メッセージ

 最近の日本の政治情勢について(2002/10/15更新)

 トップページ

 基本方針  問い合わせについて  

 当ホームページ上のすべての記事は無料ではなく「シェアウェア」です。著作権の侵害とそれに類する一切の不適切な使用、及び不正行為は固くお断りします。また不正行為等の防止のためにやむを得ないと判断する場合には事前の警告なしに報復措置を含めたすべての必要な手段を講じます。


「嵐」が通り過ぎさえすればそれで上手くいくのか?(2002/10/15)

「常識」は通用するのか(2002/9/29)

美味しいところだけを「つまみ食い」することは許されない(2002/9/7)

「片道切符」を買えるのか?(2002/8/14)

これ以上の「悪知恵」は不要である(2002/7/27)

「政権交代」や「世代交代」は不要である(2002/7/7)

誰にでも輝いている時期はあった?(2002/6/22)

国民を絶対に「巨泉」や「大将」にしてはならない(2002/6/10)

素晴らしさを実感しないと民主主義は「凶器」に変わる(2002/5/19)

辞職勧告決議案も議席も「おもちゃ」ではない(2002/5/12)

いったいいつまでそんなことを言っているつもりなのか(2002/5/5)

首を絞め、足を引っ張っているのは誰なのか(2002/4/29)

いま永田町周辺に最も欠けているものは(2002/4/21)(2)

泥沼状態から脱出するためには(2002/4/21)(1)

2002年初の党首討論で(2002/4/11)

小泉首相はたとえ支持率が0%になっても解散する?(2002/4/7)(2)

すべての「名義借り」はやめさせるべきである(2002/4/7)(1)

「時代」から取り残された政治家たち(2002/3/31)

今こそ「手心」「えこひいき」体質と決別すべき(2002/3/24)

政治家の涙は完全敗北の前兆?(2002/3/17)

いったいいつまで「敗退」を続けるのか(2002/3/10)

今は「明治維新前夜」ではなく、「応仁の乱後」である(2001/3/3)。(→「野党共闘」関係)

私は田中真紀子代議士の「敵」なら「敵」で結構(2002/2/22)

改革を進めるためには「底」も必要(2002/2/17)。(→小泉首相関係)

なぜ政権交代で経済が良くなるのか? 野党は自らの足元を見るべき(2001/2/10)。(→「野党共闘」関係)

ついにこのときがやってきた(2002/2/2)。(→小泉首相関係)

いくら自民党との「違い」を強調してもそれだけでは国民を動かすことはできない(2001/1/19)。(→「野党共闘」関係)

「野党共闘」は売れ残った商品だけを集めた魅力のない「福袋」のようなものである(2002/1/12)。(→「野党共闘」関係)

▽参考:日本の政治


「嵐」が通り過ぎさえすればそれで上手くいくのか?(2002/10/15)

 小泉首相の北朝鮮訪問の際におみやげとしてマツタケをもらってきたとか何とかという問題には私はほとんど興味・関心を持っていないが意外なほど多くの人たちが興味・関心を持っているようである。マツタケ問題の追及のようなほとんど意味のないことばかりを熱心にやるのが大好きな能力のない政治家たちを含めて次の選挙までには議員バッチを外した方がいい国会議員たちは予想よりもずっと多いようである。次の選挙ではしがらみだらけのベテラン議員たちと共に政治家として不適格であることが判明した多くの「若手」議員たちもまとめて「解雇」してできるだけ多くの将来有望な新人と入れ替えてもらいたいものである。

興味・関心を持てないことばかり…

 10/15に衆院の5補選が告示されて10/27に衆参統一補選(→衆院の山形4区、新潟5区、神奈川8区、大阪10区、福岡6区、参院の千葉選挙区、鳥取選挙区の7補選)の投・開票が行われることになるが私としてはあまり興味・関心を持っていない。理由をひとことで説明すると辞職したことで補選の原因となった社民党の辻元清美前代議士(大阪10区)、自民党を離党した加藤紘一前代議士(山形4区)、そして田中真紀子前代議士(新潟5区)という次期総選挙では「主役」になると見られている政治家たちの姿が見えず、代わりに役不足の人たち、そして代議士になるために立候補すると代議士を辞めることになってしまう「なぞなぞ」のような人までが出てくるらしいからである。

 ちなみに例によって例のごとく統一補選の「勝敗ライン」などというものが盛んに論じられているようだが、特に今回の補選では「与党側○勝○敗VS野党側○勝○敗」という見方ではなく「既存の与党側○勝○敗VS既存の野党側○勝○敗VSその他の勢力○勝」という見方をしなければ話がおかしくなってしまうということをあらかじめ言っておくことにする。そして「与党側」か「野党側」か「その他の勢力」のどれかが圧勝しない限りおそらく「政局」のような大きな動きにはならないだろうし、現時点では大きな動きの兆しは全く見えていない。したがって私としてはあまり興味・関心を持っていない。

 2001年の参院選で比例区から社民党1位で当選した田嶋陽子参院議員が北朝鮮による日本人拉致問題への対応を含めた社民党の方針に不満なために離党して無所属になるということ(10/7)にも私はあまり興味・関心を持っていない。勘違いした野党の政治家たちが熱心だった無意味な議員辞職勧告決議のせいで辞職問題がうやむやになってしまった代議士の鈴木宗男被告のように自民党票だけで比例から当選したにもかかわらず無所属になったケースとは違って、田嶋氏のケースは「田嶋陽子」と書いた票と社民党の票を合わせて得られた田嶋氏と社民党の「共有」の議席と考えるべきなのだろう。そう考えると得票数に基づいた双方の議席の「持ち分」に応じて無所属になった後の投票行動を話し合いで決めることができるのならば大きな問題にはならないのかもしれない。いずれにしても菅直人前民主党幹事長に非常に熱心に口説かれて同じ参院選で比例の民主党1位で当選したにもかかわらずあっと言う間に辞めていった大橋巨泉氏のように田嶋氏もこの際きれいさっぱりと議員辞職するのが一番分かりやすいことだけは間違いない。ちなみに私はそんなことよりも社民党が北朝鮮の朝鮮労働党との友党関係を解消するとか関係を断絶するようなことはないのかとか、辻元氏の辞職の際に浮上してうやむやにされたままになっている社民党の秘書給与疑惑が本当に今後とも二度と問題にされるようなことはないのかということの方にずっと大きな興味を持っているということを付け加えておくことにする。

 9/30に小泉純一郎改造内閣が発足したが私としては内閣改造にはあまり興味・関心を持っていない。政府がペイオフ完全導入の2年延期(10/7)などの政策的な後退も含めて不良債権処理を加速する動きを強める一方で与党内から相変わらずの従来型の補正予算編成を求める声が強まっているようだが、何度も同じ失敗を繰り返しているような余裕は日本にはおそらく残されていないだろう。日本経済再生の展望を開くためにはここが正念場だと私は考えている。具体的な成果が上がるのならば「政策転換」でも「政策強化」でも何でもいいし、改革を加速する目的で真の意味でのセーフティーネットを充実させるためならば場合によっては補正予算の編成もやむを得ないと私は以前から考えているが(→参考:2002/2/17号)、とにかくもっと目に見える形で小泉内閣は各種改革を加速して具体的な成果を次々と出していかなければ私としては評価のしようがないし、あまり興味・関心を持てそうにもない。

 10/18には臨時国会が召集される。小泉首相は所信表明演説で改めてどのような改革をいつまでにどのようにやろうと考えているのかということを明確にすると共に今度の臨時国会中に具体的な行動で示すべきである。多くの国民は小泉首相が説得力のある形で日本経済再生の展望を示すことを望んでいることだろう。なお小泉首相は演説の中で「北朝鮮に対する基本方針」を示すべきであるということにも改めてここで触れておくことにする(→参考:2002/9/29号)。

北朝鮮問題には「継続」と「集中」が必要

 10/15に北朝鮮による日本人拉致被害者のうち5人が24年ぶりに一時帰国することになった(→滞在は1-2週間程度?)。米大統領特使のケリー国務次官補(東アジア・太平洋担当)が北朝鮮を訪問(10/3-10/5)して北朝鮮側に大量破壊兵器や人権などで懸念を伝えたり日本人拉致問題の解決に誠実に取り組むように求めたらしいことなどとの因果関係は不明である(→特使訪問後に北朝鮮は米国を激しく非難)。引き続き日本、米国、韓国の緊密な連携を維持しながら、さらに中国やロシアにも北朝鮮が国際的な常識に反するようなことをしないように協力を求めていくべきだろう。

 拉致によって生じた長い長い時間的な「空白」を考えても、北朝鮮側から示された拉致被害者の安否情報(10/2)などの数々の不自然さを考えても、拉致被害者の子供らが北朝鮮に残されてくるということを考えても、一時帰国が実現してもなかなか楽観的にはなれないのかもしれない。相手が北朝鮮の場合には一度で上手くいくとは考えずになんとかして二度、三度と同じことを繰り返していくことを考えるべきではないかと私は思っている。また「死亡」とされた拉致被害者の北朝鮮での生活などについてすべての「空白」を埋められるまで家族が自由に関係者らに聞いて回ることなどに積極的に協力するようなことは北朝鮮側に誠意さえあれば今すぐにでもできることのはずだから日本としては日本人拉致問題の全貌と真相の完全解明を求める際に北朝鮮側に強く求めていくべきだろう。

 いずれにしても日本が日本人拉致問題を最優先課題として考えているのはそれが人道上の問題だからである。この際、何らかの形で日本に関わりのある人たちはもちろんのこと北朝鮮国内にいるすべての人たちに対する看過できない人道上の問題が発覚した場合には仮に国交が正常化された場合でも国交断絶の理由になるということを明確に北朝鮮側に伝えておく必要がある。もちろん日本は北朝鮮で緊急の人道上の問題が発生した場合でも決して見過ごすことはないということも同時に伝えておく必要がある。そして今から港湾施設などのインフラが整っていると見られる南浦(ナムポ)、元山(ウォンサン)、清津(チョンジン)を国際機関などに無条件で解放してその活動の自由を完全に保証しておけば、万が一の時に日本人が日本から「コメ」を持って「お粥」や「雑炊」を作りに行くようなこともスムーズにできるようになるはずだなどと北朝鮮に伝えておくべきである。一連の人道上の問題に対する北朝鮮側の反応からどれだけ誠意があってどれだけ本気で国際社会の責任のある一員になろうと思っているのかということがよく分かるはずである。

 日本人拉致問題でも、安全保障問題でも、国交正常化交渉でも、首脳会談でも、北朝鮮問題には「継続」と「集中」が必要なのではないかと私は考えている。そして日本としては安心して「継続」「集中」するために前もって人道上の問題は絶対に放置しないということを明確にしておく必要があるし、重要なことで交渉が行き詰まったら最終的には首脳会談で打開するということで合意しておく必要があると私は考えている。そういうことをしっかりとしさえすればあとは「継続」「集中」あるのみである。もしも相手が交渉を有利に進めるために譲歩を小出しにしてくるのならばこちらとしては回数で稼いで最低レベルに達するまでは決して前に進まなければいいし、もしも相手がウソを付いてくるのならばこちらとしてはそのウソにとことん付き合って相手にどんどん大きなウソを付いてすべてを失う形で自滅する方がいいのか、それともウソの大きさに応じて自分の立場を悪くすることになったとしても早めに謝罪して本当のことを言った方がいいのかということを選ばせるようにすればいいだけだし、ここは勝負どころだと感じたらこちら側から相手に集中的にいろいろなことを要求してできるだけ多くの成果を得るようにすればいいだけの話になる。

 ちなみに韓国・釜山(プサン)のアジア大会では一糸乱れず熱心に応援する北朝鮮の女性だけの応援団が「追っかけ」やホームページが登場するほど非常に大きく注目されているという。韓国で彼女たちが注目されるのはなんとなく分からないでもないが、私にはやっぱり彼女たちはちょっと変に見える。口紅の色とか化粧品まで「将軍様」か誰かが選んでくれたとしてもくれなかったとしても、上手くは言えないがやはり何かがちょっと違っている。たとえ今どんなに北朝鮮の女性だけの応援団の人気が高かったとしても、もしも彼女たちが次に韓国を訪れることがあるとしたらそのときにはおそらく今回とは少し違った反応が見られることになるのではないかと私は思っている。二度目、三度目となればごまかされたり見落としていた別のことも少しずつ見えてくるはずである。もしかしたら金正日総書記も首脳会談を重ねれば重ねるほど少しずつ違った意外な一面を見せてくるのかもしれない。

 日本と北朝鮮の国交正常化交渉の本会談はマレーシア・クアラルンプールで10/29-10/30の日程で再開される予定である。

ノーベル賞を受賞したからすごいとでも言うのだろうか?

 2002年のノーベル物理学賞に小柴昌俊・東大名誉教授(10/8)、化学賞に島津製作所の田中耕一氏(10/9)の受賞が決まった(→日本人の受賞は合計12人に)。同じ年に日本人2人が受賞するのは初めてであり、2000年の白川英樹・筑波大学名誉教授(化学賞)、2001年の野依良治・名古屋大学大学院教授(化学賞)とこれで3年連続の受賞であるし、小柴氏も田中氏も非常に親しみやすい人柄らしいということもあって国民から大きく注目されているようである。話題になるのは実に結構なことだとは思っているが、ノーベル賞受賞決定後の既存のマスコミや永田町・霞が関のよく分からない騒ぎ方を見ていると私はあえて「素朴な疑問」を投げかけずにはいられなくなってくる。もしかしたら2人はノーベル賞を受賞したからすごいとでも言うのだろうか? 騒ぎ過ぎかどうかはともかくとしてもどういうわけか何かが少しずつ違っているようである。

 あえて研究内容の詳細にまでは触れないが、サイエンスの中における研究の意味を考えてみても、小柴氏の場合(→岐阜県神岡町の「カミオカンデ」での宇宙ニュートリノ検出)も田中氏の場合(→レーザーとマトリックスを利用したタンパク質分子などの質量分析法の開発)もサイエンス全体の発展に大きく貢献する実に素晴らしい研究であったと私は考えている。もちろん言うまでもなくノーベル賞は権威ある素晴らしい賞である。素晴らしい研究をしたのだからノーベル賞という素晴らしい賞を受賞するというのはよく分かるが、ノーベル賞を受賞したからすごいとは私にはあまり思えない。だいたいノーベル賞は数が限られているので受賞していなくても素晴らしい研究をしている研究者たちはたくさんいるはずである。こういうことは今回の小柴氏と田中氏のケースからだけでも十分に推測できることである。小柴氏のケースからは研究が高く評価されてノーベル賞受賞候補と呼ばれ続けて何年にもなる研究者が受賞したことは今までも結構あったしこれからもおそらくあるだろうということが分かるし、また教授などの大学の研究者ではなく博士号も持たない企業研究者の田中氏のケースからはノーベル賞の選考が「肩書き」ではなく間違いなく研究業績に基づいているということが分かるだろう。どんなに騒いでもあくまでも研究が評価されたから受賞が決まったということだけは見失ってはいけないはずである。

 ノーベル賞受賞をきっかけに多くの人たちが新たな賞や報酬などを含めたいろいろな形で2人を祝福するのだろうし、きっといろいろなことを新しく期待するのだろう。ある種の責任と豊かな経験を持った年配の研究者が各方面から諸々の煩わしいことを求められるのはまだ分からないでもないが、若い研究者には同じようなことを要求すべきではないと私は考えている。さもないと日本ではノーベル賞を受賞すると急に研究がやりにくくなるから若い研究者は日本を離れて海外で研究するなどというまるで芸能人のバカンスのようなバカげた現象が起こりかねない。自分が大好きな研究を一生懸命やって出した成果が評価されてノーベル賞を受賞したがために大好きな研究から遠ざかることになってしまうことほど理不尽な話はないだろう。研究者にとっての最高の「報酬」は自分が大好きな研究に物心共に集中して取り組める安定した環境であるということは本来ならば言うまでもないことである。

 繰り返すがノーベル賞を受賞したからすごいとでも言うのだろうか? もしかしたらノーベル賞を受賞しなかったらすごくなかったとでも言うのだろうか? さらに言えばノーベル賞を受賞すること自体が目的だとでも言うのだろうか? ノーベル賞受賞決定後の既存のマスコミや永田町・霞が関のよく分からない騒ぎ方を見ているとそういう「素朴な疑問」を次から次へと投げかけざるを得なくなってくる。一番古い東京の国立大学に合格したり、超難関だといういくつかの国家試験に合格したり、選挙で当選して議員バッチを付けたりしても実はそれだけでは大したことでも何でもないということにどういうわけか気付かない人間たちがあふれている永田町・霞が関ではなかなか難しいことなのかもしれないが、「50年間にノーベル賞受賞者30人程度」などという数値目標を掲げることの胡散臭さと恥ずかしさに多くの国民が気付くまでにはそう多くの時間は必要ないのかもしれない。何よりも優先して政策転換が必要なのは「50年間にノーベル賞受賞者30人程度」などという愚かな数値目標だと私は考えている。とにかく欧米並みにノーベル賞を受賞するようになればいいとでも言うのだろうか? いいかげんに愚かさに気付くべきである。

「嵐」が通り過ぎさえすればそれで上手くいくのか?

 政府の不良債権処理加速方針と世界的な株安の動きにショックを受けたマーケットではさらに株安が進んでバブル崩壊後の最安値を次々と更新したし、与党内からは相変わらずの従来型の補正予算編成を求める声が強まっている。

 バラマキを繰り返すだけでは絶対に経済は再生しないのにどうして同じ間違いを何度でも平気で繰り返そうとする人間が多いのかが私には不思議で不思議で仕方がなかったが、どうやらそういう人間は「不景気」とか「デフレ」とか「株安」などのような「嵐」が通り過ぎさえすればそれだけで経済はすぐに上手く回り出してやがて「不良債権」を含めたすべての問題が解決できるようになるなどという類の致命的に誤った認識を持っているようである。だから「嵐」がやって来るとすぐに「補正予算」に緊急的に避難することしか考えられないのだろう。さらにどうしようもないことに「補正予算」に緊急避難することを何度繰り返しても状況が一向に変化しないことにも全く何の疑問も感じないのだろう。しかし本当に「不景気」などの「嵐」が通り過ぎさえすればそれだけで上手くいくのだろうか? デフレなどを止めればそれでいいのだろうか? 

