見えてきたいわゆる「政治家の説明責任」の問題、もはやNHKと朝日新聞の泥仕合になっている政治圧力疑惑などを通じて見えてきた民主主義に不可欠な「言論(報道)の自由」の問題、そして教育を考える場合に避けて通ることができない「学問の自由」の問題を考えることにする。実はこれらの問題を考えることは、前回の最後に述べた「『沖縄の在日米軍基地問題』『北朝鮮問題』そして『日ロ平和条約・北方領土問題』で『望ましい未来』を実現していこうとするときに日本には何が必要になるのか、そのために日本はどうすればいいのか、さらに日本が将来に渡って国際社会全体に貢献しながら国際社会の中にふさわしい居場所を見つけていくためにはどうすればいいのかなどということをもっと具体的に考えていくこと」につながっているのである。

「望ましい未来」の実現に必要な日本の「ソフト・パワー」

 「ソフト・パワーとは何なのか。それは強制や報酬ではなく、魅力によって望む結果を得る能力である。ソフト・パワーは国の文化、政治的な思想、政策の魅力によって生まれる」「ソフト・パワーとは自国が望む結果を他国も望むようにする力であり、他国を無理矢理従わせるのではなく、味方に付ける力である」「冷戦がそうであったように、現在の課題も軍事力だけで対応できるものではない。だからこそ、アメリカは、そして他の国も、ソフト・パワーをもっと理解し、行使することが不可欠である。ハード・パワー、ソフト・パワーのどちらかだけを重視するのは賢明ではない。両者をともに重視するのがスマート・パワーである」「国のソフト・パワーは主に三つの源泉によるものである。第一が文化であり、他国がその国の文化に魅力を感じることが条件になる。第二が政治的な価値観であり、国内と国外でその価値観に恥じない行動をとっていることが条件になる。第三が外交政策であり、正当で敬意を払われるべきものとみられていることが条件になる」(以上、ジョセフ・S・ナイ著、「ソフト・パワー」、日本経済新聞社、2004年)−

 多少の誤解を恐れずに簡潔にひとことで表現するならば、日本が「望ましい未来」を実現し、将来に渡って国際社会全体に貢献しながら国際社会の中にふさわしい居場所を見つけていくためには、安全保障問題の専門家のナイ(米ハーバード大学特別功労教授)氏の言うような「ソフト・パワー」を高める必要があるのである。そして日本の「ソフト・パワー」を高めるためには、日本は国際社会から見れば間違いなく「平和で豊かな民主主義国家」であるという現実を踏まえ、日本を「平和で豊かな民主主義国家」にすることに過去約60年に渡って大きく貢献してきた日本の「民主主義」と「教育」に磨きをかけていくことが必要になってくると筆者は考えている。また日本が民主主義の下での選挙と教育によって国や社会を劇的な形で不可逆的に変化させた国際社会の中の「非欧米国家」の実例であり続けようとすることは「グローバリゼーション時代の新しいナショナリズム」として適切なものになるのではないかと筆者は考えている。

 「最初は非常に大きな摩擦や抵抗や失敗があるかもしれない。日本もそうだった。だが、長い目で見るならば、こんなにも劇的に国を変えることができ、しかも後戻りすることもない」などと日本が同じ地球上の一人ひとりの人間の生命すらも保障されていない地域にいる人たちに対して説得力を持って言うためには、日本における現実政治の諸問題、そして日本における「言論(報道)の自由」や「学問の自由」の問題を「カルトからの自由」という「人類の歴史的文脈」の中で考える必要があると筆者は考えている。

「カルトからの自由」という「人類の歴史的文脈」

 2005年で戦後60年になる。そして1995年の阪神大震災(1/17)とオウム真理教による地下鉄サリン事件(3/20)から10年になる。今回までに筆者は、将来の世代を含む一人ひとりの人間の生命などを脅かす現実政治における深刻な諸問題を相対化し、それらを論理的思考に基づいて本質的に解決していくために複数の視点を導入する手法の有効性について検討してきた。多少繰り返しになるが、今まであえて強調せずに使用してきた重要な「人類の歴史的文脈」である「カルトからの自由」と特定問題を相対化するための「別の複数の視点」についても触れておく必要がある。

 人類は歴史の中で「人間」とその人間が置かれている「環境」を継続的に理解しようと試みてきたと考えることができる。人類は様々な形で事実を収集し、蓄積した事実に基づいて仮説を立て、その仮説を新しい事実で検証し、さらに新しい事実や仮説を積み重ねていくというフィードバック作業を繰り返して「人間」と「環境」についての体系的な理解を深めてきたと考えることができる。言うまでもなくその体系的な理解の代表的なものの一つが「自然科学(science)」である。

 さらに「事実との真正の結合」、すなわち事実に基づく因果関係を前提とした「人間」と「環境」についての体系的な理解が始まると、人類は自らの「内部」と「外部」に共に存在する「事実との真正の結合とは全く無関係な強い思い込み」(→「カルト」)からの解放を目指す「カルトからの自由」という古くて新しい問題にも継続的に取り組み続けてきたと考えることができるのである。そして人類が「カルトからの自由」を追求していく過程で最も強力な「武器」となり、「カルトからの自由」の追求のために有用な知識やノウハウを蓄積してきたのが「自然科学(science)」なのである。人類の歴史の中ではどんな「カルト」も「科学に基づいたカルトを否定する事実」を繰り返し突き付けていくことによってやがては消え去っていった。だからこそ現在の「カルト」は公然と科学に反旗を翻すのではなく、科学とは似て非なるものである「科学のようなもの」を身に付けて生き残りを図っているのである。

「プラス」「マイナス」、あるいは「メリット」「デメリット」

 そして今まであえて強調してこなかった「別の複数の視点」とは、物事の「プラス」と「マイナス」の側面、あるいは「メリット」と「デメリット」のことである。ほとんどの物事や現象は「プラス」と「マイナス」の側面、あるいは「メリット」と「デメリット」を併せ持っている。よってある物事やある現象を考える場合には「プラス」と「マイナス」、「メリット」と「デメリット」の両側からの視点が共に必要になってくる。そして「プラス」と「マイナス」、あるいは「メリット」と「デメリット」はそれぞれが置かれている立場によって変わってくるから、これらのことを考えるということは必然的に「自分とは異なる別の視点」の存在を意識しなければならないことになる。以上のようなことはあまりにも当たり前のことであるのでこれ以上の詳しい説明は必要ないのかもしれないが、「文化の逆機能」という問題をクローズアップするためにあえてもう少しだけ「プラス」と「マイナス」、あるいは「メリット」と「デメリット」の問題について考えてみることにする。

文化の逆機能

 もしも文化を「人類の生きるための工夫」のように広く捉える場合には、科学やその他の様々な技術はもちろん、政治・経済などの制度のようなものまでのすべてのものが文化ということになる。そして「人類の生きるための工夫」としての文化の(正)機能を「将来の世代を含めた一人ひとりの人間の生活に役立つこと」と考えるのならば、「文化の逆機能」は「将来の世代を含めた一人ひとりの人間の生活に脅威を与えること」などということになる。「文化の逆機能」の具体例を見てみることにする。

 言うまでもなく科学技術には「メリット」と「デメリット」がある。科学技術は一人ひとりの人間の生活を豊かにするという「プラス」の側面と同時に、「公害」、あるいは「地球温暖化」や「環境ホルモン」(内分泌撹(かく)乱化学物質)の問題で一人ひとりの人間の生活を脅かすという「マイナス」の側面をも併せ持っている。そしてほとんどの「公害」は、同じ時代の中に科学技術の恩恵という「プラス」の影響を受けている人たちと「公害」という「マイナス」の影響を受けている人たちを作り出している。一方、多くの場合、「地球温暖化」や「環境ホルモン(内分泌撹(かく)乱化学物質)」の問題では、「現在の世代」が科学技術の恩恵という「プラス」の影響を受けるのに対して「将来の世代」はほぼ確実に様々な大きな「マイナス」の影響を受けることになるという本質が非常に見えにくくなる形で「文化の逆機能」の効果が現れてくることになる。

 さらに言えば、様々な「制度」にも「メリット」と「デメリット」がある。「現在の世代」が「将来の世代」に与える「文化の逆機能」の効果に注目して具体例を選ぶならば、国債のような長期債務を作り出した経済制度を真っ先に挙げることができるだろう。将来の収入を担保にした借金によって手持ちの資金だけでは不可能だった様々なことが実現可能になり、一人ひとりの人間の生活を豊かにしてきたなどというような経済制度の「メリット」は改めて説明するまでもないだろう。だが、その借金が国債という国家の借金であり、しかも「現在の世代」のために使われ、その返済を「将来の世代」がするということになるのならば、国債というものを作り出した経済制度の「逆機能」をほとんどすべての人たちは認めざるを得なくなる。それどころか国債による「文化の逆機能」は主権主体の拡大という「人類の歴史的文脈」にも逆行し、「現在の世代」による「将来の世代」に対する搾取という「時代を超えた新しい形の搾取の構造」をも作り出していると考えることができるのである。

本当の意味での弱者

 歴史的に主権主体は、貴族などの「有力男性」から長い時間をかけて徐々に拡大し、普通選挙の実現という形でやがて「男性一般」、そしてほんの50年ぐらい前から「成人男女一般」へと拡大してきた。従って国債を媒介にした「現在の世代」による「将来の世代」に対する搾取、あるいは「地球温暖化」や「環境ホルモン(内分泌撹(かく)乱化学物質)」のような環境問題の発生という形で「将来の世代」に脅威を与えることによって主権主体の拡大という「人類の歴史的文脈」に逆行することを避けるためには、新しい「人類の生きるための工夫」、すなわち新しい文化が必要になってくるのである。

 様々な「文化の逆機能」に注目した場合には、今の子供たちやまだ生まれていない人たちを含めた「将来の世代」が本当の意味での弱者ということになる。世の中にはいろいろな「弱者」がいる。確かに本当に気の毒な人たちもたくさんいる。だが、ほとんどの気の毒な人たちは訴えが届くかどうかはともかくとしても、訴えることぐらいはなんとかできるのかもしれない。これに対して「将来の世代」のほとんどは訴えることもできない。今の子供たちのほとんどはそもそも事情がよく分かっていないだろうから、もしも彼らが訴えなくてはいけないことがあったとしてもなかなか訴えることはできないだろう。まだ生まれていない人たちの場合には生まれてくる時代も場所も親も何も選ぶことができないのである。本研究が「将来の世代を含む一人ひとりの生命などを守ること」などとあえて「将来の世代を含む」を強調するのは、「将来の世代」が本当の意味での弱者であると考えられるからである。さらに「子孫の繁栄」などという視点は例外なくほとんどすべての文化・文明が受け入れることができると考えているからでもあるのである。

風化しても残るもの

 あえて繰り返すが、2005年で戦後60年になる。日本人がこの60年間に築き上げてきた最大の成果は、平和な民主主義国家であり、しかも世界で有数の経済大国である日本そのものであることは改めて指摘するまでもないことである。そして平和で豊かな民主主義国家を築き上げる過程で教育の果たしてきた役割は決して少なくはないはずである。時間が経てば経つほど過去の戦争を体験した人たちの数は少なくなっていくのだから過去の戦争の実体験や記憶が風化していくのは避けようのないことである。だが、日本人がこの60年間に築き上げてきた成果が本物であるならば、過去の戦争の実体験や記憶が風化したとしても普遍的な形で残るものがあるはずである。例えば、人権の場合には、一人ひとりの人間の生命すらも保障されていなかった過去の悲惨な体験が完全に風化してしまったとしても、現在では多くの民主主義国で基本的人権の保障が確立している。

 戦後60年目に真っ先に確認しなくてはならないのは、過去の戦争の実体験や記憶が風化したかどうかではなく、日本人が築き上げてきた成果が本物かどうかということである。もしも一人ひとりの人間の生命すらも保障されていない地域が地球上にまだ残されていることに多くの日本人が鈍感であるならば、日本人がこの60年間で築き上げてきた成果はとても本物だとは言えないということになるだろう。

 さらにあえて繰り返すが、2005年で阪神大震災(1995/1/17)とオウム真理教による地下鉄サリン事件(1995/3/20)から10年になる。今現在いったい何が風化し、何がどんな形で残っているのかをしっかりと確認しておく必要があるだろう。そして20万人以上が死亡したとみられるインドネシア・スマトラ島沖の巨大地震・インド洋大津波(2004/12/26)の記憶や実体験もやがては風化していくのだろう。風化してしまった後にいったい何をどんな形で残すことができるのかどうかということはやはり重要である。

 もしかしたら平和で豊かな民主主義国家の日本で誰もが簡単に見つけることができる一人ひとりの人間の生命などに対する脅威の具体的事例は自然災害ぐらいしか存在しないのかもしれない。平和で豊かな民主主義国家の日本であっても、ある日突然、一人ひとり人間の生命などが脅かされる危険性がかなり高いのだということを多くの人たちは忘れているように思われる。まさに「防災」ではなく「忘災」の状態である。

 また繰り返しになるが、今回は「カルトからの自由」、そして「世代間変化」をキーワードにしながら、小泉首相の答弁などを通じて見えてきたいわゆる「政治家の説明責任」の問題、もはやNHKと朝日新聞の泥仕合になっている政治圧力疑惑などを通じて見えてきた民主主義に不可欠な「言論(報道)の自由」の問題、そして教育を考える場合に避けて通ることができない「学問の自由」の問題を考えることにする。現在、筆者は日本の現実政治と教育における「世代間変化」に特に注目しているのである。まずは民主主義に不可欠なはずの「言論(報道)の自由」の問題から取り上げることにする。

朝日新聞とNHKなどの「泥仕合」の本質は「5W1H」

 朝日新聞(1/12付朝刊)が報じたNHKの従軍慰安婦特集番組への政治圧力疑惑の波紋が広がっている。誰の目にも明らかな形で泥仕合になっている。おそらく普通の人たちには、自民党の安倍晋三幹事長代理・中川昭一経済産業相と朝日新聞だけではなく、朝日新聞とNHKも実はかなり仲が悪かったということ以外にはほとんど何がどうなっているかよく分からないことだろう。ここでは当事者たちの主張の詳細についてはあえて触れない。どうしても必要な読者は各当事者のHPなどを参照していただきたい。

 (→朝日新聞:http://www.asahi.com/special/nhk/
 NHK:http://www.nhk.or.jp/pr/keiei/news/
 安倍晋三氏:http://www3.s-abe.or.jp/
 自民党:http://www.jimin.jp/jimin/info/jyouhou/index004.htmlなど)

 実は、朝日新聞とNHKなどによる「泥仕合」の解消にも、現実政治の問題を解決するために筆者が適用した複数の視点を用いる手法が有効なのである。朝日新聞とNHKなどによる「泥仕合」にも、「ミクロ」「マクロ」、「過去」「未来」、そして「プラス」「マイナス」(「メリット」「デメリット」)などという複数の視点を導入すると、もつれた糸が少しずつほぐれてくるということが多くの読者にもきっと理解してもらえることだろう。

 最初にどうしても明確にしておかなければならないことは、朝日新聞とNHKなどの「泥仕合」の本質が「5W1H」(→誰(who)が、いつ(when)、どこ(where)で、何(what)を、なぜ(why)、どのように(how)、など)であるということである。そしてこの問題では、どういうわけか政治「圧力」、政治「介入」、番組「改変」などというそれぞれ区別して論じられなければならないことがすべてごちゃ混ぜにして論じられているから混乱が大きくなっているということも指摘しておかなければならない。これらのことをすべて見失ってしまうと果てしない泥仕合からいつまでも脱出することができなくなるのである。筆者に言わせれば、「ことの本質を見失ってはならない。問われているのは、NHKと政治家の距離の問題である。その不自然さは今回、NHKや政治家の言い分によっても明らかになってきた」(朝日新聞2005/1/22付朝刊社説「NHK問題 ことの本質を見失うな」)などという認識だからこそ「泥仕合」になっているのである。

朝日新聞とNHKなどの「泥仕合」における「ミクロ」からの視点

 最初に、事実との真正の結合、因果関係などという「ミクロ」からの視点から朝日新聞とNHKなどの「泥仕合」を見てみることにする。繰り返しになるが、朝日新聞とNHKなどの「泥仕合」の本質は「5W1H」である。つまり何が間違いのない事実なのかということ、「事実」と「証言」は本当に同じものなのかということなどを正確に把握することができなければ問題を解決することは不可能になってしまうのである。

 今回の朝日新聞とNHKなどの「泥仕合」のきっかけになった朝日新聞1/12付朝刊の記事ではおそらく「5W1H」は以下のようになるのだろう。「中川昭一経済産業相」「安倍晋三自民党幹事長代理」が「NHK幹部」に対して(→誰(who))、「2001年1月の従軍慰安婦問題を扱ったNHK教育テレビの特集番組の放送前日」(2001/1/29→いつ(when))に、「議員会館など」(→どこ(where))で、「NHK教育テレビの特集番組の内容」(→何(what))を、「公平で客観的な内容ではないと事前に知っていたから」(→なぜ(why))、「NHK幹部を呼びつけて」「一方的な放送はするな」「公平で客観的な番組にするように」(→どのように(how))、などと求め、番組の内容が変更されて放送された、ということになるのだろう(→以下、「朝日記事の5W1H」と呼ぶ)。そしてどうやら「朝日記事の5W1H」の根拠のほぼすべては当事者やその周辺の「証言」ということのようである。

 この問題を考える場合によく注意しなければならないことは、政治「圧力」、政治「介入」、番組「改変」などのすべての疑惑は「朝日記事の5W1H」が間違いのない事実であることが大前提となっているということである。つまり疑惑は基本的には「朝日記事の5W1H」に基づいて解明されるべきであるし、「朝日記事の5W1H」が崩れたら疑惑そのものが存在しないということにもなってしまうのである。

 さらにもう一つ注意しなくてはならないのは、仮に当事者や関係者の「証言」が崩れたとしても、「事実関係」そのものには全く何の変化もないということである。「圧力があった」という「証言」があれば「圧力があった」ことになり、「圧力などなかった」という「証言」があれば「圧力などなかった」ということになるなどというそんなバカなことがあるわけがない。もしも「証言」の内容で「事実関係」そのものが完全に変化してしまうのならば、唯一の証拠として自白を強要する独裁国家の秘密警察のやり方以外はすべて間違いということになってしまう。「ことの本質を見失」わないためには、最初からそんなことは全く「証言」していないのか、一度行った「証言」を後から翻したのかどうかなどということはむしろすべて後回しにした方が良いのである。朝日新聞は、当事者たちの「証言」によって「朝日記事の5W1H」が崩されたのならば、別の事実によって「朝日記事の5W1H」を補強するべきであるし、場合によっては誤りを認めて新たな「5W1H」を示してもいいはずである。

 現時点(2005/2/9)では「朝日記事の5W1H」に大きな疑問点が残されたままである。言うまでもなく、報道では「5W1H」は基本中の基本である。したがって朝日新聞ではどういうわけか最低限の「記者としての躾(しつけ)」もなされていない人物でも好き勝手に記事を書くことができるという疑惑が新たに浮上していることになる。これはメディアとしては致命的な疑惑であるから一刻も早く解消しなければならないはずである。そしてこの疑惑は朝日新聞がその読者に対して説明責任を負っている問題であり、「挙証責任」は朝日新聞にあるのである。朝日新聞には「事実との真正の結合」に基づいたNHK番組「改変」問題の続報を掲載するか、それとも1/12付朝刊の記事は「誤報」だったと認めて訂正・謝罪するかのどちらかしか選択肢は残されていないはずである。いつまでもどちらの選択肢も選ばないのならば、朝日新聞が守ろうとしているのは、「言論(報道)の自由」ではなく、「カルトの自由」だと大多数の人たちからみなされたとしても何も反論できなくなってしまうだろう(→繰り返しになるが、ここでの「カルト」とは、事実との真正の結合とは全く無関係な強い思い込みのことを意味している)。ちなみに朝日新聞の現役記者でもOBでも何でもない筆者としては「朝日新聞は死んだ」などという格好良すぎるセリフを使うことはあえて避けることにする。

「泥仕合」における「マクロ」からの視点

 次に朝日新聞とNHKなどの「泥仕合」を「マクロ」からの視点で捉え、政治「圧力」、政治「介入」、番組「改変」などを区別して論じられなければならないということを説明することにする。そのためには「圧力」、「介入」、「改変」という一見当たり前の言葉を定義することからはじめる必要があるだろう。

 まずこの場合の「改変」とは、「編集権を持たない者が編集権を持つ者や執筆者・製作者に対して示した意思などと因果関係が存在する形で記事や番組の内容が当初とは違うものに変化すること」であるとする。またこの場合の「介入」とは、「編集権を持たない者が編集権を持つ者や執筆者・製作者に対して記事や番組の内容について当初とは違うものにする意図をもって意思などを示すこと」であるとする。さらに「圧力」とは、「現実社会の様々な力関係を背景として強い方から弱い方へ、あるいは高い方から低い方へと向かう力」であるとする。

 朝日新聞とNHKなどの「泥仕合」を「マクロ」からの視点で捉える場合には、政治家のような「編集権を持たない者」、NHK幹部のような「編集権を持つ者」、そして「製作者」が具体的にどのように考えていたのかということを問題にせざるを得ないことになる。もしも「編集権を持たない者」「編集権を持つ者」「製作者」の意見がすべて一致しているのならば、基本的には「改変」と「編集」と「製作」がすべて同じものになると考えられるから、「改変」は何も問題にならないはずである。「改変」が問題になってくるのは、意見が一致していないときである。そして「言論(報道)の自由」との関係で特に注意しなければならないのは、「編集権を持たない者」と「編集権を持つ者」「製作者」との間で意見が異なるかどうかということである。「編集権を持つ者」と「製作者」との間で意見が異なっているかいないかということは「改変」などと直接的な関係はないということに注意しなくてはならない。仮に「編集権を持つ者」と「製作者」との間で意見が異なっているときに番組の内容が当初から変化したとしてもそれはほとんどの場合には「編集」だからである。今回のケースでは「編集権を持たない者」と「編集権を持つ者」の意見が一致していたのかどうかということが大きなポイントの一つになるはずであるが、どういうわけかあまり重視されていない。筆者に言わせれば、「編集権を持たない者」と「編集権を持つ者」の意見が一致していたのかどうかというポイントの一つを見事に外しているから「泥仕合」になってしまうのである。

