当ホームページ上のすべての記事は無料ではなく「シェアウェア」です。著作権の侵害とそれに類する一切の不適切な使用、及び不正行為は固くお断りします。また不正行為等の防止のためにやむを得ないと判断する場合には事前の警告なしに報復措置を含めたすべての必要な手段を講じます。
○素晴らしさを実感しないと民主主義は「凶器」に変わる(2002/5/19)。
○辞職勧告決議案も議席も「おもちゃ」ではない(2002/5/12)。
○いったいいつまでそんなことを言っているつもりなのか(2002/5/5)。
○首を絞め、足を引っ張っているのは誰なのか(2002/4/29)。
○いま永田町周辺に最も欠けているものは(2002/4/21)(2)。
○泥沼状態から脱出するためには(2002/4/21)(1)。
○小泉首相はたとえ支持率が0%になっても解散する?(2002/4/7)(2)。
○すべての「名義借り」はやめさせるべきである(2002/4/7)(1)。
○「時代」から取り残された政治家たち(2002/3/31)。
○今こそ「手心」「えこひいき」体質と決別すべき(2002/3/24)。
○いったいいつまで「敗退」を続けるのか(2002/3/10)。
○今は「明治維新前夜」ではなく、「応仁の乱後」である(2001/3/3)。(→「野党共闘」関係)
○私は田中真紀子代議士の「敵」なら「敵」で結構(2002/2/22)。
○改革を進めるためには「底」も必要(2002/2/17)。(→小泉首相関係)
○なぜ政権交代で経済が良くなるのか? 野党は自らの足元を見るべき(2001/2/10)。(→「野党共闘」関係)
○ついにこのときがやってきた(2002/2/2)。(→小泉首相関係)
○いくら自民党との「違い」を強調してもそれだけでは国民を動かすことはできない(2001/1/19)。(→「野党共闘」関係)
○「野党共闘」は売れ残った商品だけを集めた魅力のない「福袋」のようなものである(2002/1/12)。(→「野党共闘」関係)
▽私は田中真紀子代議士の「敵」なら「敵」で結構。▽小泉首相の「改革」は進んだのか?。▽だから「野党共闘」では政権交代は不可能である 参考:日本の政治。
永田町周辺の緊急事態はますます深刻な状態になっている。今まさに永田町周辺で起こっていることは「有事」でも不祥事でもひとたび何かが起こるとお互いに相手の足を引っ張ることしかできずにみんなで仲良く沈んで自滅していくということを実証しているだけではないのか。
今の日本は、次々と不手際を繰り返す政府とそれを厳しく批判するだけで有効な解決策を見いだすことができない与党の政治家たち、政府・与党を厳しく批判しても能力のなさから結局は意味のあることを何も成し遂げられずに国民を欺き続けるだけの野党の政治家たち、真の意味で国民の知る権利に十分に応えることができない低レベルな多くのメディアがあたかも無意識のうちに日本という国を破滅させることを目的とした「大政翼賛会」のような統制システムでも作り出してその目的遂行のために猛烈なスピードで突き進んでいるかのような危機的な状態だと言っても決して言いすぎではないのかもしれない。
政府の不手際や不祥事、政治家の疑惑などを追及したり、重要法案で与野党の駆け引きをやるのも結構だが、自分たちのやろうとしていることが全体の流れの中でどのような意味を持つのかとか、優先順位はこれで本当に正しいのかとか、動機にはどれだけ自分たちの利益とは無関係な純粋なものが含まれているのかなどということをもう少しぐらい真剣に考えてもいいのではないかと私は思っている。
どんなにうんざりするような疑惑や不祥事がたくさん出てきたとしても、どんなに無能だったり私利私欲にとらわれて足を引っ張るだけの政治家たちがたくさんいたとしても、どんなに真の意味で国民の知る権利に十分に応えることができない低レベルなメディアがたくさんあったとしても、「それでもやはり民主主義は素晴らしい」と私はあえて胸を張って言いたいと思っている。なぜなら民主主義には足を引っ張る自由もあるかもしれないがそういう足を引っ張る人たちを退場させて淘汰する自由も同時にしっかりと保障されているからである。国民が真の意味で民主主義の素晴らしさを実感することにご無沙汰になっていると民主主義はかなり危険な「凶器」に変わってしまうかもしれない。
5/8に発生した中国・瀋陽の日本総領事館に亡命を求めて駆け込んだ北朝鮮出身と見られる男女5人が無断で敷地内に入った中国の警察当局に拘束・連行された事件はまだ解決していない。外務省が5/13になって調査結果を発表したが、調査結果にない事実が明らかになるなどの形で火だるまの状態になっている。この事件では私も外務省にはいろいろと失望させられたが、何よりも待合室内で男性2人が中国側に連行される「一部始終」を監視カメラなどで撮影した映像がなかったことには非常に大きく失望させられた。これではなかなか「言った言わないの水掛け論」から抜け出すことはできない。
次から次へと実にいろいろな情報が飛び交っているようだが、とにかく何が間違いのない重要な事実なのかということを正確に判断し、その重要な事実だけに基づいて現実的な解決策を考えていかなければ致命的な誤りを犯すことになる。外務省を中心とした日本政府の不手際、そして何かを大きく勘違いして事件の本質を見誤っている与野党の一部の政治家たちと真の意味では国民の知る権利に応えることができていないマスコミが引き起こしている無意味な混乱によって結果的に「過去」とは違った意味での新たな「某重大事件」が作り出されることだけは断固阻止しなくてはならないと私は考えている。
現時点までに分かっている間違いのない重要な事実は、(1)中国の武装警察官が日本総領事館の敷地内に無断で入り、女児を含む女性3人を取り押さえて敷地外に押し出したことが公開された映像から明らかになっていること、(2)たとえ日本の副領事が中国側に明確に抗議などをしなかったとしても「決定権」を持っているはずの総領事館の責任者も日本政府も現在に至るまで一度も中国側の敷地内への立ち入りを認めていないこと、(3)日中両国とも人道上の観点を重視することでは一致していること、の3点であると私は考えている。
もしも中国側が悪意を持って無断で総領事館の敷地内に立ち入り、そして連行した男女5人をどこかの国に強制送還するなどというのならば、日本としてはウィーン条約違反として中国に断固抗議するだけではなく、さらに「重大な決意」を持って臨まなくてはいけなくなる。しかし、もしも何かの手違いや勘違いのために中国側が偶発的に敷地内に立ち入ったというのならば、(1)北朝鮮出身と見られる男女5人が助けを求めてまず最初に入ったのは中国領内であること、(2)中国側が5人の身柄については人道上の観点からも判断する姿勢を示していること、から日本としては中国側に人道上の観点から適切な決定を行う「優先権」があることを認めて尊重するが、日本には5人の身柄が最終的にどうなるかを把握・確認する国際的な責任があると認識しているので5人の身柄が中国側の管理下から離れた後に事情聴取を行うなどの権利はすべて「留保」し、中国側にも日本の権利を認めて尊重することを求める。私ならばそう主張して決してそれ以上の妥協はしない。約30年間積み重ねてきた日中両国の友好関係はそう簡単には崩れることはないだろうと私は思っている。