 もしもなんとかしてデフレや株安を止め、すべての企業のすべての借金を棒引きにし、借金棒引きで生じた金融機関のすべての損失を税金で穴埋めし、さらに税金を使って需要を無理矢理作り出したとしても、それだけではまたすぐに売れない物があふれて悪質なデフレや株安になっていくだけだし、やがて新しく膨大な量の不良債権が発生することになるだけだと私は考えている。富とか利潤を生み出すことができなくなったものから新しく富とか利潤を生み出すことができるものに移っていくこと、産業の構造転換などというようなことがかなりの規模で必要になっているのが現状ではないかと私は考えている。そうだとするならば経済再生が可能な選択肢は基本的には一種類しかないはずである。真の意味でのセーフティーネットが機能している間に、すべての不要な規制を撤廃することを含めて今までの常識を覆すぐらいのスピードと内容で新しく富とか利潤を生み出す事業の創出・雇用の創出を促進する政策を進め、新しく富とか利潤を生み出すことができるものに向かって人も物も資源も速やかに移動させるという以外の選択肢は基本的にはないはずである。いつまでも財政出動という緊急避難を続けていてもそれだけでは新しく富とか利潤を生み出すことができるようになるわけがない。そういう基本的なことを見失ってしまうと日本は本来ならはまらなくてもいい泥沼にはまって最悪の場合には破滅することになってしまうかもしれない。口先では改革を唱えていても結局のところは「不景気」などの「嵐」が通り過ぎるのをじっと待っているだけだとしたらいつまで経っても「嵐」が通り過ぎることはないはずである。

 ちなみにこのメールマガジンの場合でも購読者数を無理に増やしたり、広告を入れるようなことは「財政出動」のような一時的・短期的な意味しか持たないと考えてそういうことはしない方針でやっている。結局のところはこのメールマガジン(=商品)を評価して新しく富とか利潤を生み出すものとしてその価値を認める読者(=消費者)が少しずつでも増えていったり、付加価値が大きくなったりしていかなければ、仮に有料化したり広告を入れたとしても長い目で見れば全く何の意味も持たないだろうと考えている。


「常識」は通用するのか(2002/9/29)

 私としては9/30に予定されている小泉内閣の改造も、民主党の人事をめぐるゴタゴタもそれ自体にはほとんど興味を持っていないので「結果」が出る前にあえて「結果」が出た後のことを論じようと考えている。

次回の首脳会談の約束をしなかったことが最も大きな失敗

 小泉純一郎首相は9/17に日帰りで北朝鮮・平壌(ピョンヤン)を訪問して金正日総書記(国防委員長)と首脳会談を行い、10月中に日朝の国交正常化交渉を再開することを含む広範な内容の「日朝平壌宣言」に署名した。また宣言には明記されていないものの、金総書記が首脳会談の場で北朝鮮の特殊機関による日本人拉致を認めた上で謝罪して再発防止などを約束し、不審船(→工作船)についても北朝鮮の軍の一部が関与した可能性が高いことを認めて今後調査するなどと述べたという。そして首脳会談の直前に北朝鮮側から示された「8人死亡、5人生存」などとする衝撃的な日本人拉致被害者の安否情報が波紋を広げており(→政府認定の8件11人を含む計14人(うち1人は不明)。日本側はまだ事実関係を確認していない)、政府は9/28に日本人拉致の事実関係の確認などのために調査団を北朝鮮に派遣した(→10/1に帰国予定)。ちなみに日本人拉致問題は9/26になって初めて北朝鮮の朝鮮中央通信が日本側の反応を過度の騒動などと批判する内容の論評を発表したらしいが、北朝鮮国内では全く報道されていないという。米国は一連の動きを受けて10/3から10/5まで北朝鮮にケリー国務次官補(東アジア・太平洋担当)を特使として派遣することを9/26に発表した。

 部分的にはいろいろと言いたいことがあるが、全体としては今回の小泉首相による北朝鮮訪問は十分に評価できる内容であったと私は考えている。衝撃的な拉致被害者の安否情報を受けて宣言への署名を見合わせるべきだったとか、国交正常化交渉の再開の合意は時期尚早だったとか、宣言に「拉致」を明記しなかったのは大失敗だった、などという批判がある。それらの批判は「交渉をもっと上手くやれたはずだ」などという意味として受け止めれば分からないでもない。日本が北朝鮮に対して今回新たに「交渉打ち切りカード」を得ることになったと考えるのならば広範な内容の宣言への署名自体は十分に評価できることなのではないか。

 小泉首相が次回の金正日総書記との首脳会談の約束を明確に取り付けてこなかったことは最も大きな失敗であると私は考えている。2000年6月の韓国の金大中大統領との南北首脳会談などからも分かるように、北朝鮮を相手にする場合にはたった一度の首脳会談では合意の効果は限定的なものになってしまう危険性が非常に高い。今後の北朝鮮側との交渉においては、例えば、宣言で合意した日本と北朝鮮の安全保障にかかわる問題の協議には自衛隊の最高の指揮監督権(→自衛隊法第7条)を持った小泉首相と国防委員長である金正日総書記のトップ同士の定期的な会談が必要不可欠である、などと粘り強く早期の首脳会談の実現を働きかけていく必要があると私は考えている(→参考:2002/9/7(1/2)号)。

外務省は「本業」でも深刻な大失態を演じることになるのか?

 外務省には、拉致被害者についての情報収集などを事前にほとんど行っていなかったり、北朝鮮側の情報を的確な方法で十分に確認してこなかったり、北朝鮮側のリストに記載されていた「死亡年月日」を家族にすぐに伝えなかったりしたなどという不手際がまたあったが、久しぶりに外務省らしい仕事ぶりを見せ付けられたような気が私にはしている。少し前まで嫌と言うほど見せ付けられてきた一連の不祥事を起こした外務省の体質を考えればもしかしたらこの程度の不手際は十分に予想できることだったのかもしれない。拉致被害者の家族の対応などはたぶん内閣官房の支援室(9/26)に任せた方が上手くいくのだろうし、またそれで済むのかもしれないが、外務省の「本業」だけは絶対に他に任せることはできない。もしかしたら外務省は「本業」でも深刻な大失態を演じることになるのではないかと私は非常に心配になっている。

 すべての懸案が解決して北朝鮮との国交が正常化した後に実際に経済協力を行う場合には緊密な連携を図る必要がある米国、韓国は言うに及ばず、最低でも周辺国である中国やロシアの動向も十分に考えていかなければならない。例えば、シベリア鉄道への連結問題では新たに北朝鮮の特別行政区となった中国国境の新義州の存在や巨大な中国市場の魅力を考えればロシア沿海州経由ではなく中国経由を最優先で進めることになる可能性が非常に高いが、そうした場合に中国とロシアがそれぞれどのような行動を取ることが考えられるかなどを予想、分析できるだけの十分で正確な情報も必要になってくる。またミサイル問題を考える場合には、中東などの輸入を考えそうなある国やその周辺国に関する十分で正確な情報も必要になってくる。そのような情報は間違いなく首相官邸まで上がってくるのか、機密費を使うか使わないかはともかくとしても、そもそもそういう問題意識を持って情報収集をきちんと行う気があるのかどうか…、外務省の体質を考えれば考えるほど不安になってくる。

 国際政治や外交のプロならそんなことは他人から言われるまでもない「常識」のはずだが不祥事や不手際を繰り返す外務省では残念ながら「常識」になっていない可能性を否定することはできない。北朝鮮と交渉する場合には北朝鮮のことだけを考えていればいいというわけではない。北朝鮮に何らかの影響を与える国々、逆に北朝鮮から何らかの影響を受ける国々のことも同時に考えていかなければならない。これは別に北朝鮮が相手の場合に限った話ではなく、国際政治、外交というのは本来そういうもののはずである。今まさに北朝鮮に国際社会の「常識」が通用するかということと共に外務省に外交のプロとしての「常識」が通用するのかということも問われているのだと私は見ている。

 すべての懸案が解決して北朝鮮との国交が正常化した後に日本や周辺諸国、そして世界全体にとって絶対に脅威とはならない内容の経済協力などを日本がどのように行うかということは今から様々なケースを想定して真剣に検討しておかなければならない非常に重要な問題のはずである。経済協力の規模や内容は国交正常化交渉でも当然話し合われることになるわけだから日本側としては十分な準備が必要である。国交正常化後の北朝鮮への経済協力を検討する場合には非常に幅広い総合的な情報が必要であり、外務省に限らず日本政府の総力を挙げて世界各国からありとあらゆる情報を収集・分析して首相官邸に集める必要があるということは本来ならば言うまでもないことである。「本業」での外務省の不手際は日本にとっても世界にとっても致命傷になりかねない。

「北朝鮮に対する基本方針」を分かりやすい形で示す必要がある

 いずれにしても現時点での最優先課題は日本人拉致問題である。北朝鮮側から示された安否情報の事実関係の確認、拉致された被害者の北朝鮮での生活についての調査、拉致事件の具体的な事実関係と実行犯など責任者の処罰の具体的内容についての情報提供・確認などで日本政府はまずは北朝鮮側に全面的な協力を求めるべきである。北朝鮮側の対応から日朝平壌宣言が本当に守られるかどうかということがある程度は予想できるだろうし、北朝鮮がどれだけ本気で日本と友好関係を築きたいと考えているか、国際社会の責任のある一員になろうとどれだけ本気で考えているかということもおそらく分かるだろう。

 今後の国交正常化交渉を不必要に滞らせることなしに円滑に進めていくためには日本人拉致問題の全貌と真相をしっかりと明らかにした上で拉致問題を完全に解決する必要がある。日本政府は少なくとも過去30年ぐらい前まで遡って日本国内と国外から不自然な形で行方不明になった人たちをすべてリストアップし直し、行方不明時の状況や本人確認のための情報などをできるだけ詳細かつ早急に調査して日本人拉致問題を完全に解決するために必要な最低限の準備をしておくべきである。もちろん米国、韓国、中国などにも更なる情報提供を依頼する必要があるし、目的や手法の共通性・類似性に着目すれば韓国などにおける拉致事件と併せて考えていかなければ全貌や真相が見えてこない可能性もある。何にしても北朝鮮による日本人拉致事件の全貌と真相をしっかりと明らかにした上で北朝鮮側の対応をじっくりと見極めていく必要がある。

 北朝鮮側の対応によっては予想以上に国交正常化交渉が長期化する可能性もある。小泉首相は次の臨時国会の所信表明演説などで日朝平壌宣言を踏まえた「日本の北朝鮮に対する基本方針」を国民にも国際社会にも分かりやすい形で整理して示しておく必要があると私は考えている。基本方針を何原則かにまとめるというのも一つの考え方である。何にしても交渉の長期化によって状況が不必要に混迷したり「北朝鮮ペース」になったりして日本にとっても国際社会にとっても不幸な結果が導かれることだけは絶対に避けるべきである。

関心は既に具体的な成果に移っている

 小泉首相は9/27には山崎拓幹事長ら自民党3役すべての留任を決め、与党側に示した経済、行財政改革、外交の「基本方針」(9/27)に沿って9/30には内閣改造というよりも何人かの閣僚の交代を行うようである。私は政府・与党の人事にはほとんど興味はない。それでもあえて内閣改造(→閣僚の一部交代?)についてひとこと言うとしたら、今度こそ副大臣・政務官人事や政府・与党の一体化体制の構築を真剣に考えてもらいたいということぐらいである。改革のスピードを加速させるためにどうしても閣僚の交代が必要だというのならば遠慮なくやればいいだけの話である。勘違いした野党第一党の政治家たちが憧れているらしいどこかの国の首相の「自国訪問」ほどではないが、9月の小泉首相は「長期の日本訪問」程度しか日本にいられないほど外交で忙しかった。さすがに10月は臨時国会も衆参統一補選もあるのでそういうわけにはいかないだろうが、何にしても小泉首相には改革をさらに加速して具体的な成果を次々と出していってもらいたいものである。どこかの政党の代表選ではないが、ほとんどの国民や世界各国の関心は内閣改造前から既に改造後に具体的な成果が次々と出てくるようになるかどうかということに移っているのではないのか。

 万一、10/27の衆参統一補選で与党が「敗北」するようなことがあって野党が勢い付いてはしゃいだとしても、もしもそう遠くない将来に経済が危機的な状況に陥るようなことがあったとしても、あくまでも小泉首相が解散せずに断固「籠城」を続け、そして何かの機会に大胆なバラマキ政策に大転換すれば少なくとも次の総選挙までには与党に対する強い逆風を収めることぐらいは簡単にできるはずである。小泉内閣が「牛歩」状態で着実に改革を進めているうちにどうしようもなくなって結局今まで何度も繰り返してきたバラマキ政策に逆戻りという最悪の事態になることを私は最も恐れている。もしも小泉内閣が内閣改造(→閣僚の一部交代?)の際にペイオフ解禁の事実上の延期策と日銀による銀行保有株の直接買い入れ策を撤回し、来年春までに不良債権を集中的に処理して金融機関の構造的な問題点を一気に解消するという方針を財政的にもそれなりに裏付けのある形で打ち出すのならば日本経済の再生は予想よりも速く可能になるかもしれない。日本には後戻りしたり足踏みしている時間的な余裕はもう残されていないということはまだ「常識」になっていないのだろうか。

政界再・再・再・再編、準備完了?

 民主党代表選の投・開票が9/23に行われ、1回目の投票(総数816ポイント(以下、Pと省略))では鳩山由紀夫氏294P(→ちなみに国会議員票、党員・サポーター票、地方議員票、公認候補票のすべてで1位)、菅直人氏221P、野田佳彦氏182P、横路孝弘氏119Pとなって過半数を獲得する候補がなく、上位2候補による決選投票(総数496P)では鳩山氏254P(→国会議員182P(91票)、公認41P(41票)、地方31P)、菅氏242P(→国会議員184P(92票)、公認42P(42票)、地方16P)となったと発表され、鳩山由紀夫代表の3選が決まった。なお党員・サポーターとして約31万人が登録したが、投票率は約51%だったという。

 告示前から民主党代表選の注目点はすっかり「代表選後」に移っていると言い切ってもいい状態などと書いたが(→2002/9/7(1/2)号)、予想通り民主党の勝手な事情で行われた代表選は終始一貫して見事なほど国民からそっぽを向かれるという大変な「実績」を残して終わった。もしも小泉首相の北朝鮮訪問やアザラシの「タマちゃん」登場などの国民から大きく注目されたニュースが全く存在しない完全に言い訳が許されない状態だったとしたらもっと正確に悲惨な現実が国民に伝わっていたことだろう。鳩山代表の任期が切れるというやむを得ない党内事情があったとしても、後ろ向きで内向きの議論を繰り返し、結局、鳩山代表を再選するだけだったのならば最初から任期を延長して代表選なんかやらない方がはるかにましだったとさえいえる。「若手代表」の野田佳彦代議士を除いた同じ3人の顔ぶれでとても一つの政党とは思えないようなバラバラな主張をぶつけ合った1999年の代表選だって国民からは今回の代表選よりもはるかに大きく注目された。やはり民主党代表選が国民からそっぽを向かれた最大の原因は進歩のない議論をいつまでも繰り返す「立候補した顔ぶれ」だったのだろうと私は考えている。代表選を通じて党の支持率を低下させ、「政界再・再・再・再編、準備完了」とでも呼ぶべき状況を作り出すことに最大の貢献をした菅直人前幹事長や横路孝弘代議士らの責任はあまりにも重く、本来ならば党内で彼らの政治的な責任が厳しく追及されてしかるべきだろう。

 党員・サポーター票の投票率の低さの原因としては、投票方法に問題があったとか、若手候補などの一本化への不満で棄権が激増したとか、「国民世論の支持」に目立たない形で便乗しようとしたどこかの組織票があまりの盛り上がりのなさにほとんど機能せずに結果的に棄権票になってしまったとか…、いろいろな可能性が考えられるが本当のところはよく分からない。ただし代表選が国民から大きな注目を集めていたのならば「不正登録」があろうと何があろうとここまで投票率が低くならなかったことだけは確かだろう。なお既存のマスコミの予想よりも「若手代表」の野田氏が「健闘」したという1回目の投票結果を詳細に分析する意味はそれなりにあるのだろうが、どこかで見たような2回目の決選投票結果を分析してもほとんど意味はないと私は考えている。

 鳩山代表が代表選への立候補を断念した中野寛成氏を新幹事長に起用したことで党内には若手を中心に不満が高まっている。新執行部などの人事が混迷して鳩山代表が党本部に「籠城」させられているかのような異常な事態は約1週間でひとまず終息ということになるのかもしれないが、これで一件落着というわけにはいかないだろう。1995年の旧新進党党首選挙結果と「瓜二つ」のくだらないマンガのような決選投票結果になったことと何か関係があるのかは分からないが、当時の党首選で小沢一郎氏(現・自由党党首)に敗れた羽田孜氏(現・民主党特別代表)が敗北直後に使っていた「一兵卒として協力」などという言葉がなぜか今、民主党内で大流行している。身軽な「一兵卒」でなければもうすぐ沈む「泥船」にはとても乗っていられないという「本音」が「一兵卒」の大流行の背景にあるのかどうかということはそう遠くないうちにきっとハッキリするのだろう。

「常識」がない、「常識」が通用しない政党

 代表選をめぐる動きを通じて実に多くの民主党の深刻な問題点が改めて浮き彫りになったと私は見ている。今回の代表選はまるで民主党の悪いところばかりを集めて濃縮したような代表選だったと言っても決して言いすぎではないと思う。もしも今の民主党という政党がいかにダメな政党かということを手っ取り早くポイントだけ知りたければ今回の代表選をめぐる約2カ月間の動きを振り返ってみるだけでほぼ完璧だと私は自信を持って誰にでも勧めることができる。もっとも多くの国民は民主党がいかにダメな政党かということを既によく分かっていたからこそ最初から代表選にほとんど関心を示さなかったのだろうし、それなりに関心を持っていた人たちでさえも民主党の悪いところばかりをまとめて見せつけられたからこそ一部の世論調査で支持率が激減したのであろう。