 ちなみに「圧力」というものは現実社会の中に常に存在するものである。そして「圧力」が存在したとしてもそれが問題になるかどうかということはケース・バイ・ケースである。言うまでもなく現実社会の様々な力関係を背景として「編集権を持たない者」が番組を「改変」したり「介入」しようとする場合に生じる「圧力」は問題である。だが、「圧力」というものは、高い方から低いほうに向かうという性質上、「編集権を持つ者」や「製作者」の「志」や「能力」が一方的に低くても発生するということを絶対に忘れてはならないのである。

 さて、ここからは単なる「頭の体操」だが、もしも政治家と「編集権を持つ者」の間の「意見の一致」と「密接さ」を示す「5W1H」がしっかりとした報道があり、その上で番組が「編集」されたということが明確になるのならば、その場合には「政治家の距離の問題」ということなる。そして「政治家の距離の問題」が大きな問題にならないのは、明らかに不適切な内容を「編集」して適正なものにしたときだけである。いずれにしても現役記者でもOBでも何でもない筆者としては「某国営放送は死んだ」などという格好良すぎるセリフを使うことも避けることにする。

「泥仕合」の「過去」「未来」、「メリット」「デメリット」

 朝日新聞とNHKなどの「泥仕合」は「過去」「未来」からの2つの視点でも捉える必要がある。繰り返しになるが、この「泥仕合」の「過去」を振り返ってみれば、朝日新聞1/12付朝刊の記事がそもそものきっかけであり、この記事の「5W1H」についての疑問点が解消されないことが「泥仕合」の最大の原因であるということに気づくことになる。そしてもしもこのまま「未来」も「泥仕合」を続けたいと思っているわけではないのならば、今の時点で「朝日記事の5W1H」に立ち返らなければならないということにも気づくはずである。繰り返しになるが、「朝日記事の5W1H」は基本的には朝日新聞が読者に対して説明責任を負っている問題であり、「挙証責任」は朝日新聞にあるのである。今後もいつまでも「泥仕合」を続けるのならば、朝日新聞とNHKが守ったのは「言論(報道)の自由」ではなく「カルトの自由」だったと将来多くの人たちからみなされることにもなりかねない。

 意外に思うかもしれないが、朝日新聞とNHKなどの「泥仕合」にも「デメリット」だけではなく「メリット」も存在すると考えることができるのである。「カルトの自由」ではなく「カルトからの自由」を実現して「言論(報道)の自由」を守るためには、説明責任や挙証責任というものが必要不可欠だということを多くの既存のマスコミが「泥仕合」をきっかけに学習するのならば「デメリット」だけではなく「メリット」も多少はあったということができるだろう。

 筆者が現実政治の問題を解決するために適用した複数の視点を用いる手法は、朝日新聞とNHKなどによる「泥仕合」にも有効な柔軟な手法だということをある程度は実感してもらえただろうか。

「減点方式」ではなく「加点方式」に

 永田町周辺は相変わらずである。政治とカネの問題であれ、その他の不祥事であれ、今も昔も野党は与党を厳しく「追及」することに熱心である。だが、今まで野党の「追及」によって本質的な意味で何か得られるものがあったのだろうか。今まで予算委などでの「集中審議」「参考人質疑」「証人喚問」は何度もあったが目立った成果はほとんどなかったのではないのか。冷静に考えてみればほとんどの読者はすぐに分かると思うが、予算委などでの「集中審議」「参考人質疑」「証人喚問」や野党の「追及」によって何か新しい事実が明らかになるなどということは基本的にはないのである。そのことはここ数年間の具体例に限定しても何度も実証されていることである。もちろん明らかになった新たな事実を突きつけられた本人が事実だと認めるというようなことは少なくはない。だが、その場合にもほとんどの新しい事実は予算委などの「内部」ではなく「外部」で明らかになっているのである。決して勘違いしてはいけないのは、予算委などでの「集中審議」「参考人質疑」「証人喚問」はそこに何かを入れれば何でもすぐに明らかになる「魔法の箱」ではないということである。

 今になっても「55年体制」下の妙な発想にとらわれて何でもかんでも与党を厳しく「追及」することが正義だと強く思い込んでいる野党の議員たちがやっていることは、たいした証拠もなしに「被疑者」に自白を強要する悪質な「警察官」や「検事」と同じようなことだということが多くの読者にはおそらく気づいてもらえることだろう。しかも過去にどんな不祥事を引き起こした人物でもどんな能力がない人物でも「追及」するだけで誰でも簡単に正義の味方になることができてしまうのだから実に性質が悪いということもおそらく分かってもらえることだろうと思う。「追及」を一切するなとは言わないが、「追及」を行う議員たちは少なくとも「追及」には限界があるということぐらいは理解しなくてはならないはずである。

 「55年体制」下の妙な発想から多くの議員たちを解放するという「カルトからの自由」を実現することは日本の現実政治における緊急課題になっていると考えている。筆者は日本の現実政治において「カルトからの自由」を実現するための第一歩として「減点方式」ではなく原則「加点方式」を導入することにする。言うまでもないことだが、「加点方式」ならば誠意を持って既に明確に答弁していようがいまいが、質問に対する答えが白紙ならば0点ということになる。

 「子供は社会の宝、国の宝です。学校や家庭、地域など社会全体で、新しい時代を切り拓く心豊かでたくましい人材を守り育てていかなければなりません。教育基本法の改正については、国民的な議論を踏まえ、積極的に取り組んでまいります。我が国の学力が低下傾向にあることを深刻に受け止め、学習指導要領全体を見直すなど学力の向上を図ります」「大学は、『知の創造と継承の拠点』であります。世界に誇れる研究を重点的に支援するとともに、大学運営に関する第三者評価制度により、質の向上を図ってまいります」「美しい地球を次世代に引き継ぐことは、我々の責務です。環境保護と経済発展の両立は可能であり、これを実現するのは科学技術であります。新しい産業や雇用の創出、国民の健康や生活の質の向上、国の安全や災害の防止に寄与する研究開発を戦略的に推進し、『科学技術創造立国』を目指します。人の遺伝子情報の医療への応用など基幹技術の研究開発を重点的に支援します。大学発のベンチャー企業は、世界初のマグロの完全養殖に成功した事例など、既に900社を超えました。産業界・学界との連携を更に強化します」(以上、1/21の小泉純一郎首相の施政方針演説から)

 「政治の原点は一人ひとりの人間の命を大切にすること、一生懸命生きている人々をしっかり支えることにあります」「総理は『努力した人が報われる社会が大切』と言われますが、その前提はチャンスが平等にあることです。親の所得によって教育を受ける機会に差が出ることは、人生のスタートにおいて機会の平等が保障されていないことになります。その観点からは、公立の小中学校の建て直しが大きな政治課題です。総理は施政方針演説で、教育基本法の改正や学習指導要領の見直しに言及されました。これらの問題について、議論を行うことを否定するつもりはありません。しかし、教育の建て直しで最も重要なことは、小中学校の『学びの現場』からの改革です。最近、民間出身の校長や、地域が中心となった学校運営などの新たな試みが拡がっています。このような『学びの現場』からの改革をサポートするために、教育の地方分権が不可欠と考えます」(1/24の民主党の岡田克也代表の代表質問から)

 小泉純一郎首相も岡田克也民主党代表も共に教育を重視しているのだろう。まずは小泉首相と岡田民主党代表の党首討論やその他の場所での発言を原則「加点方式」で検証することを通じて、地球上の「将来の世代を含めた一人ひとりの生命などを守る」ために必要なことを考えるなどという明確な目的を持った日本発の地球規模の教育への取り組みの重要性を認識しているのか、もしも重要性を認識しているのならばそうした日本発の地球規模の教育への取り組みをどのように進めていくのかなどということを明らかにしていきたい。念のために言っておくが、「ゆとり教育で学力が低下したからこれからは世界一の学力を目指して厳しくする」とか「50年間にノーベル賞受賞者30人程度」(→参考:2002/10/15号etc.)などという底の浅い発想や行動は一切加点対象にしないので評価できる発言や行動がなければいつまでも「0点」のままである。また地球上の「将来の世代を含めた一人ひとりの生命などを守る」ことに明らかに逆行する場合には「減点」することになる。

 「内閣総理大臣」であれ、「次の総理大臣」であれ、自分がそれにふさわしい人物であるということを示す「挙証責任」は基本的には自分自身にあるということを小泉首相と岡田代表が自覚しているかどうかがそう遠くないうちにハッキリすることだろう。日本の現実政治における「政治家の説明責任」の問題を解決するために「減点方式」に代わって原則「加点方式」を導入することが有効かどうかはしばらく様子を見ればはっきりしてくると考えている。

現実政治における「説明責任」とは

 ところで、現実政治において一般に「説明責任」と訳されている「アカウンタビリティ(accountability)」のような政治家の政治責任の本質を見失わないようにするためには、議員が選出母体に拘束された身分制議会のあり方の否定に由来する「国民の意思は代表者によって創設される」などと捉える「純粋代表」という考え方、「代表者は可能な限り国民意思を反映すべき」などと捉える「半代表」という考え方という憲法学などで問題にされるような2つの代表観が非常に重要な意味を持ってくることになる。そしてこの2つの代表観を踏まえて考えるならば、「アカウンタビリティ」という専門用語の訳語はともかく、現実政治における「アカウンタビリティ」の本質は「代表としての言行一致」などということになるはずである。

 国民の「代表」である国会議員が国民に向かって言ったことや、国会議員が国民と約束したことと、その国会議員の実際の政治行動との間に埋めることができない大きな格差があるのならば、国民の意思を正しく反映することなどできるわけがない(→前述の「半代表」の側面の否定)。もしも国民が国会議員の実際の政治行動と約束したことなどとの間に大きな格差があると考えるのならば、国会議員は国民の「代表」であり続けるために国民に説明して格差をなくそうとしなければならない。そしてもしも国会議員がどうしても国民を納得させることができないのならば、その国会議員は国民の「代表」としての正統性を失うことになって辞任を求められることになるが、残りの任期の間は辞任せずに実際の政治行動によって格差を埋めようと試みることも不可能ではないということになる(→前述の代表の「純粋代表」的な側面)。

 現実政治の本質と「人類の歴史的文脈」を踏まえた「代表」の意味を共に正しく理解できないのならば、「説明責任」ではなく「応責任」だなどという類の「言葉遊び」や政治学的にも法律学的にも底の浅い議論に陥ることになるのである。

 また未納兄弟のメンバーになる前となった後で政治行動が正反対に近いくらい変わってしまう「自己中心性」から解放されていない「他人に非常に厳しく自分たちだけには非常に甘い人物」が本当に民主主義社会の「代表」や「国民主権」というものを正確に理解しているのか非常に疑わしいということにもすぐに気づくことができるだろう。そしてそんな人物に「国民主権論」などを唱えることを簡単に許すところの「政治学」や「国民主権」というものはいったいどんなものなのかが疑問になってくるのである。念のために言っておくが、「民主主義人民共和国」などと言っても本物の民主主義とは似ても似つかないものも世の中には存在するからあの程度でも十分に「国民主権論」だなどと言われても筆者は決して納得しない。あるものが「人類共通の知的生産活動」であるという「挙証責任」は、教員や研究者や教育機関や研究機関の側にあるのである。彼らが「人類共通の知的生産活動」の「挙証責任」を果たさないのならば、どんなにもっともらしく「学問らしいこと」や「研究らしいこと」をやってみせたとしても、単なる「カルト」(→事実との真正の結合とは全く無関係な強い思い込み)と第三者からみなされても仕方がないのである。

人類共通の知的生産活動」の「挙証責任」

 次は教育を考える場合に避けて通ることができない「学問の自由」について考えることにする。教育による「世代間変化」を考える場合には、教員免許状が必要な小学校・中学校・高校などの教員の「指導力」が問題になるのは当然であるが、それだけでは不十分である。特に免許状が必要ない大学・大学院の教員の能力が問題にされなければならない。現状では中学・高校の教員よりもはるかに低い能力の持ち主がまともな実績も実力もないままなぜか「客員教授」「非常勤講師」などの形で教員になってしまうことがある大学・大学院のあり方はやはり問題ではある。確かに問題ではあるが、その問題点は第一義的には大学・大学院の「自治」に委ねられるべきことであると考えている。法律に触れない程度のおかしなことは大学・大学院という「部分社会」の中の自浄作用によって基本的には解消されるべきである。おそらくそれが「学問の自由」ということにもつながるのだろう。ただし、「学問の自由」を掲げる場合には大学・大学院の側に政治家などと同じようなある種の説明責任が課されることになるはずである。

 大学・大学院には自分たちの教育が「人類共通の知的生産活動」の一翼を間違いなく担っていることを示す「挙証責任」があり、研究者には自らの研究が間違いなく「人類共通の知的生産活動」であるということ示す「挙証責任」があり、教員には自らの講義が間違いなく「人類共通の知的生産活動」に貢献しているということ示す「挙証責任」があるはずである。なぜなら「人類共通の知的生産活動」であるということを自分で立証しなければ第三者には「カルト」(→事実との真正の結合とは全く無関係な強い思い込み)などと全く区別できなくなってしまうからである。そしてもしも大学・大学院という「部分社会」の中で一般社会では全く通用しないおかしなことが「常識」になっているのならば、そういう「部分社会」はそう遠くないうちに一般社会の中で淘汰されていくことになるのだろう。念のために言っておくが、国から補助金などを受け取っていたり、企業などから研究費を受け取っていたり、あるいは学生から授業料を受け取っているから大学・大学院に「人類共通の知的生産活動」の「挙証責任」があるのではない。そうではなくて「学問の自由」を守るために「人類共通の知的生産活動」の「挙証責任」が求められているのである。従ってもしも他人からカネを受け取っているのであれば、「学問の自由」のためということに加えてさらに一段上の別の説明責任が求められることになるわけである。

 繰り返しになるが、「タイムスリップ」や「テレポーテーション」のような「オカルト現象」を公の場で口にしても知的レベルが全く疑われないところや、他人に非常に厳しく自分に甘い姿勢を徹底的に貫き通したことぐらいしか目立った実績がない人物でも「国民主権論」を唱えることが簡単に認められてしまうところが「人類共通の知的生産活動」の「挙証責任」を本当に果たすことができるのかは疑問である。「人類共通の知的生産活動」の「挙証責任」を果たせるものならぜひ早急に果たしてもらいたいものである。言うまでもなく、「人類共通の知的生産活動」の「挙証責任」を果たすことができなければ、第三者から単なる「カルト」とみなされても反論できないことになる。もしも「人類共通の知的生産活動」の「挙証責任」をいつまでも果たすことができないところが存在するのならば、実質的には「学問の自由」ではなく「カルトの自由」を守ることになり、やがては「介入」を正当化する大義名分となって「学問の自由」は名実共に失われてしまう危険性もあるはずである。あえて繰り返すが、大学・大学院とその教員が守るべきなのは「カルトの自由」ではなく「学問の自由」のはずである。

グローバリゼーションと「学問の自由」

 「(前略)…日本の学問はみな、はじめは外国人教師によって教えられ、やがてその卒業生の中で優秀な者が外国に留学し、帰朝後、助教授、教授にとりたてられ、外国人教師を置きかえていく。経済学の場合、このような教授職の自家培養がうまく機能しなかったのである」(立花隆著、「私の東大論21」、文芸春秋2000年7月号p340)「『ドイツの歴史学派というのは、ドイツの歴史をやった上でできた学派であった。(中略)それが日本に入ってくるとき、かんたんな教科書にのってきた。イデオロギーの公式だけが入ってきた。日本の学者は日本の歴史の勉強はしなかった。そこで歴史なき歴史学派が日本にでき上がった。それが、私たちが習った経済学であった』」(同p340-341)「『(一橋に対する東大の商業学科の特色は考えられたのか、に)脇村 それは僕がインタープリーテートしますと、渡辺(銕蔵)さんが早くドイツへ留学していて、ドイツでたまたま第一次大戦前後のドイツの経営学の生れてくるところをみて帰ってきた。あるいは勉強はしなかったかもしれないが、とにかくみて帰ってきて、自分がドイツ的な経営学を始めようとなさった。それから上野先生も会計学の研究にドイツへ行くべきだというふうに考えたが、不幸にしてドイツへ行けなかった。イギリスへ行ったんですが、イギリスであまりイギリス会計学の勉強をせずに、ドイツ語の本を買って、田舎に行って読んでいた。一つはイギリスにろくな会計学の本がないということと、いま一つは僕は上野先生にいろいろ個人的にお話しし、質問して聞いたが、なかなか講義が耳でわからないというので、結局本を読むということにして、田舎に行ってテニスかたがたドイツのものを読んだらシェアーの著書にぶつかってドイツ的会計学を勉強した。それを日本に帰って、日本で講義するときにもう一回勉強した…(中略)…つくった人は高等商業の少し程度が高いものということを考えたかもしれないが、スタッフに選ばれた先生方ははじめからそんなことを考えないで、何か学問的なものはないかということで探したら、ドイツにあったということで、渡辺さんはドイツから直輸入するし、上野先生はイギリスで勉強してドイツへ行かずにドイツの学問をもって帰られる』(筆者注:ここまで「東大経済学部五十年史」の名誉教授座談会からの引用部分) イギリスに留学に行って、英語がわからないので、ドイツ語の本を読んで帰ってきただけで助教授になってしまうというのだから、ひどい話である。しかし当時の東大では、その程度でも学問だと思われていたのである…(後略)」(同p343)

 さらに追加していくつか具体例を見なければなかなか信じられないことばかりである。本当にこんなとんでもないことが現実に起こった時代がかつてあったのかどうかはともかくとしても、間違いなく現在はヒト、情報などの国際移動が活発なグローバリゼーションの時代である。グローバリゼーションの進展は大学・大学院の教員の質を高める圧力になるのかもしれない。外国留学自体が非常に珍しかった一昔前だったならば「留学経験」さえあれば大した実力がなくても定年まで大学の教員を務めることができたのかもしれないが、グローバリゼーションの時代には教員の実力がグローバルスタンダードで客観的に評価されやすくなるし、代わりの人材も一昔前よりもずっと速く簡単に見つけることができるようになっている。かつては一生はがれることがなかった実力のない教員の「化けの皮」も、グローバリゼーションの進展によって20年、10年、5年、1年と「化けの皮」がはがれるまでの時間がどんどん短くなっていくのだろう。

研究者は「マイノリティ」、研究は「独創的なもの」

 現実政治の問題解決という観点からは、いわゆる「政治学」の現状を早急に見直す必要があると筆者は考えている。どんな研究分野でもいろいろな考え方があっていいはずだし、そもそもみんなで一斉に似たようなことをやったら効率的な「知的生産活動」にはならないはずである。むしろ「人類共通の知的生産活動」を行うことを強く意識した場合には、一人ひとりの研究者はそれぞれがある意味で「マイノリティ」になり、一つ一つの研究はそれぞれ「独創的なもの」になるはずである。そしてそんな状態でも意味のある一つの研究分野であり続けるためには、すべての研究者が「人類共通の知的生産活動」の「挙証責任」を完全に果たす必要があると考えられる。

 どんなに優れた研究であったとしても、その研究をただ単に別の場所や別の学問領域に持っていって導入するだけで本当に「知的生産活動」になるのかは大いに疑問である。もしも「海外有名研究」や「他学問領域」の知識を導入する「研究」が海外などでチヤホヤされるようなことがあったとしても、そのことは「研究」の学問的評価とは全く別物であるはずである。例えば、日本の総理大臣をモデルにした海外の切手に似て非なる芸能人の名前が印刷されていればそれだけでも十分に日本では注目されるであろうということを思い浮かべれば、海外で注目されることとその学問的評価とは全く別物であるということにすぐに気づくことができるだろう。念のために言っておくが、どこか別のところにあったものを導入することによってどんな新しいことが得られ、そしてそれが間違いなく「人類共通の知的生産活動」であるということを示す「挙証責任」は「海外有名研究」や「他学問領域」の知識を導入した側にあるのである。

 またどんなに優れた「古典」であったとしても、その「古典」を今あえて掘り下げてみるだけで本当に「知的生産活動」になるのかも大いに疑問である。もしも「古典研究」がチヤホヤされるようなことがあったとしても、そのことは「古典研究」の学問的評価とは全く別物であるはずである。誰もが知っている懐かしのヒット曲をカラオケで歌えば最低でも手拍子ぐらいはしてくれるであろうということを思い浮かべれば、「古典研究」が注目されることとその学問的評価とは全く別物であるということにすぐに気づくことができるだろう。念のために言っておくが、昔から繰り返し繰り返し掘り下げられている「古典」を今あえて掘り下げることによってどんな新しいことが得られ、そしてそれが間違いなく「人類共通の知的生産活動」であるということを示す「挙証責任」は「古典」を今あえて掘り下げる側にあるのである。

 俗に言う「金魚のフン」のような単なる「海外有名研究愛好会」「他学問領域愛好会」レベルのもの、現実政治とは全く無関係に何度でも「穴を掘ってすぐにまた埋める」だけの「古典愛好会」レベルのもののどこがどうして「人類共通の知的生産活動」だというのかということを示す「挙証責任」はそういう類のものの「愛好者たち」の側にあるということは言うまでもないことである。また「愛好者たち」がどこかからカネを受け取ってそういう類のものを行っているのならば、カネを出している側にも「説明責任」を負っていることになる。くどいようだが、「人類共通の知的生産活動」の「挙証責任」を果たさなければ、第三者から単なる「カルト」とみなされても反論できないことになるのである。あえて繰り返すが、大学・大学院が守るべきなのは「カルトの自由」ではなく「学問の自由」のはずである。そして「挙証責任」は「愛好者たち」の側にあるのである。

「研究者としての躾(しつけ)」

 「大学の歴史は、十三世紀までさかのぼるのですが、基本的にそれはリベラル・アーツを教えるところでした。リベラル・アーツというのは自由学芸ともいわれ、三学四科からなっていました。すなわち、文法、修辞学、論理学の三学と、算術、幾何、天文学、音楽の四科でした。中世が理想としたのは古典古代の時代で、その時代の文化は、三学四科を身につけた自由人によって維持されていたと考えられたので、教養人たるもの三学四科を学習しなければならないとされたのです…(中略)…そのような(筆者注:法学校や医学校のような)専門的職業教育を受ける前提として、リベラル・アーツを身につけていることが必要と考えられたのです。リベラル・アーツを身につけることで完全な人格者となった人間でなければ、そういう専門職業の道に入る資格がそもそもないということです。制度的にもそうなっていました」(立花隆著、東大生はバカになったか 知的亡国論(文春文庫)、文芸春秋、2004年、p46-47)