それにしても日本の外務省はいったいどこまで信頼を失えば気が済むのだろうか。どんなにうんざりさせられても外務省関連のすべての問題点を明らかにし、そのすべてを完全に解消しなくてはいけないことは言うまでもないことだが、それだけで信頼を回復することができるかどうかは非常に疑問である。例えば、目前に迫ったサッカーのワールドカップでは、普段から手のかかる日本の政治家たちの「お守り」で鍛えられているその能力を活用して職員たちがボランティアとして世界各国から訪れる人たちの相談に応じる「コンシェルジュ」にでもなって国民にも世界にも役に立つところを積極的にアピールするということも真剣に考えなくてはいけなくなっているのではないか。何にしても外務省の不祥事・不手際を追及することは簡単だが、組織を完全に立て直すことは予想よりも難しいことなのかもしれない。
5/14、野党が提出した鈴木宗男代議士に対する議員辞職決議案を衆院本会議に上程する動議が衆院議運委で再び否決された。そして5/15には議運委の採決で賛否同数になって鳩山邦夫委員長が「否」の決定を下したことを受けて野党が提出した同委員長の解任決議案を衆院本会議で否決して国会は正常化した。そもそも議員辞職勧告決議案に法的な拘束力は何もないわけだから、一連の野党側の行動には何の意味もなく、くだらない無意味なことに貴重な時間を浪費しただけである。もしも「国民は怒っている」などとよく分からないことを理由にあくまでも審議拒否を声高に主張する勘違いした野党幹部がいて、その幹部の見識のなさをうやむやにしたまま「撤退」するためにはどうしても何かを本会議で記名投票で採決しないと収まりがつかなかったという事情があったというのならばそういう事情も分からないではない。何にしても野党共闘などというバカなことを唱えようが唱えまいが、今の野党は「処方箋」を間違っている上に基本的な能力が欠けているために何かを成し遂げることは決してできないという現実を今回もまた国民に見せ付けただけなのではないかと私は見ている。
「政府・与党に反対」という一点しか共通点がない野党共闘と称したバカげたことを繰り返して失敗を続ける愚かさにいいかげんに気づき、とても一つの政党とは思えないほど主義・主張がバラバラな野党第一党をせめて国民を欺かない程度にまではぶっ壊し、組織率だけでなく主張している内容から判断しても国民から遊離して明らかに「働く者の代表」とは言えなくなっている労組との異常なまでの癒着関係を完全に断ち切らない限り、今の野党が与党になる可能性はほとんどないし、また仮になったとしても真の意味で国民のためになる何かを成し遂げることは絶対にできないと私は確信している。
民主党の鳩山由紀夫代表らは政権交代に失敗して「失脚」する際には政権交代の妨げになり続けている見識も能力もなく勘違いをしたしがらみだらけの政治家たちを残らずすべて道連れにして野党、特に野党第一党をぶっ壊し、もしも間違って今の野党が与党になってしまうようなことがあったとしても真の意味で国民のためになる「新党」が出てきたときには潔く政権を明け渡すことを国民に明確に約束しておくべきではないのか。今まで散々自分たちが政府・与党に求めてきたこととほとんど同じことなのだから国民に約束できないわけがあるまい。
5/14、鈴木宗男代議士との関係の親密さから「事実上の秘書」とも「ラスプーチン」とも呼ばれていた外務省の前情報調査局主任分析官の佐藤優容疑者らが「支援委員会」に資金を不正に支出させたという背任の疑いで東京地検特捜部に逮捕された。現時点ではもっと自民党は旗幟(きし)を鮮明にすべきだとだけ言っておくことにする。
ちなみに自民党は田中真紀子代議士の秘書疑惑でも決して真相や責任をうやむやにせずに明確な態度を示すべきである。また田中真紀子代議士は批判にも十分に耐え得る客観的な資料を公開することを含めて国民にすべてを明らかにして説明責任を完全に果たし、その他にも取るべき何らかの責任があるのならばそのことからも一切逃げずに一日も早く名実共に「政治家」として復帰すべきである。相変わらず田中真紀子代議士は機密費問題だけでなく政治家として何を言っても全く説得力がない状態のままである。
なお追及が自らに跳ね返ってくる危険性を省みずに小泉純一郎首相らに「政府や外務省で起こったことなのだから最終的には責任があるはず」などと責任を厳しく追及したとしてもしなかったとしても、社民党の土井たか子党首は同党の秘書疑惑をうやむやにすることはできないはずだし、疑惑を解消しなければ何を言っても全く説得力がないということも何度も繰り返し指摘しているところである。
念のために言っておくと、マスコミ、特に「番記者」たちは田中代議士や土井党首の疑惑の解明に他の誰よりも熱心であるべきだし、うやむやにしてごまかすことを断じて黙認してはならない。「番記者」たちももっと旗幟を鮮明にすべきである。さもないとやっぱりマスコミは国民の知る権利を免罪符に使うだけのただの「ストーカー」だったのかと意図的に勘違いされることにもなりかねない。
読売新聞が5/12付の朝刊で修正試案を発表したことで完全に迷走状態にあった個人情報保護関連法案の議論に大きな変化が生じた。小泉純一郎首相が法案修正の検討を指示したのではなく、ただ単によく勉強するようにと指示しただけなのかはよく分からないが、政府・与党内では法案の修正に向けた動きが強まっているようである。野党側は表面上は法案を廃案に追い込む構えを崩していないようだが、基本的には与党に反対という以外には何も共通点がない人たちの集まりが野党であるという事実から判断すればすべての政党があくまでも断固反対して一切の修正協議に応じないかどうかは定かではない。構図は有事(法制)関連法案と似てきた。
私の主張(→2002/4/29など)と読売試案は報道・表現の自由と個人情報保護策の調整を図るという基本的な方向性では一致しているが、やはり政府案と同様に反対という結論になる。詳細にはあえて触れないが、「矢印の方向」は同じだが実際に重ね合わせてみると私のものよりもずっと長さが短かったというような状態だと説明すればいいだろうか。
何にしても読売試案の発表をきっかけに明らかに迷走状態にあった議論の流れが変わったことだけは事実である。特に法案もろくに読まずに最も極端な例を挙げながら問題点を強調して「メディア規制3法案」に断固反対して廃案に追い込むことだけが報道・表現の自由を守る道だと勘違いして無意味に問題を複雑にしていた人間たちの説得力のなさを改めて示してさらに勢いを失わせたという点で大きな貢献をしたことは間違いない。政府提出の個人情報保護関連法案が報道・表現の自由を不当に制限するおそれがあるということだけでなく、そもそも本当に個人情報が十分に保護される内容になっているのかなどということについても十分に検討しながら議論を少しでも本質的なものに戻そうという動きがこの機会に強まってもらいたいものだと私は思っている。
通常国会の会期を延長してもしなくても「保留」されてきたすべての大きな問題にメドが付いて永田町の緊急事態にもそろそろ区切りぐらいは付けることができるのだろうか。特に今年になってからはありとあらゆる疑惑が次々と明らかになり、この異常な状態にある程度の区切りがつくまでは何としてでも責任感を持って見続けようと考え続けてきた。いろいろな意味で予想外の重大なことが起こらない限り、次号からこのメールマガジンを完全な不定期発行に戻すつもりである。次号以降で私利私欲にとらわれた勘違いした複数の政治家たちの引退勧告などを繰り返さないで済むことを心から願っている。それでもやはり民主主義は素晴らしいのだろうか?