 ちなみに民主党の一部や既存のマスコミでは「代表選は世論とは食い違う結果が出た」「世論調査結果と党員・サポーター投票との結果の大きな違い」などというちょっと首を傾げたくなるような表現がいくつか飛び交っている。もしも「世論調査での高い支持」があったとされる候補が民主党内の比較1位ではなく、国民全体の中で小泉首相とそれなりに勝負できる程度まで支持されていたのだとするならば、いくら何でも代表選がこんな悲惨な結果に終わることはなかっただろう。民主党から誰が出てきたとしても本物の世論の中では小泉首相に圧倒的な大差で敗北し、それぞれの候補の違いは「誤差程度」でしかなく、「世論調査での高い支持」などほとんど意味を持たないというのが現実なのではないか。

 代表選に濃縮された民主党の問題点のすべてを取り上げても書いている方も読まされている方もうんざりするだけだと思うので民主党の問題点を強引にひとことでまとめて表現すると、「民主党という政党には『常識』がない」あるいは「民主党という政党には『常識』が通用しない」ということになる。せめて将来性があって「更正」の可能性が高い「若手」の政治家たちぐらいは自らの過ちを心から反省して立ち直ってもらいたいものである。

いいかげんに「自民党コンプレックス」を克服すべきである

 最近の民主党の政治家たちは何の話をしていても必ずと言っていいほど「自民党にはできない」「自民党に対抗する」「敵は自民党、小泉内閣」「民主党は自民党とは違う」などと声高に唱え始める。まるで強い「自民党コンプレックス」にとらわれているかのようである。何でもかんでも自民党と違っていたり、何が何でも自民党に打ち勝てば政権交代が実現するというわけではあるまい。そんなことは民主党の外では「常識」になっている。例えば、自分たちの店長が客の目の前でライバル店との違いをハッキリさせてライバル店の店長に討論で打ち勝てばそれだけですぐに客が押し寄せるようになるとでもいうのか。好意を持っている異性の目の前でライバルとの違いを強調して相手を言い負かせば異性は振り向いてくれるとでもいうのか。

 外交・安全保障の問題でも、経済の問題でも、構造改革の問題でも…、何でもかんでも政府・与党と違っていなければ「選択肢」「対抗軸」を示したことにならないなどというバカげた思想が民主党の外では「常識」として受け入れられるはずがない。だいたい政府・与党が賛成すれば野党はいつも反対、逆に政府・与党が反対ならば野党はいつも賛成だというのならば、政府・与党側の主張だけを聞いていれば野党の主張を聞かなくても必ず野党の考えは分かるので野党の主張を聞くのは単なる時間の無駄ということになってしまうではないか。

 自分たちも政府・与党と同じ賛成だとしても「今回の政府・与党の決定を支持する。『だが』…」とか「この問題では自民党の主張に基本的に賛成である。『しかし』…」などと、自分たちも賛成だとまずハッキリと結論を言った上で「逆接の後」に自分たちの主張を説得力のある形で堂々と述べればいいだけの話である。「逆接の後」に「自分たちが最も言いたいこと」を持ってきて「逆接の後」で勝負をすればいいはずである。「逆接の後」で勝負ができないのならばもともと聞くべき内容など何もなかったということである。こんなことは世の中では「常識」である。民主党はいいかげんに「自民党コンプレックス」を克服すべきである。

なぜまとまって棄権したり白票を投じなかったのか

 今回の代表選をそれなりに盛り上げた「若手」も「一本化」と「決選投票での対応」では致命的な過ちを犯したと私は考えている。「若手」は徹底的に敗因を分析して猛烈に反省した上で実力を付けていかなければならない。さもないと次の代表選でも権力欲にとらわれた怪奇映画の「ゾンビ」のように「お馴染みの顔ぶれ」がまた出てくるというような最悪の事態が繰り返されてしまう。そういう最悪の事態だけは断固阻止してもらいたいものである。

 若手候補の一本化は「野党共闘」などと本質的に同じ致命的な戦略ミスだったと私は考えている(→参考:2002/8/14(2/2)号)。例えば、小選挙区で3候補がほぼ互角の戦いを繰り広げているようなときに野党側の2候補が政策協定を結んで一本化すれば与党候補に勝てる可能性が高くなるということはほぼ間違いない。しかし、他候補を大きく引き離してリードしている与党候補に対抗して野党の弱小候補が何人集まって一本化してみたとしてもそれだけでは全く勝負にならず、それどころかそれぞれの候補の得票数の単純な足し算でさえも成立しないというのと同じことなのである。

 別に野田氏がいけなかったというつもりはないが、もしも一本化しないまま若手2、3人が束になって「お馴染みの顔ぶれ」に挑んでいたら若手中心の流れになってそのうちの1人が2位に食い込んで決選投票に残っていた可能性もかなりあったのではないか。「お馴染みの顔ぶれ」に知名度では誰一人全くかなわなかったとしても討論で「若手」2、3人がまとまって「お馴染みの顔ぶれ」を一人ずつ徹底的に集中攻撃していったらどうなっていたか全く分からなかった。もしかしたら多くの国民が民主党には「若手」の時代がやってきたと「若手」を支持していたかもしれない。一本化するならば若手中心の流れができてからにすべきだったし、決選投票に残った若手候補に一本化するという形でもよかった。何にしても禁句の「もしも」の話であるが…。

 決選投票での「若手」の対応はあまりにも政治センスを欠いたひどいものだったと私は考えている。確かに「若手代表」の野田氏が決選投票に残れなかった時点でお終いという考え方もできるのだろうが、決選投票でも事前に予告してまとまって棄権したり白票を投票するという形でもう一勝負すべきだった。「若手」がすべてまとまって棄権か白票ということになると、横路陣営がまとまって菅氏に投票すれば不自然な形かもしれないが決選投票では1回目の投票結果をひっくり返して菅氏が鳩山氏を破っていた可能性が高かったのかもしれない。だが、「若手」がすべてまとまって棄権か白票という状態で本当に1回目の投票結果をひっくり返すことができたのか。そんな不自然な形でひっくり返してしまったら99.99999%の確率で党は分裂しただろう。逆にひっくり返すことができなければ政治生命の危機にまでは陥らないだろうが菅氏らも横路氏らも政治的な影響力に致命的な打撃を受けたはずである。もしかしたら分裂回避のために鳩山陣営が「全面降伏」に近い形で「若手」に譲歩していたかもしれない。なぜ「踏み絵」を踏ませることができなかったのか。「若手」が代表選で勝てなくても民主党が劇的に変わっていた可能性が実はかなりあったのである。

 菅・横路陣営が勝つことだけは断固阻止したかったり、「ニュー鳩山」という言葉に期待して決選投票で鳩山氏に投票した人たちも、とにかく現職の再選には反対だということで菅氏に投票した人たちも、共に猛烈な反省が必要である。いったい何のために「若手」を擁立したのか。交代させれば誰でも良かったのか。結局は「鳩菅」でも良かったのか。「若手」を擁立した原点に戻るのならばまとまって棄権か白票という結論が「正論」だったということに気付くはずである。これでは「学級委員選挙」どころか単なる「ままごと」だったということではないか。何にしてもこれもまた禁句の「もしも」の話であるが…。

目先の選挙に勝てればどうでもいいのか

 驚くことに民主党は代表選のどさくさに紛れてこっそりと自民党にもできないようなとんでもないことをやると決めたようである。いくら目先の選挙に勝てる可能性が高いからと言っても、自分たちが目の敵にしてきた自民党でさえも国民の理解はとても得られないと考えてかつて断念したような「小選挙区で落選して重複立候補した比例区から復活当選した衆議院議員(代議士)」が辞職して「地盤」の小選挙区での補選に辞めたはずの衆議院議員(代議士)になるために「くら替え」立候補するなどという「常識」に反することをあえて容認する政党を多くの国民は本当に支持するのだろうか (→参考:1999年4月の鳩山邦夫氏(現・自民党代議士)が東京都知事選立候補のために辞職したことに伴う衆院東京2区補選では比例区から復活当選していた深谷隆司代議士(当時、現・落選中)が「くら替え」立候補に一時意欲を示したものの結局は断念。自民党が候補者を擁立しないまま鳩山氏後継の民主党の中山義活代議士が初当選)。きっと自民党も大いに注目していることだろうと思う。

 国民からそっぽを向かれた代表選とその後の新執行部人事のゴタゴタなどの内向きの議論でどういうわけかすっかりうやむやにされてしまっているが、民主党の幹事長人事よりも「くら替え」立候補の方がはるかに深刻な問題だということは民主党の外では間違いなく「常識」になっているはずである。もしも今から民主党の新幹事長が衆院福岡6区補選の立候補予定者を説得して候補者を急きょ新人に差し替えてしかもその新人を当選させることができるとしたら誰もがその「実力」を認めざるを得なくなるわけだが、今の民主党にはそういう前向きな発想は全くないのかもしれない。いくら前幹事長時代に決まったことであっても致命的に間違った決定を今からでも取り消すことができるのならば多少混乱したとしても取り消した方がいいに決まっている。民主党という政党は目先の選挙に勝てればどうでもいいと思っているのだろうか。民主党は「くら替え」立候補の問題でも「常識」が通用しない政党なのだろうか。

 「自民党コンプレックス」にとらわれた「常識」の通用しない政党を多くの国民が支持することはまずあり得ないだろう。そういうことは世の中では「常識」になっているはずである。


美味しいところだけを「つまみ食い」することは許されない(2002/9/7)

 永田町周辺ではどういうわけかまた「バカな政治家たち」が騒ぎ出している。株価急落のどさくさに紛れて自分たちの利益のために「デフレ対策」や「補正予算」を求めたり、野党の「お山の大将」の地位欲しさに「解散・総選挙は近い」などといつものほらを吹き出すなど、ここぞとばかりに「バカな政治家たち」が騒ぎ出している。確かにこんな「バカな政治家たち」を選挙で選んだのは他ならぬ国民だが、選挙で耳障りのいいことばかりをささやいて国民を欺いてきた「バカな政治家たち」にだけはそんなことを言う資格はないはずである。そんなことを許してしまったら「破たんした銀行の頭取」が「預金した方も悪い」と開き直るようなことも許さなくてはいけなくなってしまう。「バカな政治家たち」に間違って投票してしまった国民はいくら払い戻してもらいたいと思っても自分たちの「貴重な一票」の払い戻しを停止されているような状態ではないのか

「コメ」を持って「お粥」や「雑炊」を作りに行くことならできる

 最近の小泉純一郎首相は外交に積極的になっている。9/17に日本の首相として初めて北朝鮮を訪問して金正日総書記と会談することを決断して電撃的に発表(8/30)したし、環境開発サミット出席のために南アフリカを訪問 (9/1-9/4)してきたばかりだし、また9/9から9/14までは米国を訪問して同時多発テロの犠牲者の追悼式(9/11)に出席したりブッシュ大統領と首脳会談(9/12)を行うなどの予定になっている。そんな中、予定には全くなかった「不審船」が9/4に日本海で発見された。

 私としては金正日総書記との会談に過度の期待はしていないし、また日本国の内閣総理大臣が日本の国益に反するようなことをやるとはとても思えないから、小泉首相の北朝鮮訪問前の現時点ではほとんど何も言うことがない。基本的には小泉首相は北朝鮮で何を合意してきても合意してこなくても構わないと思っているが、それでもあえて事前に言っておくべきだと感じていることがいくつかある。

 それは例えば、(1)日本人拉致問題、「不審船」やミサイルや核兵器の問題に限らず日本として北朝鮮に言わなくてはいけないことは一切の聖域なくすべて遠慮なくハッキリと金正日総書記に直接言ってくること、(2)たとえ日本と北朝鮮の間でいかなることを合意したとしても、それを履行する段階では、日本の安全保障を脅かす問題がすべて解消されているかどうかとか、北朝鮮が韓国や米国と既に合意していることの進捗(ちょく)状況が必然的に問題になってくるということをあらかじめ明確に北朝鮮側に伝えておくこと、(3)過去の歴史の清算や緊急コメ支援も含めていかなる経済協力を実際に進める場合であっても「不審船」を引き揚げて国籍を断定するまでにかかった時間の何倍もの多くの時間がかかるかもしれないが、日本としては緊急の人道上の問題を放置するようなことは絶対にしないということも同時に伝えてくること、(4)今年中に今度は韓国で金大中大統領と3人で会談することを提案してできれば金総書記の同意を得てくること、などである。

 要するに小泉首相は「米百俵の精神」を無理に説いてこなくてもいいが、緊急時に日本人が日本から「コメ」を持って「お粥」や「雑炊」を作りに行くようなことなら約束できるということと、国際社会では自分の国のカネで自分の国の安全保障を脅かすようなことは絶対にしないということが「常識」になっているということを北朝鮮側にハッキリと伝えてくる必要があるということである。北朝鮮はいつまでも自分にとって都合の良いところだけ選んで切り取ったり、美味しいところだけを「つまみ食い」することは不可能だということにそろそろ気付いているのだろうか。

 さて、国内に目を向けてみると、道路関係と郵政事業ではやや足踏み状態から脱しつつあるようだが相変わらず構造改革の具体的な成果は見えてきていない。また決済用預金を全額保護するなどというペイオフ解禁の事実上延期のような後ろ向きの迷走劇やこのところの株価の急落傾向などがあってもなくても、依然として日本経済の再生の展望は開けていない。小泉首相はこのまましっかりと外交をやり続けながら構造改革のスピードもどんどん加速させていかなければならないはずである。後戻りしたり足踏みしている時間的な余裕はもう本当に残されていないのではないか。

政治家としての能力

 衆院予算委は9/5に受託収賄罪などで逮捕・起訴された代議士の鈴木宗男被告を3/11の証人喚問での議院証言法違反(偽証)容疑で告発することを全会一致で議決、最高検に告発した。偽証の告発には新鮮さもインパクトもなかったが、鈴木宗男被告が相変わらず代議士であり続けているということを思い出して改めて衝撃を受けた人たちもそれなりにいたのではないか。やはり議員辞職勧告決議には「トカゲの尻尾切り」と某野党幹部をはじめとする野党の政治家たちの自己満足と勘違いを増長させる効果しかなかったということが改めてハッキリした。議員辞職勧告決議に異常に熱心だった野党の政治家たちの政治家としての能力が改めて問われたり、結果的に「トカゲの尻尾切り」に協力したという政治的な責任が追及されることは本当にないのだろうか。

 県議会の不信任決議を受けて田中康夫知事が失職を選択したことで行われることになった長野県知事選(9/1)では田中氏が82万2897票を獲得、40万6559票を獲得した長谷川敬子氏らを大差で破って再選された。この劇的な選挙結果が持つ意味をあまりにも大きく捉えることもあまりにも小さく捉えることも共に間違いだと私は考えている。ここまで大差が付くとは思わなかったが「結果はほぼ予想通り」というのが実は多くの人たちの率直な感想なのではないか。田中知事と県議会多数派との対立がなぜか感情的なレベルにまで発展してしまっていたが「何も田中知事を辞めさせることはないのではないか」と思っただけの人たちも少なくなかったのかもしれない。何にしてもせっかく選挙をやったのだから選挙をやった分ぐらいの意味はあって欲しいものである。県議の中に田中知事の「おともだち」が急増するか、あるいは次の県議選で田中知事の政策を心から実現しようと考える県議たちが急増するかしなければ結局のところはほとんど何も変わらないのではないかと私は思っている。

 たとえいかなる理由があろうともいつまでも掲げた政策を実現できる見通しすらも全く立たない状態が続くのならばやはり政治家としての能力が欠けていると見なさざるを得なくなる。田中知事も県議会議員たちも長野県民も自分にとって都合の良いところだけ選んで切り取ったり、美味しいところだけを「つまみ食い」することは不可能だということに気付いているのだろうか。

民主党代表選の注目点は「代表選後」だけ

 民主党の勝手な事情によって行われる代表選(9/9告示、9/23投・開票)は相変わらず国民からほとんど関心を持たれていない。ちなみにもしも長野県知事選で党の中央と地方が大きくねじれていることをまたもや国民に見せ付けることがなかったとしても、民主党代表選が国民からそっぽを向かれているような状況にはおそらく何の変化もなかっただろう。まだ告示前なのにもう既に民主党代表選の注目点は「論戦」ではなくすっかり「代表選後」に移っていると言い切ってもいい状態である。

 「代表選後」にしか注目できない最大の理由は候補者の顔ぶれに大きな問題があるからである。自分にとって都合の良いところだけを切り取ったり、美味しいところだけを「つまみ食い」してきたという「実績」があふれている政治家が少なくとも2人立候補しようとしているということ、また自民党総裁選と全く同じように民主党代表選にも「女性候補」がただの一人も立候補しようともしないということは致命的な問題点である。予想されるような顔ぶれでは仮に前向きな話をする資格を持った候補が一人か二人いて彼らが何を言ったとしても全体的には後ろ向きの「論戦」にしかなり得ない。「足切り」や「新規参入」で顔ぶれが劇的に変わらない限り「論戦」にはほとんど注目すべきところがないと私は考えている。

 一時は男性4人が名乗りを挙げていた若手は、最終的に前原誠司幹事長代理と野田佳彦代議士の2人の間で推薦人数と独自の世論調査結果に基づいた調整が行われ、野田氏に一本化(9/2)されたという。また中野寛成副代表も立候補を断念(9/3)して鳩山由紀夫代表を支持することになったという。代表選も決して参加すること自体に意義があるオリンピックのようなものではないのだからそれはそれでやむを得ないのだろう。