 大学・大学院の教員や研究者が「完全無欠のスーパーマン」でなければならないということはないが、少なくとも人文科学、社会科学、自然科学のごくごく基礎的な知識ぐらいは最低でも身に付けておく必要があるのだろう。人文科学、社会科学、自然科学のごくごく基礎的な知識すらも満足に理解できないような人物は最低限の「研究者としての躾(しつけ)」もできていないと見なされかねないからである。よって「学問分野(discipline)」とは似て非なる「ディシプリン」などという奇妙なカタカナのラベルを付けた「箱」の中身が空であったとしても別に不思議なことでも何でもないのである。なにせ「研究者としての躾(しつけ)」ができていない人間が使っている「箱」なのだから中身が空っぽでも当たり前である。

 ちなみに筆者は昨年母校の図書館に何度も行く機会があり、そこで本を探していたら「権力は腐敗する。絶対権力は絶対的に腐敗する」というあの有名な言葉がどうやらイギリスの歴史学者のアクトンが言ったらしいということを偶然知ることができた。どんな大学・大学院の教員であっても「権力は腐敗する。絶対権力は絶対的に腐敗する」という古い言葉の今日的な意味ぐらいは自らの行動を通じて明らかにすることができるのだろう。あえて繰り返すが、大学・大学院が守るべきなのは「カルトの自由」ではなく「学問の自由」のはずである。

「世代間変化」のマイナスの側面

 以上、今回は民主主義の本質の一つである政治家の説明責任の問題、NHKと朝日新聞の「泥仕合」を通じて民主主義に必要不可欠な「言論(報道)の自由」、教育を考える場合に避けて通ることのできない「学問の自由」を考えてきた。

 今回の始めの方でほとんどの物事や現象は「プラス」と「マイナス」の側面、あるいは「メリット」と「デメリット」を併せ持っていると言ったばかりである。もちろん日本の現実政治と教育のどちらでも「世代間変化」のマイナスの側面も考えられる。

 「その間(筆者注:故・田中角栄元首相が「裏」で実権を握るという「表」と「裏」の二重権力状況が続いていた間)に、特異な例外事例であったはずの田中型政治が、いつの間にか、自民党の標準的な政治スタイルになり、ミニ角栄が、中央でも地方でも跋扈(ばっこ)するようになったのである。衆院でいえば、現在当選七回組までが(連続当選の場合)、田中角栄の時代にはじめて国会に登場し、ずっと田中政治の下で育った政治家たちである。これは自民党衆院議員二七四名のうち、実に二〇二名で、約七四パーセントを占める。同じく参院議員でいくと、当選四回組の後半まで田中型政治育ちで、これは自民党参院議員一〇七名のうち、一〇〇名、約九三パーセントを占める(いずれも平成五年六月、衆院解散前)。この数字を見るだけで、二〇年というのが、一国の政治風土を変えるのに十分な年月であるということが分かるだろう」(立花隆著、巨悪vs言論 上、文芸春秋(文春文庫)、2003年)

 少なくとも「政治とカネ」のような政治倫理問題をはじめとするマイナスの「世代間変化」は既に実証されていると考えることができる。当たり前と言えば当たり前の話だが、しがらみのない「新世代」の議員が増えても、彼・彼女らが様々な意味で問題のある「旧世代」の政治家たちから「汚染」されてしまったら「世代間変化」のプラスの影響はいつまで経っても現れないことになる。だからこそ筆者は「開かずの踏切」のような政治家(→参考:2004/1/5号etc.)や「自分の視点だけにとらわれた『自己中心性』から十分に解放されていない人物」(→参考:2004/6/22号etc.)や「政権交代」や「政権維持」を唯一無二の目的とする政治家たちの存在を問題視し続けているのである。

 また「新世代」の議員のすべてが「旧世代」とは別の政治的価値観を持っている議員ではない。「新世代」の議員にも無能な議員や「政権交代」や「政権維持」を唯一無二の目的とする議員など不適切な人物が少なからず含まれている。従って日本の現実政治における「世代間変化」を考える際には、日本における政治家のリクルートメントにも十二分に検討が加えられる必要があるのである。

 教育における「世代間変化」のマイナスの側面はあえて詳しく説明するまでもないだろう。独裁国家などの自由を認めない教育によって独裁体制を支える人材が大量に養成されてきたようなことはいくらでも実例を見つけることができるだろう。また人間性や能力に問題のある教師の存在によって将来有望な子供たちの可能性が次々と奪われていくようなことは現実に存在する深刻な問題である。そして免許が必要な小中高などの教師だけではなく、免許のいらない大学・大学院の教員も人間性や能力が問題にされなければならないのである。人間性や能力に問題のある教師や教員の「バカの壁」を鋳型にして前途有望な若者が次から次へとそんな教師や教員と同じような人間に作り替えられてしまったらそう遠くないうちに人類は滅びてしまうだろう。

 繰り返しになるが、筆者は現在、日本の現実政治と教育における「世代間変化」に特に注目している。だからこそ民主主義と教育の現状にこだわっているのである。


< 前回からの動き(2004/12/25-2005/2/9) >

 小泉純一郎首相の2005年は1/4の年頭記者会見・伊勢神宮参拝から始まった。そして小泉首相はインドネシア・ジャカルタで開かれたスマトラ沖巨大地震と津波被害(12/26)の復興支援緊急首脳会議(→1/6。国連主導で復興支援を進めることや津波の早期警戒システム構築などの内容の共同宣言を採択して閉幕。アメリカのパウエル国務長官らも出席。日本はオーストラリア、ドイツに次いで3番目の総額5億ドルを供与することを発表。また小泉首相は国連のアナン事務総長、インドネシアのユドヨノ大統領と会談。1/5出発、1/6深夜に帰国)に出席した。ちなみにスマトラ島バンダアチェ沖に海上自衛隊の輸送艦で到着した陸上自衛隊は大型ヘリで被災者用テントを輸送するなど活動を開始(1/26)している。また阪神・淡路大震災から10年(1/17)を迎えた神戸市で追悼式典(→天皇・皇后両陛下が出席)が行われ、第2回国連防災世界会議も行われた(→1/18-22。1/18の開会式には天皇、皇后両陛下もご出席。小泉純一郎首相も出席、演説。1/22に「兵庫宣言」などを採択して閉幕。ちなみに第1回は1994年に横浜で)。なお三宅島の避難指示が4年5カ月ぶりに解除された(2/1)。

 第162通常国会が召集(→1/21。会期は6/19までの150日間)され、小泉首相の施政方針演説など政府4演説(→1/21。小泉首相は郵政民営化に強い意欲。閣議決定した郵政民営化の基本方針に従って4分社化(持ち株会社の下に窓口ネットワーク、郵便、郵貯、保険の4事業会社を設立)や非公務員化などを明言)、そして各党代表質問(→1/24-26。1/24の衆院本会議では岡田克也民主党代表の再質疑に対する小泉首相の「すべてに明確に答弁している」などという答弁に民主・社民の代議士たちが反発、一時議場を退席。河野洋平議長が誠意を持って答弁するように「注意」して再開。ただし予定されていた民主党の小宮山洋子代議士の質疑は延期に)が行われた。そして新潟県中越地震などの災害対策を柱にする2004年度補正予算が全会一致で可決され、成立した(→1/28に衆院通過、2/1に参院)。そして衆院予算委で2005年度予算案の審議が始まった(2/2)。

 日本政府が第3回日朝実務協議で北朝鮮から持ち帰った安否不明の拉致被害者10人に関する資料について北朝鮮の説明を裏付けるものは皆無との分析結果を公表(12/24)して抗議したことを受け、北朝鮮が日本側の鑑定書はねつ造などと主張する回答文書を北京の大使館ルートで日本側に渡してきたことが明らかになった(1/26)。なお油濁損害や船体撤去などの費用を補償する保険に加入していない外国船舶の入港を禁止できる改正船舶油濁損害賠償保障法が3/1から施行されることによってほとんどの北朝鮮船舶の日本入港が事実上不可能になると見られている。埼玉スタジアムで行われた2006年W杯ドイツ大会アジア最終予選第1戦で日本が北朝鮮を2-1で破った(2/9)。

 政府は魚釣島の政治団体の建設した灯台を国有化、海上保安庁が管理する航路標識法に基づく正式な「魚釣島灯台」として管理・運用を開始(→2/9。中国や台湾にも通告)した。天安門事件(1989年)で失脚した趙紫陽・元中国共産党総書記が死去(→1/17。85歳)、葬儀(1/29)が行われた。

 朝日新聞(1/12付朝刊)が報じたNHKの従軍慰安婦特集番組への政治圧力疑惑の波紋が広がっている。なおNHKの海老沢勝二会長(70歳)が経営委員会に辞表を提出(→了承)、後任に橋本元一氏が就任した(1/25)。

 自爆テロや襲撃が続く中、イラク暫定国民議会選挙の投票(1/30)が行われた(→投票率はシーア派地域では高く、スンニ派地域では非常に低いなど地域によって投票率は大きく異なっているという)。英国は自衛隊が派遣されているサマワのあるイラク・ムサンナ県から3月にオランダ軍が撤退した後に治安維持目的で約600人の英軍を派遣することを発表(1/27)した。

 ブッシュ米大統領の2期目の就任式が1/20(日本時間1/21未明)に行われた(→大統領は演説で独裁からの解放、民主主義、自由の拡大での米国の役割を強調など)。またブッシュ米大統領は一般教書演説を行った(→2/2 (日本時間2/3午前)。大統領は自由と民主主義の拡大によって圧制とテロの台頭を阻止する方針を表明。同盟国と協力して外交手段で北朝鮮とイランに核開発を断念させる考えなどを示す)。

 なお12/26に行われたウクライナ大統領選再投票では野党のユシチェンコ元首相が親ロシア派・与党のユヌコビッチ首相を破って当選した。またアラファト議長死去に伴うパレスチナ自治政府議長選(1/9)が行われてアッバス氏が当選、新議長に就任(1/15)した。そしてイスラエルのシャロン首相とパレスチナ自治政府のアッバス議長の首脳会談がエジプトのシャルムエルシェイクで行われた(→2/8。相互に停戦を宣言)。


複数の視点は「連鎖」の理解にも必要不可欠(2004/12/25)

 やはりまた前回から約3カ月が経過した。もうクリスマスになった。それにしてもこの約3カ月の間に日本や国際社会の政治関連の問題でいったい何が本質的な意味で良い方向に変化したというのだろうか。もちろん一時的には良い方向に変化したことはいくつかあっただろうし、一時は問題が解決したかのように見えても今では単なるその場しのぎの解決策でしかなかったことが明らかになっているものもあるだろう。例えば、他人には非常に厳しくてもなぜか自分たちには非常に甘かった意味不明の年金未納・未加入追及など(→参考:2004/6/22号etc.)のように、ついこの間までよく分からない形で大騒ぎしていたいくつかのことも未解決のままうやむやにされてしまっている。何でもかんでも変えればいいというものではないが、この約3カ月、あるいはこの1年の間に日本や国際社会の政治関連の問題でいったい何が本質的な意味で良い方向に変化したというのだろうか。

 国際社会を見てみると、来年1月に予定されているイラク暫定国民議会選挙が本当に行うことができるのかどうか疑問になるほどイラクの治安状態は悪化したままだし、北朝鮮は再開の目途が立たない6カ国協議などの核問題でも日本人拉致問題などの人権問題でも相変わらず不誠実で不可解な言動を繰り返したままである。

 北朝鮮から横田めぐみさんの「遺骨」として提供された骨がDNA鑑定の結果別人のものであることが明らかに(12/8)なるなど、政府が第3回日朝実務協議(11/9-11/14)で北朝鮮から持ち帰った安否不明の拉致被害者10人に関する資料で北朝鮮の説明を裏付けるものは皆無との分析結果を公表(12/24)せざるを得ない事態になり、日本国内では北朝鮮に対する経済制裁を求める声が強まっている。一般論としては経済制裁実施までには様々な面からの慎重な検討が必要である。だが例えば、北朝鮮が核問題の完全解決のために誠意を持って6カ国協議に出席するまでは北朝鮮の貨客船「万景峰(マンギョンボン)92」などの日本入港を一切認めないとか、米国議会で成立(10/19)した北朝鮮の人権状況の改善を目指す「北朝鮮人権法」の日本版の法制化を本気で進めるなどという形での「制裁」実施に向けた準備を真剣に考えるという程度のことならば現時点(12/25)で問題はないと筆者は考えている。そしてそういう形での「制裁」ならば経済制裁実施に消極的な中国や韓国も納得しやすくなることだろう。

 イラク戦争などであれだけ米国の外では不人気だったにもかかわらず、米大統領選ではブッシュ大統領が「無事」に再選(11/3)された。パウエル国務長官が政権を去ることが明らかに(11/15)なり、ブッシュ大統領はライス大統領補佐官(国家安全保障問題担当)を後任に指名(11/16)したが、今後の米国の外交政策にどのような変化があるのかないのかは現時点(12/25)では判断できない。現時点で確実なのは少なくともアメリカが「ムーアのようなアメリカ」(→参考:2004/9/21号)には堕落することはないということぐらいだろう。

 相変わらず永田町は異常な状態がすっかり定着して「異常なし」の状態が続いている。小泉純一郎首相が「自衛隊が活動している地域は非戦闘地域」(11/10の国家基本政策委合同審査会(党首討論))などと「本音」を答弁して波紋を広げたが、臨時国会は「異常なし」に閉幕(12/3)し、イラクへの自衛隊派遣も「無事」に1年間延長(12/9)された。筆者は約1年前から「大義名分」や「非戦闘地域」がどうのこうのというレベルの議論では問題解決にはつながらないということを指摘し続けているが(→2003/12/8号、2004/1/5号etc.)、そういうことが「実証」された今になっても相変わらず「非戦闘地域」などがどうのこうのとしか繰り返すことができない知的レベルの低い一部のマスコミと政治家たちには本当に呆れさせられる。おそらく彼らは「ある問題と別の問題の密接な関連性」や「解決すべき問題の優先順位」のようなことはもちろん、「因果関係」すらも正しく理解することができない知的レベルなのだろう。

 当たり前と言えば当たり前だが、筆者は約1年前(→参考:2003/12/8号etc.)も今も、自衛隊は何のためにイラクに派遣されるのかということ、自衛隊に何ができるのかということ、そしてなぜ自衛隊でなければならないのかなどというような根本部分から議論をやり直す必要があると考えている。イラクへの自衛隊派遣問題の根本部分が明確になっていなければ自衛隊がいつ「任務」を「完遂」させて撤退することができるのかが明確になるわけがない。この1年の間にイラクへの自衛隊派遣問題で変わったことと言えば、おそらく賛成であっても反対であっても国民の関心自体が大きく低下したこととか、国民の一歩踏み込んで考えてみる気力がさらに低下したということぐらいだろう。「危険だから派遣すべきでない」などということで本当に良いのか、そもそも「危険だから派遣すべきでない」などという問題だったのかを改めて問い直してみる必要があるのではないか。

いつからどうしてそんな「格好良いお殿様」になってしまったのか

 小泉内閣の改革は中途半端、期待はずれだとの見方が国民の間に広がっている。現時点(12/25)では「最後の砦」の郵政事業民営化問題も「骨抜き」にされるのかどうかはよく分からない。民主党の若手が少し前に改革が進まず支持率も低下した小泉首相は「痩せた森総理」になったなどという悪口を盛んに言っていたが、国民の多くは小泉首相のパワーダウンに比例して与党内の抵抗勢力と民主党などの野党のパワーも大きくダウンしていると見ていることだろう。つまり小泉首相がダメになっても与党内の抵抗勢力と民主党などの野党はもっとダメになるから政局になったり、政権が交代するようなことはないと見ているということである。このままでは民主党の岡田克也代表は「場合によっては国民でさえも欺いてやろうなどという不真面目なところが少しもない菅直人」になってしまうなどと若手から陰口をたたかれるようになるのかもしれない。民主党は「政権交代の実現に向けた総合戦略等を検討」するための「政権戦略委員会」を新設したらしいが、「おとぎの国」ではない現実政治の中でどれだけ意味のあることを考えることができるかが1つの注目点ではある。岡田代表がいつまでも「前任者の厖大な負の遺産」を完全に清算して中身のある実績を上げることができなければそのうち歯車が回って「次世代の次の顔」が見えてくることになるのだろう。「痩せた森総理」も「場合によっては国民でさえも欺いてやろうなどという不真面目なところが少しもない菅直人」も国民は決して歓迎しないだろう。

 ちなみに筆者に言わせれば、小泉首相はいつの間にか「お殿様」になってしまったということになる。もちろん「お殿様」と言っても政治的直感だけは誰にも負けないくらい鋭くておまけに「格好良いお殿様」だから、野党が大喜びしそうな「バカ殿」では断じてない。また「格好良いお殿様」と言っても、10年ぐらい前にいた「さわやかな風のようなお殿様」とも全く違っている。「良きに計らえ」などと一言も言わずに自然に「丸投げ」する姿は妙に様になっているし、自分が当事者の場合でもいつも「他人事」のように涼しい顔でインタビューに答える姿は大流行中の「サンバ」を踊らせてみたくなるほど格好良い。ただ何度考えてもよく分からないのは、小泉首相がいつからどうしてそんな「格好良いお殿様」になってしまったのかということである。

 日本と中国の関係がぎくしゃくしている。一昔前と比べれば「大したことない」と言ってしまえばそれまでの話だが、東シナ海で中国が進める天然ガス田開発をめぐる初めての日本と中国の局長級協議は平行線に終わった(10/25)し、沖縄県の宮古列島・多良間島周辺の日本領海内を中国の潜水艦が領海侵犯(11/10)、中国政府が中国海軍の原潜と認めて遺憾の意を表明したことが明らかに(11/16)なったり、沖ノ鳥島周辺などの日本の排他的経済水域(EEZ)内で中国の海洋調査船が事前通告なしにたびたび活動していることもあって日本国内での中国に対する親近感は低下している。小泉首相はアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議のため訪問したチリ・サンティアゴで中国の胡錦濤国家主席(→11/22。約1年1カ月ぶりの日中首脳会談。小泉首相は中国原潜による日本領海侵犯事件で再発防止を求め、胡主席は小泉首相の靖国神社参拝に言及、参拝中止を求める)、東南アジア諸国連合と日中韓の(ASEAN+3)首脳会議のため訪問したラオス・ビエンチャンで温家宝首相(→11/30。温首相も靖国参拝中止を求める。小泉首相は温首相の訪日を招請、など)と会談したが、隣接している日中両国の首脳が互いの国を訪問しないという不自然な関係が続いている。また政府が台湾の李登輝・前総統に対してビザ(査証)を発給(12/21)し、中国側が反発している。

 複雑な日中間の問題にはここではあえて深入りしないが、小泉首相には来年の「初詣で」には報道陣がついていくのが難しいくらい大混雑する若いカップルや子供連れの比率が高い場所に行ってもらいたいものである(→参考:2004/1/5号)。小泉首相が次の「サプライズ」のために大晦日に「サンバ」の秘密練習をするつもりがあるのかどうかは知らないが、もしも小泉首相が若いカップルや子供連れの比率が高い場所に1年に1回だけの「初詣で」に行くというのならば、筆者はこれから記述する内容を「紙芝居」にして分かりやすく説明するために駆け付けることを約束してもいい。

 以下に「因果関係」(→参考:2004/3/21号etc.)、そして「人類の歴史的文脈」と「ミクロ・マクロ」という2つの「座標軸」を用いた複数の視点(→参考:2004/9/21号)を用いて21世紀になっても相変わらず早急に解決すべき現実政治の問題のままであり続けている戦後問題である「沖縄の在日米軍基地問題」、「北朝鮮問題」、「日ロ平和条約・北方領土問題」における複雑な国際政治と国内政治の連鎖をそれらの問題の解決をも視野に入れて考えることにする。複数の視点は「因果関係」や「連鎖」の理解にも必要不可欠であるし、有効であると考えている。

 「事実」と「事実のようなもの」、あるいは「科学」と「科学のようなもの」を正確に区別することもできなければ、物事の「因果関係」はもちろん、現実世界の物事の複雑な関係を正確に理解することなどできるわけがない。それは現実政治の場であれ、研究の場であれ、ジャーナリズムの場であれ、すべての場に共通することである。自分の視点だけにとらわれた「自己中心性」から十分に解放されていない人物はどこの世界に行ってもダメなのである。

「科学」と「科学のようなもの」

 地球上には一人ひとりの人間の生命などを脅かす様々な深刻な諸問題が未解決のまま残されている。そしてグローバリゼーションによる人間の活動領域の増大、大規模な人口増加というほぼ確実で不可逆的な現象のために、新しい形での一人ひとりの人間の生命などに対する脅威が今後も増加し続けることになると思われる。グローバリゼーションによって生じた新たな摩擦や対立などを踏まえて政治というものを新しい国際関係の中で捉え直すことが急務であると考えている。ところが現在の各国の政治関連部門、特に日本の政治部門、政治ジャーナリズム、そしていわゆる政治学は、現実政治における様々な深刻な問題に十分に対応できない状況に甘んじ続けている。

 グローバリゼーションの時代になっても相変わらず伝統的なドグマ(dogma)に基づく精神論を最優先に考えたり、一昔前の舶来信仰に基づいて外国や他の学問分野からそのまま「輸入」して文化や歴史的文脈を考えずに適用してみたり、穴あき状態になっている国境の中の制度のようなものを旧態依然とした方法で単純に「比較」してみたり、相互依存関係が強まって全く同じものをある場合には「独立変数」、別の場合には「従属変数」と考えざるを得ない状況になっているのにもかかわらず、十分な根拠もなしにあえて一部分の「相関係数」の高さだけに注目してみたり、むやみやたらにサンプル数だけを増やしてみたり、さらには合理的の定義すらも合理的に選択できないにもかかわらず、世の中のすべての現象を文化や歴史的文脈を切り捨てて合理的に説明しようと画策したとしても「おとぎの国の雑学」以上のものを期待することができないということは明らかである。そういうことは現実政治と有効な形で接続を維持していさえすればすぐに気づくことができるだろう。