永田町周辺の緊急事態は終わりが見えてこないようである。こんな状態では危機に対応できないどころか自ら危機を作り出して自滅してしまいかねない。本来ならば言うまでもないことなのだが、疑惑やスキャンダルも、数々の対決型の重要法案も、議員辞職勧告決議案も、国会議員の議席も、内閣改造も、解散・総選挙も…、決して政治家たちの「おもちゃ」ではないはずである。いったいどうなっているのか。
大型連休明けの5/7から有事(法制)関連法案の本格的な審議が衆院の特別委で始まった。やはり政府提出の原案のままでは差し迫った「有事」には十分に対応できない可能性が高いと私は判断している。まさにそういうときに法案とは全く別の意味での「有事」が発生した。
5/8、中国・瀋陽の日本総領事館に亡命を求めて駆け込んだ北朝鮮出身と見られる男女5人が無断で敷地内に入った中国の警察当局に拘束・連行される事件が発生した。そして5/9夜になって男性2人が総領事館の敷地内に駆け込んで建物の方に走り去り、後に続いた幼女を含む女性3人が敷地内に入った中国の警察官に取り押さえられて連れ出され、そこに騒ぎを知った日本側の職員が現れるまでの映像が公開されて非常に大きな波紋が広がった。
現時点では詳細な事実関係についてはいくつか不明な点があるし、また中国側が日本側の同意を得たなどと主張し始めたことによって(→もちろん日本側は完全に否定)、もしかしたら少し前に永田町でよく見られたような「言った言わないの水掛け論」になっていくのかもしれないが、たとえどんなに長期戦になったとしても中国側の行為がウィーン条約違反かどうかということはハッキリさせておかなくてはいけない。あくまでも日本は中国に対して冷静に主張すべきことをきちんと主張すべきである。そうすることによって真の意味での日中両国の友好関係を構築することができるはずである。この問題ではもしかしたら混乱か何かの勘違いがあるのかもしれないが、とにかく妙に威勢が良くなっても、妙に萎縮してもいけないことだけは明らかである。
ただし、今この瞬間に最も優先しなくてはいけないのは、もしも「行方不明」になった男女5人の身柄が日本側に引き渡されることがなかったとしても、間違っても強制送還されることはなく、最低でも無事に「第三国で発見」されることになるのかどうかということである。そのことだけは絶対に忘れてはならない。
さて、緊急事態が続く永田町に話を戻す。5/10、衆院予算委で野党が提出した鈴木宗男代議士を議院証言法に基づいて偽証罪で告発する動議が賛成少数で否決された(→ちなみに可決には2/3以上の賛成が必要)。そしてまたまたなぜか鈴木宗男代議士に対する議員辞職勧告決議案を衆院本会議で採決するかしないかという話になっているようである。例によって例のごとく与党のやることも野党のやることも訳が分からない。
どうやら与党は野党側が偽証罪で告発して司法にゆだねたことを理由に再度の証人喚問を拒否したが、正式な告発、起訴のために必要だという衆院予算委での議決には偽証かどうかがハッキリしないことを理由に反対したらしい。これでは偽証かどうかをハッキリさせるためにも鈴木宗男代議士の再度の証人喚問が必要だという最初の段階に話が戻って堂々巡りになってしまうだけである。
一方の野党側も与党側が話を最初に戻しただけなのになせか可決されたとしても法的拘束力が全くない議員辞職勧告決議案の採決がどうのこうのという話に突然大きく飛躍してしまう。どうも野党側は決議案が可決されなかったら与党側の責任を追及し、可決されても辞職しなかったら鈴木宗男代議士本人を厳しく批判するという形で最初から難題を解決することを放棄して自分たちの能力のなさをごまかしながら責任回避できる安全な避難路を確保することを優先する構えのようである。こんな状態では万一今の野党が与党になるようなことがあったとしてもきっと責任逃ればかりして結局は何も成し遂げられないから何一つ良くなることはないだろうと多くの国民から見られてしまうだけではないのか。
くどいようだが、今の状況は鈴木宗男代議士の再度の証人喚問が必要であるという振り出しに戻っただけである。与党があくまでも衆院予算委での再度の証人喚問に「堂々巡り」で反対するというのならば、野党は考えられるありとあらゆる委員会での鈴木宗男代議士の証人喚問や参考人質疑を求めるという形で「譲歩」すればいいのではないか。多少「脱線」した質問でも緊急性があって国民の関心が非常に高い質問ならば全くできないというわけでもあるまい。例えば、衆院議運委(→過半数で可決される議員辞職勧告決議案の是非について参考人か証人として)、決算行政監視委(→外務省予算で参考人か証人として)、外務委(→外務省問題で参考人か証人として)など…、考えれば考えるほど鈴木宗男代議士にはぜひとも聞いておきたいことがたくさん出てくるのではないか。
与党、特に自民党も賛成して2/3以上の圧倒的な賛成多数で鈴木宗男代議士に対する議員辞職勧告決議を可決できる状況になっているわけではないのならば決議案を本会議で採決する意味はほとんどない。議員辞職勧告決議案も、そしてもちろん数々の対決型の重要法案も野党の「おもちゃ」ではないはずである。どうしても決議案を採決しないと気が済まないというのならば、自民党の田中真紀子代議士や社民党の土井たか子党首に限らず、自らの疑惑をきちんと解消しない政治家が何を主張しても全く説得力がないということを確認する決議案とか、国会議員の出処進退は自らが決めるべきで自ら決められない国会議員は国会議員ではないということを確認する決議案でも採決した方がよほど国民のためになるはずである。
何度も繰り返して本当にくどいようだが、鈴木宗男代議士は自民党の純粋比例代表候補として当選したのだから離党した以上、辞職して自民党に議席を返上すべきである。鈴木宗男代議士が座ったままの議席は選挙で有権者が鈴木宗男という政治家個人に与えたものではなく自民党という政党に与えたもののはずである。念のために言っておくが、疑惑があってもなくても、また明白かつ重大な違法行為が明らかになってもならなくても、鈴木宗男代議士が自民党に議席を返上すべきであるということは全く変わらない。今こそ自民党は旗幟(きし)を鮮明にすべきである(→「show the flag」。2002/4/11)。
もしも鈴木宗男代議士に対する議員辞職勧告決議案を衆院本会議で採決することになるのならば、自民党は自主投票ではなく党議拘束をかけて賛成に回り、2/3以上の圧倒的な賛成多数で可決することを目指すべきである。それが無理だとしても最低でも山崎拓幹事長らが自民党を代表して鈴木宗男代議士に直接会って「政治家の出処進退は自ら決めるべきだ」などと明確に伝えておく必要がある。どうしても一人では心細いと言うのならば、「みんなで鈴木宗男代議士に『政治家の出処進退は自ら決めるべきだ』と直接会って伝える会」などでも作ってぞろぞろと集団で行っても構わない。