 前原氏と野田氏の一本化調整では代表選での「人気投票」が禁止されているために具体的な結果が公表されず、現時点ではあくまでも本人たちがオープンな方法で一本化したと主張しているに過ぎないわけだが、これなら間違いなく公正な一本化調整だったと誰もが納得できるような詳細な結果が「代表選後」に公表されるのならば、前原氏に投票しようと思ってわざわざ1000円を払ってサポーターになった人たちの損害をどう埋め合わせるかという問題以外には大きな問題は残らないだろう。

 また旧民社党系以外に支持が広がる見込みがもともとなかった中野氏の立候補は当初から少なからぬ違和感を持って受け止められていただけに立候補を断念して政策的に遠くない鳩山氏を支持するということは予想の範囲内の出来事であった。何が何でも中野氏と考えてサポーターになった人たちが何人いるのかはよく分からないが、中野氏や旧民社党系が人事などで厚遇されるなど「密約」の存在を疑わせるような出来事が「代表選後」に起こらない限りこちらもたぶん大きな問題はないのだろう。

 どうしても前原氏や中野氏でなければ嫌だという人たちは、全く無関係な人間でもどこかの陣営の人間でもやろうと思えば誰でも簡単にできる電話などの手段ではなく、おカネを支払った証拠として送られてくる投票用紙に立候補を断念した前原氏や中野氏の名前を書いて送り返すという形で抗議をすればいい。無効票がかなりの数になるのならば民主党本部も無視できなくなるはずである。無効票がどのくらい集まるかという点でも「代表選後」は注目である。

「歴史」から学ぶことはできるのか

 誰が新しい代表に選ばれるのかは分からないが、「代表選後」に民主党が失速したり分裂したりしないためには、「鳩山由紀夫代表の下で次の総選挙までに民主党を見せかけだけではない真の意味での一つの政党にして単独政権を目指すべき」という声が圧倒的な多数になるか、「若手が中心になって民主党を新しい政党として作り直して引っ張っていけば、そう遠くないうちに、上手くいけば次の総選挙で民主党の単独政権ができるかもしれない」という声が圧倒的な多数になるかのどちらかしかないと私は考えている。それ以外の結果が出たらおそらく民主党が失速して分裂していくだろうということは「歴史」を振り返れば容易に想像することができる。いくら時計の針の進むスピードが遅いことにいらだったとしても、時計の針を逆回転させるような狂ったことだけはさすがにできないだろう。少しずつでも(正しい方向に)進んだ方がいいに決まっている

 例えば、党員以外の一般人にも広く公開された1995年12月の新進党党首選挙では、小沢一郎氏(現・自由党党首)と羽田孜氏(現・民主党特別代表)が党員・党友票ではほぼ互角だったが(→小沢氏は約11万4500票、羽田氏は約10万9000票)、一般票では小沢氏が羽田氏の2倍以上の約100万票を獲得して当選した。その後に何が起こったのかという「歴史」を今こそ思い起こしてみるべきである。その後の新進党の解党を語らずに今の民主党の誕生を説明することはできないわけだから、当時の事情に詳しい羽田氏や江田五月・党首公開選挙管理委員長(現・民主党参議院議員。菅直人陣営の選対本部長)らにあえて聞いてみなくても解党に至るまでのだいたいの経緯は多くの国会議員たちの記憶にしっかりと残っているはずである。

 一般票のチェックが甘くて不正投票がかなりあったとも5%未満だったとも言われた新進党党首選と民主党代表選の選挙制度は違っているし、サポーター登録もかなりチェックが厳しくなっているがそれでも組織票だけはどうにもならないはずである。労組などの特定団体の大量の組織票が「国民の声」と称して国会議員票とあまりにもかけ離れた動きを示して結果を覆すようなことがあるのならば、本物の国民の審判を受けなくてはならない次の総選挙ではとても勝てず、やがて「太陽党」のようなものをつくって出ていく人たちが出てきたり、そう遠くないうちに分裂や解党ということにならないとも限らない。だいたい約30万票というサポーター票ではとても「国民の声」とは呼べないはずである。サポーター票が妙な動きを示すのかどうかはよく分からないが、「歴史」から学ぶことができるのかどうかという点でも「代表選後」は注目である。

 民主党に限らず野党が目先の選挙での勝利を第一に考えたり、何が何でも小泉純一郎首相や自民党に対抗すればいいなどという誤った思想を持ち続ければ野党の離合集散は果てしなく続くことになるだろう。「歴史」から学ぶことができるのならば、問題にされなくてはいけないのは「目先の選挙で勝てるかどうか」ではないと気付くはずである。この国をどのような国にしていくのかということ、そのためにはどのようなことが必要なのかということを説得力のある形で示し、そしてそれを実際に成し遂げていく能力がそれぞれの政治家にあるのかどうかということをしっかりと見極める必要がある。目先の選挙のことが何よりも大事だという国会議員たちは議員バッチを外して永田町を去るべきだろう。

都合の良いところだけを切り取ることはもう許されない

 横路孝弘代議士は自らの度重なる「造反」を棚に上げて相変わらずいろいろなことで党執行部を批判しているようである。国民的人気の高かった田中真紀子前代議士が自らの秘書給与疑惑を棚に上げて山崎拓自民党幹事長らのスキャンダルを批判しても国民には全く説得力がなかったというのに田中氏よりもはるかに人気のない横路氏がこっそり自民党で起こったことの真似をしてみたとしてもさらに悲惨な結果が待っているだけだろう。ちなみに横路氏は民主党を「第二自民党」にしてはいけないなどと言っている。横路氏が55年体制下の万年野党である旧社会党の「遺伝子」を21世紀の世の中に100%発現させて自民党との違いを強調しようと頑張れば頑張るほど、自民党の抵抗勢力が時代の流れに逆らって万年与党時代から続くバラマキ政策をなんとか守ろうと必死になっている姿にどんどん似てくるから実に皮肉なものである。

 また横路氏はいつまでも旧社会党出身と呼ばれることに不満なようであり、むしろ地方主権(地方分権)の流れを意識しながら3期12年の北海道知事としての「実績」をアピールしたいらしい。そういうことなら例えば、自らの在任中に「世界・食の祭典'88」(1988年)で史上空前の約90億円の赤字を出して税金で穴埋めせざるを得なくなったり知事給与の5割を1年間カットしたような話とか、在任中の道職員のカラ出張などによる北海道庁の公費不正支出問題が知事を辞めてから発覚して道民におわびをした話(1995年12月)なども忘れずにしっかりとアピールしてもらいたいものである。「民主党が勤労者、生活者、納税者の立場に立った政党だということを明確にしたい」などというのならばなおさらのことである。中央から地方に財源を移しても「食の祭典」や「公費不正支出」のようなことが全国に拡散するようなことは絶対にあり得ないということを横路氏が自らの反省を踏まえた上で説得力のある形で示していかなければ最悪の場合には地方主権の流れに大きくブレーキをかけることになってしまうのではないか。横路氏に限らず自分にとって都合の良いところだけを切り取るようなことはもう許されないはずである。

美味しいところだけの「つまみ食い」ももう許されない

 菅直人幹事長やその陣営は、世論調査での支持率が候補者の中では最も高いこととか、98年の参院選で勝ったことを持ち出して総選挙で勝てるなどと主張したり、党内の多数派工作や若手の一本化調整を「内向き」などと批判して自分たちのように国民に向けてアピールすべきなどと言っていたようだが、そういう自分にとって「美味しいところ」だけを「つまみ食い」するのではなく、「苦いところ」や「まずいところ」もきれいに残さずに食べてもらいたいものである。菅氏らに限らず美味しいところだけの「つまみ食い」ももう許されないはずである。

 たとえ誤差程度であっても世論調査での菅氏の支持率が候補者の中では最も高いということはたぶんその通りなのだろう。まあ菅氏は3年以上前から代表選の選挙運動をずっとやっているようなものだから現時点では当たり前と言えば当たり前の話なのかもしれない。ただ菅氏は民主党の「お山の大将」ではあっても、ほとんどの調査の次の首相候補ランキングでは1位に遠く及ばないどころか、国会議員ではなくて首相になることができないのに必ずと言っていいほど上位にランキングされる「東京都知事」にも負けているというのが偽らざる現実である。そんな状態でなぜ選挙で勝てると主張できるのか私は非常に理解に苦しんでいる。まさか次の東京都知事選に立候補するというわけでもあるまい。

 また98年の参院選での勝利を持ち出すのならば、自民党の恒久減税をめぐる迷走や投票率の急上昇もあって自民党に強い逆風が吹いたので「誰からも喜ばれない政党を作ってしまった」などという声が高まって崩壊寸前だった政党でもたまたま野党第一党だったために「棚ぼたの勝利」をつかむことができたという正確な経緯とか、せっかく国民からチャンスを与えられたのにそのチャンスを生かせずに「自自」、「自自公」と次々と野党側の議員たちを与党側に追いやって国民の期待を大きく裏切るだけだった菅氏自身の責任なども忘れずにセットで持ち出してもらいたいものである。もしも万一次の総選挙で菅氏が民主党の顔になるようなことがあるのならば、98年の参院選後に国民の期待を大きく裏切ったことを心からおわびしながら全国各地を回ることからまず始めなくてはならないはずである。山本譲司元代議士が秘書給与詐取事件で逮捕されて辞職したことを受けて行われた東京21区補選(2000年10月)でこまめにおわびして回ったようなことを菅氏は全国規模でやらなくてはいけなくなるはずである。いくら代表としてはまだ総選挙を経験したことがないからなんとかやらせてくださいなどとお願いしてみたとしても、国民の期待を大きく裏切った自らの責任をうやむやにしたままでは総選挙は悲惨な結果に終わるだけだろう。

 また菅氏が今まで内向きなことを一切せずに都合の悪いことも含めて常に国民に向けてアピールしてきたのかというとそんなことは全くない。例えば、98年の参院選では比例名簿の当選圏内に労組出身の候補者をズラリと並べるようなことを密室の中で決めて多くの人たちの猛反発を招いたはずだし、同じ98年の秋に女性スキャンダルが発覚したとき(→参考:2002/4/21(2)号)には呆れるほど長い間記者たちやテレビカメラから逃げ回っていたことはまだ多くの人たちの記憶にそれなりに残っているはずである。自分にとって都合の良いことは声高に唱えても、都合の悪いことからは徹底的に逃げ回るような人間が国民から信頼されるようなことはさすがにないだろう。

 自分にとって都合の良いところだけを切り取ったり、美味しいところだけを「つまみ食い」し、自分にとって都合の良いときに都合の良いことだけを国民に訴えるような政治家ほど信用できない政治家はいないと私は思っている。都合の良いことだけを明らかにして「私に賭けてください」などと言われても、賢明な国民は空くじだらけの宝くじよりもはるかにリスクが高く、最悪の場合には身ぐるみはがされてしまうような「ギャンブル」をあえてしようとは思わないだろう。

国会議員にしかできない重要な仕事

 繰り返すが、自分にとって都合の良いときに都合の良いことだけを国民に訴えるような政治家ほど信用できない政治家はいないと私は思っている。少なくとも菅幹事長や横路代議士には自分にとって都合の良いところだけを切り取ったり、美味しいところだけを「つまみ食い」してきたという「実績」があふれており、しかもそうした国民に対して恥ずべき「実績」を心から反省して国民におわびするという気も全くないようである。こんな状態ではきっとすぐにまた国民の期待を裏切ったり、国民の信頼を失っていくだけである。そういう意味では菅幹事長や横路代議士のような政治家たちはたとえ国民からほとんど期待されていない野党第一党の民主党の代表選ようなものであっても立候補する資格がないと言わざるを得ない。今こそ民主党の国会議員たちは国民のために自分たち自身にかつての金融再生法のような法律を適用し、そう遠くない将来に国民の期待を大きく裏切る形で「破たん」して国民から預かった「貴重な一票」の払い戻しを停止するおそれがあるとして菅幹事長や横路代議士に「業務停止命令」を出して「特別公的管理」下で「破たん処理」すべきではないのか。「業務停止命令」を出す権限と責任を持っているのは彼らを代表選に推薦して投票しようとしている民主党の国会議員たちだけである。

 国会議員にしかできない重要な仕事の一つに内閣総理大臣を選ぶという仕事がある。内閣総理大臣になることが憲法上想定されていない参議院議員はともかくとしても衆議院議員(代議士)は内閣総理大臣を選ぶことについては特に重い責任があるはずである。国民からほとんど期待されていない民主党代表選で間違ってふさわしくない人物を選んでしまっても、実際に内閣総理大臣としてふさわしくない人物を内閣総理大臣に選んでしまったわけではないからせいぜい「未遂」か「未遂」の「未遂」にしかならず、「罪」としては重くないのかもしれない。だが、内閣総理大臣としてふさわしい人物を選ぶ能力に欠けるということを自ら国民に示してしまったという意味では全く何も変わらないはずである。代表選がどのような結果に終わろうとも、民主党の国会議員たちは「代表選後」に自分たちが投票した候補者が国民の期待を裏切ったり、国民の信頼を失うような人物であることが明らかになった場合には国民に対してその責任を負うべきである。内閣総理大臣を選ぶという仕事を満足にできないような国会議員たちもやはりまた議員バッチを外して永田町を去るべきだろう。

電撃的な擁立劇は?

 決して歌手の宇多田ヒカルさんの電撃的な結婚発表(9/6)を知って急に思い付いたわけではないが、もしも万一今から民主党代表選の告示日(9/9)までの間に誰かが電撃的に「女性候補」の擁立に成功するようなことがあるのならば、民主党代表選は告示前からもう既に注目点が「代表選後」に移っていると言い切ったことを訂正しておわびすることもやぶさかではない。

 「女性候補」が一人も立候補しないということは自民党総裁と同じように女性が民主党代表になることはそう遠くない将来もまずあり得ないのだということを国民にアピールすることになりかねないから「参加するだけでも意義がある」と「女性候補」を口説き落とし、菅直人陣営と横路孝弘陣営から推薦人をそれぞれ数人ずつ告示直前に奪い取り(→場合によっては立候補断念に追い込める)、若手の一本化に不満を持っている国会議員10数人と合わせるだけで推薦人の20人は十分にクリアできるはずである。そして鳩山由紀夫代表にとっても野田佳彦代議士にとっても現時点で「女性候補」は必ずしも危険な存在ではないし、決選投票で「キャスチングボート」を握る可能性もあるから間違っても敵に回すことだけはできない。従って「女性候補」の電撃的な擁立劇は実は成功する可能性がかなり高いはずである。

 国民から信頼されないであろうベテラン候補を「足切り」にして電撃的に「女性候補」を擁立するだけで国民からほとんどそっぽを向かれている民主党代表選を一転して世間から注目されるおもしろいものに変えることができるかもしれないが、そういうことを成し遂げることができる力量を持った国会議員たちは民主党にはおそらくいないから、やはり告示前からもう既に民主党代表選の注目点は「代表選後」に移っているのだろう。


「片道切符」を買えるのか?(2002/8/14)

 小泉純一郎首相を含めて永田町周辺は夏休み中である。歴史に残る疑惑国会となった通常国会は7/31に閉会したが、ロスタイム(?)には電撃的な田中真紀子代議士(前外相)の議員辞職劇(8/9)が待っていた。私は発売直後の立花隆氏の「『田中真紀子』研究」(文藝春秋)を読んでいるちょうどそのときにNHKニュースの速報(8/9,13:00頃)で綿貫民輔衆院議長への辞職願提出を知ったが、疑惑発覚以来、議員辞職は選択肢の一つだとずっと思ってきたのでさして大きな驚きはなかった。もちろん田中代議士は国民に秘書給与疑惑をきちんと釈明しないままとうとう辞職することになってしまったかとか、某野党幹部に言い寄られていた政治家がまた一人辞職してしまったなあとか、そう言えば同じように某野党幹部に言い寄られても「社菅距離」が必要だと頑張っていた辻元清美前代議士の秘書給与疑惑をきっかけに浮上した社民党の秘書給与疑惑は本当にほとぼりが冷めたのだろうかとか、逮捕・起訴された代議士である鈴木宗男容疑者の辞職問題は議員辞職勧告決議で「トカゲの尻尾切り」という形で決着してしまうのか、などとは思ったが…。

辞職の理由は自分で自分のスカートを踏んづけ続けているから

 まだ田中真紀子代議士の議員辞職の意味やなぜこのタイミングだったのかなどということに関心が持たれているようだが、そういうことは結局のところは本人に聞いてみる以外にはなく(→ちなみに本人に聞いてみても必ずしも分かるとは限らない)、第三者がいろいろと推測してもあまり意味はないだろう。田中代議士が8/9夕に目白台の自宅前で記者たちに (1)2年間の自民党の党員資格停止処分で事実上議員立法など国会議員としての活動ができなくなったこと、(2)衆院政治倫理審査会(7/24)でも秘書給与疑惑が完全に払拭されていないという印象を国民に持たれているので潔く身を処す必要があると判断したことが辞職の理由だと一方的に述べていた。無所属の代議士でもそれなりにやれることはあるし、代議士のままでも疑惑を完全に払拭することは不可能ではないことは言うまでもないことである。遠慮なく客観的に辞職の理由を「翻訳」してひとことで表現するならば、「いつまでも自分で自分のスカートを踏んづけ続けているから」ということになってしまう。田中真紀子氏本人が政治家として自らの出処進退を決めたことは評価するが、議員辞職で秘書給与疑惑は幕引きということには断じてならないし、私は絶対にそういうことを認めることはできない。

「ストップ・アンド・シンク」

 言うべきことをきちんと言いながら私が見た「政治家・田中真紀子」を少し懐かしんでみようと思う。私にとって「政治家・田中真紀子」はいろいろな意味で特別な政治家の一人であった。