 例えば、犯罪が続発する社会で泥棒が警察官の姿を見て逃げ出したとしよう。おそらくその泥棒は「合理的」な選択をしたと解釈することもできるのだろう。だが、本来の政治学が最優先で研究対象とすべきなのは、そういう泥棒の合理的な一面を明らかにしたり、アクターの行動の事後分析に徹することではない。泥棒という行為が本当に合理的な選択かどうかを問い直して犯罪が続発しない社会を構築しようとする政治的過程やそこでの主体間の相互作用などを研究対象として選ぶことであるはずだと考えている。

 名称や外見に「科学のようなもの」を取り入れるのではなく、研究者の問題意識や認識の枠組みに本物の科学(science)を導入することこそがいわゆる政治学(political science)には必要不可欠であると考えている。今まさに政治学は広い意味での文化としての人類共通の知的生産活動という歴史的文脈の中で大きな曲がり角にさしかかっているのである。 「タイムスリップ」や「テレポーテーション」のような「オカルト現象」を公の場で口にしても知的レベルが疑われることが全くなかったり、あるいは、事実ならば動く歩道にも乗れなくなるような自然法則と近代科学に敵対する「国民に分かりやすいこと」(→参考:2003/12/8号、2002/6/10号etc.)や他人に非常に厳しく自分に甘い姿勢を徹底的に貫き通したことぐらいしか目立った実績がない人物でも「国民主権論」を唱えることが簡単に認められてしまうようなところが人類共通の知的生産活動を行っている場所なのかということはしっかりと見つめ直す必要があると考えている。

国際政治と国内政治の連鎖の理解にも複数の視点が必要

 国際政治と国内政治の連鎖を考える場合には、まず国内政治と国際政治を定義することから始める必要がある。国内政治とは「対象となる問題とその当事者となる主体のすべてがある一つの主権国家内に存在する場合の主体間の相互作用及び問題解決に至るまでの過程」であり、国際政治とは「対象となる問題とその当事者となる主体が複数の主権国家に分散している場合の主体間の相互作用及び問題解決に至るまでの過程」であると定義することにする。

 現在の現実世界では、多孔性の国境を越えて主体同士が結びつきを強めていること、主体の種類と総数が著しく増加していることという2つの意味においてグローバリゼーション(globalization)の進展と人口増加という一貫した不可逆的な現象を明確に意識して国際政治と国内政治の連鎖を考える必要がある。かつての世界であったならば、国内政治の問題では、問題解決のために必要な主体間の「接続網」の全体が同じ主権国家の範囲内に納まっていると見なすことができたのかもしれないが、現在の現実世界では「接続網」の少なくとも一部分が明らかに他の主権国家の中に入り込んでいる。現実世界における諸問題は、グローバリゼーションによる複雑な相互依存関係に組み込まれており、ある部分は「国内政治の問題」であり、同時に別の部分は「国際政治の問題」であると捉えた方が現実を忠実に表していると考えられる。

 現時点では主権国家や国境によって区別される国際政治と国内政治という分類が必ずしも問題の本質の理解を阻んでいるような状態ではないが、少なくとも「国際政治」と「国内政治」を理念型として捉えるべき段階にきているのではないかと考えている。グローバリゼーションの進展と人口増加という一貫した不可逆的な現象の影響を受けた複雑な現実の世界で現実政治における深刻な諸問題を解決することをも視野に入れるのならば、政治というものを新しい国際関係の中で捉え直すことが急務であると考えている。

 このような複雑な相互依存関係にある現実世界の国際政治と国内政治の連鎖を正確に捉えようとする場合には、現実政治における深刻な諸問題を解決しようとするときと同じように、「人類の歴史的文脈」と「ミクロ・マクロ」という2つの「座標軸」を用いて複数の視点から問題を相対化して分析する手法が有効であると考えている。

 「人類の歴史的文脈」とは、人類の歴史の大きな流れのことである。人類は過去から現在まで、いわゆる民主主義の拡大、主権国家の領域・国民・主権という3要素の明確化、そして一貫したグローバリゼーションの進展と人口増加などという方向に進んできたと捉えることが可能であり、それらやその他の歴史の大きな流れを人類の「過去から現在までの歩み」という視点として採用する。また将来において理想を実現するため、もしくは将来の危機を回避するために現時点で必要なことを行うという「望ましい未来からの逆算」という視点も同時に採用する。人類の「過去から現在までの歩み」という「過去」からの視点と「望ましい未来から現在への逆算」という「未来」からの視点で目の前の複雑で深刻な「問題」を捉えれば、「人類の歴史的文脈」から大きく逸脱する目先のことだけにとらわれた問題解決や深刻さを十分に認識できずに行うその場しのぎの問題解決などを避けることができるだろう。

 さらに人間や集団などの個別具体的な政治的主体による問題解決という「ミクロからの視点」、そして様々な「定義」によってグループ化された様々な政治的主体の集合という「マクロからの視点」で目の前の複雑で深刻な問題を捉えれば、今まさに見ている視点だけから認識するよりもずっと現実に近い形で問題の複雑性を正確に認識することができるだろう。

 以上のような「人類の歴史的文脈」と「ミクロ・マクロ」という2つの「座標軸」を用いた複数の視点から「沖縄の在日米軍基地問題」「北朝鮮問題」「日ロ平和条約・北方領土問題」における複雑な国際政治と国内政治の連鎖をそれらの問題の解決をも視野に入れて考えることにする。

沖縄の在日米軍基地問題での国際政治と国内政治の連鎖

 沖縄における在日米軍基地問題は、主権国家を主体とする国際社会という「マクロからの視点」では典型的な「国際政治」の問題であるが、「ミクロからの視点」で一人ひとりの沖縄の人たちに及ぼす様々な形での影響の大きさにあえて注目するならば、「国際政治」の問題である同時に「国内政治」の問題でもあると考えることができる。ちなみに前述の国内政治の定義では、沖縄における在日米軍基地問題は、日本という主権国家内で問題が発生し、その当事者となる日本政府、在日米軍、沖縄県民という主体のすべてが日本国内に存在するので国内政治に分類されることになる。もっとも在日米軍は日米安保条約、日米地位協定などに基づいて沖縄県を含めた日本に駐留しているわけだから、沖縄における在日米軍基地にかかわる問題の解決のために必要な主体間の「接続網」は明らかに国際政治の領域にまで広がっており、しかもその国際政治の領域こそが問題解決にとって必要不可欠な部分になっているわけである。つまり沖縄の在日米軍基地問題における「国内政治」の問題の解決を考える場合には「国際政治」の問題の解決を避けて通ることはできないのであり、そういう意味で国際政治と国内政治の強い連鎖が見られるわけである。

 また沖縄における在日米軍基地は、1995年9月の米兵による少女暴行事件、今年2004年8月の米海兵隊の大型輸送ヘリコプター墜落事故などのような様々なマイナスの影響を沖縄県と沖縄の人たちに与えているだけではなく、経済効果などのプラスの影響も同時に与えている。したがって沖縄県における在日米軍基地によるマイナスの影響を基地の整理・統合・縮小という形で解消しようとする場合には、必然的に国際政治の問題に発展していくことになり、さらに経済効果などのプラスの影響が減少するという形で国際政治の問題が再び国内政治の問題として跳ね返って戻ってくることになる。そういう意味でも沖縄の在日米軍基地問題では国際政治と国内政治の強い連鎖が見られることになる。

 沖縄における在日米軍基地・区域(専用施設)の面積は約233km2 (2004年1月現在、全体の約75%)であり、沖縄復帰時の約278km2 (1972年5月)と比べれば減少しているが、冷戦が終結(1990年は約242km2)しても大きく減少しているわけではない(以上、データは平成16(2004)年版年版防衛白書(ホームページ版)などから)。

 言うまでもなく、沖縄の在日米軍基地問題の本質的な解決のためには、少なくとも「東アジア情勢」と「米軍の世界戦略」の問題解決につながる方向への変化が必要である。世界規模の「マクロからの視点」では冷戦構造がすでに崩壊しているし、少なくとも現時点では米国にとって中国はかつての旧ソ連に匹敵するような強大な仮想敵国にまではなっていないし、さらに米軍の主な標的は国家からテロリスト組織のような「非国家主体」へと次第に移ってきている。その意味では「米軍の世界戦略」は沖縄の在日米軍基地問題の解決につながる方向へと変化していると見ることができるかもしれない。ところが日本という国家、あるいは日本人という「ミクロからの視点」では、東アジアには北朝鮮問題と台湾問題という形で「冷戦構造」が残存していることが明確になる。現時点で沖縄の在日米軍基地問題の解決を考えるのならば、「東アジア情勢」を問題解決につながる方向へと変化させなければならないことが分かる。

 次に「人類の歴史的文脈」、グローバリゼーションの進展という「過去から現在までの歩み」という視点で東アジアを見てみれば、東アジアでも間違いなくグローバリゼーションが進展し、国家間の相互依存関係が強まってきているし、今後もますます相互依存関係は強く複雑になっていくと思われる。日本、中国、韓国などの間の強い経済的相互依存関係は改めて指摘するまでもないほど現在では当たり前のものとなっている。さらに近年では中国大陸と台湾の間の経済的な結びつきも強まっている。中国と台湾の関係は複雑であり、いつどんな形で緊張が高まったとしても何の不思議もない状態ではあるが、一つだけ確かなことは中国にとっても台湾にとっても戦争はかつてないほど大きな損害を伴うものになっているということである。つまり東アジアにおいても戦争のコストは十二分に高くなっていると考えられるわけである。

 その意味では「東アジア情勢」は沖縄の在日米軍基地問題の解決につながる方向へと変化していることになるが、北朝鮮問題が不安定かつ不可解な状態のまま残されているのである。もちろん北朝鮮もグローバリゼーションの進展とは無縁ではない。そして広い意味では北朝鮮も東アジアの相互依存関係に組み込まれてはいる。だが、あまりにも特殊であまりにも不安定な形で組み込まれているために北朝鮮の指導層にも末端の一人ひとりの市民にも戦争のコストがあまりにも過少に評価されている危険性が高いと考えられる。北朝鮮以外の東アジアでは戦争で失うものはあまりにも大きいが、北朝鮮国内の末端の一人ひとりの市民にとってはこのまま戦争になったとしても新たに失うのはこれからも人権を蹂躙され続けるために必要不可欠な生命ぐらいしか残されていないのかもしれないのである。

北朝鮮問題での国際政治と国内政治の連鎖

 以上のように沖縄の在日米軍基地の問題の解決をも視野に入れて国内政治から国際政治へと連鎖をたどっていくと、北朝鮮問題の解決が必要不可欠だということに気づくことになる。本来ならばあえて言うまでもないことだが、どんな形であっても北朝鮮問題を解決しさえすればそれでいいというわけではない。北朝鮮問題の解決には正しい方向、そして適切な手段とその効果的な使用方法もある。

 まず北朝鮮問題は、沖縄の在日米軍基地問題の解決につながる方向に向けて解決されなければならない。そのためには「人類の歴史的文脈」と「ミクロ・マクロ」という「座標軸」を用いて北朝鮮国内の一人ひとりの生命・人権を守るということを強く意識する必要がある。人類の歴史の大きな流れ一つは、人権の拡大・強化、そしていわゆる民主主義の拡大であるはずである。

 北朝鮮問題は、日本と北朝鮮が「国交正常化」するとかしないとか、米国が北朝鮮の「体制保証」をするとかしないとかなどというような国際政治の問題だけを考えていても真の意味で解決することはできない。北朝鮮国内の末端の一人ひとりの生命・人権が守られるようにならなければどんな問題解決も目先のことだけにとらわれたその場しのぎの問題解決に過ぎなくなるのである。危機や不安定さを一時的に見えないようにしてあたかも問題が解決したかのように見せているだけにすぎなくなるのである。真の意味での北朝鮮問題の解決のためには、北朝鮮国内の末端の一人ひとりの生命・人権をどう守っていくのかという北朝鮮の国内政治の問題を考えないわけにはいかないのである。よって北朝鮮問題でも国際政治という「マクロからの視点」に加えて末端の一人ひとりという「ミクロからの視点」を導入することが有効だと考えられるのである。

 北朝鮮問題は、いわゆる「アメ」だけでも「ムチ」だけでもなく、対話と圧力の両方を用いて適切に解決されなくてはならない。そして「対話と圧力」という手段を用いる場合にも、国際政治という「マクロからの視点」だけではなく「ミクロからの視点」も用いて国内政治の問題として捉える必要がある。北朝鮮の末端の一人ひとりの生命・人権を守るという北朝鮮の国内政治の問題に加え、北朝鮮による拉致や帰国事業などによって北朝鮮国内にいる日本人らの生命などを日本が国家としてどう守るのかという伝統的な国際政治の問題、そして北朝鮮に対する経済制裁を実施した場合の日本経済への悪影響をどうするのかという国内政治の問題を併せて考える必要が出てくるのである。北朝鮮国内にいる日本人らの問題は、歴史的に主権国家が自国民を保護しようとし続けてきたというプラス・マイナスの両面を併せ持った「歴史的文脈」だけではなく、現在の国際社会では人権という価値観もがグローバリゼーションの進展によって多孔性になった国境の壁をかなり容易に通過できるようになってきたという新たな国際社会の現状をも踏まえて解決を考えるべきである。つまり「人類の歴史的文脈」に基づいて現在の国際社会の中ではたとえ北朝鮮であっても末端の一人ひとりの生命・人権は守られるべきであるという考え方、そして伝統的な自国民保護という考え方をバランスよくミックスさせて問題の解決を図ることが適切であると考えている。

 さて、日本が北朝鮮に経済制裁を実施すれば、北朝鮮に少なからぬ影響があることだけはほぼ間違いない。だが、経済制裁が北朝鮮問題の解決のための適切な手段となるかどうかは個別具体的な状況に大きく依存している。北朝鮮に対する経済制裁を実施しようとする場合には、日本経済に与える影響などのデメリット、経済制裁の有効性を十分に検討して覚悟を決めてから実施しなければならない。日本と北朝鮮の経済的相互依存関係のコストを、少なくとも相対的な影響の大きさやスピードの面から見る「敏感性(sensibility)」、相互依存関係から抜け出す相対的コストの面から見る「脆弱性(fragility)」という2つの観点から検討することは言うまでもないことだが、もしも日本の方が北朝鮮よりも圧倒的に優位な立場にあることが明らかになったとしても、その優位は経済制裁の実施で相互依存関係が断ち切られるまでの話であるということにも十分に注意する必要がある。経済制裁によって北朝鮮問題の解決を目指すことになる場合であっても、実施前に小泉純一郎首相をはじめとする日本政府が経済制裁を実施するという警告を明確な形で何度か繰り返した後に初めて経済制裁を実施し、それから少しずつ段階的に制裁の内容を強化していくということが最大の効果を期待できる最善の方法であるということも忘れるべきではない。

 北朝鮮が核問題の完全解決のために誠意を持って6カ国協議に出席するまでは北朝鮮の貨客船「万景峰(マンギョンボン)92」などの日本入港を一切認めないとか、米国議会で成立(10/19)した北朝鮮の人権状況の改善を目指す「北朝鮮人権法」の日本版の法制化を本気で進めるなどという形での「制裁」実施に向けた準備を真剣に考える程度のことならば現時点(12/25)で問題はないと筆者は考えている。そしてそういう形での「制裁」ならば経済制裁実施に消極的な中国や韓国も納得しやすくなることだろう。

沖縄の在日米軍基地問題と北朝鮮問題の本質的解決

 「望ましい未来からの逆算」という「人類の歴史的文脈」からも検討を加えることにする。沖縄の在日米軍基地問題の解決のために必要なことを考えるという「望ましい未来からの逆算」をすると、北朝鮮問題を解決しなければならないということが分かる。そして「望ましい未来」を一時的なものにしないためには北朝鮮問題の本質的な解決が必要不可欠であるということにもすぐに気づくはずである。そしてここで問題になるのは北朝鮮問題の本質的な解決とは何であり、そのためには何が必要かということである。

 北朝鮮問題の本質的な解決とは、現時点で不安定かつ不可解な状態のまま残されている北朝鮮問題を不可逆的な形で完全に解決することである。つまり北朝鮮を含めた東アジアの人たちが共存・協力関係を安定的に構築できるような状態になることである。したがってどんなに少なくとも北朝鮮国内の末端の一人ひとりの生命・人権が守られなければならないということになるのである。「東アジア共同体」のような目に見える形になるのか、あるいは国家の形態に大きな変化は見られなくとも国家間の実態には大きな変化が見られるようになるのかは現時点では予測するのは困難である。いずれにしても「望ましい未来」として具体的にどのような状況を思い浮かべるかは人それぞれであるが、どのような「望ましい未来」であっても人類の「過去から現在までの流れ」とは無関係には実現し得ないはずである。

 もしも北朝鮮が「領域内の一人ひとりの市民の人権を蹂躙する非人道的な独裁国家」であり続けるのならば、日本は断じて北朝鮮との国交を正常化させてはならないし、ましてや過去の植民地支配の「賠償」としての性格をも併せ持つ国交正常化後の経済協力などを行うことは絶対に許されない。日本が朝鮮半島の人たちに耐え難い苦しみを与えた過去の植民地支配を真の意味で反省しているのならば、「領域内の一人ひとりの市民の人権を蹂躙する非人道的な独裁国家」の存在を認め、そして独裁国家内の一人ひとりの人権を蹂躙することを間接的に支援することなど絶対にできるわけがない。もしも「領域内の一人ひとりの市民の人権を蹂躙する非人道的な独裁国家」と国交正常化し、過去の植民地支配の「賠償」としての性格をも併せ持つ国交正常化後の経済協力などを行うことになるのならば、日本は過去の植民地支配に加えて21世紀になってからもさらに朝鮮半島の人たちに耐えがたい苦しみを与えたと将来の世代から見なされることになってしまうだろう。日本は断じて新たにそのような取り返しのつかない大きな歴史的な過ちを犯してはならないのである。

 また「望ましい未来」として「東アジア共同体」のような国家共同体などを考える場合には、19世紀から20世紀初めのヨーロッパにおける「勢力均衡(バランス・オブ・パワー)」がやがて第一次世界大戦につながっていったということ、20世紀初めの世界恐慌後の「ブロック経済」が第二次世界大戦につながっていったことという2つの歴史的事実をあえて思い起こし、間違っても人類の「過去から現在までの流れ」に逆行することだけはないように注意をする必要がある。

 以上のように「人類の歴史的文脈」と「ミクロ・マクロ」という2つの「座標軸」を用いた複数の視点から「沖縄の在日米軍基地問題」の解決をも視野に入れて複雑な国際政治と国内政治の連鎖をたどっていくと、「北朝鮮問題」などを経由していわゆる戦後問題と密接不可分な形でつながっていることに気づくことになる。戦後問題の中で東アジアにおける共存・協力関係の構築という面で「沖縄の在日米軍基地問題」や「北朝鮮問題」と密接な繋がりを持つ「日ロ平和条約・北方領土問題」についても触れておくことにする。

日ロ平和条約・北方領土問題での国際政治と国内政治の連鎖

 言うまでもなく「日ロ平和条約・北方領土問題」は国際社会という「マクロからの視点」では日本とロシア(旧ソ連)の国際政治の問題であるが、北方領土元島民一人ひとりという「ミクロからの視点」では国際政治よりもむしろ国内政治の問題に近いのである。一人ひとりの元島民から見れば、第二次世界大戦での日本の無条件降伏直後の旧ソ連軍による不法占拠は「大規模な自然災害」と同じかあるいはそれ以上のものなのかもしれない。もしも旧ソ連軍による不法占拠を「大規模な自然災害」などと同じようなものと考えるのであれば、日本国内の北方領土における「大規模な自然災害」などという問題、そのために帰島ができない元島民、元島民の支援を考える行政としての日本政府というすべての主体が日本国内に存在すると考えることができる。よって北方領土問題は国内政治の問題と非常に類似した問題になる。北方領土問題は大規模な噴火で全島避難の状態が続いている三宅島(2005年2月に避難指示解除の予定)と非常に類似した問題と見ることもできるのである。

 また「過去から現在までの流れ」を見れば、旧ソ連軍による北方領土の不法占拠(1945年)後、平和条約締結後の歯舞・色丹の日本への引き渡しを定めた日ソ共同宣言(1956年)による国交回復、北方領土4島の帰属の問題を「歴史的・法的事実に立脚し、両国の間で合意の上作成された諸文書及び法と正義の原則を基礎として解決することにより平和条約を早期に締結」するなどとした東京宣言(1993年)などの動きはあったものの、今も日ロ平和条約は締結されず約60年間に渡って北方領土問題は未解決のままである。元島民の高齢化が進んでいて一日も早い解決が望まれる状況ではあるが、歯舞・色丹の2島だけの返還で妥協して一刻も早く平和条約を締結するなどという類の発想は愚かである。ちなみにロシアのプーチン大統領が記者会見で日ソ共同宣言(1956年)に基づいて歯舞、色丹の2島返還と引き換えに日本と平和条約を締結することが領土問題の全面解決だとして日本側の4島返還要求を拒絶する考えを示し(12/23)、小泉首相も記者団にロシアがなぜ4島を返還しないのか不可解などと反論(12/24)した。

 確かに旧ソ連とロシアによる約60年に及ぶ不法占拠が既成事実化して北方領土問題が「風化」する危険性があることを否定することはできない。だが、この約60年の間に冷戦構造の崩壊とグローバリゼーションの進展によって日本とロシアの国境の性質がかつてとは大きく変化してきたという「過去から現在までの流れ」も同時に見落とすべきではない。現在の日本とロシアの国境はもはやかつての「鉄のカーテン」のようなものではなく、かなり多孔性に近いものになってきている。現時点ではまだまだ厳しい状態ではあるが、グローバリゼーションの進展によって「ビザなし訪問」など以外にも北方領土のロシア人住民と日本人の間に様々な共存・協力関係を構築できる可能性はますます大きくなりつつあると思われる。