ちなみに選挙で有権者から政党に与えられた貴重な議席を離党して無所属になった人物にいつまでも「占有」され続けることに鈍感なだけでも十分に深刻な問題だというのに、もしも党員ではない人物がその政党の支部長を務め続けているなどということがあるとするならば、多くの有権者はそんないいかげんな政党を全く信用しなくなるだろう。
国会議員の議席は誰の「おもちゃ」でもないはずである。「国会議員の地位は非常に重いもの」などと主張するのならば、自民党は自民党という政党に与えられた議席を取り戻すためにも全力を尽くすべきではないのか。とにかく自民党は旗幟を鮮明にすべきである。
相変わらず永田町周辺では緊急事態が続いている。4/30には鈴木宗男代議士の公設第一秘書らが国後島の「友好の家」建設工事をめぐる偽計業務妨害の疑いで東京地検特捜部に逮捕され、実に久しぶりに再び鈴木宗男代議士の問題が脚光を浴び始めた。また5/2には井上裕前参院議長の元秘書らが競売入札妨害の疑いで千葉地検に逮捕され、井上前議長が議員辞職願を提出した。あたかも国民の政治不信をさらに高める政治家の不祥事のストックがまだまだたくさん残っていて大型連休中もゆっくり休んではいられないかのようである。私としても何度も同じ主張を繰り返さざるを得ないことに改めて無力感を感じている。
確かにこれだけ政治不信が高まってくると勘違いした野党の政治家たち以外からも早期の解散・総選挙を求める声が強まってくるのかもしれないが、すべての政治家絡みの不祥事を出し尽くし、それらのすべてに決着を付け、そして立法措置を含めたしっかりとした再発防止策を講じてから解散・総選挙を行わない限り、きっと総選挙後も同じことが繰り返されるだけである。まずは社民党の土井たか子党首や自民党の田中真紀子代議士の秘書問題なども含めてすべての問題をうやむやにすることなしに完全に決着させなくてはいけないはずである。土井たか子党首や田中真紀子代議士に対して「いったいいつまでそんなことを言っているつもりなのか」という声は高まってくるのか、こないのか。
公設第一秘書の逮捕を受けて鈴木宗男代議士に対する議員辞職勧告決議案の取り扱いが改めて焦点になっているようである。以前にも書いたが(→2002/3/24)、いったい何のための議員辞職勧告決議案なのだろうか? そもそも決議が採択されても法的な拘束力は何もないので鈴木宗男代議士を強制的に辞めさせることはできないはずである。まずは再度の証人喚問の実現を最優先し、もしも鈴木宗男代議士が不誠実な証言を繰り返して質問者を侮辱したり、あるいは「疑惑の総合商社」などという挑発に乗って「激高」して院内の秩序を乱したり議院の品位を傷つけたりした場合には除名を含めた懲罰を求めたり、2/3以上の圧倒的な賛成多数で議員辞職を勧告するなどというのならばまだ話は分かるが、呆れるくらい野党の政治家たちは何も学習できないようである。辞職勧告決議案の本会議での採決を求めるとかなんとか…、いったいいつまでそんなことを言っているつもりなのか。
今回の逮捕で秘書の事件への関与の疑いが深まったわけだから前回の証人喚問で秘書の関与を否定する証言をしたことを含めて鈴木宗男代議士には新たに証言を求めなければいけないことが増えたはずである。まずは衆院予算委で再度の鈴木宗男代議士の証人喚問を行った上でしかるべき対応を考えるということが現時点における「正解」ではないのか。
なお自民党には、(1)鈴木宗男代議士が自ら出処進退を決められない場合にはどうするのか、(2)自民党の純粋比例代表候補として当選したはずの鈴木宗男代議士に議席の返還を求めなくても本当にいいのか、などという質問に対する明確な回答が求められているということを改めて指摘しておかなくてはいけない(→2002/4/11)。議員の身分は非常に重いもの、政治家の出処進退は自らが決めるべきなどと…、いったいいつまでそんなことを言っているつもりなのか。
自民党の政治家の疑惑が明らかになると野党の政治家たちは「これは政治家個人の問題ではなくて自民党の構造的な問題」などとコメントをすることが最近の流行になっているようである。もしも野党に似たような疑惑が全くなかったとしても、野党には「構造的な問題」は全く存在しないとでも言うつもりなのだろうか。主義・主張が完全にバラバラなのになぜか一つの政党になっていたり、「怪文書」に依存した一方的な質問ばかりをしたり、組織的に給与を「上納」するなどの脱法行為を繰り返したり、あるいは他人の疑惑は非常に厳しく追及しても自分たちの疑惑だけはなんとか見逃してもらおうとするなど…、野党こそ「構造的な問題」だらけではないのか。いくら与党にスキャンダルが続出したとしても、そしてもしもそれらが与党の「構造的な問題」とか「体質」だったとしても、国民が野党の「構造的な問題」とか「体質」に気付かなかったり、気付いていてもあえて目をつぶってくれるとは限らない。だいたい大きな「変化」を求めれば求めるほど国民は野党を素通りするはずである。どういうわけか今の野党はそういうことにも全く気付かずに国民が与党を完全に見放せば次は自分たちの時代がやってくると大きな勘違いをしてはしゃいでいるようだが、もしかすると与党に取って代わるような本当の意味での野党は今の野党の中にはなく、正体不明の「新党」だけが本当の意味での野党なのかもしれない。根拠も説得力も全くないのに「与党はダメ。だから野党」などと…、いったいいつまでそんなことを言っているつもりなのか。
もしも今の野党が本気で政権を奪取しようと考えているのならば、例えば、(1)大臣や政党の要職を経験している当選5回以上の大物代議士は無条件で小選挙区からの立候補を禁じて純粋比例代表候補とし、(2)代わりに大物代議士の「地盤」の小選挙区からは魅力的な新人候補を立候補させ、(3)大物代議士に選挙を全面的にバックアップさせて選挙結果に責任を負わせるという意味で大物代議士の比例順位はその新人候補よりも下位にする、つまり新人候補が当選しない限り大物代議士は絶対に当選できないようにする、などの形で自民党を中心とした与党側との決定的な違い、しがらみのなさを徹底的に強調して正体不明の「新党」に見劣りしないようにする必要がある。しがらみだらけの政治家たちに対して国民のためにならない順番に事実上の引退勧告を出していくような政治家・政党の構造改革を断行するというのならば、今の野党でも少しは国民の目に魅力的に映るようになるかもしれない。「野党第一党」という「肩書き」ましてや「野党共闘」などというふざけた「肩書き」で政権交代の夢物語を語っても国民には全く説得力がないし、また実際に政権交代に近づくわけでもない。