 故・田中角栄元首相が受託収賄罪などで逮捕・起訴されたロッキード事件とその裁判で日本中が大きく揺れていた最初の数年間だけは幼さゆえに蚊帳の外に置かれていたが、それでも「コーチャン」「記憶にございません」「ハチの一刺し」などの単語やそれらについての断片的な記憶は間違いなく同時代の出来事として私の記憶に残っている。そしてその後は田中派、竹下派が自民党だけではなく日本の政治全体に圧倒的な影響力を及ぼし続けた数々の出来事を明確に同時代人として受け止め、その当時の私なりに理解し、やがて少しずつかつての「空白」を埋めていく余裕も出てきた。ただひたすら走ってようやく先頭選手の背中がかすかに見え始めたような気がし始めた頃に以前から彼女のスピーチなどを聞いて「田中角栄元首相の演説はこんな感じだったのだろうか」と感じてきた真紀子さんが「政治家・田中真紀子」として颯爽(さっそう)と登場した。「政治家・田中真紀子」が「政治家・田中角栄」の何を受け継いで何を受け継がないのか、そしてどのように「政治家・田中角栄」を乗り越えていくのかそれとも乗り越えることはできないのか、などということが必然的に私の最大の関心事、注目点になっていった。

 放っておくと普通の政治家の2倍ぐらいの早口になるらしい田中真紀子前代議士の発言を非常に苦労して一字一句省略せずに文字にしてみたら非常に長い発言なのにビックリするほど内容がなく、しかも「生」で感じた輝いている部分がすべて消え去っているのに愕然として記事化するのを諦めたという経験は覚えているだけでも数回以上ある。1998年5月の衆院文教委(98/5/6)で「ストップ・アンド・シンク」などとサッカーくじ法案に反対の意思を示していたときぐらいしか田中前代議士の発言を記事化することに成功した記憶は私には残っていない。ついでに言っておけば、田中前代議士はこの直後に理事を更迭された後も中継カメラによく映る席で委員会を「傍聴」していたし、たしか本会議では法案の採決を棄権したということも私の記憶には残っている。

 代議士会をサボって(?)衆院本会議開会前のほとんど誰もいない本会議場に田中前代議士が何度かやってきて原稿などを書いていたことも含めて一時期は週に2回くらい「生」で田中代議士を見る機会があったのだが、よくよく思い出してみると、田中前代議士の「半径10メートル以内」に入ったのは、何度か車に追い抜かれたことを除けば不思議なことにたった一度だけだったかもしれない。通信傍受法案(いわゆる「盗聴法」)を含む組織的犯罪対策3法案が可決された1999年6月の衆院本会議(99/6/1)で採決直前(14:45頃)に本会議場から出てきて第一議員会館前の横断歩道でたった一人で信号待ちをしているいつもとは違った非常に怖い顔の田中前代議士にたまたま遭遇したときだけだったかもしれない。きっと田中前代議士は法案の採決に腹を立てていたのだと思うが、いつもとの大きな違いが妙に私の印象には残っている

 立花隆氏は田中真紀子前代議士があと二皮むけていい政治家になれば日本の政治の真の改革者になる可能性はまだあるなどと言っていたが、私も基本的にはその通りだと思っている。特に「一皮」ではなく「二皮」であるという点は全く同感である。ちなみに私に言わせると、田中前代議士が政治家として「二皮」ぐらいむけるということは、例えば、田中前代議士を数々の「告発」で追い詰めた元秘書や関係者らに自分の方から頭を下げて再び味方になってもらうとか、「家庭内野党」ならぬ健全な「事務所内野党」になることができる有能な秘書たちを「政治家・田中真紀子」の魅力だけで口説き落とすなどということになる。

 田中前代議士の辞職が「片道切符」なのか、そして田中前代議士が今後どうするつもりなのかは知らないが、「政治家・田中真紀子」としてやり残したことは絶対にそのままにはしておけないはずである。田中前代議士が今後も秘書給与疑惑をうやむやにし、さらに政治家として「二皮」ぐらいむけることもなければ、万一「三世」の時代が来ることがあったとしても(→どうも「ない」ということらしいが…)おそらくかなりの確率で「二世」の時代の挫折は形を変えて「負の遺産」として受け継がれることになるだろう。田中前代議士には政治家としていったい何をやり残したのかを立ち止まってじっくり考えてみることが必要である。まさに今こそ何よりも「ストップ・アンド・シンク」が必要なのではないのか。

そもそもなぜ今、民主党代表選なのか?

 9月に行われる民主党代表選は候補者が乱立しそうな情勢になっている。相変わらず権力欲で足元が見えなくなっている某幹部など党内の一部だけで勝手に盛り上がっているようだが、そもそもなぜ今、民主党代表選なのかということをここでしっかりと確認しておく必要があるはずである。ただ単に「現職の鳩山由紀夫代表の任期が切れるから」という民主党側の勝手な事情のために代表選を行うというだけの話であり、あくまでも国民とは全く無関係であるということをしっかりと確認しておく必要がある。

 むしろ民主党が2000年6月の総選挙(2000/6/25)で鳩山由紀夫代表を「首相候補」として国民に掲げて都市部を中心に躍進し、同年9月に鳩山代表を無投票で再選したという事実関係を振り返るならば、誰もが納得できるようなやむを得ない事情がない限り任期を延長してでも次期総選挙は鳩山代表の下で戦うということにならなければ筋が通らないとも言えるし、国民が選挙を通じて首相を選ぶのが望ましいという同党の基本的な立場からすれば今ここで鳩山代表を「失脚」させることは国民に対する背信行為ということにもなりかねない。もしも代表選を自分勝手な「コスタリカ方式」を実現する機会、無理矢理時計の針を逆に回す機会、あるいは、しがらみだらけの政治家たちが存在感をアピールする機会などだと勘違いするのならば、かつての自民党が総裁選で激しい派閥抗争を繰り広げて国民の意思とは全く無関係に政権をたらい回ししてきたなどという批判が今度は自分たち自身に跳ね返ってくることになる。

 民主党が仮にも政権を目指す政党だというのならば、今回の代表選が国民とは全く無関係な民主党側の勝手な事情で行われるということを断じて忘れるべきではないし、せいぜい支持率が10%程度の政党の党首選にあえてカネを払ってまで投票する人たちの声が「国民の声」であるなどと主張するのはあまりにも無理があることにいい加減に気付くべきだし、また一部の世論調査の誤差程度の結果を自分に都合のいいように解釈しても他人には全く説得力がないということにも気付くべきであろう。

そもそもなぜ今、代表を代えなければいけないのか?

 そもそもなぜ今、民主党の代表を代えなければいけないのだろうか? 現職の鳩山由紀夫代表の支持を表明する意図は全くないが、代表を交代させなければいけない理由が私にはさっぱり分からない。代表を交代させなければいけない誰もが納得できるようなやむを得ない理由はどこにも存在しないと私は考えている。

 もしも鳩山代表が任期中の3年間に政権交代を実現できなかったことを交代の理由に挙げるのならばそれはほとんど説得力がない話だと言わざるを得ない。野党がいくらバカ騒ぎをしても与党の内紛なしに野党が与党を解散・総選挙に追い込むことができる可能性は事実上ゼロである。さらに言えば万一内閣不信任決議案が可決されたとしても首相が決断しなければ解散・総選挙は起こり得ない。つまり与党が解散しない限り政権交代が実現する可能性も事実上ゼロ、与党が解散しなければ野党はどうしようもないということである。

 確かに2000年には総選挙があってそのときに民主党は躍進したものの自民党を下野させることはできなかった。しかし、総選挙後に鳩山代表は無投票で再選されているので総選挙の責任問題は完全に決着済みであるし、政権交代が起こらなかった最大の理由は多くの「地方」では民主党には自民党に対抗できるだけの十分な足場がなかったということなのだから党全体の責任だろう。ちなみにいつの間にかうやむやになってしまったようだが、総選挙で自らの当選のために与党勢力からの支援を受けて当選したような常識を疑うような緊張感を欠いた何人かの人間がいなければもっと議席を増やせたはずだという指摘もあったはずである。政権交代を実現できなかった責任を問うのならばまず最初にそういう常識を疑うような緊張感を欠いた人間から問うべきではないのか。

 それならば総選挙後の2年間に何か鳩山代表を交代させなければいけない明確な理由があったかというと、これもまた説得力の乏しい理由しか見つかりそうにもない。総選挙後の民主党の大きな失点としては、(1)何度失敗しても野党共闘路線を採用し続けたこと、(2)有害無益な審議拒否戦術を採用し続けたこと、(3)造反劇を繰り返して主義・主張が完全にバラバラな政党であることを国民にアピールし続けたこと、(4)大橋巨泉氏を突然擁立して参院議員に当選させたけれどもあっと言う間に辞職させてしまったこと、(5)「加藤の乱」(→加藤政局)で政治センスのかけらもない対応をしたこと、などを挙げることができる。

 野党共闘などというバカなことをやって浮かれてさえいなければ、森喜朗内閣から小泉純一郎内閣に代わって与野党の形勢が逆転しても慌てることはなかったし、小泉旋風が吹き荒れた中なんとか議席を増やした2001年7月の参院選(2001/7/29)でも強い独自色を打ち出してさえいれば民主党はもっと健闘できたはずだという指摘もあるが、何にしても(1)と(2)は党執行部と審議拒否や野党共闘などに積極的だった政治家たちの連帯責任である。

 (3)では2001年11月末のテロ対策支援特措法に基づく自衛隊派遣などの承認案で党議拘束に反して衆院本会議に出席して反対し、事実上副代表を解任された横路孝弘代議士らに最も大きな責任があることは誰の目にも明らかなわけだし、(4)では大橋巨泉氏を独断で非常に熱心に口説き落としていた菅直人幹事長に最も大きな責任があることは明白である。

 そして(5)の「加藤の乱」(2000年11月)では内閣不信任決議案の提出の時期だけは野党が唯一決めることができたにもかかわらず結果的に最悪のタイミングに提出して(→多数派工作が不利になった状況を見たら一度ドタキャンして緊張感のなくなった補正予算案採決後に提出するなどいくらでも頭の使いようがあったはず…)加藤紘一前代議士や山崎拓自民党幹事長らを衆院本会議欠席(2000/11/20深夜)に追い込んで国民を大きく失望させることに多大な貢献をしたという意味において、加藤氏と携帯電話で密接に連絡を取り合っていた上に内閣不信任決議案の提出時期の決定に深く関与していた菅直人幹事長の責任はあまりにも大きくてとても覆い隠すことはできないだろう。ちなみに菅幹事長は加藤氏らの本会議欠席決定を知って「男の子じゃないね」という男女共同参画政策の推進に非常に熱心な政党の幹部とはとても思えないような「暴言」を吐くというおまけまでつけたらしい。私は菅幹事長の発言を自分の耳で直接聞いたわけではないから「真意」を想像することもできないが、一般的に人間はふとしたときに思わず「本音」を漏らしてしまうものなのだろう。

 その他にも山本譲司元代議士の秘書給与詐取事件への対応のまずさとか、浮上したほとんどの疑惑の追及が結果的に中途半端に終わってしまったこととか、効果の全くない鈴木宗男代議士に対する議員辞職勧告決議の問題とか、政治的に全く効果のない時期に無意味に否決されるだけの内閣不信任決議案などの提出を何度も繰り返したこととか…、改めて振り返ってみても実に呆れるものばかりだが、いずれも鳩山代表を交代させる明確な理由にはならない。鳩山代表を交代させるのならば連帯責任を負わせなければいけない人間も同時に辞めさせる必要が出てくるはずである。多少なりとも常識を持ち合わせている人間ならばいくら何でもそういう連帯責任を負わせるべき人間を鳩山代表の後継の代表にするようなことだけはできるわけがない。「マッチポンプ」と呼ぶべきかどうかは微妙なところだが、何にしても党幹部やベテラン議員たちの中には自らの責任を棚に上げて鳩山代表の責任を一方的に追及するような無責任な政治家たちがかなりいるようである。

ベテラン議員の「足切り」が必要

 能力が未知数である若手候補ならば代表選を通じてそう遠くない将来に鳩山代表よりもずっと有能で魅力的な代表になる予感を感じさせることもあるかもしれないが、かつての代表選で「鳩山以下」であることがハッキリしていたり、私利私欲にとらわれたしがらみだらけの政治家たちの場合にはそんなことはまずあり得えないのだから最初から「足切り」にしておいた方が党のためにも国民のためにもなるはずである。「横綱」である鳩山代表(→党内に異論はあっても「番付」ではそうなっている)から若手が初金星を挙げて2日後ぐらいに鳩山代表が引退を表明して新時代の幕開けとなるというようなかつて大相撲で貴花田(現:横綱・貴乃花)が千代の富士を破ったときのような展開になるのだったら国民は素直に感動するかもしれないが、「引退しそこなっている力士」がよく分からない理由で「横綱」に勝ったとしても新しい時代はやってこないし、「引退しそこなっている力士」の周辺以外は誰も感動しないだろう。

 もしも万一、「将来を語る資格のない未来を託せない候補」に敗れた場合には鳩山代表は代表室に籠城してでも代表のイスを明け渡すことに徹底的に抵抗すべきである。たとえ民主主義のルールを無視した極悪人などと呼ばれようとも断じておとなしく代表のイスを明け渡すべきではない。そして「将来を語る資格のない未来を託せない候補」に考えられるすべての正当性を与えた場合でも「敵」を引きずり下ろす能力が全くないということ、すなわち政権を奪取する能力に欠けるということを国民に実例として見せることによって彼らを道連れにして一緒に引退するという形で新しい若い世代に党の未来を託すべきである。外交でも政権交代でも、格好の良いことや国民受けすることを一方的に相手に言っているだけでは決して成果を挙げることができないということを国民に明確に示すべきである。

 将来を語る資格を持たない人間には絶対に将来を語らせず、未来を託せない人間にだけは絶対に未来を託さないということを現職の代表としての最後で最大の仕事だと考えているというのがその真意だとしたら、鳩山代表の「世代交代が実現したら国会議員のバッジを外すべきだと思う」などという決意は非常に高く評価できる。現時点で民主党に必要なのはしがらみだらけの私利私欲にとらわれたベテラン議員たちの「足切り」であろう。どうしても立候補したいベテラン議員は代表選で敗れたらその瞬間に国会議員のバッジを外すと国民に明確に公約すべきである。若手にはちょっと酷かもしれないが、少なくともベテラン議員は「片道切符」を買う覚悟のある人間だけが立候補すべきである。

なぜ女性候補が一人も出てこないのか?

 若手候補は「予備選」をやって数を絞るべきだとか、一本化の必要があるなどという話があるようだが、私は逆に8/13時点で名乗りを上げている4人に加えて若手があと3人(→内訳:男1女2)ぐらいは名乗りを上げるべきだと考えている。私利私欲にとらわれたしがらみだらけのベテラン議員たちを「足切り」に追い込むためにも、一本化などせずにできるだけ多くの若手候補が実際に代表選の立候補に漕ぎ着けることを大いに期待している。私利私欲にとらわれたしがらみだらけの勘違いした人間たちに将来を語らせるぐらいならば、「ままごと気分」や「青二才」や「ハナ垂れ小僧以下」の若者たちに将来を語らせた方がはるかに意味があるはずである。

 それにしてもこれだけ代表選の候補者(候補)が乱立しているのになぜ女性候補が一人も出てこないのであろうか? もしも「男女共同参画政策」に理解のある男性候補ばかりだからあえて女性が立候補する必要がないなどと強弁されれば「理屈」の上では文句の付けようがなくなるわけだが、やはりあまりにも不自然な話である。まるでどこかの組織政党の秘書たちが独自のルールに自発的に従って給与を「上納」しているという話のように実に不自然な話である。女性政策を積極的に推進したいという女性議員たちの強い動機と彼女たちの比率を勘案すれば、代表選に8人が名乗りを上げるのならばそのうちの2人ぐらいは女性候補であることが自然なのではないか。こんな状態では民主党という政党は口先では女性に理解のあるようなことを言っていても実際の行動は伴わず、その実態は「男が主で女は従」ということを前提とした政党だと受け止められてしまい、ただでさえ低い同党に対する女性の支持率がさらに一層低下してしまうかもしれない。将来の民主党代表に女性が就任することはあり得ないのだというメッセージを一度でも発してしまったら取り返しが付かなくなるのではないのか

 民主党が国民に期待されて政権与党になる可能性は全くゼロだとは言わないが、少なくとも現状から「四皮」か「五皮」ぐらいむける必要があると私は見ている。苦労して「四皮」か「五皮」ぐらいむいてみたら中身は空っぽということにだけは絶対にならないということを国民に信じてもらうためには党の将来性を説得力のある形でアピールしておく必要があるはずである。

日本の政治の最大の問題点は…

 このメールマガジンを有料化したり広告を入れたらどうかというご意見もいただいたが、おそらく有料化したらたちまち発行部数は激減してしまうだろうし、仮に激減しなかったとしても有料化や広告で採算が取れる可能性はかなり低いだろう。それが「現実」である。このメールマガジンの目的をなるべく簡潔に表現すると、できるだけ多くの日本の政治に多少なりとも興味を持っている人たちに対して誰にでもその時点で見えている以外の日本の政治の問題点、特に「同時代」という一歩引いた場所から見ることによって初めて分かる諸々の問題点を明らかにすると共にそれらの解決方法などを可能な限り時宜にかなうような形で示していくということになる。「現実」が「現実」のままであるならば、「目的」以外の余計なことはすべて無視して後先のことを考えずにあえて「目的」の達成に専念するという選択肢もあると私は考えている。

 現時点における日本の政治の最大の問題点は、ありとあらゆる場所で私利私欲にとらわれて無理矢理時計の針を逆に回そうと企んでいる政治家たち、それを手助けしたり黙認したりする人間が存在しているということであり、日本の政治を少しでもまともなものにしていくためには、そういう私利私欲にとらわれた政治家たちや彼らを手助けする人間を少しでも早く一人でも多く永田町周辺から追放することが必要だと考えている。もしも私利私欲にとらわれた政治家たちが怪奇映画の「ゾンビ」のようなものだったとしても、こちらも何度でも生き返り、彼らの首に鈴を付け、引導を渡してやろうと思っている。ボーカルの桜井和寿氏が病気で休養中のミスターチルドレン(Mr.Children)の「蘇生」のような格好の良い話ではないかもしれないが…。繰り返すが、私利私欲にとらわれた政治家たちや彼らを手助けする人間を少しでも早く一人でも多く永田町周辺から追放するためならば何度でも生き返って彼らの首に鈴を付け、そして引導を渡してやるつもりである。