 さらに北朝鮮問題の本質的解決を含めて東アジア情勢が長期的安定に達した後は、中国からロシア極東地域への人口圧力という要因が東アジア情勢にかなり大きな影響を与えることになると考えられる。北方領土問題の解決を含めた将来の東アジアにおける共存・協力関係を考える場合には、グローバリゼーションの進展に加え、人口増加や人口圧力という要因も検討の対象にされなければならないと考えている。これ以上の具体的な議論は現時点(12/25)では仮定の上にさらに仮定を積み重ねていかなければならない状態であるからあえて深入りしないことにする。

 いずれにしても「日ロ平和条約・北方領土問題」の本質的な解決とは、日本とロシアの人たちの間に安定的な共存・協力関係を構築するということである。そしてグローバリゼーションの一層の進展をも十分に考慮して「望ましい未来」を思い浮かべるとするならば、北方領土を含む日本・ロシア両国内で日本人とロシア人が共に協力し合う未来を真っ先に思い浮かべることができるのかもしれない。グローバリゼーションによって国境が多孔性になって人の移動が活発になるということは、短期的か長期的かはともかく、かつてよりもずっと多くの外国の人たちが地域住民として同じ地域に住むようになるということである。「望ましい未来からの逆算」という視点では、グローバリゼーションが一層進展していくことによって日本国民の中の無視できない割合の人たちがかなり長期間に渡って事実上「地方参政権」を喪失することになるという状態を日本政府が放置できるのかという問題、北方領土が返還された後に日本が地域社会の中でロシア人島民を地域住民として処遇するのかどうかという問題が浮上することになる。「日ロ平和条約・北方領土問題」は在日韓国・朝鮮人をはじめとする定住外国人に対する地方参政権付与の問題とも密接に関連しているし、さらに海外に定住するあるいは海外転勤を繰り返している日本国民の地方参政権をどうするのかといった問題ともつながっているのである。そういう意味で「日ロ平和条約・北方領土問題」も国際政治と国内政治にまたがった実に複雑な問題なのである。

 なお海外の日本人や日本の定住外国人の地方参政権の問題を、「東アジア共同体」などのような地域共同体によって解決を目指すのか、あるいは日本とその他の先進諸国との間で締結されている年金などの二重加入を解消する社会保障に関する個別の条約や「協定」のような形によって解決を目指すのかは今後の課題である。

 あまりにも長文になりすぎたので今回はここで終わりにすることにする。次回は「沖縄の在日米軍基地問題」、「北朝鮮問題」、そして「日ロ平和条約・北方領土問題」で「望ましい未来」を実現していこうとするときに日本には何が必要になるのか、そのために日本はどうすればいいのか、さらに日本が将来に渡って国際社会全体に貢献しながら国際社会の中にふさわしい居場所を見つけていくためにはどうすればいいのかなどということをもっと具体的に考えていくことにしたい。静かな年末年始になると良いのだが…。


主な動き

主な日本の政治の動き(2004/9/21-2004/12/24)

 9/23、小泉純一郎首相がブラジル、メキシコ、米国の3カ国訪問から帰国した(→ニューヨークでブッシュ米大統領(日本時間9/22早朝、大統領は在日米軍基地の地元の負担軽減に努力する考えを示したという)、アナン国連事務総長(日本時間9/22未明)らと会談。さらに9/22にはニューヨークの国連総会で演説(→日本の国連安保理常任理事国入りに強い意欲)、同じく常任理事国入りを目指すドイツのフィッシャー副首相兼外相・ブラジルのルラ大統領・インドのシン首相とも会談、記者会見。なお日本のレセプションに訪れた北朝鮮の崔守憲(チェ・スホン)外務次官と約10分間立ち話(→金正日総書記に6カ国協議への参加を促すなどのメッセージ))。

 9/27、第二次小泉純一郎・改造内閣が発足した(→<第二次小泉純一郎・改造内閣> ▽麻生太郎総務相(河野グループ、自民、留任)、▽南野知恵子法相(森派、参院議員、自民、新)、▽町村信孝外相(森派、自民、新)、▽谷垣禎一財務相(旧加藤派、自民、留任)、▽中山成彬文部科学相(森派、自民、新)、▽尾辻秀久厚生労働相(旧橋本派、参院議員、自民、新)、▽島村宜伸農水相(亀井派、自民、新)、▽中川昭一経済産業相(亀井派、自民、留任)、▽北側一雄国土交通相(公明党、新))、▽小池百合子環境相・沖縄・北方担当相(森派、自民、留任)、▽細田博之内閣官房長官(森派、自民、留任)、▽村田吉隆国家公安委員長・防災・有事法制(堀内派、自民、新)、▽大野功統防衛庁長官(山崎派、自民、新)、▽伊藤達也金融担当相(旧橋本派、自民、新)、▽竹中平蔵経済財政・郵政民営化担当相(無派閥、自民、参院議員、留任)▽村上誠一郎行政改革・規制改革担当相(高村派、自民、新)、▽棚橋泰文科学技術・食品安全・IT担当相(旧橋本派、自民、新)。なお官房副長官は政務(衆院)は杉浦正健代議士(森派)、政務(参院)は山崎正昭参院議員(森派)、事務は二橋正弘氏を起用)。閣僚17人中、6人が留任、女性は2人、民間人はなし。なお首相補佐官に山崎拓元代議士(元幹事長、小泉首相の特命事項担当)と川口順子前外相(外交担当)を起用。小泉首相は記者会見(→「郵政民営化実現内閣」「改革実現内閣」などと))し、自民党3役人事も決定(→幹事長には武部勤代議士(山崎派)、政調会長には与謝野馨元通産相(無派閥)、総務会長には久間章生幹事長代理(旧橋本派)、なお安倍晋三幹事長は幹事長代理に降格)。
 小泉純一郎首相はアジア欧州会議(ASEM)首脳会議などのためベトナムを訪問(→10/7- 10/10まで)した。また10/15、国連総会で日本など5カ国が安全保障理事会の非常任理事国に選出された(→日本時間10/16未明。日本の非常任理事国入りは1998年以来、9回目)。

 第161臨時国会が召集(→10/12。会期は12/3までの53日間)され、小泉純一郎首相が所信表明演説(10/12)し、各党の代表質疑(→衆院10/13-14、参院10/14-15)などが行われた。

 党首討論(→小泉純一郎首相(自民党総裁)と民主党の岡田克也代表が1対1で討論。10/27、11/10(→岡田代表の「(小泉首相がイラク・サマワが)非戦闘地域であると断言された根拠は何なんでしょう」に小泉首相は「根拠と言えば、戦闘が行われていないということ(→場内笑)。だからこそ非戦闘地域であると」。岡田代表の「じゃあ総理、あの、お尋ねしますが…。お尋ねしますが、その前提としてイラク特措法における『戦闘地域』の定義を言ってください」に小泉首相は「イラク特措法に関して言えと。法律上。…ということになればですね、自衛隊が活動している地域は非戦闘地域なんです(→場内笑、騒然)」、岡田代表の「今申し上げたのは…、イラク特措法における非戦闘地域の定義を言ってくれと言ったんです(→場内騒然としたまま)」に小泉首相は「それは定義は、それ…、文書、持ってくればすぐに言えますよ。党首討論だから考え方を言っているんです。私は特措法というのは、自衛隊が活動する地域は非戦闘地域になる。それがイラク特措法の趣旨だと」などと)、11/17)も行われた。そして第161臨時国会が閉幕(12/3)した。

(イラク関係の動き)

 イラク関係でも日本人人質殺害事件など大きな動きがあった。

 イスラム過激派組織がイラクで拉致したとする日本人男性の映像をインターネット上に流して陸上自衛隊を48時間以内に撤退させなければ人質を殺害するなどと主張したことが明らかになり(→10/27。男性は福岡県出身の香田証生(こうだしょうせい、24歳)さん、映像の中で「小泉さん、彼らは日本政府に日本自衛隊の撤退を求めています。さもなくば僕の首をはねると言っています。すみませんでした。また日本に戻りたいです」などと)なり、遺体が10/31未明(日本時間)にバグダッド中心部で発見された(→遺体の指紋が香田さんと一致したことを日本政府が確認。なお情報が一時混乱した。香田さんの遺体は11/3に帰国)。

 イラク南部サマワに派遣されている陸上自衛隊の宿営地内にロケット弾が着弾(→10/23は隊員や施設に被害はなし。11/1早朝(日本時間)は施設の一部に被害(→荷物保管用のコンテナを貫通))したことが明らかになった。また11/29、イラクで殺害された奥克彦大使・井ノ上正盛書記官・イラク人運転手の1周忌を迎えた。さらに大野功統防衛長官がイラク・サマワの陸上自衛隊宿営地を視察(→12/5。サマワ滞在は約5時間だったという。12/7に小泉純一郎首相に報告)、自民党の武部勤幹事長と公明党の冬柴鉄三幹事長も視察(12/6)した。そして12/9、政府は臨時閣議でイラク復興支援特別措置法に基づく基本計画を変更してイラクへの自衛隊派遣の1年間延長を(→2005/12/14まで。「諸事情を見極め、必要に応じて適切な措置を講じる」との表現を新設)正式決定し、小泉純一郎首相が記者会見を行った。

(予算案関係の動き)

 予算案関係の動きも活発だった。

 11/26、政府・与党は補助金など国と地方の財政を見直す「三位一体の改革」の全体像を最終決定(→唯一の分かりやすい部分は補助金削減総額(→2兆8380億円)・地方への税源移譲総額(→2兆4160億円)が目標の3兆円を下回ったこと。義務教育国庫負担金は8500億円を2年間で削減する方向は明記したものの制度自体をどうするのかは不明。他も多くは玉虫色?)した。12/19、2005年度予算の財務省原案が決定(→一般会計総額は82兆1800億円。税収は今年度を約2兆2600億円上回って44兆0100億円、逆に新規国債発行額は2兆2000億円減の34兆3900億円と4年ぶりの減少)し、各省に内示(12/20)された。そして12/22、2005年度予算案の復活折衝が決着(→調整財源は500億円。海洋資源調査船の設計・建造費などが認められる)し、政府は2005年度予算政府案を閣議決定(12/24)した。

(小泉首相の外遊(臨時国会開幕後)など)

 臨時国会開幕後も小泉首相の外遊は盛んだった。

 小泉首相はアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議出席のためにチリ・サンティアゴに出発(11/19)、ブッシュ米大統領と大統領再選後初の首脳会談(→11/20。北朝鮮の核問題などを6カ国協議で解決する基本方針で一致。また小泉首相はイラク復興支援継続表明、12/14で期限が切れる自衛隊派遣延長を示唆?)を行った。また小泉首相はロシアのプーチン大統領(11/22)、中国の胡錦濤国家主席(→11/22。約1年1カ月ぶりの日中首脳会談。小泉首相は中国原潜による日本領海侵犯事件で再発防止を求め、胡主席は小泉首相の靖国神社参拝に言及、参拝中止を求める。大局的な見地から日中関係を考えることでは一致?? 小泉首相は中国の立場を理解したというが今後の参拝については明言を避ける。さらに記者団にも今後も靖国神社参拝関係の質問には答えずなどと)、チリのラゴス大統領らと会談(→11/23。包括的自由貿易協定締結問題など)した。そして小泉首相は11/23朝(日本時間)に現地で記者会見を行った後に帰国(11/24)した。

 小泉首相は東南アジア諸国連合と日中韓の(ASEAN+3)首脳会議(→来年ASEAN+3?で東アジアサミットをマレーシア・クアランプールで開くことで合意など)などのためラオスのビエンチャンを訪問(11/28)、中国の温家宝首相・韓国の盧武鉉大統領と日中韓首脳会談(11/29)、フィリピンのアロヨ大統領と会談(→11/29。包括的自由貿易協定(FTA)締結で大筋合意)した。さらに小泉首相は中国の温家宝首相と首脳会議(→11/30。温首相も靖国参拝中止を求める。小泉首相は温首相の訪日を招請、など)などを行った後に帰国(12/1)した。

 また小泉首相はドイツのシュレーダー首相と会談(→12/9。常任理事国入り問題、自衛隊が派遣されているサマワのあるムサンナ県の警察官の教育訓練での協力などで合意)した。

 小泉首相はヨルダンのアブドラ国王、東ティモールのグスマン大統領と会談(12/13)した。さらに小泉純一郎首相は韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と鹿児島県指宿(いぶすき)市で会談(→12/17。廬大統領は日本側に理解を示しながらも北朝鮮への経済制裁発動には慎重な対応を求める。12/18はホテルの庭園を散策・茶会など)。

 ちなみにロシアのプーチン大統領が記者会見で日ソ共同宣言(1956年)に基づいて歯舞、色丹の2島返還と引き換えに日本と平和条約を締結することが領土問題の全面解決だとして日本側の4島返還要求を拒絶する考えを示し(12/23)、小泉首相も記者団にロシアがなぜ4島を返還しないのか不可解などと反論(12/24)した。

(不祥事など)

 相変わらず不祥事も多かった。


 学歴問題で民主党を除籍処分になった古賀潤一郎代議士(福岡2区選出)が辞職(9/27)した。民主党の都築譲代議士(→愛知15区で落選、比例東海ブロックで復活当選)が元公設第1秘書らの公選法違反(買収、事前運動)が最高裁で確定したことを受けて辞職(11/4)した。さらに12/23、最高裁第3小法廷は民主党の今野東代議士(衆院宮城1区選出)と鎌田さゆり代議士(衆院宮城2区選出)の選挙違反事件(→参考)で公職選挙法違反(利害誘導)の罪に問われたNTT労組東北総支部前委員長らに対して上告を棄却する決定し、鎌田代議士は辞職(12/24)した。

 あっせん収賄など4つの罪に問われた元代議士の鈴木宗男被告(→7月の参院選に立候補、落選、最終弁論)に対して東京地裁は懲役2年、追徴金1100万円(求刑・懲役4年、追徴金1100万円)の実刑判決(→11/5。鈴木被告は即日控訴、保釈保証金7000万円で保釈)を言い渡した。

 政治資金規正法違反(虚偽記入)と政策秘書の給与を国からだまし取った詐欺罪に問われた元代議士の坂井隆憲被告(→自民を除名)に対して東京地裁は懲役2年8月の判決(12/24)を言い渡した。

 日本歯科医師会側から自民党旧橋本派への1億円小切手を寄付などの政治資金規正法違反事件で政治資金規正法違反に問われた元会計責任者の滝川俊行被告の初公判が開かれ(→11/24。滝川被告は起訴事実を全面的に認める)、そして東京地裁は滝川被告に対して禁固10月執行猶予4年の判決(12/3)を言い渡した。また同事件で東京地検特捜部は村岡兼造元官房長官を政治資金規正法違反(不記載)の罪で在宅のまま起訴(9/26)、東京地裁で初公判(12/14)が開かれた(→村岡被告は無罪を主張)。さらに橋本龍太郎元首相が衆院政治倫理審査会で同事件について弁明(→11/30。報道陣には非公開。橋本元首相は記録や関係者の発言などをみれば1億円の小切手を受け取ったのは事実だろう、裏金処理には関与せず、などと)。

 なおNHKが続発する不祥事で特集番組を生放送、海老沢勝二会長が陳謝(12/19)した。

(その他)

 2004年は大災害が多かった。10/23から新潟県で震度6強の大きな地震が相次いだ(→震源はいずれも新潟県中越地方、10/23PM5:56の地震はM6.8。新潟県小千谷市で震度6強(PM5:56、PM6:12)と震度6弱(PM7:46)、十日町市でも震度6強(PM6:34)、など。上越新幹線下り「とき」が長岡付近で営業運転中の新幹線としては初めての脱線(→けが人はなし、全面運休)。また小泉純一郎首相は大地震の被害を受けた小千谷市や長岡市(10/26)、兵庫県内の台風被災地(10/27)をそれぞれ視察した。さらに天皇、皇后両陛下が新潟県中越地震の被災地を訪問(11/6)された。
高松宮妃喜久子さまが12/18早朝に逝去された。元自民党代議士・元衆院議長の原健三郎氏が死去(97歳、11/6)した。

 10/17に投・開票が行われた新潟県知事選で新人の泉田裕彦氏(自民・公明推薦)が初当選(→投票率は53.88%(前回63.59%))した。11/28、高知県知事選で橋本大二郎氏が5回目の当選(→参考:県議会の橋本知事辞職勧告決議可決を受けた出直し知事選。投票率64.56%(前回65.42%))、栃木県知事選は無所属新人の前宇都宮市長・福田富一氏(自民・公明推薦)が現職の福田昭夫氏を破って初当選(→投票率は47.65%(前回45.63%))した。

 11/1、20年ぶりに一新された一万円札(→福沢諭吉のまま)・五千円札(→新渡戸稲造から樋口一葉に)・千円札(→夏目漱石から野口英世に)が発行された。

(北朝鮮問題の動き)

 北朝鮮問題でも動きがあった。

 9/25-9/26まで北朝鮮による日本人拉致被害者の安否情報などをめぐる日本と北朝鮮の実務者協議が北京で開かれたが北朝鮮側の再調査結果に事実上進展はなかった(→横田めぐみさんが死亡したとする時期を1993年3月から1993年6月まで入院などと説明、安否不明の10人のうち8人死亡、2人未入国との北朝鮮主張は不変だという。日本側は遅くとも11月半ばまでの再回答を要求)。北朝鮮による日本人拉致被害者とその家族の支援を担当していた中山恭子内閣官房参与が9/30付で辞任した。

 11/9-11/14まで、北朝鮮による日本人拉致問題などに関する3回目の日朝実務協議が北朝鮮・平壌で行われたがまたしても大きな進展はなかった(→日本側は外務省アジア大洋州局の藪中三十二局長、斎木昭隆審議官ら。日本側は拉致被害者の横田めぐみさんと結婚したとされるキム・チョルジュン氏と初めて面会、聞き取り調査、さらに横田さんが入院していたとされる病院も訪問、担当医師から当時の病状などを聞き取り、など。11/15にチャーター機で日本側は資料などを積んで帰国。北朝鮮は安否不明の日本人拉致被害者10人のうち8人死亡、2人入国せずとの主張を変えなかったという。持ち帰った横田めぐみさんの遺骨だとされる遺骨や死亡したとされる拉致被害者の写真やカルテなどの資料を鑑定)。

 政府は北朝鮮が第3回目の日朝実務協議で拉致被害者の横田めぐみさんの「遺骨」として提供した骨がDNA鑑定の結果別人のものであることが明らかになったと発表(12/8)、北京の日本大使館を通じて北朝鮮に厳重抗議(→なお5月の日朝首脳会談で小泉純一郎首相が表明した25万トンの食糧支援のうち残り1/2の供与を当面凍結する方針)。さらに北朝鮮が提出した拉致被害者の松木薫さんの墓周辺で見つかったとされる骨もDNA鑑定の結果、別人のものと判明したことが明らかに(12/9)なった。さらに12/24、政府は第3回日朝実務協議で北朝鮮から持ち帰った安否不明の拉致被害者10人に関する資料について北朝鮮の説明を裏付けるものは皆無との分析結果を公表、北朝鮮に再調査のやり直しを要求することになった。衆院拉致問題特別委が政府に北朝鮮への経済制裁の検討を求める決議を全会一致で採択(→12/10。共産党は参加せず)、参院拉致問題特別委(12/14)でも同様の決議を可決(→ちなみに全会一致で可決)するなど、日本国内では北朝鮮に対する経済制裁を求める声が強まっている。

 ちなみにサッカーW杯アジア最終予選で日本はB組となってイラン、バーレーン、北朝鮮とホーム・アンド・アウエー方式で対戦することが決まった(12/9)。

 北朝鮮による日本人拉致被害者の曽我ひとみさんの夫・チャールズ・ジェンキンスさんの軍法会議がキャンプ座間で開かれ、脱走と利敵行為について有罪と認定されて禁固30日と不名誉除隊を言い渡され(→11/3。なおジェンキンスさんの階級は軍曹から二等兵に降格)、服役後、釈放された(→11/27。6日間の刑期短縮。収監先の米海軍横須賀基地から米軍ヘリでキャンプ座間に移動)。そして曽我ひとみさん(45歳)、夫のチャールズ・ジェンキンスさん(64歳)、長女の美花さん(21歳)、二女のブリンダさん(19歳)の一家4人が新潟県佐渡市に到着、記者会見(12/7)した。なお「よど号」メンバーの田中義三受刑者の妻協子容疑者が北朝鮮から中国・北京経由で帰国、警視庁公安部は旅券法違反容疑で逮捕(10/19)された。

 米上下両院で日本人拉致問題を含めた北朝鮮の人権状況の改善を目指す「北朝鮮人権法」が可決(→10/4の下院では全会一致で。人権状況が改善されない限り北朝鮮への人道支援以外の援助を禁止、脱北者支援への資金援助なども)され、ブッシュ大統領が署名(10/19)して成立した。北京の日本人学校に北朝鮮を脱出したと見られる7人(子供を含む)が駆け込む(12/17早朝)など脱北者の外国大使館などへの駆け込みも相変わらず続いている。なお北朝鮮を脱出した脱北者の男性が北朝鮮の指示を受けて韓国内でスパイ活動をしていたことを韓国の情報機関・国家情報院が発表(12/2)、韓国国内で大きな波紋が広がった。

 在韓米軍が板門店の共同警備区域(JSA)の警備任務から撤退、警備任務韓国軍に移管(11/1)された。日本が初めて主催する大量破壊兵器拡散防止構想(PSI)の海上阻止訓練が米、オーストラリア、フランス各国とともに相模湾などで行われた(10/26-27)。

 12/20、ブッシュ米大統領が年末休暇前に記者会見(→北朝鮮の核問題は2国間ではなく6カ国協議で解決を目指す考えを改めて明らかに)した。なお北朝鮮の核問題などを協議する6カ国協議再開の見通しは現時点(12/24)では立っていない。

(日中関係の動き)

 中国と日本の間に様々な問題が発生した。

 東シナ海で中国が進める天然ガス田開発をめぐる初めての日本と中国の局長級協議が北京で行われたが平行線に終わった(→10/25。日本側は中国側にガス田の情報提供を求めるが情報提供はなかったという)。国際石油資本のロイヤル・ダッチ・シェルと米石油大手ユノカルが中国側と共同で進めていた東シナ海の天然ガス田開発プロジェクトから「商業上の理由」で撤退すると9/29に発表している。