既存のマスコミなどが問題視している個人情報保護法案や人権保護法案などの議論は明らかに迷走状態にある。ひどいのになると法案の条文もろくに読まずに最も極端な例を挙げながら問題点を強調して「メディア規制3法案」に反対することだけが報道・表現の自由を守る道だと勘違いしている救いようのない人間もいるようである。これでは与党の政治家たちが最も極端な例を挙げながら法案を強行採決することを正当化したり、業界団体が最も極端な例を挙げてなんとかして既得権益を死守しようとするのと本質的に何が違うと言うのか。あえて個別具体的な例は挙げないが、どんな「肩書き」で物を言おうとも、事実は事実、説得力のあることは説得力のあること、事実でないことは事実でないことのままのはずである。
くどいようだが、私も結論としては政府提出の個人情報保護法案や人権保護法案には反対である。だが、既存のマスコミ周辺だけで盛り上がっている反対論にはますます大きな疑問を感じている(→2002/4/29、2002/4/21(2))。「国民の知る権利を守るということ」は公益のために真実を明らかにすることを守ることに他ならないということに間違っても国民から疑いを持たれるようなことがあってはならない。「肩書き」で物を言う態度こそが報道・表現の自由をなくし、ひいては民主主義を滅ぼすことにつながるということに気付かない人間がなぜか既存のマスコミ周辺にはたくさんいるようである。最も極端な例ばかり挙げて報道が萎縮するとかなんとか…、いったいいつまでそんなことを言っているつもりなのか。報道・表現の自由や国民の知る権利を積極的に保障するような法律を作ることになぜもっと熱心になれないのか。
ちなみに「いったいいつまでそんなことを言っているつもりなのか」という言葉は、実は筆者自身にも向けられている。具体例や説明の仕方は変わっても基本的には同じ主張を何度も繰り返さざるを得ないことに改めて無力感を感じている。何度同じ主張を繰り返しても世の中の大勢はなかなか変わらない。
小泉純一郎内閣が発足して4/26で1年が経過した。この1年で内閣支持率はほぼ半減 したが(80%以上→40-50%程度)、小泉内閣の「改革」の成果はまだ目に見える形で明確に現れてきているわけではない。本当に小泉内閣の「改革」は進んでいるのかと疑問に感じる国民がかなり増えてきても小泉首相の意欲はまだ衰えていないようである。
少し前から目立っていた小泉首相の「他人事」路線にここにきて変化が見られる。予想通り中国・韓国の反発を招いたが、4/21には昨年の8/13に続いて再び電撃的に靖国神社を参拝した。意中の企業からはドタキャンされたようだが、郵便への民間参入を可能にする郵政関連法案は初めて自民党の事前承認を得ずに閣議決定して国会に提出した。小泉首相は就任1年の記者会見でも「もしこの郵便事業の民間参入法案を自民党がつぶすんだったら、それは小泉内閣をつぶすと同じですから。そうなると自民党が小泉内閣をつぶすか、小泉内閣が自民党をつぶすかの戦いになりますから。その辺をよく自民党は考えてくれると思います。これは構造改革の本丸なんです。いよいよ道路公団の民営化から、住宅金融公庫の廃止から、石油公団の廃止から、政府系金融機関の見直しから、本丸の郵政改革に動き出したんです。私は必ず…。今までだったらばこんな問題…、自民党が認め得ないような構造改革を着実に1年間進めているんです。軌道に乗りつつあるんです。皆さんが期待したように自民党をつぶさなくても、自民党がむしろ小泉内閣の改革に賛成してきてくれる、協力してきてくれる」などと強気の姿勢を示していた。
もしかしたら小泉首相にはもっと経済再生に直結する改革に多くのエネルギーを費やして欲しいと思っている国民も少なくないのかもしれない。以前(→2002/2/17)にも触れたが、小泉首相は明確な将来像を国民に示し、日本の国民性も考慮しつつ、改革をさらに加速して進めていかなくてはならないと私は考えている。
今まで多くの国民は小泉内閣の「改革」がなかなか進まないのは「抵抗勢力」が足を引っ張っているからだと考えてきた。だが、今後もしばらく成果が見えにくい状態が続けば小泉首相の足を引っ張っているのは実は小泉首相自身ではないかと考え始めるかもしれない。東南アジア、オセアニア訪問中の小泉首相は帰国後に今度こそ明確な将来像を国民に示しながら改革をさらに一層加速して進めていく必要がある。もしも小泉首相が内閣改造を行うというのならば、党と内閣を完全に一体化させるなどして改革を加速するための体制を整えることだけを目的とすべきである。断じて「人事」を通じて政権の求心力を高めるなどという典型的な「ジリ貧」路線を採用すべきではない。
小泉首相にとっても日本にとっても今が正念場である。もしかしたら後から振り返ってみると今が岐路だったと気付くことになるのかもしれない。
なお衆院和歌山2区補選(→自民候補が当選)、参院新潟補選(→野党系候補が当選)、徳島県知事選(→野党候補が当選)の投・開票が4/28に行われ、国政選挙では与野党が1勝1敗という結果に終わった。小泉内閣の支持率が大幅に落ちてさらにいろいろな意味で追い風が吹いていたのにもかかわらず、野党側が圧倒的な大差で全勝できなかったということはやはり野党共闘などと称した「政権の受け皿論」には十分な説得力がないということが改めて示されたということではないかと私は見ている。もしも仮に説得力が出てきたとしても野党共闘などには小泉内閣や自民党を追い詰めれば追い詰めるほど「打倒・小泉内閣」「打倒・自民党」という目標を達成して流れ解散する運命を早めてしまうというジレンマが内在している。小泉内閣や自民党を打倒した後には、いくら隠ぺいや口封じをしても重要法案での「造反劇」という形で主義・主張が完全にバラバラであることが繰り返し示される野党第一党、そしてほぼ「反・自民」だけが共通点という野合政権しか作れないその他の政党しか残らないだろう。そんなことでは正体不明の「新党」が国民から待望される状況を新たに造り出すだけではないのか。
4/25、「保留」されていた社民党の辻元清美前代議士の参考人質疑が衆院予算委で行われた。質疑を要約するとしたら辻元氏が土井たか子党首の秘書の五島昌子氏による政策秘書の紹介を明確に認めていた点と「自分の言ってたこととやってたことが違ってはいけないと思ってそれで辞職を決断しました」と涙声で答弁している場面になると私も思っている。もしも社民党が強引に秘書給与疑惑に幕引きを図るとするならば、断固反対している有事法制の問題でも自らの主張の説得力を必要以上に低下させるだけなのではないか。今国会で有事(法制)関連法案が成立するかどうかはまだ分からないが、仮に成立した場合には社民党は自分で自分の足を引っ張るという形で成立に大きく貢献したということになってしまう可能性が高い。社民党は今まさに運命の分かれ道にさしかかっている。
一方、「保留」されたままになっている鈴木宗男代議士の問題では相変わらずなぜか何の動きも見えてこない。再度の証人喚問の問題でも、自民党の純粋比例代表候補として当選した鈴木宗男代議士が離党したことによる自民党への議席返上問題(→つまり辞職問題)でも、具体的な動きはほとんど見えてこない。本当にこの問題が自民党にとって運命の分かれ道になることはないのだろうか。