これ以上の「悪知恵」は不要である(2002/7/27)

 歴史に残る異常な出来事ばかりが続いた通常国会も7/31で閉会する。参院厚生労働委で7/25に医療制度改革関連法案の「強行採決」が行われたことをきっかけに野党側が反発、例によって例のごとく否決されるだけの内閣不信任決議案などを提出して「与野党攻防」の茶番劇が繰り返される方向になっているようである。もしもハプニングで解散・総選挙になってしまったら野党の方が実は非常に困った状況に追い込まれてしまうのではないかと思うが、何にしても会期末恒例の内閣不信任決議案の採決で野党としての仕事をしっかりやったことにしておかないと安心できないという勘違いした野党議員たちが相変わらず非常に多いようである。

 確かに与党側が一方的に審議を打ち切ったことは誉められたことではないし、法案に反対する野党側の主張も分からないではないが、野党側が過激に反対した法案の採決だけが「強行採決」になっているという現実をもっと冷静に見つめるべきだと思う。委員長席に詰め寄って大声で抗議したり、委員長につかみかかったり、マイクを奪おうとしたりする議員たち、テレビカメラの前でもっともらしいことを言って自分たちの行動を正当化している野党幹部らが実は事件・事故の現場からのテレビの生中継に携帯電話片手に映っている野次馬たちと本質的に同じことをやっているということに気付かない限り日本の政治はまともなものにはなっていかないだろう。反対なら反対、徹底抗戦なら徹底抗戦でもっとまともなやり方がいくらでもあるはずである。

求められているのは「結果」

 世論調査で今年初めから一貫して下落を続けてきた小泉純一郎内閣の支持率がここにきて回復傾向を示しているという。「野党共闘」のようなバカなことを唱えるだけで何もまともなことはできない野党の現状を考えれば当然の結果なのかもしれない。今後も回復傾向が続くのかどうかは分からないが、小泉首相の改革が国民から積極的に評価されているわけではないことだけは間違いない。

 最近の小泉首相は特殊法人改革などで次々と積極的な方針を示したり、閣僚に構造改革につながる抜本的な制度・政策の改革案のとりまとめ (7/19)や天下り防止を目的にした幹部公務員の早期退職慣行の見直し(7/23)などを指示したりしている。ついでに少なくともキャリア官僚の採用については省庁別ではなくどこかに完全に一元化して省益よりも国益を優先する公務員を増やすようにするという指示とか、やはり国民から十分な理解が得られていないので住民基本台帳ネットワークシステムの8/5からの導入はドタキャンするという指示も出してもらいたいところである。小泉首相は以前よりもかなり読者が減ったであろうメールマガジンのメッセージの中で「今まで、当たり前と思われてきた制度や政策も、もう一度根本から見直していかなければ、構造改革につながりません」(小泉内閣メールマガジン 第56号 2002/07/25より)と書いているが、やるかやらないかの状態になっていてもいつまでもそのままになっているものも同時に確実に処理していかなければ構造改革は進まないはずである。何にしても小泉首相にはできるだけ早急に可能な限り多くの「結果」を出してもらいたいものである。当たり前の話だが、小泉首相に求められているのは「指示」でも「方針」でもなく「結果」なのである。念のために言っておくと、いかにも改革が順調に進んでいるかのように見せかける「悪知恵」でもない。早急に「結果」を出すためには柔軟で大胆な行動も必要になってくる。もう時間はあまり残されていないはずである。

 ちなみに話は全く変わるが、サッカーワールドカップ・日本-ロシア戦後に「感動しましたか?」と尋ねた選手が中田選手ではなく実は中山選手だったことに気付く(→小泉内閣メールマガジン 第54号 2002/07/11)という「結果」を小泉首相が出したことだけはまずは率直に評価しようと思っている。

「真紀子さん」らしい説得力のある行動を

 田中真紀子代議士の秘書給与疑惑が7/24に衆院政治倫理審査会で取り上げられ、テレビ各局で生中継もされた。田中代議士は疑惑を全面的に否定していたが、田中代議士の主張を裏付けて疑惑を解消する客観的な資料などが明らかにされることは全くなく、疑惑の解明とはほど遠い結果に終わった。それどころか元秘書らの「告発」が相次いで田中代議士はさらに一層苦しい立場に追い込まれている。私はもともと真相究明については強制調査権のない国会にあまり多くを期待していないが、政治家の監督責任、政治家本人の政治的、道義的、社会的な責任を追及する場としてはそれなりのことができるはずだと思っている。それにしてもまだ無視できない数の人たちが「真紀子さん」を断固支持しているらしいことには本当に驚かされる。こんな状況でもあえて「真紀子さんの味方」でいてくれる人たちのためにも田中代議士は「悪知恵」を使うのではなく、「真紀子さん」らしい説得力のある行動を取るべきではないのか。いつまでも説明責任を十分に果たそうとしなければどんどん状況は悪化していくだけである。自分で自分のスカートを踏んづけ続けているような田中代議士には今のところはそれ以上の言葉もそれ以下の言葉も私はあえて言おうとは思わない。

 ところで同じく秘書給与疑惑をうやむやにしたままの社民党の土井たか子党首が党首討論での持ち時間の短さ(約4分、ちなみに全体では約40分)に大いに不満を示した(7/17)という。もしもうやむやにされたままの社民党の秘書給与疑惑を一時的に忘れることができるのならば少しぐらいは同情できなくもないのだが、それでも残念ながら土井党首の主張には十分な説得力を感じることはできない。議席数とは無関係に毎回出席することを当然だと思っているからどんどんおかしなことになっていくのではないか。

 そもそも党首討論は予算委とは違って首相と「首相候補」による1対1の討論の場なのだから、どう意図的に時間をオーバーしようかなどと「悪知恵」を使う以外にも時間が短ければ短いなりにいろいろと質問の仕方を工夫できるはずだし、それに党首討論の持ち時間の貸し借りのような問題でこそ野党間で協力するべきだろう。出席を4回に1回にする代わりに1回当たりの持ち時間を約20分にするように調整することも不可能ではないはずである。もっとも党首討論がほぼ毎週行われなければ時間の貸し借りも上手くはできないわけだが…。もしも社民党(衆院議席数18、7/2現在)よりも議席数の少ない会派が党首討論に出席を求めてきて時間の短さに不満を示したとしたら同じように時間を延長するとでも言うのだろうか。もしも党首討論の時間を大幅に増やして仮に土井党首の1回当たりの持ち時間を約10分にするとしたら、そのときには主義・主張が完全にバラバラな民主党(同125、同)の「B代表」「C代表」「D代表」「E代表」「F代表」ぐらいまでもが同じように10分の時間を求めることにもなりかねないがその場合にはどうするのか。時間の短さには多少は同情するがやはりどこかで線を引かざるを得ないのである。

将来性のない致命的な人材不足の政党

 9月に行われる民主党代表選への立候補が予想される顔ぶれは主義・主張が完全にバラバラな民主党という政党の将来性のなさと致命的な人材不足の状態を実に良く表している。代表としてのオーラを発するのが苦手で人気がいまいちの現職の鳩山由紀夫代表、3年前の代表選でその鳩山代表に敗れて「鳩山以下」であることで既に決着済みであり、その後も「失点」ばかりを積み重ねてきた菅直人幹事長や横路孝弘代議士、あとは「ままごと」気分の若手が出るのか出ないのか…。

 3年前の代表選で鳩山代表に敗れてから今まで菅幹事長は加藤紘一前代議士を「加藤の乱」で「大将」にしたり、無理矢理口説き落とした大橋巨泉氏をあっという間に参議院議員から引退させた以外にいったいどんな「実績」を挙げてきたのだろうか。菅幹事長は今こそ足元をしっかりと見つめ直すべきである。彼の足元には使い捨てにされて腐ったりひからびたりしている「日本版・オリーブの木構想」とか「平成ニューディール計画」のようなその場しのぎの数々の「分かりやすい政策」、うっかり彼の口車に乗せられたばっかりに犠牲になった「屍」がまさに死屍累々の状態になっているはずである。

 3年前の代表選で鳩山代表に敗れてから今まで横路代議士はいったい何をやってきたのだろうか。念のために言っておくが、何度か造反を繰り返してもなんとか野党第一党にしがみつき続けることができたということは客観的には全く何の実績にもならない。横路代議士が今やるべきなのは代表選に立候補して日の当たる場所で「旧社会党のしっぽ」が付いた「未来」などをもっともらしく唱えることではなく、旧社会党のような政党を再興するためには民主党を飛び出す以外には方法がないということに気付くことである。

 鳩山代表は党の将来を考えて政調会長、政調会長代理、幹事長代理のような「要職」にもあえて若手を積極的に起用して経験を積ませてきたが、幸か不幸か現時点では鳩山代表を脅かすような器には成長していないようである。それどころかそれらの若手は近い将来に代表候補になりそうなオーラすらも発していないし、真面目に首相や代表を目指そうという気概にも欠けている。国会議員を10年ぐらいやらせてみれば将来の指導者候補としてさらに大臣経験などを積ませていくべき人物か、それともそう遠くない将来にしがらみのない若手と交代させるべき人物かという判断は十分に可能である。「若手代議士」でも当選3、4回になれば「ライン」から外れて淘汰されていく人物が出てくるはずである。

 こんなパッとしない顔ぶれしか出てこないのならば代表選をやる意味は最初から全くないし、むしろ民主党にとっては致命的なダメージを受けることにもなりかねない。永田町的な「談合」という禁じ手を使ってでも代表選を強引に中止した方がまだダメージは小さくなるのではないか。こんな状況で代表選をやる意味があると本気で思っているのは何度失敗しても「野党共闘」と称したバカげたことを唱えたり否決されるだけの内閣不信任決議案を提出しないと気が済まない勘違いした人間とか、自らの権力欲のために自己中心的な「コスタリカ方式」を導入したり無理矢理時計の針を逆に回そうと企んでいる幹部ぐらいのものだろう。これでは小泉純一郎内閣の支持率回復傾向をさらに一層加速することにもなりかねない。

サポーター制度は「国民の声」ではない

 念のために言っておくと、18歳以上なら誰でも1000円の登録料を払えば代表選に参加できるという民主党のサポーター制度は必ずしも国民の声を反映する制度ではない。サポーター制度は小泉純一郎総裁が誕生したときの自民党総裁選のような大多数の国民が高い関心を持っているような状況でない限り、労組などの特定団体に牛耳られて国民の声に反した結果を導き出す非常に危険な制度になってしまう。冷静に考えてみれば支持率10%程度がいいところの野党第一党・民主党にとっては「民主党を決して支持しないような人たち」こそが本当の意味での国民なのである。そういう当たり前のことを見失ってしまうと国民から見放されている怪文書依存体質の組織政党とほとんど同じような類の政党に成り下がってしまうだろう。そういう組織政党との違いは議員たちの主義・主張が見事なぐらいバラバラかどうかということと、自力で立派な党本部を新築することができるかどうかということぐらいしかなくなってしまうはずである。一部の政治家たちはサポーター制度が「国民の声」だと思い込んでいるようだが、民主党を決して支持しないような人たちを事実上排除しておいていったいどこが国民の声だというのだろうか。

 もしも代表選が仮に「代表」職の再就職や転職だったら書類審査をパスできるのはこのご時世ではおそらく「実績」があって「即戦力」と見なされる現職の鳩山代表ただ一人だけだろう。他の候補は「経験がないこと」や「退職の理由」で引っかかってたぶん書類審査で落とされるだろう。だったらいっそのこと「このまま鳩山由紀夫代表の下で場合によっては民主党をぶっ壊す覚悟で民主党を国民から期待される政党に変える努力を続けるか」それとも「この際、思い切って民主党をぶっ壊して国民から期待されるような政党を新たにゼロから作り直すか」をサポーターに投票で決めてもらうようにした方が労組のようなしがらみだらけ特定団体の人間以外の幅広い人たちが代表選に参加しようという気になるのではないか。労組のようなしがらみだらけ特定団体の人間はともかく、普通の国民はおカネを払ってまであえて「空くじ」を買おうとは思わないはずである。

これ以上の「悪知恵」は不要である

 民主党代表選では決定的な対立がある安保政策や憲法改正問題に加えて「路線問題」も争点にされるべきである。特に主義・主張が完全にバラバラで万一与党になったとしても何をやるにも「抵抗勢力」だらけになるであろう状態をさらに一層深刻にするだけの「野党共闘」などと称したバカげたことを今後も続けるのかどうかをハッキリさせなくてはならない。与党よりもずっとダメな政党をいくつか寄せ集めるだけでは決して魅力的にはなり得ないのになぜ与党に勝てるようになるのかが全く分からないと思っている国民の方が多数だからこそいつまでたっても政権交代が起きないのではないのか。

 菅幹事長は自民党に負けない「悪知恵」が必要だから小沢一郎自由党党首と組む必要があるなどと言ったらしい。政権交代に必要なのは「悪知恵」でないことは多くの国民はよく分かっているはずだし、それに「悪知恵」ならば菅幹事長にはあり余っているのではないかと思っている人たちも少なくないはずである。菅幹事長とは携帯電話で瞬時につながる間柄だったという加藤紘一前代議士が政治的に破滅していったとしても、熱心に口説き落とした大橋巨泉氏があっと言う間に辞めていったとしても、「野党共闘」の場を利用して親しげに接してきた辻元清美前代議士が秘書給与疑惑で辞めていったとしても、小泉内閣を揺さぶることができるとにらんで盛んにすり寄っていた田中真紀子代議士が秘書給与疑惑で政治生命の危機に陥ったとしても、菅幹事長だけは偶然にもずっと全くの「無傷」であり続け、それどころか最近はかつて「失脚」した代表の座を再び狙う余裕も出てきたらしいという現状を見れば、これ以上もうどんな「悪知恵」も必要ないのではないかと思っている人たちも少なくはないだろう。

 むしろ「実績」のある菅幹事長から見込まれてしまったことでこの約10年間立場は変わっても常に政局の中心人物であり続けた小沢党首もついに政治的に終わりが近くなってきたのだろうかと私はちょっと心配にもなってくる。自民党を下野させて政権交代を実現したり「自民党をぶっ壊す」ためには、「野党共闘」などというバカげた「悪知恵」よりも「実績」のある菅幹事長が単身自民党にすり寄っていく方がはるかに近道なのではないか。菅幹事長には旧民主党ができて間もない頃に与党でも野党でもない「ゆ党」としての貴重な経験もあるわけだから自民党にすり寄るというのも実はそう現実味のない話でもあるまい。

 繰り返すが、政権交代に必要なのは「悪知恵」ではないことは多くの国民はよく分かっているはずである。もしもそれでもどうしてもまだ「悪知恵」が必要だというのならばそれは国民のためではないことだけは間違いない。国民をも同時に欺きかねない「悪知恵」は不要である。お粗末な野党と無能な政治家たちばかりがはびこっているから与党がいくらダメでも政権交代は起こらず、日本の政治はいつまでもまともにならないのではないのか。


「政権交代」や「世代交代」は不要である(2002/7/7)

 日本と韓国が共同開催したサッカーのワールドカップはブラジルがドイツを破った6/30の横浜での決勝戦で幕を閉じた。日韓両国は共に決勝トーナメント進出を果たし、日本はトルコに敗れてベスト16で終わったが、韓国はイタリア、スペインを破ってベスト4まで進み、ドイツに敗れた後の3位決定戦ではトルコに敗れて4位になった。それにしても韓国-トルコ戦(6/29)の当日に多数の死傷者を出した韓国と北朝鮮の警備艇による銃撃戦が発生したのは残念だった。北朝鮮にどんな意図があるのかあるいはないのかはよく分からないが、引き続き日米韓の連携を保ちながら冷静かつ毅然とした態度を示すしかないだろう。もしかしたら逃げずに現実としっかり向き合わなくてはならない「太陽(包容)政策」の方が北朝鮮には「脅威」と感じるのかもしれない。何にしても日韓両国がワールドカップという素晴らしい出来事を間違いなく共有したという事実は歴史的に大きな意味を持つことになるはずだと私は考えている。

繰り越されている永田町の問題

 さて、繰り越されている永田町のいくつかの問題については今回もまた触れておかなくてはならない。

 あっせん収賄容疑で逮捕された代議士である鈴木宗男容疑者の逮捕直前のインタビューがテレビ各局で放送されたり、「言い分」が書かれた本が出版されたりしている。現在のところは「言い分」などについてコメントするつもりはないが、既存のマスコミにおける「言い分」の扱いについては触れなくてはならない。

 一般人よりもずっと大きな「情報発信力」を持った政治家であっても「まずは当人の言い分を聞く」のは当然などという主張があるが、その目的が「国民が真実を知るために」ということならばそれはそれで一つの考え方なのだろうと思う。ただし誰もが疑問に思うようなことに対する追及を非常に甘くしなければ「言い分」を聞くことができないわけではないし、たとえ「三分の理」があったとしても主張をほぼ一方的に展開させるだけならば国民は真実にたどり着くまでに「七分」ぐらいは強制的に遠回りさせられることになるはずである。テレビでは当人の正体が見えるなどというのはテレビの人間の救いようのない幻想である。たとえどんなに感覚が鋭い人間であっても面と向かって相手を観察しながら聞いているだけでは言っていることの真偽を正確に判断することはまず不可能である。テレビは魔法の箱ではない。

 本人が辞職する気が全くないので鈴木宗男代議士に対する議員辞職勧告決議は「トカゲの尻尾切り」以外の意味はなかったようである。だが、議員辞職勧告決議の採決に非常に熱心だった某野党幹部らの責任を追及する動きは与党にも野党にも見られないし、その某野党幹部らが責任を持って議員辞職勧告決議を受けた場合の正しい行動の「見本」を自ら示そうなどというような動きも全く見られない。これもまた永田町周辺ではいかにその場しのぎの無責任な行動がまかり通っているかが良く表れている一つの実例なのではないか。