 沖縄県の宮古列島・多良間島周辺の日本領海内を国籍不明の潜水艦が潜航して領海侵犯、政府が海上警備行動を発令(→11/10。参考:国連海洋法条約・海洋法に関する国際連合条約第20条、ジュネーブ海洋法条約・領海及び接続水域に関する条約第14条など。領海侵犯は11/10朝の約3時間、小泉純一郎首相の承認を得て大野攻撃防衛長官が同日朝に海上警備行動を発令したが、発令は潜水艦が領海外に出た後だったので領海外に退去するよう要求したり、浮上して国旗を掲げたりするように要求することはできなかったという。海上自衛隊は護衛艦「ゆうだち」「くらま」の2隻と搭載ヘリやP3C哨戒機などで11/11も潜水艦を追尾中。探知した潜水艦のスクリュー音から中国海軍の「漢(ハン)級」原子力潜水艦の可能性が高い)した。政府は中国海軍の潜水艦と断定、中国側に抗議し(→11/12。問題の潜水艦は日本の防空識別圏の外へ。潜水艦が長時間浮上しないことから原子力潜水艦と見られること、日本周辺で原潜を保有しているのは中国とロシアだけであること、潜水艦の進行方向が北北西と現場から見れば中国方向であることなどから中国海軍の潜水艦と判断。大野功統防衛庁長官が同日夕に海上警備行動の終結を命令、町村信孝外相が程永華駐日中国公使を外務省に呼んで抗議、謝罪を要求)、中国政府が中国海軍の原潜と認めて遺憾の意を表明したことが明らかになった(→11/16。阿南惟茂駐中国大使が中国外務省に呼ばれて武大偉外務次官から「中国の原潜と確認」「通常の訓練の過程で技術的な原因から日本の石垣水道に誤って入った」「事件の発生は遺憾」などと口頭で説明を受けたという。中国側は記者会見で謝罪などの有無には触れていないが、小泉純一郎首相らは中国側が陳謝したと受け止めている)。

 沖ノ鳥島周辺の日本の排他的経済水域(EEZ)内で中国の海洋調査船が活動しているのを海上自衛隊のP3Cが確認(12/7)、日本側の抗議を受けた後も事前通告なしに沖ノ鳥島周辺の日本の排他的経済水域(EEZ)内で活動し、外務省は王毅駐日中国大使に抗議(12/10)した。なお石原慎太郎東京都知事が沖ノ鳥島沖で漁業を行う考えを示した(12/10)。

 台湾立法院(国会議員に相当、1院制、定数225)選挙の投・開票(12/11)が行われた(→国民党など野党連合が114議席と過半数を獲得、民進党など与党連合は101議席と伸び悩む)。また政府は台湾の李登輝・前総統に対してビザ(査証)を発給(12/21)し、中国が反発している。

 ちなみに8世紀前半に遣唐使として唐に渡って現地で死亡した日本人留学生の「墓誌」(→石版に書かれた死者の記録。名前は「井真成」。734年に急病のため36歳で死亡。この時代の日本人の墓誌が中国で発見されたのは初めてだという)が中国・西安(唐の都・長安)で発見されたことが明らかに(10/10)なっている。

<米大統領選など>

 米大統領選は現職のブッシュ大統領の再選という結果で終わった。

 米大統領選テレビ討論で民主党のケリー上院議員と共和党のブッシュ米大統領が論戦を行った(→初回9/30(日本時間10/1午前)、2回目(10/9)、3回目(最終回10/14))。そして11/3、米大統領選の投・開票が行われ、大接戦の末にブッシュ大統領再選(→選挙結果が確定する前の11/4未明(日本時間)、ケリー上院議員が敗北宣言、ブッシュ大統領が勝利宣言。なお全米の投票総数でブッシュ氏(約5854万票)がケリー氏(約5499万票)を350万票以上上回った (投票率は約60%)。ちなみに大統領選と同時に行われた連邦議会選でも共和党が勝利、上下両院で過半数を維持)。

 パウエル国務長官がブッシュ大統領に辞表を提出していたことが明らかに(11/15)なり、ブッシュ大統領は後任にライス大統領補佐官(国家安全保障問題担当)を指名(11/16)した。

 小泉首相はブッシュ米大統領と電話会談(11/8)した。米国を訪問したブレア英首相がブッシュ米大統領と会談(11/12)した。さらにアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議出席のためにチリ・サンティアゴ訪問中のブッシュ米大統領は小泉首相、中国の胡錦濤国家主席、韓国の盧武鉉大統領、ロシアのプーチン大統領らと会談(11/20)した。

<イラク>

 イラク暫定政府が全土に非常事態宣言(→11/7。60日間。北部のクルド人自治区を除く。外出禁止令など住民の移動などを制限)を出し、米軍などがファルージャに残る武装勢力を掃討するための軍事作戦を実施(11/8)したりしているが、イラク国内の治安はまったく回復していない。米国防総省がイラク駐留の米軍を15万人に増強すると発表(→12/2。2005年1月末予定のイラク国民議会選挙を無事に実行することを視野に)、フセイン元大統領の身柄拘束から1年が経過(12/13)し、2005/1/30に予定されているイラク暫定国民議会選挙の選挙運動が始まって(12/15)も治安の回復する兆しも見えてこない。イラク中部のイスラム教シーア派2大聖地のカルバラとナジャフで相次いで車爆弾による自爆テロが発生(12/19)したし、北部モスル近郊の米軍基地内で自爆テロも発生(12/21)した(→アルカイダと繋がりのあるという「アンサール・アルスンナ」がインターネット上で自爆テロの犯行声明)。

 なおイラクで武装勢力に8月末に拉致されたフランス人記者2人が解放されたことが明らかに(12/22)なった。イラクで武装勢力に拉致されたイタリア人女性2人が解放されたことが明らかに(9/28)なった。

 イラク・ファルージャで米兵がモスク内にいた無抵抗のイラク人負傷者を射殺したと米テレビが伝えて(11/16)波紋が広がった。米海軍特殊部隊「シール」によるイラク人拘束者への虐待を撮影したとされる写真がインターネット上に公開されていたことが明らかになり、米海軍が調査を開始(12/4)した。

 イラク派兵の是非などを争点だったオーストラリア総選挙の投・開票(10/9)が行われ、ハワード首相の与党・保守連合(自由党と国民党)が下院(150)の過半数を上回る議席を確保して大勝した。第3回イラク復興支援国会合が東京都内で開かれた(10/13-14)。エジプト・シャルムエルシェイクでイラク復興支援国閣僚級会議が行われた(→11/23)。

 韓国の盧武鉉大統領がイラクを電撃訪問して派遣している韓国軍を激励(12/8)した。ラムズフェルド米国防長官が自爆テロの被害を受けたモスル近郊の米軍基地などを電撃訪問(12/24)した。

<その他>

 その他にも国際社会ではいくつか大きな動きがあった。

 欧州連合(EU)首脳会議は加盟を目指すトルコとの交渉開始を2005年10月からなどとする議長総括を採択して閉幕(12/17)した。

 治療のためパリで入院していたパレスチナ自治政府のアラファト議長が死去(11/11)し、葬儀がエジプト・カイロで行われ、遺体はヨルダン川西岸のラマラに埋葬(11/12)された。なおイスラエルのシャロン首相の与党・リクードと最大野党の労働党が連立政権樹立で合意(12/18)した。

 イラン政府は英仏独との合意に基づいてウラン濃縮に関連する活動の全面停止を発表(11/22)した。

 エジプト・シナイ半島のアカバ湾沿岸のイスラエル国境に隣接する保養地タバにある高級ホテルなどで爆発、29人以上が死亡した(10/8。アルカイダが関与?)。サウジアラビア西部ジッダで武装グループが米国総領事館を襲撃、敷地内に立てこもる事件が発生(12/6)した。

 国連安保理は政情不安が続くコートジボワールに対して武器禁輸などの制裁決議案を全会一致で採択(11/15)した。ノーベル平和賞にケニアの女性環境活動家のワンガリ・マータイ氏(→10/8。約30年に渡る草の根の植林運動を育てた功績を評価したという)が選ばれた。

 アフガニスタンで史上初の大統領選挙の投票(10/9)が行われ、アフガニスタン大統領選でカルザイ氏が得票率55.4%で当選(11/3)、正式に大統領に就任(12/7)した。

 カンボジアの王室評議会は退位を表明(10/7)したシアヌーク国王の後継者としてシハモニ殿下を全会一致で選出(10/14)した。ミャンマーのキン・ニュン首相が解任され(→汚職の疑いで解任、自宅軟禁に?、アウン・サン・スー・チー氏らに理解のある「穏健派」だったという)、後任に強硬派のソーウィン氏が就任(10/19)した。インドネシアのユドヨノ新大統領が就任(10/20)、閣僚名簿を発表、閣僚就任式(10/21)が行われた。

 地球温暖化防止に向けた京都議定書をロシアが批准(11/5)、2005年2月に発効(→2005/2/16)することになった。そして地球温暖化対策のための気候変動枠組み条約第10回締約国会議(COP10)がアルゼンチン・ブエノスアイレスで開かれた(→12/6-18。予定を1日延長。京都議定書(2008-12年)以降の国際制度などを話し合う国際会合を2005年5月に開催することなどを決定。会合の性格をめぐって米国や途上国などが反発、紛糾したという。議長提案は「新たな約束につながるいかなる交渉も始めるものではない」などと)。

 ウクライナ大統領選の開票結果をめぐって首都キエフで10-20万人規模のデモが発生するなど混乱が続いたが、ウクライナ最高裁は決選投票で与党のヤヌコビッチ首相を当選とした大統領選の無効を決定(12/3)、12/26までに再選挙を行うように勧告(→ユシチェンコ元首相ら野党側の主張を認める内容)し、やり直しの大統領選が行われることになった。そしてウクライナ大統領選に立候補した野党のユシチェンコ元首相が入院後に体調を崩して容貌が大きく変わるなどした毒殺未遂疑惑で検査したオーストリア・ウィーンの病院が血液中から高濃度のダイオキシンを検出したと発表(12/11)して波紋が広がっている。


現実政治の問題解決に必要不可欠な複数の視点(2004/9/21)

 前回からまた約3カ月が経過した。やはり参院選(7/11)は大したことのない結果に終わり、民主党の岡田克也代表が無投票で再選(8/30。9/13の臨時党大会で正式に)され、そして郵政民営化に執念を燃やす小泉純一郎首相は外遊中(→9/16にはブラジルのルラ・ダシルバ大統領と会談、9/18未明(日本時間)にはメキシコのフォックス大統領と会談、自由貿易協定(FTA)に署名(→農産物を含む包括的協定。シンガポールに次いで2国目のFTA締結)、9/20にはヤンキース戦で始球式。9/21には国連総会で演説、日米首脳会談の予定。帰国は9/23の予定)である。相変わらず永田町でも国際社会でも異常な状態がすっかり定着して「異常なし」の状態が続いている。実は新たに発生する様々な事件や出来事の多くが何度も繰り返されている「いつもの事件や出来事」にすぎないということに多くの読者はもう気づいていることだろう。そういうことに全く気づかないのは知的レベルが低い上に「自己中心的」な物の見方しかできない「幼稚」な政治家やマスコミの人間たちぐらいなのかもしれない。

 自分たちが見ている視点とは全く別の視点が存在するということがどうしても理解できなかったり、あるいはなぜか理解しようともしない「自己中心的」な物の見方しかできない「幼稚」な政治家やマスコミの人間たちがなぜかまだ生き残っていられることは筆者から見れば実に不思議なことである。また、自分の視点とは別の視点が存在するところまではなんとか理解できるものの、複数ある視点の中から「将来の世代を含むすべての一人ひとりの市民」にとって「正しい視点」を見つけ出したり、その「正しい視点」を多くの人たちに説得力のある形で示すことのできない知的レベルの低い政治家やマスコミの人間たちがあまりにも多すぎることには本当に呆れさせられる。そして「幼稚化」は永田町周辺だけの問題ではなく、もはや世界規模の問題になっており、ますます国際社会で「幼稚化」が進んでいく非常に危険な状態にあるように筆者には思える。

 「私たちから見ればテロだが、彼らから見れば独立運動」などという物事の本質を一歩踏み込んで考えてみることもない安易に他人の立場を思いやる発想は、結局は右往左往しながら目の前にある危機に自分から突っ込んでいくようなものである。そういう「こちらから見れば○○だが、向こうから見れば…」という類の発想は、最も極端な場合には、例えば、相手国が核兵器を持っているのならばこちらも核兵器を開発・保有し、相手国が攻撃してくるのならばこちらも反撃する、などという形で両方の国家が全人類と一緒に破滅してしまう最悪の結果を招くことにもなりかねない。困ったことに核兵器の場合には、「どうして自分たちだけが核兵器を開発して大国の仲間入りをしてはいけないのかが全く理解できない」などという類の「自己中心性」から解放されていない国家に実体験を通じて学習させることもできない。他人を「未納兄弟」などと厳しく批判している「自己中心性」から解放されていない「幼稚」な政治家に実際に「未納兄弟」の仲間入りをさせてみて自分とは別の視点が存在することを学習させるようなことを核兵器の問題でやってしまったら「永田町の茶番劇」(→参考:2004/6/22)ではなく「地球の滅亡劇」になってしまう。

 多くの子供たちを含む多数の犠牲者を出したロシア南部北オセチア共和国ベスランの学校占拠事件(9/1-9/3)など、世界各地では深刻なテロの被害が相次いでいる。東アジアでは、相変わらず未解決のままである核兵器や拉致問題をはじめとする一連の北朝鮮問題に加え、韓国の核関連実験の問題も浮上したし、中国の日本に対する「反日行動」の問題も浮上した。

 政治とは「一人ひとりの自立した個人を含めた様々な主体が共存・協力関係を構築していく過程であり、共存・協力の実績とより良く共存・協力していくための技術を積み重ねながら絶えず現実にフィードバックしていく作業」であると定義すれば、共存・協力のための必要不可欠な最低限の条件は「将来世代を含むすべての一般市民の生命・財産などの利益を守ること」になると筆者は考えている。今回は現実政治を目的・関心・能力などがすべて異なる人間と人間によってつくられる集団の「問題解決の過程」と捉え、「将来世代を含むすべての一般市民の生命・財産などを守る」ことにつながる問題解決のために必要不可欠な複数の視点を示しながら、目の前にある複雑で深刻なテロの問題、東アジアの諸問題、そして日本の政治という個別具体的なケースで「自分の視点とは別の視点が存在することを理解できる」というレベルはもちろん、「こちらから見れば○○だが、向こうから見れば…」というレベルをも超越した意味のある本質的な分析や解決策を示すことを試みることにする。

 ちなみに現実政治を目的・関心・能力などがすべて異なる人間と人間によってつくられる集団の「問題解決の過程」と捉えるならば、極端な場合には、子供をめぐる犯罪などの問題やプロ野球球団合併問題にまである程度適用可能な柔軟な「思考・分析の枠組み」を作ることができることになる。グローバリゼーションによる国境の多孔化という変化により、国家、国民、主権などの定義やそれらの在り方が大きな影響を受け、さらに国際政治と国内の政治の境界もますます不明確になりつつある現状では、現実政治を人間とその人間によってつくられる集団の「問題解決の過程」として改めて統一的に捉えようとする試みは大きな意味を持つのではないかと考えている。

正しい判断のために必要不可欠な能力・知識

 ある人が目の前の「物事」を正しく判断しようとする場合には、(A)「物事を全体の中に正しく位置付ける能力」が必要になってくると考えている。そして少なくとも(1)内容が適切かどうかを含めて、ある「物事」が間違いなく事実なのか、(2)ある「物事」は部分なのか全体なのか、もしも部分ならば全体の中のどのくらいの大きさなのか、(3)ある「物事」があるのは「幹」(あるいは「本流」)の部分か、それとも「枝」(あるいは「支流」)の部分か、などということを正しく判断する必要があり、そういう判断の結果、急いで解決しなくてはならない「問題」が目の前にあることにある人が気づくこともあるだろう。

 そしてその人が「問題」を解決しようとする場合には、(B)「因果関係を正しく理解する能力」が必要になってくると考えている。少なくとも事前に(1)「問題」を解決する、あるいは解決しようとするということはどういうことを意味しているのか、つまり問題解決、あるいは用いる手段や行動が「原因」で社会にどのような影響が「結果」として生じるのか、あるいは生じる可能性が出てくるのか、ということ、(2)用いる手段や行動が「問題」の解決に適切な形でつながっているのかどうか、つまり用いる手段や行動が「原因」で問題解決という「結果」が得られるのか、などということをチェックする必要があると考えている。

 そこまでは要するに以前(→参考:2004/3/22)も現実政治の分析・説明に使用した「集合・ベン図」の話、「容器・中身」や「何が何とつながっているのか」という話と同じ話である。今回の「主役」はある人が実際に「問題」を解決していく場合に必要になってくる、(C)「決して目的を見失わずになんとか適切な『出口』にたどり着く能力」である。もしかしたら人間の「問題解決の過程」への「心理学的アプローチ」と言い換えた方が分かりやすいのかもしれない。

「問題解決の過程」への「心理学的アプローチ

 ある人がどうしても急いで解決しなくてはならない「問題」に直面した場合には、ある人や他人にとって望ましいものも望ましくないものも含めて基本的には「出口」は5種類あると考えることができる。ある人にとっても他人にとっても望ましい「出口」は、「ルール」に従って(1)自分自身の力だけを使って「問題」を解決する場合と、(2)他人の力を借りて「問題」を解決する場合の2種類である。もっとも(2)の他人の力を借りる場合には、怪しい政党・政治家やカルト宗教や詐欺師などに欺かれる危険性などを指摘しないわけにはいかないのだが、今回はあえて深入りしないでおくことにする。

 そして自分の力でも他人の力を借りても問題を解決することができないときには、「欲求不満(frustration)」の状態になることが多いが、その場合、その人は目的を「問題解決」から「欲求不満解消」に変えるかどうかという重大な判断を新たに迫られることになる。

 あくまでも目的を「問題解決」のまま変えないときに「ルール」に従って再度(1)(2)の「出口」による「問題解決」を目指すのならば前向きな姿勢として評価できるのかもしれない。だが、その人が他人を「攻撃」するなどの形で「ルール」を破ってでも何が何でも目的を達成しようとして (3)「問題行動」とか「逸脱」などと呼ばれる「出口」を目指すような場合には他人にはなかなか受け入れられないことが多い。

 目的を「欲求不満解消」に変える場合には、目的を「解決に失敗した問題」よりも「ずっと簡単な別の問題」の解決に変えたり、あるいは自分自身が納得できる失敗の言い訳を見つけたりし、(4)変えることができない現実を変える代わりに自分の感情の方を現実に合わせて変えて適応するという「出口」(→いわゆる「防衛機制」など)によって欲求不満を解消することになる。

 欲求不満の状態を解消しなければ、その人はどんどんストレスをためこむことになる。そしてストレスが限度を超えると問題の解決を目指すこととは全く無関係に(3)の「問題行動」や「逸脱」などが発生し、いわゆる「キレ」た状態になることもあるし、そのまま「キレ」ることなく内部にストレスをため続けて「異常行動」を示し、やがて「破滅」という(5)最悪の形の「出口」にたどり着いてしまうこともある。

 かなり単純化したが、ある人には、「ルール」に従って(1)自分自身の力で問題を解決するか、(2)他人の力を借りて問題を解決するか、あるいは「ルール」を破ってでも(3)何が何でも問題を解決しようとするか、あるいは「ルール」を破らずに(4)現実に合わせて自分の感情を変えて適応するか、それとも(5)ストレスをため続けて「破滅」してしまうか、という基本的には5種類の「出口」が存在するのである。

「ルール」と「問題」という2つの「変数」

 現実政治や社会では、「ルール」に従って問題を解決する(1)と(2)には基本的に問題がないことは明らかだし、(5)の「破滅」が大問題になることも言うまでもないことだろう。(3)と(4)の「出口」が許されるものになるか、それとも許されるものにならないかは「状況」によって変わってくる。そしてその「状況」を変えるのは「ルール」と「問題」という2つの「変数」である。

 もしも「ルール」が「慣習」や「社会常識」のようなものならば、他人からある程度の批判を受けることを覚悟するのならば、「ルール」を破って「問題」を解決するという(3)の「出口」は結局のところは許されるはずである。また「ルール」が「法律」のようにその社会や国家の中で強制力を持つものならば、「ルール」を破る(3)の「出口」は少なくともその社会や国家の中では認められないことになる。ただし「法律」の内容は国家によって異なるから、ある国家では認められなくても別の国家では認められるということも十分にあり得る。もちろん「問題」が「他人の生命・財産を奪いたい」などという不適切なものでないことが大前提である。人間の生命などを理不尽な形で奪うようなことは近代文明社会ではまず認められるようなことはない。

 解決すべき「問題」がその人の単なる個人的な欲求を満足させることであるのならば、その人が変わらない現実に合わせて自分の感情を変えて適応する(4)の「出口」を選んだとしても、基本的にはその人の自由だから他人がとやかく言うことはできない。だが、もしも解決すべき「問題」が自分の生命などを奪われたくないなどというものである場合には、近代文明社会では(4)の「出口」はほとんどの他人が認めないものになる。

 さらに言えば、解決すべき「問題」が自分の生命などを奪われることを防ぐことであり、「ルール」が「法律」であるという場合にも、急迫不正で他に手段がないときには「正当防衛」などの形で「ルール」を破って「問題」を解決することが認められることもあるのである。

 国家や社会によって文化や社会常識や法律などの「ルール」が異なるのは当然だし、そのこと自体は基本的には尊重されるべきだが、それでも近代文明社会の一員としては人間の生命などを理不尽な形で奪うようなことは断じて認めるわけにはいかない。筆者が「政治の究極目標」とか共存・協力のための必要不可欠な条件などとして「将来世代を含むすべての一般市民の生命・財産などの利益を守ること」をあえて強調するのは、どんな困難な状況でも決して目的を見失わずに適切な「出口」になんとかたどり着くようにするためという意味もあるのである。いずれにしてもグローバリゼーションの進展によって今後ますます「ルール」の問題が現実政治において差し迫った重大な問題になっていくことはほぼ確実であると考えている。