なお自民党の山崎拓幹事長の女性問題が週刊誌の記事で明らかになった。山崎幹事長は事実無根と週刊誌側を告訴するなどしているので私としては「写真は山崎さんによく似ているなあ」という以外のコメントは差し控えようと思っている。私が注目しているのは女性問題がいろいろな意味で今後拡大していくのかどうかである。誰の目にも明らかな公的な疑惑に拡大したり、あるいは秘書問題のように他の政治家たちに次々と飛び火していくのかどうかはまだよく分からない。
自民党の田中真紀子代議士の秘書疑惑はますます終わりの見えない泥沼の状態になっている。率直に言わせてもらえば、「なぜ一議員にここまで気を遣わなくてはいけないのか」という意味において田中真紀子代議士をもはや「国民の人気が高いムネオくん」とでも呼ばなくてはいけなくなっているのではないかと私は思っている。田中代議士と自民党、勘違いした一部の野党の政治家たち、そして一部の国民の間は「社会通念」に照らしてあってはならないような「異常な関係」にあるのではないかと私は思っている。全く何の関係もないとは思うが、そう言えば、小泉首相を含めた多くの人たちを厳しく批判してきた田中代議士が鈴木宗男代議士を徹底的に厳しく批判している場面だけはなぜか見た記憶がない。
いずれにしても田中代議士は早急に自ら率先して証拠を示した文書の配布とセットにした記者会見で国民に対して公設秘書給与流用疑惑の事実関係を明確に説明すべきであると私は考えている。少なくとも現時点ではこの問題は「政争」ではなく、ただ単に田中代議士が自分自身で「スカートを踏んづけている」だけの話だと私は見ている。私は田中真紀子代議士の「敵」なら「敵」で結構である。ただこのまま田中代議士が開き直り続ければ政治生命の危機に陥ってしまう。
既存のマスコミなどが「メディア規制3法案」などと反発する法案のうちの2法案、人権擁護法案(参院、4/24)と個人情報保護関連法案(衆院、4/25)が審議入りした。個人情報保護関連法案については結論としては反対だが、マスコミ周辺だけで盛り上がっている反対論とは一線を画すという立場を前回示した(→2002/4/21(2))。人権擁護法案についても基本的には同様である。ちなみに法案に反対する最も大きな理由は、客観的に見れば法務省の外局として作られる人権委員会の独立性には疑問があるからである。何にしてもこれらの法案が取材活動を萎縮させたり、報道・表現の自由を不当に制約する危険性を危惧する主張には間違いなくある程度の説得力はある。
報道・言論・出版など表現の自由を不当に制約する危険性を完全に排除するために、(1)憲法21条に基づく報道・表現の自由などを「最大限尊重」 (→人権保護法案第42条第2項を修正、個人情報保護法案第40条のような条文を「基本原則」にも追加、など)、(2)何人であっても公益目的のために公共性のある真実を明らかにする場合には適用を除外 (→刑法230条の2、名誉毀損(きそん)の例外のような規定を両法案に追加)するように法案を修正すべきであると私は考えている。そうすれば少なくとも「個人情報保護や人権の名を借りた悪徳政治家・悪徳官僚らの疑惑隠ぺい法案」などという類の批判はなくなるはずである。声高に「断固反対」を叫ぶのではなく、報道・表現の自由を積極的に守ったり、国民の知る権利を保障するように法律に規定する方向に思い切って発想を転換すべきではないかと私は考えている。
法案を修正したり成立させたりすることは最終的には国会での多数決で決まってしまうわけだが、マスコミ側だけの決断で国民の知る権利、報道の自由を守るためにできることは反対運動以外にもあるはずである。「メディアスクラム(集団的過熱取材)」をやめることは言うまでもないことだが、その他にも例えば、横並びの報道をやめてもっと活発に相互に批判し合うことなどを挙げることができる。官庁や企業のプレスリリースをそのまま垂れ流したり、衝撃的な「内部文書」や「関係者」による「内部告発」をそれらの真偽や持つ意味を十分に検討せずに伝えるだけの「報道」ではとても国民の知る権利に十分に応えることにはならないと私は考えている。もしもマスコミが報道の自由や知る権利の重要性について国民から十分な理解を得ることに失敗し続けるのならば、マスコミは自分で自分の首を絞め続けることになるはずである。そうなると最悪の場合には国民の知る権利と報道の自由を葬り去るために「権力」が自ら手を下す必要は何もなかったというオチがついてしまうのではないか。国民の知る権利、報道の自由を守るために本当に必要なことはいったい何なのかということをもっと真剣に考える必要がある。
今の永田町周辺はまさに緊急事態なのかもしれない。徒に不安心理を煽るつもりはないが、日本の政治システム、多くの意思決定プロセスなどが機能不全の状態に陥りつつあるのかもしれない。「これから日本をどういう国にしていくのか」とか「世界の中で日本はどうあるべきか」などということも含めた明確な理念に基づいて最悪の状態に陥る前にこの国のすべての制度を修復したり新たに作り直していく必要があると私は考えているが、今の与党、そしてもちろん今の野党の中にもそういう根本的な部分まで政策が一致しているような勢力は存在しない。それどころか一つの政党なのに根本的な部分では全く政策が一致していないバラバラな政党もあるし、そもそも広い視野や大きな視点から政治を捉えていない政党や勢力もある。そういう状況を考えるともはや破滅は時間の問題と言った方がいいのかもしれない。私だけでなく、多くの国民にとっても実は残された時間的な余裕はそれ程多くないのかもしれない。
最近は与党も野党もそして多くのマスコミも、個別具体的な問題での「局地戦」の対応に追われて「飽和状態」になっており、やや視野が狭くなって全体的な大きな流れを見失いつつあるように見える。以下の記述は政策的な部分よりもむしろ政治的な大きな流れの部分に偏っていてやや連続性やバランスを欠いた内容になっていることはよく理解している。いま永田町周辺に最も欠けているものを補う「サプリメント」(→栄養補助食品)とでも考えていただきたい。
今あえて少しでも1998年当時の政治状況を思い出してみた方がいいのではないか。自民党が大敗した1998年7月の参院選直後の143臨時国会では差し迫った金融危機を回避するために与野党の修正協議を経て金融再生関連法などが成立した。その後いろいろとすったもんだがあって(→詳細はあえて省略)結果的に小渕恵三内閣の下で自民党と自由党が電撃的に連立することになる。「危機」に十分に対応できないような内容ではないかということ以外にも政府提出の有事(法制)関連法案が当時の政府・与党のブリッジバンク法案などに似ている点をいくつも見つけることができるかもしれない。特に政治的に見れば有事(法制)関連法案はブリッジバンク法案に瓜二つなのではないか。少なくとも何のためにどういうことが必要なのかということを偏見なしに冷静に考えていけば与党と野党の間で無理に線を引くことだけは絶対に不可能である。さらに言えば、現実の「有事」は差し迫ったものではないのかもしれないが、永田町周辺はまさに「有事」とか「危機」の状態にある。