 自民党の党員資格が停止されて無所属になった田中真紀子代議士の秘書給与疑惑がいよいよ国会で取り上げられる方向になっているようである。テレビカメラも記者たちも入れた国会という最も公の場所で田中代議士は目の前の憎たらしい自民党の議員たちとか、山崎拓自民党幹事長の女性スキャンダルなどを追及して味方をしてくれると思っていたのに手のひらを返したように突然厳しく田中代議士を追及するポーズを示している某野党幹部をはじめとする野党議員たちではなく、国民に向けて説得力のある説明をすべきである。そうしなければ何も始まらないし何も終わらない。ちなみに土井たか子党首の社民党の秘書給与疑惑のほとぼりは冷めたのかどうかはよく分からないが、もしも「番記者」たちが忘れてしまったとしても、私はまだ忘れていないとだけ付け加えておくことにする。

 政府は、個人情報保護関連法案の行方にかわらず、国民すべてに11ケタの番号を付ける住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)を予定通り8/5から稼働させる方針だという。改正住民基本台帳法が成立した小渕恵三内閣時の説明では個人情報のための法整備が前提であったはずだと私は認識しているので「見切り発車」には反対である(→参考:2002/4/21(2)号)。ただし住基ネットの反対運動などとは明確に一線を画す。動機や手法などを一切問わずに反対の一点でまとまるなどという発想には全くついていけないからである。ちなみに「メディア規制3法案」に対する反対運動とか、与党に反対という一点だけで主義・主張や動機の違い、怪文書依存体質の有無なども一切問わずにまとまろうなどという「野党共闘」と称したデタラメな数合わせを否定的に捉えてきたのも全く同じ理由である。「反対の一点でまとまる」などという発想に胡散臭さを感じない人間の方が本当に少数なのだろうか。

小泉純一郎首相でいいじゃないか

 自民党の事前承認を得ずに国会に提出した郵政関連法案が一部修正の上、7/9にも衆院を通過する見込みになり、今国会で成立する見通しが出てきたようである。郵政民営化に異常なほど熱心な総理大臣の内閣ならば郵便事業への民間参入が進む可能性がある法案なのかもしれないが、郵政民営化に断固反対の内閣ではどうなるのかは疑問な法案だとだけコメントしておくことにする。郵政民営化の一里塚なのかどうかだけではなく、1000里の道の一里塚なのか、100000里の道の一里塚なのかも小泉首相の改革後の将来像があまりにも不明確なので分からないが、冷静になってふと周囲を見回してみると、郵貯や簡保に限らず、他にもたくさんやらなければいけない改革が手付かずで残されていることだけは間違いない。

 小泉首相の改革が後退しているとか全く進んでいないとまでは言わないが、本当にこんなペースで大丈夫なのかと不安で不安でたまらなくなっている国民の数はどんどん増えているようである。しかし永田町周辺の現状を見れば見るほど、小泉首相を代えたとしても代えなかったとしても、政権交代が起こったとしても起こらなかったとしても、結局はきっと似たような状態になるのだろうという嫌な予感がしている国民も多いのかもしれない。だいたい与党を見回しても、野党を見回しても、念のために「地方」を見回しても、いったいどこに「ポスト小泉」がいると言うのだろうか。仮に「ポスト小泉」がいるとしても、その人がこれから日本をどのような国にしていくかということなどを示し、その人と目標を共有してその実現に全力を挙げる政治家だけの勢力が過半数かそれに近い議席数を占めることがあると言うのだろうか。そんな可能性は現時点ではほぼ0%に近いだろう。たとえどんなに国民の期待を多く集めてもそれだけではほとんど何も変えることができないということは最近だけでも国民は何度も何度も痛い思いをしながら学んでいることのはずである。学習していないのは永田町周辺の勘違いした一部の人間だけである。

 ちなみに7/5に知事に対する不信任決議が可決された長野県での田中康夫知事と県議会の対立も、県知事選をやっても、県議会選をやっても、あるいはその両方をやっても、結局は「田中知事と目標を共有してその実現にまい進する勢力」が県議会内で無視できない数になるか、あるいは「県議会多数派と目標を共有する県知事」が誕生しない限り、今とほとんど同じ状態のまま何も変わらないだろう。だからと言っても選挙をやっても全くの無駄とまでは言わないが…。

 話はちょっとずれるが、トルシエ前監督に代わるサッカー日本代表監督にジーコ氏が就任する方向になっているそうである。監督と多くの人たちが目指すサッカーの方向性や目標を共有し、監督が十分に力を発揮できる態勢が用意され、そして目標に向かって進んでいる以上は支持した人たちが最後まで責任を持って支え続けるということがない限り、どんなに日本のサッカーの事情を理解している有能な素晴らしい監督であっても客観的に高く評価される結果を出すことなどまず不可能であるということをここでしっかりと確認しておく必要がある。政治でもサッカーでも実は指導者の「マジック」だけではどうにもならないのである。

 小泉首相よりも国民の期待を集める政治家が出てきたとしてもその期待に応えられないのならば見かけ上はまだましに見えても結局は何も変わらないはずである。だったらこのまま小泉純一郎首相でいいじゃないか。いったい何が悪いと言うのだろうか。「いや…」と反論するのならば十分な説得力が必要である。

鳩山由紀夫代表でいいじゃないか

 代表としてのオーラを発するのが不得意な民主党の鳩山由紀夫代表はこのまま解散・総選挙に追い込むことができずに9月の代表選までに「失脚」していくことはほぼ確実だと見られている。だが、現時点では民主党内には魅力的な後継候補は全く見当たらない。そういう現状と関係があるのかどうかは分からないが、民主党内には代表よりも「チーム」としての魅力をアピールすべきだという主張が根強くあるようである。私には「チーム」の方がずっと説得力がないように思える。「チーム」として十分に機能しないような主義・主張が完全にバラバラな体質を全く改めないどころか、逆に「野党共闘」などというデタラメな数合わせをやっておいて、いったいどこにどんな「チーム」としての魅力があるのか。民主党の政治家たちは代表の地位だけではなく野党第一党としての地位も危ういという現状にそろそろ気付くべきではないのか。まるで旧新進党のようだが…。

 民主党の若手の一部が若手の中から鳩山代表らの世代に代わる代表候補を擁立しようとしているようだが、もしも「ままごと」気分で「世代交代」を唱えているのならば、若手にとっては存在感をアピールする意味はあるのかもしれないが、国民にとっては全く何の意味もない。代表選は参加することに意義があるらしいオリンピックのようなものではないはずである。擁立する以上はキャラクターと政策が違う複数の魅力的な若手候補同士で本気で競い合って「勝利」と共に「上位独占」をも真剣に目指さなくてはならない。そうすることによって初めて能力主義に基づいた真の意味での「世代交代」を実現することができるはずである。

 「お世話」をした覚えなど全くないのに「選挙中お世話になり、ありがとうございました」と誰かの手書きで書かれた「民主党代表 菅直人」の名刺付きの政策資料集を陣営の若者からもらった99年9月の民主党代表選投票日前日の都内での街頭演説で菅直人代表(当時、現幹事長)は「鳩山(由紀夫・現代表)さんが代表になられても、横路(孝弘代議士)さんが代表になられても、私はその中で、またお前はキャッチャーをやれ、レフトをやれ、球拾いをやれ…。どういう役目でも一緒になってやっていく、そういう覚悟でいることをまずもってみなさんに申し上げたいと思います」などと言っていたことを思い出す。最近も相変わらず格好良く何かを言っているようだが、菅幹事長がこの3年間にいったい何をやってきたのかをきちんと検証する必要は本当にないのだろうか。どのポジションをやっていたのかはよく分からないが、「代表気分」で何かをやって無意味に「試合」を止めて結局は足元の球拾いも満足にできなかったということだけは間違いないと私は見ている。今はあえて必要以上に細かいことにまでは触れないが、加藤紘一前代議士による「加藤の乱」での対応、突然立候補が決まってあっという間に参議院議員を辞めていった大橋巨泉氏の問題、「論客」として唱えてきた数々の主張には本当に説得力があるのかということなど実にいろいろと検証すべきことがあるはずだと私は見ている。

 忘れた頃に「旧社会党祭り」を突然始めたり、代表選を「旧社会党の委員長選挙」かなんかといまだに勘違いし続けている時代から完全に取り残されたごく一部の政治家たちには本当に呆れるばかりである。社民党、あるいは自分たちと同じように時代から完全に取り残された「怪文書依存体質の組織政党」との合流を目指すかどうかはともかくとしても、いいかげんに党の外に出て自らの主張が「野党第一党」の肩書きなしにどれだけの支持を集めることができるかを確認してみた方が本人たちのためにも国民のためにもなるはずだと私は思っている。

 「格下げ」してみたら「球拾い」すらも満足にできないことが分かったもう既に若くなくなっている人とか、「ままごと」気分の若者とか、「旧社会党のしっぽ」が付いていることがセールスポイントの人しか代表候補として名乗りを上げないのならば野党第一党・民主党の人材不足は致命的である。だったら鳩山由紀夫代表でいいじゃないか。どうせ「政権交代」もまず起こらないわけだから、ほとんどの国民には代えてもいったい何が良くなるのかが分からない人に代えるくらいならば、このまま鳩山由紀夫代表でいいじゃないか。いったい何が悪いと言うのだろうか。「いや…」と反論するのならば十分な説得力が必要である。

「政権交代」や「世代交代」は不要である

 別に私は小泉純一郎首相や鳩山由紀夫代表を擁護するつもりもないし、「で」などと言ってもバカにしているつもりもないが、今の日本の政治の閉塞状況を本気で打破するつもりがあるのならば、「小泉純一郎首相でいいじゃないか」、「鳩山由紀夫代表でいいじゃないか」と口にするところから始めなくてはいけないのではないか。そして「球拾い」も満足にできないほど権力欲で足元が見えなくなっている勘違いした政治家たちに今の自分は「裸の王様」だと気付かせ、完全な能力主義に基づいて永田町周辺から追放しない限り、日本の政治は墜ちるところまで墜ちてもなお大きく変化することは期待できないだろう。「小泉>ポスト小泉」「鳩山>ポスト鳩山」という構図が誰の目にも明らかな形で変化し、同時に改革の断行を保証できる態勢が伴わない限り、「政権交代」とか「世代交代」が仮に起こったとしても本質的には何も変わらず、国民には全く何の利益にもならないはずである。能力主義に基づいた政党や政治家の陶太は必要だが、単なる「政権交代」や「世代交代」は不要である。


誰にでも輝いている時期はあった?(2002/6/22)

 永田町とは正反対に多くの国民を熱中・感動させているサッカーのワールドカップでは、日本代表は初の決勝トーナメント進出を果たしたが、残念ながら初戦で敗退してベスト16に終わった。共同開催国の韓国はベスト8に進出している(→6/22にスペインと対戦予定)。まだしばらくの間はワールドカップ人気になんとか便乗しようとする胡散臭い政治家たち、便乗しないまでも国会質問や演説などのネタに好んで使いたがる勘違いした政治家たちにうんざりさせられることになるのだろう。日本では「今年は大きな選挙のない年」で本当に良かったと私は心から思っている。フェイスペインティングにユニフォーム姿などで選挙運動をやられたらたまったものではなかった。

 経済が良くならないと「補正予算、雇用対策、デフレ対策だ」「こんなときに負担増にするのは反対だ」などと、不祥事が明らかになれば何でもかんでもすぐに「許し難いことだから責任を取って辞めろ」などと、亡命事件が発生すれば「人道上の問題」だし「かわいそう」だからとにかく助けろなどと…、日本は「対症療法」「その場しのぎ」をいつまでも繰り返さなくてはならないある種の危険な「ファシズム」に覆われつつあるかのようである。特に永田町周辺は筆舌に尽くしがたいほどひどい状態である。続発する不祥事などに的確に対応できず改革も足踏み状態を続けたままの政府・与党にも、批判はしても結局は「野党共闘」や審議拒否などの愚かなことしかできず「廃案に追い込む」「解散・総選挙に追い込む」などと国民を何度も何度も欺き続けるだけの野党にも、与党と野党が引き起こす無意味な騒動をあたかも大きな意味があるかのように伝える低レベルなマスコミにも、どうやら「その場しのぎ」以外のことをやろうという気がないらしい。これでは国民は長い目で見ればさらにいっそうひどい状態に追い込まれていくだけではないのか。

「勧告」ではなく「辞職」が最優先課題のはず

 6/19、衆院本会議で鈴木宗男代議士の逮捕許諾が全会一致で議決され、同日夕に東京地検特捜部は「やまりん」側から請託を受けて500万円を受け取って林野庁に不正な働きかけをしたというあっせん収賄容疑で鈴木宗男代議士を逮捕した(→なお6/18午前の衆院議運委では鈴木代議士が弁明、容疑を否定)。逮捕を受けて6/21には衆院本会議で鈴木宗男代議士に対する議員辞職勧告決議案が全会一致で可決された(→反対者が退席するなどの形での全会一致)。一連の鈴木宗男代議士をめぐる問題はものすごい「牛歩」になっているという感想を持っているが、現時点では事件や疑惑の詳細には触れないことにする。ただし議員辞職問題についてだけはあえて触れておきたい。

 くどいようだが、たとえ圧倒的な多数で可決されたとしても議員辞職勧告決議には法的な拘束力は全くなく、本人があくまでも辞職しなければそれでお終いである。辞職勧告決議に「弊害」があるのかどうかはまだよく分からないが、とにかく可決してしまったのならばそれはそれで結構である。そんなことよりも衆議院は捜査が一段落した段階で代議士である鈴木宗男容疑者に対する再度の証人喚問や参考人招致などを行う可能性を真剣に検討すべきではないのか。「しばらく国会に登院することすらもできず、しかもこれからも登院できる見込みがないのにあえて国会議員であり続けること」について国会の中で同僚の国会議員から多くの国民にも納得できる説明を繰り返し求められるだけならば証拠隠滅や逃亡などのおそれも全くないので不可能ではないはずだと私は考えている。証人喚問などを通じて議員辞職を説得することもできるし、さらにもしもそのときの国会での証言などに重大な問題が出てくれば院内の問題として除名を含めた処分も可能になるはずである。念のために言っておくと、現時点でも自民党には同党の純粋比例代表候補として当選した代議士である鈴木宗男容疑者に対して議席の「返還」を求めて辞職を説得する責任がそのまま残されている。議員辞職勧告で一段落ではなく、相変わらず議員辞職が最優先の課題として残されたままではないのか。

 代議士である鈴木宗男容疑者が絡む一連の疑惑などで明らかになった問題点のすべてを解消すべきだが、最優先の課題とか、たとえ不十分であっても着実に一歩でも進めた方がましという原則などを見失ってしまったら全く何にもならないはずである。今のところは与党も野党も本音ではいつもの「その場しのぎ」以上のことをあえてやろうとは考えていないようである。本当に呆れてしまうがこれが日本の政治の実態である。

改革が進まない理由は?

 小泉純一郎首相の改革は進んでいないと感じる国民がさらに増えているようである。全く改革が進んでいないとか後退したとまでは言わないが、少なくとも最近はずっと足踏み状態を続けていると私は見ている。 (1)小泉首相の方針に公然と反旗を翻してまるで断固反対の野党のようになっている自民党内の「抵抗勢力」をいつまでもそのままにして一緒にやり続けていること、(2)政府・与党が完全に一体化していないなど制度上も運用上も小泉首相が改革を迅速に進めていく態勢が十分に整っていないこと、(3)改革を実現するための戦略、具体的な法案の内容や審議日程を含めた改革に至るまでの過程、改革後の将来像があまりにも不明確であること、の3点が小泉首相の改革がなかなか進まない主な理由であると私は考えている。この中から一つだけ最優先で解消すべきものを選ぶとするならば、「抵抗勢力」といつまでも一緒にやり続けているということを選ぶことになる。少なくとも「抵抗勢力」さえ存在しなければ、引き続き与党が衆参両院で過半数を占めている限り、政府・与党が完全に一体化していなくても、戦略や過程が不明確でも、「法案処理」まではなんとか進むはずだからである。支持率が低下し続ける中、改革を加速していくためには小泉首相を積極的に支持する味方を増やすことも重要かもしれないが、「どういう人間とだけは絶対に一緒にやれないのか」ということをあえてハッキリさせることも重要なことのはずである。

 小泉首相の「改革は着実に進んでいる」とか「改革には時間がかかる」などという言葉を安易に受け入れることはできなくなっているが、「改革の決意は全く変わらない」などという言葉はもう少しだけ「正しい日本語」として受け入れることにしようと思っている。いや、正確に言うととりあえずは国民にそれ以外の選択肢はないのだろう。もしも小泉首相が内閣改造や党の人事などを改革を加速するための態勢強化の手段としてではなく、「その場しのぎ」で「抵抗勢力」をなくすためのカードとして使ったり、党の執行部や部会に事実上の「治外法権」を与えたままにしたり、あるいは法案成立のために信念を捨ててまで妥協するのならば、その時点で「結果」はほぼ見えてしまう。道路関係4公団民営化推進委(6/21)は捨て身の決意で人選したらしいが、何にしてももう少しすれば誰の目にも小泉首相の改革の行方がなんとなくぐらいは見えてくるだろう。

若くてしがらみがなければそれでいいのか?