現実政治の問題解決に必要不可欠な複数の視点

 たとえどんなに差し迫った状態で「問題」に直面した場合でも、現実政治においては「問題」を正しく認識した上で適切な「出口」を経由して「問題」を正しく解決する必要があることは変わらないはずである。そのためには目の前の複雑で深刻な「問題」を「ミクロ」と「マクロ」、「過去」と「未来」などという複数の視点から捉えることが有効ではないかと筆者は考えている。

 人間や集団などの個別具体的な「政治的主体」による問題解決という「ミクロ」からの視点、そして様々な「定義」によってグループ化された様々な「政治的主体」の集合という「マクロ」からの視点で目の前の複雑で深刻な「問題」を捉えれば、今まさに見ている視点だけから認識するよりもずっと現実に近い形で「問題」の複雑性を正確に認識することができるだろう。さらに人類の「過去から現在までの歩み」という「過去」からの視点と「望ましい未来から現在への逆算」という「未来」からの視点で目の前の複雑で深刻な「問題」を捉えれば、「人類の歴史的文脈」から大きく逸脱する目先のことだけにとらわれた問題解決や深刻さを十分に認識できずに行うその場しのぎの問題解決などを避けることができるだろう。

 ちなみに筆者が「将来世代を含むすべての一般市民の生命・財産などの利益を守ること」などとあえて「将来世代を含む」を強調するのは、本当の意味での「弱者」が「将来世代」である(→参考:2004/1/5)と筆者が考えているからだけではなく、例外なくほとんどすべての文化・文明が受け入れることができる「子孫の繁栄」などという視点を目の前の複雑で深刻な問題解決の過程にあえて導入することによってその場しのぎでもなく目先のことだけにもとらわれない問題解決を行うことができるようになるのではないかと考えているからでもあるのである。

 ようやく長い退屈(?)な能書きを終えることができたので、いよいよ複雑で深刻なテロの問題、東アジアの諸問題、そして日本の政治という個別具体的なケースを「ミクロ」と「マクロ」、「過去」と「未来」などという複数の視点から捉え、(A)「物事を全体の中に正しく位置付ける能力」、(B)「因果関係を正しく理解する能力」、(C)「決して目的を見失わずになんとか適切な『出口』にたどり着く能力」を駆使して「将来世代を含むすべての一般市民の生命・財産などを守る」ことにつながる問題解決を目指すという形で現実政治へのフィードバックを試みることにする。念のために言っておくが、筆者の長い退屈(?)な能書きは、現実政治の問題解決とは全く無関係な「おとぎの国の雑学」とか「合理的」などと称して現実から理解が困難な部分を切り捨てて理解できる部分だけを選び出すような「政治学」とは相容れないものである。

テロ問題関係の動き

 イラク暫定政府に予定より2日早く電撃的に主権が移譲された(→6/28。報道陣にも知らせずに式典が行われるという異常さ。ブレマーの暫定行政当局(CPA)代表(行政官)は主権移譲後に即座に米軍機でイラク出国。ヤワル大統領、アラウィ首相らが宣誓式。なお米国のパウエル国務長官が7/30にイラクを電撃的に訪問)。バグダッドで国民大会議(→8/15-18。暫定政府を監督する諮問評議会のメンバー100人を選出。シーア派強硬派のサドル師が停戦受諾?)が開かれた間もナジャフなど各地で戦闘は続いた。そしてシーア派最高権威のシスターニ師の説得を受けてナジャフのアリ聖廟(せいびょう)からシーア派強硬派サドル師の民兵(マフディ軍)が撤退した(8/27)が、相変わらず治安状態は悪化したままである。なお人道復興支援のために派遣されている自衛隊はサマワへの駐留を続けている。

 4月に日本人の民間人が武装勢力の人質にされたものの無事に解放される事件があったが(4/8-4/15に3人、4/15-4/17に2人)、その後も外国人人質事件が相次いでいる。韓国人人質が武装勢力に殺害(6/22)されたり、フィリピン軍が武装勢力の要求に応じてイラクから撤退して人質が解放(7/20)されたり、武装勢力にネパール人人質12人が殺害(8/31)されるなどしている。

 世界各地でテロの被害も相次いでいる。ロシア・モスクワ発の旅客機2機が自爆テロで墜落し(8/25)、モスクワ市内の地下鉄駅付近で爆発が発生、10人以上が死亡した(8/31。女性による自爆テロ)。さらにロシア南部北オセチア共和国ベスランで武装勢力が学校を占拠して生徒や教師らが人質になり(9/1)、事件発生から約52時間後に爆発が発生、特殊部隊が突入(9/3)、武装勢力と銃撃戦になって多数の死傷者が出て大きな波紋が広がった(→死者は330人以上)。またインドネシア・ジャカルタのオーストラリア大使館前で自爆テロが発生(9/9)し、9人以上が死亡した(→アルカイダとも関係しているイスラム過激派組織ジェマー・イスラミア(JI)の犯行??)。そして米国の同時多発テロ事件から3年(9/11)が経過した。

 国際司法裁判所(ICJ)はイスラエルがヨルダン川西岸地区に建設している分離壁について違法との勧告的意見を言い渡した(→7/9。法的拘束力なし)。国連安保理がスーダン西部ダルフール地方のアラブ系民兵による住民迫害問題で紛争停止を求めてスーダン政府に制裁措置発動を警告する決議を採択した(7/30。国連安保理は9/18にもスーダン政府に治安回復の責任を再確認する決議)。

テロの危険な連鎖と「核分裂的な拡大」

 繰り返し(→参考:2004/6/22)になるが、テロとは、「ある者が非戦闘的な状態において何らかの明確な目的をもって意図的に行う個人の生命・財産などに対する急迫不正の侵害もしくはそれらを脅かす行為。ただし専ら他者の経済的利益の奪取、あるいは憎悪の解消や快楽の享受を目的としたものを除く」と筆者は暫定的に定義している。つまり筆者の考え方からすれば、テロは犯罪に限りなく近いものなのであり、正当化することは断じて認められないものなのである。

 テロを「ミクロ」からの視点、すなわち人間や集団などの個別具体的な「政治的主体」による問題解決という視点(→前述の「心理学的なアプローチ」)から見た場合には、「ルール」を破ってでも何が何でも目的を達成しようとする「問題行動」など(→前述の(3)の「出口」)に相当し、そしてこの場合に破る「ルール」は「法律」あるいはそれ以前の「将来世代を含むすべての一般市民の生命・財産などを守る」というものであることから近代文明社会では受け入れられないもののはずである。従ってテロは断じて認められないものである。

 さらにテロを「マクロ」からの視点、つまり「定義」によってグループ化された様々な「政治的主体」の集合という視点から見た場合には、テロの危険性を理解することが容易になり、テロが断じて許されないものであることがさらに明確になってくる。テロは「民族独立」「侵略者からの解放」「イスラムの敵の追放」などの「何らかの明確な目的」を持っており、裏返して考えるならば、それらの目的によって定義される「敵」をテロによって攻撃しているわけである。そしてテロリストが追い詰められるなどし、「敵の定義」が緩やかなものになればなるほど、「報復が報復を呼ぶ」どころか「核分裂的に拡大」していく危険性が高くなっていくのである。

 例えば、テロリストの敵が「アメリカ」だったとしよう。もしもテロリストの定義する敵である「アメリカ」が「米軍」に限定されているのであれば、テロは限りなく「戦争」に近いものになると考えられる。だが、もしも「米国人」「米国大使館」「米国系企業」「米国の味方」…などと緩やかなものになっていく場合には、理不尽な形で生命・財産を奪われる人たちの数は増えていき、テロリストを憎む人たちの数も増えていくことになる。そうなってくると「報復が報復を呼ぶ」という危険な連鎖が生じることもあるだろう。そしてやがて「親兄弟を殺した憎い『敵』を一人でも多く殺してやる」などと「自爆テロ」に走る人間や、ある程度の「誤爆」や「巻き添え」が起こったとしても「敵」を完全に叩きつぶすべきだと考えるような人間も出てくるかもしれない。「報復が報復を呼ぶ」という危険な連鎖が続いている状態で「親兄弟を殺されたある人間」による1回の「テロ」で何倍、何十倍、何百倍、何千倍もの「親兄弟を殺された人たち」を生み出すことになるのならば、テロが「核分裂的に拡大」していく危険性が高くなっていくということは賢明な読者ならすぐに理解できることだろう。念のために言っておくが、筆者の定義では「誤爆」や「巻き添え」もテロになる。

 「ミクロ」と「マクロ」の視点から見たテロを断じて許すことのできない理由を踏まえ、「過去」と「未来」からの視点でさらにテロを考えることにすれば、多くの読者はあっと言う間に全く同じ結論に到達することだろう。もしも「未来」をホッブスの言うような「各人の各人に対する戦争」(「リヴァイアサン」、ホッブズ著、水田洋訳、岩波文庫)のような状態にするつもりがないのならば、たとえ「過去何十年にも渡って抑圧され続けてきた」「親兄弟を理不尽な形で殺された」などの「過去」があったとしても、それにもかかわらず、今すぐに、「報復が報復を呼ぶ」というテロの危険な連鎖を断ち切り、「テロの核分裂的な拡大」を止めなければならないという結論に達するはずである。現実的には今すぐにテロを完全になくすことなど不可能だが、それにもかかわらず、「報復が報復を呼ぶ」というテロの危険な連鎖を断ち切り、「テロの核分裂的な拡大」を止めなければならないはずである。仮に一万歩ぐらい譲った場合にも、少なくとも「テロの核分裂的な拡大」だけは絶対に阻止しなくてはならないはずである。

 テロや人質事件を繰り返す側から見れば、テロの対象や人質は兵士でも民間人でもすべて「敵側の人間」だし、圧倒的な戦力を持つ敵の軍隊よりも民間人などの「ソフト・ターゲット」を狙う方が「合理的」なのだろう。だが、加害者の側にいくら親兄弟を殺されたなどの「大義名分」があったとしても、テロや人質事件の被害者の側から見れば、テロが理不尽で卑劣な行為であることにはいささかの変化もないはずである。

 同様に「テロリスト」と戦う側から見れば、「テロリスト」の定義を「外国人」「イスラム教徒」「アラブ系」などとほとんど変わらない程度まで非常に緩やかなものにしてテロリストとは全く無関係な人たちの権利を不当に侵害したり、あるいは「誤爆」や「巻き添え」によって全く無関係な人たちを犠牲にしてしまうのは「非常に残念だがテロと戦うためにはやむを得ないこと」などと主張したとしても、「誤爆」や「巻き添え」などの被害者の側から見れば、理不尽で卑劣な行為でしかないはずである。

「ムーアのようなアメリカ」の方を恐れるはず

 パウエル米国務長官は米上院の公聴会でイラク戦争開戦の重要な根拠となった大量破壊兵器の発見を断念(9/13)する考えを示した。イラク戦争反対を唱えるだけで結局前向きなことは何一つできなかった世界中の人間たちがここぞとばかりに「大義名分がないことが明白になった」「くたばれアメリカ」「くたばれブッシュ」などと声高に唱えたいというのならばそれはそれで結構だろう。世界が注目する中、民主主義国中の民主主義国である米国の国民が大統領選(11/2投票)でどんな判断を下したとしてもそれはそれで結構である。もちろんどんな選挙結果が出ようとも米国民以外から見れば米国に改めてもらいたい点が多々あるということは何も変わらないだろう。それでもやはり「ブッシュのアメリカ」が良いというのならばそれはそれで結構だし、ここは「ケリーのアメリカ」にしなければダメだというのならばそれはそれで結構である。だが、「ムーアのようなアメリカ」にだけは間違ってもならないでもらいたいものである。「ブッシュだけは勘弁してもらいたい」と言って「ムーアのようなアメリカ」になるということは、「テロだけは勘弁してもらいたい」と言って「ネオコンのアメリカ」になるということと表裏一体あるいは紙一重の関係であるということに賢明な読者はすぐに気づくことだろう。世界中のある程度以上の知的レベルの人たちならば冷静になって考えてみれば誰でも「ブッシュのアメリカ」よりも「ムーアのようなアメリカ」の方を恐れるはずである。

 ムーアのような人たちから見れば、ブッシュは我慢がならない許し難い敵だが、ネオコンのような人たちから見れば、フセイン元大統領やビンラディン氏などは我慢がならない許し難い敵なのである。だからと言って誰と交代させてもいいということにはならないし、何をやっても良いというわけではないのである。人間は「欲求不満」の状態になっているときこそ、そもそもの「問題解決」に適切な形でつながっていない「問題行動」(→前述の(3)の「出口」)に走る前に立ち止まって一歩踏み込んでじっくりと考えてみなければならないのである。いくら「ブッシュが大統領であることに我慢がならない」としても「ブッシュ以外ならば誰でもいい」(→anything but Bush)などと思考停止してしまうと「地上の楽園」だと思っていた「ブッシュのいない世界」がとんでもない悲劇的な結末につながっているということもあるのである。もしもこれまでのブッシュ大統領の4年間を否定的に評価して「業績投票」なるものを行っているつもりになって「ブッシュ以外ならば誰でもいい」という程度で思考停止して永遠に負の連鎖から抜けられなくなったとしても、それでも有権者は「合理的な判断」をしているということにされてしまうのならば辞書を大幅に書き換える必要が出てくるのかもしれない。「因果関係を正しく理解する能力」(→前述の(B))や「決して目的を見失わずになんとか適切な『出口』にたどり着く能力」(→前述の(C))を十分に持っていない人間たちは「欲求不満」をどんどんためて自ら破滅に向かってまっしぐらに突き進むことにもなりかねないのである。

東アジアの諸問題関係の動き

 中国・北京で北朝鮮の核問題の6カ国協議(第3回)が行われた(→6/23-26。第4回の6カ国協議を9月末までに北京で開催することで原則的に合意、作業部会で非核化の第一段階の措置や範囲などを定めて6カ国協議に提言する方向へ)。9月末までに行われる予定だった第4回の6カ国協議は北朝鮮側が参加に消極的な態度を示しているため、開会は困難な情勢になっている。米国は世界食糧計画(WFP)を通じて北朝鮮に5万トンの食糧支援を実施すると発表した(→7/24。米国の食糧支援は今年初)。日本政府は北朝鮮に国際機関を通じ12万5000トン(約4000万ドル=約45億円)の食糧支援と約700万ドル(=約7億7000万円)相当の医薬品などの人道支援を行うことを決定(→8/5。小泉首相が5/22の北朝鮮訪問、金正日総書記との会談で表明した国際機関を通じた人道支援としての25万トンの食糧と1000万ドル分の医薬品の約1/2)した。中国・北京で日本人拉致問題などでの日朝実務者協議が行われたが進展はなかった(→8/11-12。北朝鮮側は安否不明の日本人拉致被害者10人の「再調査」の途中経過を口頭で伝えただけで新しい情報はなかったという。日本側は9月中の実務者協議を提案)。そして北朝鮮が日本人拉致を認めた日朝首脳会談、日朝平壌宣言から2年(9/17)が経過した。

 北朝鮮による拉致被害者の曽我ひとみさんがインドネシア・ジャカルタで北朝鮮に残された家族3人と1年9カ月ぶりに再開(→7/9。日本政府のチャーター機が北朝鮮、インドネシアへ。同日夜に曽我さんと夫の元米兵チャールズ・ロバート・ジェンキンスさん、長女の美花さん、二女のブリンダさんとの再会、市内のホテルへ。ちなみに朝鮮中央テレビは日本のテレビ局向けに3人の出国映像を生中継したという)し、家族と共に日本に帰国(7/18)した(→ジェンキンスさんは都内の病院に入院)。そしてジェンキンスさんが都内の病院を退院してキャンプ座間(神奈川県座間市)の在日米陸軍司令部に出頭(→9/11。ジェンキンスさんは憲兵隊長に敬礼、米陸軍指揮下に入って約40年ぶりに軍曹に復帰(→月給約3273ドル(約36万円)だという)、逃亡の恐れはないので逮捕はされず、基地内での行動は自由に。曽我さんら家族と共に基地内で生活して司法取引で「不名誉除隊」などによる実刑回避を目指す方向に)した。

 韓国が中国からベトナム経由(?)で北朝鮮脱出住民400人以上を受け入れた(7/27-28)ことで北朝鮮が反発するなどして波紋が広がった。北京の日本人学校に北朝鮮出身?の29人(子供を含む)が駆け込んだ(9/1)。

 さらに2000年に韓国の政府系研究機関で少数の研究者が未申告で微量のウランを核兵器に使用可能なレベルにまで濃縮していたとして韓国政府が国際原子力機関(IAEA)に通告、IAEAの査察官が韓国入りしたこと(9/2)に加え、同じく未申告で1982年4-5月にプルトニウムの抽出実験を行い、使用済み核燃料からミリグラム単位のプルトニウムを実際に抽出していたことも明らかになり(→9/9。IAEAは1998年と2003年の2回に渡って疑惑を指摘。米国務省の9/8の発表によって浮上した疑惑を韓国政府が認めた形)が明らかになり、波紋が広がっている。

 なおウィーンで開かれていた国際原子力機関(IAEA)理事会はイランに対してウラン濃縮活動の全面停止などを求める決議を採択して閉会(9/18)した。

 中国・北京で行われたサッカー・アジアカップ決勝で日本は中国を3-1で破って2連覇を決めた(8/7)が、アジアカップ期間中を通じた中国人観客の過激な反日行動などが大きな問題となった(→中国の武装警察などが警備する中、決勝終了後に一部の中国人が競技場周辺で気勢を上げて日の丸を燃やしたり、日本大使・公使らの公用車を蹴って車体をへこませたり、公使の車の後部ガラスを割ったり、選手の乗ったバスを取り囲むなどし、日本人サポーターも試合終了後2時間以上も足止めされ、急きょ用意されたバス20台でようやく会場を後にした)。

 さらに、中国人の魚釣島不法上陸(3/24)・強制送還(3/24)事件、中国側調査船が事前通告なしに日本の排他的経済水域(EEZ)内の海洋調査を繰り返している問題に加え、東シナ海のEEZの日中中間線(日本が主張)付近で中国が開発して日本が抗議している春暁ガス田で既にパイプライン敷設工事が始まっていることが明らかに(8/27)なった(→日中中間線に沿った日本側海域では日本政府がチャーターした調査船が7/7に調査活動を開始)。

日本と中国の間の深刻な「ねじれの関係」

 同じように日本と中国の間の諸問題を「ミクロ」と「マクロ」の視点から考えてみることにする。「ミクロ」からの視点、すなわち人間や集団などの個別具体的な「政治的主体」による問題解決という視点(→前述の「心理学的なアプローチ」)から見た場合には、日本と中国の間での「ルール」の違いに基づくある種の「ねじれの関係」が諸問題を複雑にしているという側面を否定することはできない。つまり、日本では「ルール」を破らずに自分の力(→前述の(1)の「出口」)あるいは他人の力を借りて(→前述の(2)の「出口」)問題解決していることが中国から見れば中国人の感情を傷つけるという形で「ルール」を破って目的を達成しようとする「問題行動」など(→前述の(3)の「出口」)になっている一方、逆に中国では「ルール」に従った問題のない行動(→前述の(1)と(2)の「出口」)になっていることが日本から見れば日本人の感情を傷つけるという形で「ルール」を破って目的を達成しようとする「問題行動」など(→前述の(3)の「出口」)になっているというのが基本的な構図なのである。もちろんサッカー・アジアカップで見られた中国人観客らによる過激な「反日行動」は中国の「ルール」にも反していることは言うまでもないことである。要するに、ほとんどの場合には、日本と中国の間で「ルール」が違うのは広い意味での文化の違いが原因であり、それぞれの「ルール」が直接的に「将来世代を含むすべての一般市民の生命・財産などを守る」ことに反しているわけではない以上、どちらが善でどちらが悪であるとはなかなか言えないのである。日本と中国の諸問題を「ミクロ」からの視点から見た場合には文化の違いが原因で生じる「ルール」の違いに基づくある種の「ねじれの関係」が見えてくるのである。もしもこの「文化」の問題に解決策があるとするならば、日本と中国がよりよい共存・協力関係を通じて将来の共通利益を実現するために共に「新しいルール」を作るということぐらいだろう。

 日本と中国の間の諸問題を「マクロ」からの視点、つまり「定義」によってグループ化された様々な「政治的主体」の集合という視点から見た場合には、テロの場合と同じような危険な連鎖と「核分裂的な拡大」の危険性が見えてくることになる。そしてその危険な連鎖を断ち切って「核分裂的な拡大」を阻止するためには、日本と中国のそれぞれから見た「日本人」と「中国人」の定義の間に生じるある種の「ねじれの関係」を解消する必要がある。

 日本国内に不法滞在や密入国を繰り返したり、あるいは窃盗や殺人や強盗などの凶悪犯罪を繰り返す中国人が無視できない数だけ存在することが間違いのない事実だとしても、だからといってすべての中国人が「不法滞在者」や「密入国者」や「犯罪者」であるわけがないし、中国各地で多数の人たちが「反日行動」などをしていることが事実だとしてもそれでもすべての中国人が「反日行動」などをしているわけではない。逆に過去に日本軍が中国大陸などを侵略したり、化学兵器を作って遺棄したのが事実だとしても、少なくとも若い日本人はそういう生まれる前の不幸な過去とは全く無関係である。そして中国で「買春」を行う人間がいたとしてもすべての日本人がそうするわけではないし、靖国神社に「初詣で」などに行く政治家がいるとしてもすべての日本人が靖国神社に「初詣で」などに行くわけでもない。

 もしも日本と中国の間で歴史問題がいつまでも解決されず、このまま多くの中国人が日本人全体に対して反発したり、悪い感情を持ち続けるのならば、「ねじれの関係」がさらに深刻な「ねじれの関係」にまで発展し、「破滅」や「悲劇」までエスカレートしていく危険性も生じてしまう。過去の日本の中国侵略による「生まれながらの被害者」である将来の世代の中国人が「生まれながらの加害者」である将来の世代の日本人に反発し、これに対して中国の日本に対する反発による「現在の被害者」としての将来の世代の日本人が「現在の加害者」である将来の世代の中国人に反発するという深刻な「ねじれの関係」までもが生まれてしまったら取り返しがつかないことになる。そんな「悪い芽」「危険な芽」は今のうちに残らずすべて摘み取ってしまいたいものだと筆者は思っている。