「周辺事態法」や「国旗・国歌法」などが成立し、「組織犯罪対策3法」や「改正住民基本台帳法」も会期末直前の徹夜の参院本会議でまとめて成立したあの1999年の145通常国会の付近に起こったことも今あえて少しでも思い出してみた方がいいのではないか。国会閉会後には小渕恵三内閣の下で自民党と自由党の連立に公明党が(正式に)加わった。そして政府・与党から同時多発的に対決型の重要法案が提出されたときには主義・主張が完全にバラバラな野党第一党や野党共闘を唱える勢力の無能さ・無力さが最も良く示されたと振り返ることができるはずである。主義・主張が完全にバラバラな野党第一党や野党共闘を唱える勢力が存在するという致命的な問題点が今になっても全く解消されていないという愚かさに野党はどういうわけか気付くことができないようである。
もちろん私は少し前とよく似たことがこれから起ころうとしているとは必ずしも思っていないが、個別具体的な問題に消耗して大きな流れを見失いがちなときにバランスを回復させて全体像を捉え直すための「サプリメント」として永田町の最近の事例を思い出してみることも悪くないのではないか。
そう言えば、野党の某党首(当時)の女性問題が週刊誌で報道されたのもちょうどその頃(1998年11月)だった。そして某党首(当時)がスキャンダル発覚後の対応のまずさをきっかけに政治家としての資質を問われてやがて自滅していったこともまだ記憶に新しい。「バカタレ」の一言で済んだとかなんとかいうような実にくだらないスキャンダルだったと当時から思っているが、1週間ぐらいは疑惑にまともに答えずにマスコミから逃げ回って沈黙を守り、ようやく不十分な釈明をしたかと思ったらその後は「与党の謀略」などという台詞も使って自分の責任を少しでも軽く見せようとしていたような印象が私には強く残っている。最近の永田町で何度も繰り返されている光景を見るたびに、たとえくだらないスキャンダルであったとしても政治家の説明責任を十分に果たそうとしなかったという姿勢についてだけは某党首(当時)は時代を先取りしていたのかもしれないと私は思っている。でも、それは何かの間違いだったのだろうか。「あの人は今」などと銘打ってその人が今どこで何をやっているのかをあえて取り上げてみようとは思わないが、何食わぬ顔でただ時間が経過するのをじっと待っているだけでほとぼりが冷めることは決してないはずである。格好良く他人のスキャンダルを追及したければそれはそれで結構だが、結局のところは回り回って自分に戻ってくるだけなのではないか。某党首(当時)に限らず永田町周辺には他人には厳しく自分には非常に甘い人たちが実にたくさんいるようだが…。
いよいよ実質審議が始まる個人情報保護法案についてもいずれ何らかの形でまとめて触れようと思ってきた。小泉首相はなぜ個人情報保護法案が作られることになったのかということを改めて確認し直した方がいい。故・小渕恵三首相時代からの仕事を引き継いでいるという意味において、どこかの野党党首ではないがまさに「初心に戻りなさい」と私も小泉首相に言わざるを得ない。
政府が個人情報保護法案を作ることになったのは1999年に国民一人ひとりに番号(→住民票コード)を付けるなどの改正をする住民基本台帳法案の審議時に民間事業者等の個人情報の不正利用が事実上野放しになっていることが改めて大きな問題になり、そういう状態で国民一人ひとりに11ケタの番号を付けるような制度を公的部門が導入すれば最悪の場合には官公庁や地方公共団体が所有する膨大かつ重要な個人情報と結び付いて取り返しが付かない程度まで個人情報の不正利用がエスカレートしてしまうなどと懸念する声に故・小渕首相側が応えたことが直接のきっかけだったと私は認識している。言うまでもないことだが、個人情報保護法案を作ろうということになったのはあくまでも個人情報を保護するためであり、断じて表現の自由などに制約を加えるためではない。また民間での個人情報の流出や不正利用が問題になっているのは事実だと思うが、だからと言って行政機関などでの個人情報の流出や不正利用が問題にならないわけでもまたそういうことがあり得ないわけでもない。現にそういう事例もいくつかあったではないか。
行政機関・公的部門での個人情報保護策や規制は保有する情報が漏えいしたり不正利用された場合の影響の大きさを考えれば民間部門よりもさらに厳重なものにすべきなのにむしろやや甘くなっているという点、報道を含めた表現の自由が少なくともある程度は制約されることになるのにもかかわらず、個人情報が本当に十分に保護されるのかが疑問であるという点などを考えると、結論としては政府提出の個人情報保護関連法案に私は反対である。ただし既存のマスコミ周辺などだけで盛り上がっているいわゆる「メディア規制3法案」に対する反対運動などには戦術的な観点からもその他のいくつかの観点からも私は大いに疑問を感じているので一線を画さざるを得ない。
なぜ強行採決で簡単に吹き飛んでしまうような「断固反対」という一カ所に戦いの場を絞ろうという方向に流れていくのか。法案成立が不可避の情勢になった場合にもなんとか少しでもましな内容にしようといくつもの「防衛線」を築いて決戦の場まで前向きな形で転戦を続けるような「戦術」をどうして考え出して採用することができないのだろうか。だいたい取材活動を萎縮させたり、表現の自由を制約する恐れがあるなどと心配するのならば、思い切って発想を180度転換し、反対側から報道の自由や表現の自由を積極的に守ったり、国民の知る権利を保障するような新たな立法措置を講じようという方向にももっとエネルギーを注ぎ込んでもいいのではないか。
また反対論の中には些末なことにこだわって全体像を見失っているとまでは言わないが本筋から少しずれた「局地戦」に終始しているだけのものもある。結局のところは反対論としてはちょっとよく分からない「局地戦」と「断固反対」が台頭していった「組織犯罪対策3法」(いわゆる「盗聴法」を含む)という最近の事例から全く何も学習しなくても本当にいいものなのだろうか。
政府・与党側も野党や既存のマスコミを含めた反対側も今こそ個人情報の保護という初心とか原点に改めて戻るべきではないかと私は感じている。