 小泉内閣の支持率がいくら低下し続けても、政府・与党の「失政」がいくら続いても多くの国民が野党の政治家たちに期待する気配すらも全く感じられない。それどころか「野党共闘」とか審議拒否などという愚かなことをやるとかやらないということで野党各党間どころか野党第一党内でも政府・与党よりもずっとひどい「司令塔不在」ぶりをさらけ出している。「野党共闘」とか審議拒否戦術などは意味のない愚かなことだということにようやく気付き始めた政治家たちが増えてきてもまだ少数派にとどまっているということにも呆れてしまう。

 野党幹部の中にはサッカー日本代表の活躍に無理矢理こじつけて野党にもこの4年間で官僚に負けない能力を持って経験を積み重ねてきた若手が増えたなどと若手に便乗しようと企んでいる図々しい人間がいるようである。確かに若くてしがらみのない優秀な人材は野党にもいるだろうが、野党の若手のすべてがそうだというわけではないし、若くてしがらみがなければそれでいいというわけでもない。そしてもしも政治家としての能力を「特定の専門分野では官僚に負けない」ということだけで定義しているのならば、将来しがらみだらけになって「族議員」になってしまう危険性を否定できないではないか。専門知識などはないよりもあった方がいいが、そういうことと政治家としての能力とか指導者として適格かということとは全く別の話である。さらに言えば、もしもしがらみだらけになってしまわないとしても優秀な若手がそう遠くない将来に「野党共闘」とか審議拒否戦術などにうんざりして、例えば自民党という「中途採用システムだけは非常にしっかりした組織」に次々と「移籍」してしまう可能性も否定できないではないか。あえて「採用実績」を調べてみなくても自民党内では「出戻り組」や「中途採用組」が一大勢力になっていることは多くの国民も気付いているはずである。そもそも野党には若くてしがらみのない優秀な政治家たちよりも、私利私欲にとらわれたしがらみだらけの政治家たちの方がずっと多くいるのではないか。そんな状態ではいくら与党がダメでも国民が野党に期待するわけがない。

誰にでも輝いている時期はあった?

 実はほとんどの大物政治家たちには初当選の頃まで遡らなくても一度や二度ぐらいは若手にも負けないくらい輝いている時期があったのではないか。

 もうすぐ「失脚」することが確実視されている鳩山由紀夫民主党代表にももちろん非常に輝いていた時期があった。1996年に旧民主党を結成した際、結局は腰砕けに終わったものの、一時は「排除の論理」を唱えてすべてのしがらみを断ち切ろうという強い決意を示したり、某元首相から「ソフトクリーム」と言われるなど、当時は一緒に行動していた弟の鳩山邦夫衆院議運委員長(自民)の方が「兄」に見えるほど実にフレッシュな存在だった。今となっては「失脚」するときにできるだけ多くの私利私欲にとらわれたしがらみだらけの政治家たちを巻き添えにするぐらいしか輝いて見えるであろう瞬間が思い浮かばないというのも時の流れを感じさせるが…。

 小沢一郎自由党党首も1993年に自民党をぶっ壊して一時は下野させたときには本当に輝いていた。もちろん御輿として担がれた細川護煕元首相、羽田孜元首相も一緒に輝いて見えた。そして小沢党首は今に至るまでの約10年間、ポジションは変わってもずっと政局の中心人物であり続けてきた。ときには政権交代を伴わずに野党と与党の間を行ったり来たりしたこともあったがそれはきっと政策実現のためだったのだろう。そういう政治センスがある小沢党首は「その場しのぎ」の「野党共闘」には全く意味がないということや、もう時代がすっかり変わってしまったということを内心ではよく分かっているはずだと思うのだが…。

 衆議院議長まで務めた経験のある土井たか子社民党党首も旧社会党時代に「マドンナブーム」などというものを起こしたときにはそういうものを歓迎した人たちには非常に輝いて見えたのだろうと思う。土井党首の求心力は今も党内では低下していないようである。議長から戻ってみたら党の名前も変わっていつの間にか自民党と連立与党になっており、しばらく与党にいた後にまた野党に戻ったという貴重な経験がある土井党首ならば、たとえ辻元清美前代議士の秘書給与疑惑をきっかけに浮上した社民党の秘書疑惑のほとぼりが冷めたとしても、そろそろ崖っぷち以外の新しい確かな道を見つけなくては同党の将来が全く見えないということはよく分かっているはずだと思うのだが…。

 田中真紀子代議士も外務大臣時代に外務省の機密費問題で「すべてをオープンにすべき」などと言っていたときは今まで政治にほとんど関心のなかった人たちを含めた非常に多くの人たちにとっては本当に輝いていたのだろうと思う。2年間の党員資格停止という自民党の党紀委員会の処分(6/20)が重いものなのかどうかはよく分からないが、国民には決して見えないところで非常に難解な文書を提出し、時間が経てば経つほどなぜか問題がどんどん複雑になっていくという田中代議士の秘書給与疑惑への対応が国民の目から見れば「真紀子さん」らしくないことだけは間違いない。そろそろ多くの国民も田中代議士の言っていた「外務省改革」もきっとこんな感じだったのだろうかと思い始めているのではないだろうか。テレビカメラの威力をよく知っていて、しかも記者たちの前で雄弁に語るのが似合っている田中代議士のことだからいつまでも自らの秘書給与疑惑について国民にきちんとした説明をせずにごまかすことはできないということぐらいは分かっていると思うのだが…。念のために言っておくと、ひいきして弁護してくれるキャスターの番組で一方的に好き勝手なことを言っても国民に説明したことには全くならない。国会での参考人質疑や証人喚問、あるいはカメラと記者たちに埋め尽くされた会見場で田中代議士が国民に分かりやすい説明をしてくれるのを多くの国民は首を長くして待っているのではないか。

 その他にも永田町にはかつて輝いていたかどうかも定かではないまだ国会議員をやっていたのかと驚いてしまうような政治家たちもかなり残っているし、本来ならば「失脚」すべきところを「格下げ」でごまかしてその後も勘違いを続けている某野党幹部など私利私欲にとらわれたしがらみだらけの政治家たちも実にたくさんいる。様々な理由で永田町から追放されるべき政治家たちは真の意味での国民の知る権利が保障されて民主主義が正常に機能しさえすれば自然に淘汰されていくはずだと私は確信している。そのためには基本的には彼らが歩んできた道をたどって彼らのやってきたことの持つ客観的な意味を明らかにしながら彼らのあるがままの姿を国民に包み隠さずにそのまま示すだけでいい。何年か前の映像の中でもっともらしく「その場しのぎ」のことを言ったりやったりしている胡散臭い人間も、目の前の鏡に映っている権力欲で足元が見えなくなっている醜い「裸の王様」も間違いなく自分自身だと気付いて大人しく自ら引退するような政治家ばかりではないからすべてを淘汰するのはなかなか難しいのかもしれない。いずれにしてもそういう後ろ向きの作業に残された余力のほぼすべてを費やさざるを得ないことは実に残念なことである。


国民を絶対に「巨泉」や「大将」にしてはならない(2002/6/10)

 日本と韓国が共同開催するサッカーのワールドカップ期間中である。悪い予感が的中してしまったチケット問題は別としても、6/4にはベルギーと2-2で引き分け、6/9にはロシアに1-0で勝利した日本代表の活躍を含めて連日ワールドカップは多くの国民を夢中にさせたり感動させたりし続けている。これとは対照的に永田町周辺には国民を失望させる出来事ばかりがあふれかえっている。前回から約3週間が経過したが、相変わらず永田町周辺は緊急事態のままであり、状況はさらに深刻になっていくばかりである。

 意図的にやっているのかそれとも無意識のうちにやっているのかはよく分からないが、永田町周辺では大騒ぎするだけ大騒ぎして必要以上に問題を複雑にしたあげくに本質的な部分は全く何も明らかにできないままいつの間にかうやむやにしてしまうということが何度も何度も繰り返されてきている。今年になってからだけでも何度そういうことが繰り返されてきたのだろうか。次から次へと疑惑を浮上させて不手際を繰り返す政府・与党に最も大きな責任があることは間違いないが、国民のためではなく自分たちの私利私欲のために政府・与党のスキャンダルをネタにして徹底追及する「総会屋」とか政権の明け渡しをしつこく要求する「地上げ屋」と呼んだ方がいいかもしれない勘違いした無能な野党の政治家たち、そういう状況を黙認する国民の知る権利に十分に応える能力のない低レベルなマスコミにも本当に辟易とさせられている。このままでは国民はいつまでもどこまでもひどい目に遭わされ続けることになってしまう。

「事実上の大誤報」ではないのか?

 「政府首脳」こと福田康夫官房長官による非核三原則の将来の見直しに言及したとされる報道(5/31)の波紋や防衛庁が情報公開請求をした人たちの個人情報リストを不正に作成していたことが明らかに(5/28)なったこともあり、会期が延長されたとしても重要法案のうち個人情報保護関連法案と有事(法制)関連法案は今国会中に成立させることが非常に困難な情勢になっている。ちなみに廃案にするか継続審議にするかなどということは政府・与党と野党のメンツの問題にすぎないからさして重要な話ではないと私は考えている。いずれにしても今国会で個人情報保護関連法案と有事(法制)関連法案の内容には数々の重大な問題点があることが明白になったわけだから仮に不祥事などのほとぼりが冷めたとしても事実上の新法案の提出に等しい大幅な内容の修正を行わない限りこれらの法案を成立させることは非常に難しくなったということだけは間違いないと私は見ている。

 それにしても安倍晋三官房副長官の発言を受けてという特殊な事情はあったとしても福田官房長官の「非核三原則発言」はやはり不用意で軽率な発言だったと言わざるを得ないし、同時に発言をめぐる既存のマスコミの対応はあまりにもお粗末だったと言わざるを得ない。オフレコ懇談であれ何であれ国民に明らかにする必要がある政治家の発言はたとえ約束違反と言われようとも絶対に報道すべきだと私は考えているが、発言の真意とかその持つ意味というものは慎重にそして十二分に検討する必要があるはずである。この場合には「もしも将来国民の中で核兵器を持つべきだという意見が多数になったとしたらそのときに『政府首脳』はいったいどうしようと考えているのか」という核心中の核心の部分がどういうわけか初期の段階では一部の通信社に限らず多くの既存のマスコミで十分に検討された形跡がない。「非核三原則発言」が不適切な発言であることに変わりはないとしても、発言の核心部分が曖昧なままではなかったらこんな形で大きな波紋が広がっていたかどうかは非常に疑わしい。少なくとも日本国民も、「政府首脳」らも、誰もが核兵器を持とうなどとは全く考えていなかったという意味においては「事実上の大誤報」であったとさえ言える。意図的であろうとなかろうと、もしも発言の核心部分を曖昧にしたままセンセーショナルに伝え、発言に対する各方面の反応を取材するという形で波紋を広げることに貢献したと客観的に判断されるようなメディアがあるとしたらそのようなメディアこそが国民の知る権利を不当に制限しているのではないのか。

「記者クラブ」「番記者」などはいったい何のためにあるのか?

 既存のマスコミは政治家たちがちょっと何かを言ったりやったりしただけであたかもニュースであるかのように報じる傾向がある。しかしどういうわけか政治家たちが嫌がれば国民の知る権利を不当に制限してまであえてタブーにする傾向も全くないとは言えない。いわゆる大物政治家の場合にはそういう傾向が一層強くなる。政治家たちの言葉にどれだけ説得力があるのかということをきちんと明らかにすることなしに国民の知る権利に十分に応えることなど絶対に不可能である。

 「記者クラブ」「番記者」などというものはいったい何のために存在しているのだろうか? 政治家特有の微妙な表現を一つも誤解することなしに完璧に理解するための非常に高度で特殊な能力や専門的な知識までは要求されていないと思うが、ほぼ毎日そばにいるので他の記者たちや一般国民がその政治家たちから直接話を聞くよりもずっと誤解が少なく、しかもごまかされずに可能な限り早く真実に到達できると期待されているからなのだろうし、さらに、いつも近くにいるのが当たり前だからこそ政治家に何か都合が悪いことがあるときでもそう簡単に逃げられたりごまかされたりはしないはずだと期待されているからではないのか。

 相変わらず自民党の田中真紀子代議士、そして土井たか子党首の社民党の秘書給与疑惑は未解決のままである。「番記者」たちは国民の知る権利に十分に応えるためにも、機密費疑惑などでは「すべてをオープンにすべき」と言っていたような気がする田中代議士に「どうして真っ先に国民に対して客観的な資料を示しながら釈明しないのですか?」などと納得のできる答えが出てくるまで何度でも繰り返し質問したり、「冷戦時でもないのになぜ今、有事法制なのか」などと言っていたような気がする社民党の土井たか子党首が何かを主張しようとする場合には「有事法制は社民党の秘書給与疑惑を覆い隠すためではないことだけは間違いないという指摘がありますが、もうすっかり秘書給与疑惑のほとぼりは冷めたとお考えですか?」などと毎回必ず聞いてみるべきではないのか。そういうことをきちんと質問しないような「番記者」たちばかりだと「ヤジ馬」や「ストーカー」と記者がどう違うのか非常に分かりにくいという指摘に反論するのが難しくなる。

 ちなみに法的拘束力のない議員辞職勧告決議案がどうしたなどということはほとんど意味のないどうでもいいことだが、鈴木宗男代議士の再度の証人喚問などの問題についてはそう簡単にうやむやにすることを許してはいけない。

本当に説得力があるのか? 国民は信じてもいいのか?

 疑惑や不祥事ばかりが飛び出してくる政府・与党の信頼感が大きく低下していることは間違いないが、野党の政治家たちの自分勝手な主張にも非常に説得力が乏しいこともまた事実である。政府・与党がダメだということ、今の野党が与党になることができるということ、そして今の野党が国民の期待を裏切らないということはそれぞれ全く別のことであるということを見失ってしまうと非常におかしなことになってしまう。

 野党の政治家たちの主張には本当に説得力があるのだろうか? そして国民は信じてもいいのだろうか? 国民の知る権利に十分に応えるためには検証しなければならないことは山ほどある。特に政府・与党には非常に厳しく自分たちには甘いという「二重基準」がどこまで根深く深刻なものであるのか、彼らの言動がどれだけ自分たちの利益のためではない純粋な動機に基づいているのか、などといったことは最低でも明らかにしておく必要がある。

 もっとも、このまま解散・総選挙に追い込むことなどできずに「失脚」する可能性が非常に高くなっているという状況の中で鳩山由紀夫民主党代表がどんな立派なことを言ったとしても、あるいは、彼らの誘いにうっかり乗ってしまったり彼らと関係が密接になってしまったばっかりに大橋巨泉氏や加藤紘一氏のような人たちが偶然にも例外なく次々と政治的に破滅していったという客観的な状況の中で菅直人民主党幹事長らが政府・与党には非常に厳しく自分たちには甘いという「二重基準」を採用してどんなにもっともらしいことを言ったとしても、あるいは、「野党共闘」などということが何度も何度も繰り返し失敗に終わっているという客観的な状況の中で自由党の小沢一郎党首らが「自民党に代わる受け皿」が必要だといくら強く訴えたとしても、おそらく多くの国民はそれだけではほとんど説得力を感じないのかもしれないが…。

あの人は今

 今から約4年前には当時の橋本龍太郎内閣の改革のスピードが遅いと批判して「私、最近思うのは、スピードの問題が非常にあるんですよ。つまり、いいことでも、ゆっくりやったら実はいいことでない場合もある。一生懸命前に歩いている、歩いているといっても、地球の回転よりも遅いスピードで歩いていれば、結局は、トータルとしては、総体的には後退しているということなんですよ」などと自然法則と敵対してまで「分かりやすい」形で国民にアピールしようとするかのような野党党首(当時)がいたものである (→98/05/14の衆院緊急経済対策特別委議事録より。ちなみに地球よりも遅いスピードだと後退してしまうかどうかは最も極端なスピードゼロの状態、つまり立ち止まっている状態で足元を見てみれば誰にでもすぐに分かるはず。どんなに遅く進んでも「地球」に対して「その人」が「相対的」に後退することなどあり得ないし、「地球」も「その人」も共に進んでいるから「総体的(?)」にも後退しないはず)。その野党党首(当時)が国民を信じ込ませるためにまさか自然法則までねじ曲げようとしていたのか、それとも日本の理科教育が実はかなり以前から深刻な状態にあったのかはあえて確認していないし、野党党首(当時)がその後どうなって今どこで何をやっているのかもあえて確認していない。

 政治家や民間の側の問題は棚に上げて「官僚主導」「官僚支配」とやらを諸悪の根源として国民にアピールしようとする「某野党幹部」とか、「細川政権を短期間でつぶしたという反省を共有していれば問題はない」などと自分たちの失敗には非常に寛容であるにもかかわらず政府・与党には「失政」の反省を共有することも許さずにすぐに退陣を求めるという自分勝手な論理を唱える「某野党幹部」とか、仮に「自虐主義罪」などという罪があるのならば確かにその罪では「無罪」になるかもしれないが予想通り騒ぎを大きくしても日本総領事館の事件の解決につながることは全くできずに少なくとも政治的なセンスがないことを改めて示しただけだった野党第一党とか、延々とくだらない質問を繰り返す委員の質問は「何とかならないのか」などとどこかの外務大臣が委員長に言って国会の仕事にクレームを付けるようなことは「行政府による立法府への干渉」のおそれがあるということは理解できても、日本総領事館の事件の真っ最中に国会の委員会として調査団を派遣したら「立法府による行政府への干渉」になるかもしれないということはどういうわけか理解できない見識の全くない野党の政治家たち、などが最近もまだいるので国民がひどい目に遭わされることのないように引き続き十分な注意が必要だと私は考えている。

 ちなみに「政府首脳」の非核三原則発言ではないが、「一人芝居」ならぬ「独り相撲」が非常に得意な民主党の菅直人幹事長ならば間違いなく「野党党首」(当時)や「某野党幹部」を説得してこの際キッパリと政治家を引退させてくれるはずだと私は期待している。

 私利私欲にとらわれた政治家たち、「野党共闘」などというバカなことにいつまでもこだわり続ける愚かな政治家たち、国民の知る権利に十分に応えることができない低レベルなメディアなどによって国民がひどい目に遭わされるのを黙って見過ごすわけにはいかない。国民を「巨泉」や「大将」にすることだけは断固阻止しなくてはいけないと考えている。


編集・発行:http://www.jchiba.net/、筆者:千葉 潤、ご意見など:jchiba@tokyo.email.ne.jp


 JCATSニュースに関するご意見、ご感想、反論などは、jchiba@tokyo.email.ne.jp まで電子メールをお送りください。なおJCATSニュースに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての著作権はJCATSニュースに帰属します。
Copyright2002 Jcats-news. No reproduction or republication without written permission.