 日本と中国の間の諸問題を考える場合にも、やはり「過去」と「未来」からの視点が欠かせないものになる。日本による中国侵略、朝鮮半島の植民地支配などという不幸な過去は間違いなくあったが、日本、中国、そして韓国などの朝鮮半島の人たちには「世界」がまだ東アジアよりも狭かった約2000年前から様々な形で共存・協力関係を積み重ねてきたという実績もまた間違いなく存在するのである。グローバリゼーションの進展によって日本、中国、そして韓国などの朝鮮半島の人たちの間でどのような新しい共存・協力関係が構築されていくことになるのかはよく分からないが、少なくとも現時点で確実にやっておかなければいけないことは「過去」の共存・協力関係を素直に受け止めることができるような「未来」にとって大きな障害になるものをすべて取り除くことではないかと筆者は考えている。

日本は一人ひとりの市民の人権蹂躙を容認するのか

 核問題や日本人拉致問題などの一連の北朝鮮問題は相変わらず見通しが立たない状態である。「ミクロ」の視点から見れば、北朝鮮の「瀬戸際外交」などというものは、国際社会の「ルール」を破ってでも何が何でも米国から安全の保証などを得るという形で問題を解決しようという典型的な「問題行動」(→前述の(3)の「出口」)であると考えることができるし、北朝鮮の数々の「問題行動」や自分勝手な主張は明らかに「自己中心性」から解放されていない「幼稚」なものであるということは否定しようがない。そのことは北朝鮮が韓国の未申告の核関連実験が明らかになると、自分たちの核兵器開発問題のことは完全に棚上げして先に韓国の核問題の徹底解明を求めるなどという姿勢を示していることを見ても明らかだろう。韓国は国際原子力機関(IAEA)の査察に対して北朝鮮がどんな自分勝手な言い訳もすることもできないくらい積極的かつ完全に応じて北朝鮮に正しい学習をさせてやって欲しいものである。

 欲求不満が高まってくると、なかなか解決しない一連の北朝鮮の問題を解決するためには、例えば、毎年、「プルトニウム○○kg、濃縮ウラン○○kg、ミサイル○○基、覚せい剤・麻薬○○トン、偽ドル札○○ドル」などを持って金正日総書記本人が米国に「朝貢」にやってくることを条件に「金印」と「汝を北朝鮮国王と為す」などと書かれた「安全の保証の文書」を食糧などと一緒に米国大統領が与える方向で米朝二国間交渉を進めた方がいいのではないかなどという極端な意見も出てきてしまいそうだが、そんなときには北朝鮮という集合の内部を見る「マクロ」からの視点を思い出すことが重要である。「北朝鮮」の中には軍や党などの「非人道的な独裁国家を支える人間たち」の他にも「非人道的な独裁国家に人権を蹂躙されている一人ひとりの市民」もいるはずである。「朝貢」では「非人道的な独裁国家に人権を蹂躙されている一人ひとりの市民」は救われることはないだろう。

 もちろん北朝鮮の問題を考える場合にも、やはり「過去」と「未来」からの視点が欠かせないし、「過去」の共存・協力関係を素直に受け止めることができるような「未来」にとって大きな障害になるものはすべて取り除く必要があると筆者は考えている。筆者としては、「過去」の共存・協力関係を素直に受け止めることができるような「未来」にとって大きな障害になるものをすべて取り除くという観点からあえていくつか疑問を投げかけておくことにする。北朝鮮が「同じ民族」だということで思考停止してしまう韓国の一部の若い人たちがいるようだが、本当にそれでいいのか。「親日派」、ましてや「親日派の子孫」も「同じ民族」ではないのか。「同じ民族」が自分の生命・財産などを常日頃から脅かされている状態から逃れることも許されない現実があったとしてもそれを黙って見過ごすのか。

 日本、韓国などの朝鮮半島、そして中国などの将来のことを考えれば考えるほど、筆者には「領域内の一人ひとりの市民の人権を蹂躙する非人道的な独裁国家」の存在を認めることはできない。もしも北朝鮮が「領域内の一人ひとりの市民の人権を蹂躙する非人道的な独裁国家」であり続けるのならば、日本は断じて北朝鮮との国交を正常化させてはならないし、ましてや過去の植民地支配の「賠償」としての性格をも併せ持つ国交正常化後の経済協力などを行うことは絶対に許されない。日本が朝鮮半島の人たちに耐え難い苦しみを与えた過去の植民地支配を真の意味で反省しているのならば、「領域内の一人ひとりの市民の人権を蹂躙する非人道的な独裁国家」の存在を認め、そして独裁国家内の一人ひとりの人権を蹂躙することを間接的に支援することなど絶対にできるわけがない。もしも「領域内の一人ひとりの市民の人権を蹂躙する非人道的な独裁国家」と国交正常化し、過去の植民地支配の「賠償」としての性格をも併せ持つ国交正常化後の経済協力などを行うことになるのならば、日本は過去の植民地支配に加えて21世紀になってからもさらに朝鮮半島の人たちに耐えがたい苦しみを与えたと将来の世代から見なされることになってしまうだろう。日本はそんな取り返しのつかない大きな歴史的な過ちを犯してはならない。

 日本の国益、国際社会の責任のある一員という観点から考えても、北朝鮮が「領域内の一人ひとりの市民の人権を蹂躙する非人道的な独裁国家」であり続けることを容認することはできないはずである。かつて北朝鮮を「地上の楽園」と信じて日本から北朝鮮に渡った多数の元在日朝鮮人や日本人らが北朝鮮にはいるはずだし、また北朝鮮による拉致という形で強制的に連れて行かれた日本人らもまだ北朝鮮にはいるはずである。日本は少なくとも日本国籍を持った人たちの人権保障を北朝鮮側に要求し続ける権利も義務も持っているはずではないのか。いくらグローバリゼーションが進展して国家や国民の定義が変わったとしてもそういう根本的な部分だけは絶対に変わるはずがない。さらに言えば、国際社会の責任のある一員であるはずの日本が「地上の楽園」ではない「領域内の一人ひとりの市民の人権を蹂躙する非人道的な独裁国家」に多数の人たちが渡ったという事実を知りながらあえて知らなかったことにできるわけがないだろう。いくら彼・彼女らがそのまま音信不通になったり、なかなか近況を知ることができなくなっていたとしても北朝鮮を「地上の楽園」と信じて日本から北朝鮮に渡った多数の元在日朝鮮人や日本人らがすべていなくなったわけでも、最初から一人も存在しなかったわけでもないはずである。日本は多数の人たちが「地上の楽園」ではない「領域内の一人ひとりの市民の人権を蹂躙する非人道的な独裁国家」に渡って今も北朝鮮国内に残されているという事実を決してうやむやにせず、国際社会の責任のある一員として恥じない行動を取らなければならないはずである。

 繰り返すが、日本が今の北朝鮮のような「領域内の一人ひとりの市民の人権を蹂躙する非人道的な独裁国家」と国交正常化し、過去の植民地支配の「賠償」としての性格をも併せ持つ国交正常化後の経済協力などを行うのならば取り返しのつかない大きな歴史的な過ちを犯すことになる。日本は朝鮮半島の統一やその他の歴史の節目で朝鮮半島の植民地支配という「過去」を真の意味で反省し、明確に総括を付けなければならないのであり、間違っても日本と朝鮮半島の人たちの「過去」の共存・協力関係を素直に受け止めることができるような「未来」にとって大きな障害になることを新たに作り出してはならないのである。

 以前(→参考:2004/3/23)の繰り返しになるが、吉野作造の「民本主義」の考え方と同じように、基本的人権が保障されているのならば、あえて言い換えれば「将来世代を含む一般市民の生命・財産などの利益を守って幸福を追求していく」という「政治の究極目標」を共有してその実現に向けて本気で努力しているのならば、とりあえず国家の形態は問題にされないということはあり得ても、「国家」や「国家指導者」という形態さえ整えられていれば、実際に国民の基本的人権が保障されているかどうかは問題にされないなどということは断じてあり得ないのである。北朝鮮が誰の目にも明らかな形で「領域内の一人ひとりの市民の人権を蹂躙する非人道的な独裁国家」でなくならない限り、筆者の主張は変わらない。

日本の政治関連の動き

 民主躍進・自民低迷の世論調査結果が報じられた第20回参院選の投・開票(7/11)が行われ、民主が躍進して改選議席で第1党となり、自民は低迷・微減し、共産は約1/4に激減した(→6/24公示、7/11投・開票。投票率は56.57%(前回(2001年)は56.44%)。改選数は定数減で121(定数242)。各党の獲得議席数は自民49(51(選挙前))、公明11(10(選挙前))、民主50(38(選挙前))、共産4(15(選挙前))、社民2(2(選挙前))、無所属・その他5。改選議席では民主が自民を上回って第一党に。7/11夜のNHKテレビで小泉純一郎首相は総選挙が政権選択選挙、目標の51以下でも自民と公明の与党の合計で過半数維持すれば責任問題は生じない、などと。自民、公明で参院の過半数は引き続き維持。なお中村敦夫前参院議員(比例区、みどりの会議)、辻元清美元代議士(大阪選挙区)、鈴木宗男元代議士(北海道選挙区)らは落選)。そして第160臨時国会が開かれた(→参院議長には扇千景氏。会期は7/30-8/6までの8日間。なお自民党は7/26に新参院議員会長に青木幹雄参院幹事長、後任の幹事長に片山虎之助前総務相という人事)。また参院選結果を受けて民主党の岡田克也代表の無投票が決まり(8/30)、臨時党大会で正式に再選された(9/13)。

 小泉純一郎首相は韓国・済州島で日韓首脳会談(7/21)を行い、海上保安庁の巡視船から北方領土を視察(9/2)し、自民党側の了承を得ないまま郵政民営化の基本方針を閣議決定(→9/10。持ち株会社の下に窓口ネットワーク、郵便、郵貯、保険の4分社、など。ちなみに郵政公社法案など(自民党の了承なし(2002/4/23)に閣議決定・国会提出(2002/4/26)、成立(2002/7/24))、衆院小選挙区を「5増5減」する公選法改正案(2002年5月(提出)、7月(成立))が自民党の了承なしに閣議決定・国会提出、成立した前例がある)した後、外遊に出発した(→9/16にはブラジルのルラ・ダシルバ大統領と会談、9/18未明(日本時間)にはメキシコのフォックス大統領と会談、自由貿易協定(FTA)に署名(→農産物を含む包括的協定。シンガポールに次いで2国目のFTA締結)、9/21には国連総会で演説、日米首脳会談の予定。帰国は9/23の予定)。なお帰国後には内閣改造や自民党役員人事が行われると見られている。

 日歯の政治献金事件など、いつもの永田町の不祥事なども波紋を広げている。東京地検特捜部は政治献金に仮装して捻出した資金を流用していたとして日本歯科医師会(日歯)前会長の臼田貞夫被告と吉田幸弘元代議士(→2003年の総選挙に自民党から衆院愛知3区に立候補、落選)らを業務上横領容疑で逮捕(7/15)、また日歯前会長の臼田被告らから2001年に自民党橋本派(平成研究会)が1億円の小切手の提供を受けていたことが明らかになり(7/15。政治資金収支報告書に記載しておらず、訂正)、橋本龍太郎元首相が橋本派の会長を辞任して脱会する意思を明らかにした(7/30。なお橋本元首相は次期総選挙で岡山4区からは立候補しない考えも明らかに。比例区には含み)。さらに東京地検特捜部は小切手の1億円を政治資金収支報告書に記載していなかった政治資金規正法違反(不記載)の疑いで旧橋本派会計責任者の滝川俊行容疑者を逮捕(8/29)した。また国から公設秘書給与をだまし取ったとして詐欺罪に問われた元代議士の佐藤観樹被告に対して名古屋地裁は懲役1年4月の実刑判決を言い渡した(9/9)。

 その他にも4人が死亡した福井県美浜町の関西電力美浜原発蒸気噴出事故(8/9)、沖縄県宜野湾市の沖縄国際大の敷地内に米海兵隊の大型輸送ヘリコプターが墜落した事故(8/13)でも波紋も広がっている。なお日本はアテネ五輪(8/13-8/30)で過去最多のメダルを獲得した(→金16、銀9、銅12の合計37個、獲得メダル数は過去最多、金メダルも過去最多の東京五輪と並ぶ)。ちなみにプロ野球の球団合併問題の波紋が広がっており、選手会は70年の歴史で初となるストを実施(9/18)した。

参院選は「約1年周期の茶番劇」?

 参院選(→6/24公示、7/11投・開票。投票率は56.57%(前回(2001年)は56.44%)は、民主党(38(選挙前)→50)が躍進、自民党((51(選挙前)→49)が低迷・微減するという形で終わった。民主党から見れば改選議席(定数減で121(定数242))では自民党を上回って第1党になったのだから政治的には「勝利」ということになるのだろうが、自民党、特に小泉純一郎首相から見れば非改選議席を含めれば自民党と公明党(10(選挙前)→11)の与党が過半数(→自民114+公明24)を維持しているのだから、目標の「51」に届かなかろうが何だろうが、政治的には「敗北ではない」と主張することができるのである。

 一方、複雑な現実を自分たちにも理解できるような簡単な部分だけを残して後はすべてなかったものとして切り捨てることでなんとか現実に適応しようとしている知的レベルの低い一部のマスコミは「民主勝利、自民敗北」を既成事実化しようとしているようだが、民主躍進を共産党(15(選挙前)→4)の激減と与党側のほぼ現状維持という2つの事実とセットにしてみると民主の「勝利」に少なくとも1つか2つは疑問符を付けざるを得ないということに多くの読者は気づくことだろう。昨年の総選挙(→参考:2004/12/8)でも指摘された「左派はいったいどこに行ってしまったのか」というあの問題である。もしかしたら今回の参院選で多くの有権者たちは民主党が「地上の楽園」ではないことに気づきながらも、数ある茶番劇の中でもっともましに見えた「約1年周期の茶番劇」(→参考:2004/6/22)を嫌々ながらも選ぼうとしたのかもしれない。

 いずれにしても今回の参院選が「大したことない結果」に終わったことで解散がなければ総選挙(衆院選)は3年後の2007年11月まではやらなくてもいいし、次の参院選は3年後の2007年まで行われないし、小泉純一郎首相の自民党総裁としての任期は2006年9月まで、無投票で再選が決まった岡田克也民主党代表の任期も2006年9月までだから、ついに日本の政治において本質的な改革を実現していくことができるかどうかの分岐点を迎えることになるのだろう。日本の政治を「マクロ」の視点から見ることによって本質的な改革を実現していくことができるかどうかをある程度判断できるのではないかと筆者は考えている。現時点では「マクロ」の視点から見える問題点が抜本的に改革されない限り、いくら「ミクロ」の視点から分析しても、さらに「過去」と「未来」からの視点から分析してもすべて無駄に終わってしまう可能性が高いのではないかと筆者は考えている。

「伝統的政策決定システム」から脱皮できるのか

 永田町周辺の政治家やマスコミの人間たちは深く考えずに「自民党と民主党という二大政党時代になった」などと騒いでいるが、一歩踏み込んでよく考えてみると日本の政治は実は「三大勢力の時代に入った」と考えるべきなのである。「自民党」と書かれた箱、それよりも一回りだけ小さい「民主党」と書かれた箱、2つの箱を合わせたよりも少しだけ大きい「無党派層」と書かれた箱による「三大勢力」と考えた方が実態に近いのではないか。そしてどの「箱」を開けてみても中身はバラバラでとても一つの同じ箱に入れておくべき内容ではない状態だと考えるべきではないのか。

 「無党派層」と書かれた箱の中には、改革の具体的内容はともかく「改革を支持する人たち」以外にも実に様々な人たちが混在している。いずれにしても知的レベルが低い人間でも簡単に投票行動を分析できるような「投票日には寝ててくれればいいが…」と言われたことに怒って急にムクムクと起き上がって投票に行くような分かりやすい人たちばかりではないことは確かである。

 「自民党」と書かれた箱の中には、選挙で自民党に投票することによって参加資格を得ることができる陳情・部会などといった「伝統的政策決定システム」に参加したい人たち、改革の具体的内容はともかく「改革を支持する人たち」などが混在している。「伝統的政策決定システム」に参加したい人たちは小泉首相や自民党がどんな政策を掲げて選挙で勝ったとしても今までやってきたのと全く同じように具体的に政策を決定する際に改めてまた一から議論をやり直してくれるものだと信じて疑わないようである。これではなかなか思い切った改革などできるわけがない。小泉首相が「伝統的政策決定システム」に参加したい人たちの中の厳しい現実を丁寧に説明すれば納得してくれる「良質な保守層」を説得し、自分たちだけの視点にとらわれて既得権益を守っているうちにいつの間にか「共産主義」の領域に入ってしまったことにも気づかない自己中心的な「粗悪な保守層」を切り捨て、さらに「無党派層」と書かれた箱などの中に入っている「改革を支持する人たち」を新たに引き付けることができれば、小泉首相に残された最後の「サプライズ」である「聖域なき構造改革」を実現することができるようになるのかもしれない。小泉首相が「良質な保守層」の説得を進めながら「伝統的政策決定システム」からの脱皮を図る意志を持っているかどうかは今月末にも予定されている内閣改造・党役員人事を見ればある程度推測することができるのかもしれない。小泉首相が抜本的な改革を行う意思を持った人たちだけを閣僚に起用し、そして各閣僚が副大臣・政務官を自分の考えで選ぶことができるようになれば、改革がある程度加速するのはほぼ確実である。いずれにしても小泉首相が何のために郵政民営化をやろうとしているのかをきちんと説得力のある形で説明することすらもできなければ改革など不可能である。郵政事業を民営化することによっていつの間にか700兆円を突破してしまった厖大な国の借金の問題から逃げずに真正面から取り組み、改革を嫌でも進めなくてはいけなくなると主張するのならばそれはそれである程度は説得力を持つのだろうが、もしも厖大な国債発行残高をクローズアップするだけしておいて改革を中途半端に進めるだけに終わるのならば小泉首相の残りの任期中に何が起きてもおかしくなくなる。

政権交代が唯一最大の目的になっている「反自民党連合」から脱皮できるのか

 「民主党」と書かれた箱の中には、政権交代が唯一最大の目的になっている「反自民党連合」に参加したい「旧社会党の人たち」から「自民党に見切りを付けた人たち」までの実にバラエティーに富む人たち、そして改革の具体的内容はともかく「改革を支持する人たち」などが混在している。これではもしも「民主党の考える将来の日本像」とか「岡田代表の考える将来の日本像」などが多くの国民から見ても明確な形でまとまって「自民党との違いが分かりにくい」などという指摘に岡田代表が「まっすぐひたむきに」ムキになって反論する必要がなくなり、さらにそれらが国民から高く評価されて民主党政権が実現したとしても「絵に描いた餅」のままで終わってしまうことになる。岡田代表が真っ先に取り組まなくてはならない難題は、多くの国民から見ても明確な形で「民主党の考える将来の日本像」とか「岡田代表の考える将来の日本像」などをまとめ、民主党を「反自民党連合」から脱皮させ、それらを確実に実現することができる政党を作り上げることではないのか。

 それにしても民主党の「党役員」と「ネクスト・キャビネット」(いわゆる「明日の内閣」)の人事には驚かされた。ついこの間まで年金の未納・未加入を厳しく追及して大臣の辞任まで強く求めていたはずの政党が未納・未加入でお詫びしたり辞任したりした政治家たちをわざわざ集めたかのような「内閣」を作ったとなると国民から見ればまた「茶番劇」でも見せられているような気分になってくるのではないか。全員野球だか何だかよく知らないが、もしもこれが「民主党のリストラ予定候補リスト」だというのならば岡田代表も「変化球」を少し覚えて配球の幅が多少は広がったということなのだろう。「開かずの踏切」がようやく撤去されて新しい代表に代わったことで民主党は変わっていくのか、それともやはり政権交代が唯一最大の目的になっている「反自民党連合」のままなのか。

 ちなみに風の噂によると、どうやら突然頭を丸めて政教分離に反する可能性と、「菅原」でもないのに宿帳に「菅原」と書いたとかいう旅館業法(6条2項)違反の疑いを新たに生み出した「自分探しの旅」に出た政治家が民主党にはいるらしい。「総理のイス」とか議員バッチに対する「異常固着」なのか、あるいは「現実逃避」なのか、それとも北朝鮮の「瀬戸際外交」のように世間の注目を集めることが目的の行動なのか、それ以外の何か別の意味があるのかは前述の「心理学的アプローチ」を適用しても現時点では判断できないが、その政治家の今後の行動を注意深く見ていけばある程度は推測できるようになっていくのだろう。いずれにしてもその政治家が本当に「丸める」必要があるのは、頭の外側ではなく、年金未納・未加入問題で彼の周辺のごく一部の政治家や支持者たち以外のほとんどの人たちには明らかになった「他人には非常に厳しくても自分には甘い」といういびつな形に歪んだ「自己中心的なの物の見方」、つまり彼の頭の中身であるということはここまで読んでいただけた読者にはあえて説明するまでもないことだろう。

 今回のところは小泉首相と岡田代表という2人の政治指導者の資質を分析するという「ミクロ」の視点からの分析はあえて差し控えてしばらくの間は2人のお手並みを拝見することにしよう。もしも新しい世代である岡田代表までもが「解散・総選挙に追い込む」などといつもの野党党首お得意の「ホラ」を繰り返していたのならば、今すぐ前述の「心理学的アプローチ」などを適用して読者に政治指導者としての資質を明確に示さなくてはなければならないところだったが、「与党は自分たちが不利なときにはまず解散はしない」という当たり前のことを正直かつ「まっすぐひたむきに」認めているようだからそういう必要は今のところは全くない。民主党もいよいよ党内の抜本的な改革に取り組まなくてはならないことに気づくことになるのだろうし、そうなると自民党も抜本的な改革に本気で取り組まなくては大変なことになると気づくことになるのだろう。「開かずの踏切」が撤去されるように野党党首が代わったことでようやく抜本的な改革の歯車が少し回転し始めるのかもしれない。いずれにしても小泉首相も岡田代表もそれぞれの党内の抜本的改革に成功しない限り任期中は事実上「死に体」のままであるという現実から絶対に目をそらしてはならない。

 またしばらくの間は日本の政治と国際社会の動きをチェックしながら沈黙を守ることにしたいと思う。


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