相変わらず永田町からはうんざりさせられるようなことばかりが飛び出し続けている。以前(2002/4/7(1))にも書いたが、公設秘書の問題では国会の事務局の情報公開がカギになる。4/10から衆院事務局が公設秘書についての問い合わせを急に受け付けなくなったらしいが、衆院議運委では公設秘書の情報を公開する方向で調整するという。衆院の綿貫民輔議長、鳩山邦夫議運委員長(自民)らの覚悟と力量が問われることになるわけである。衆院が不退転の決意で可能な限り詳細な公設秘書の情報公開に踏み切れば、参院が常識の通用する場所であるならば自ずと追随せざるを得なくなり、おそらく公設秘書の問題のほとんどはそれで完全に決着させることができるだろうと私は考えている。たとえこれからもたくさんの新たな秘書疑惑が浮上し続けたとしても、可能な限り早く公設秘書の問題を一段落させて私設秘書の問題などの次のステップに進むことができるのならば少なくとも終わりの見えない泥沼状態からだけは解放されるはずである。
4/19、井上裕参院議長が秘書の裏金受領疑惑での国会混乱を受けて辞表を提出した。秘書問題がついに参院議長にまで拡大したなどと驚きを持って受け止めている人たちが少なくないようだが、私にとっては特に大きな衝撃ではない。今のところはそれ以上コメントする気にもならない。参院の存在意義が問われ続けてかなりの年月が経過しているが状況はますます悪化していくばかりである。できる保証の全くない参院改革を無理にやるぐらいならばいっそのこと参院を廃止してしまった方がずっとましなのではないかという主張がもしも国民の圧倒的多数になったとしたら参院は説得力のある反論をすることができるというのだろうか。
「保留」されていた社民党の辻元清美前代議士の衆院予算委での参考人質疑は4/25午前に行われることになった。政策秘書給与疑惑について辻元氏は国会の公式の場ではまだ何も言っていない。辻元氏にはぜひ言うべきことをすべて言い尽くしてもらいたいものである。最近も社民党の原陽子代議士がホームページ上で秘書の名義貸し依頼を断ったことを明らかに(4/13)して記者会見で釈明(4/15)していたが、客観的に見れば社民党の秘書給与疑惑の解消はなぜか「保留」されたままである。有事法制のことでできるだけ多くの国民に耳を傾けてもらうためにも土井たか子党首は曖昧な形での秘書給与疑惑の幕引きを図らず、誰もが納得できるような形で終止符を打つべきではないかと私は思っている。きちんとした形で疑惑を解消しなければおそらく社民党はこのままずっと泥沼状態から脱出することはできないだろう。
一方、同じように「保留」されたままになっている鈴木宗男代議士の問題については相変わらずなぜか何の動きも見えてこない。再度の証人喚問の問題でも、自民党の純粋比例代表候補として当選した鈴木宗男代議士が離党したことによる自民党への議席返上問題でも、現在までのところ具体的な動きはほとんどない。いったいいつまで鈴木宗男代議士の問題は「保留」され続けるのだろうか。本当にこんなことでいいのだろうか。私には非常に疑問である。
自民党の田中真紀子代議士の秘書給与疑惑も終わりの見えない泥沼の状態になっている。田中真紀子代議士は公設秘書給与流用疑惑の事実関係の説明問題で小泉純一郎首相や山崎拓幹事長と冷たい一方通行の「文通」をしているらしい。この問題は「まず隗より始めよ」ではなく「まず『真紀子』より始めよ」の一言に尽きると私は思う。まず田中真紀子代議士側が文書などの形でしっかりとした証拠を明確に示して疑惑を解消しようとしない限り物事は何も前には進まない。このままでは田中真紀子代議士の政治家としての「株」の大暴落を食い止めることは完全に不可能になってしまう。
社民党の問題にしても、鈴木宗男代議士の問題にしても、田中真紀子代議士の問題にしても、その他のどんな問題にしても、とにかくすべての「保留」されている問題は早急に処理すべきである。少なくともゴールデンウィーク前までにはすべての「保留」されている問題の見通しぐらいは付けてもらいたいものである。
例によって例のごとく共産党が出所不明の官房機密費の支出先などが記載されている資料を入手したと主張、公表した(4/12)。なぜか過去に機関紙で取り上げたものを改めて持ち出してきたらしいが、仮に資料に記載されている内容がすべて事実であったとしてもそもそもなぜ機密費の「証拠」になるのかが全く分からない。誰かの「お小遣い帳」か何かだというのならばまだ分からないでもないが、資料のコピーを実際に見てもどこがどうして機密費の支出先を示す「証拠」になるのかが全く理解できない。
このことは、例えばある場所で「自然破壊」や「暴走族騒音」が問題になっていたとしても、入手した「自然破壊の現場の写真」や「実際に暴走族が走っている映像」が必ずしもそれらの証拠にはならないといったことなどと全く同じことのはずである。いくら「自然破壊」や「暴走族騒音」が事実であり、しかも写真や映像が「ねつ造」されていないことが確認されたとしても、だからと言って「自然破壊の現場の写真」や「実際に暴走族が走っている映像」が証拠だと確認されたことになるわけではないのと全く同じことのはずである。念のために言っておくが、出所不明の資料を否定的に捉えても、機密費には疑惑や謎が存在し、それらが解明されないままであるという事実を変えることになるわけではない。要するに出所不明の資料は機密費問題の解明とは無関係だと考えるべきだということである。
もしもこういう類の資料などに必要以上にこだわるよく分からないマスコミがあるとするならば、根拠のない強い思い込みに基づいてオカルト的なことをやるのが大好きか、あるいはヤラセに非常に寛容な体質かのどちらかではないかと私は思っている。今の永田町は非常事態であり、解明しなくてはいけない疑惑も山ほどあるというのに自ら泥沼状態に陥るような訳の分からないくだらないことをやっている暇などないはずである。下手をすると解明できることまで解明できなくなってしまうのではないか。泥沼状態から脱出するためにマスコミはオカルトやヤラセとは完全に決別しなくてはいけない。日本にとっても多くの国民にとっても実はあまり多くの時間的な余裕は残されていないのではないか。
4/10、国家基本政策委合同審査会(いわゆる党首討論あるいは「クエスチョンタイム」。今回(→詳細記事有)は参院で。合同審査会長は池田行彦会長(自民、衆院委員長)。(予定は)40分間。154通常国会では初めて、そして2002年初)が開かれ、小泉純一郎首相(自民党総裁)と民主党の鳩山由紀夫代表(約27分(26分予定))、共産党の志位和夫委員長(約7分(6分予定)、北方領土問題)、自由党の小沢一郎党首(約7分(4分予定)、イスラエル・パレスチナ問題)、社民党の土井たか子党首(約6分(4分予定)、有事法制など)がそれぞれ1対1で討論を行った。
鳩山由紀夫民主党代表の言うように初めは国民の方を向いていた小泉純一郎首相がいつの間にか永田町の方ばかり向くようになったのか、あるいは小泉首相の言うように首相自身は全く変わっていなくて自民党の方が変わったのかということはそう遠くないうちに明らかになるだろうと私は考えている。もちろん混乱して小泉首相が解散を考えたり、実際に解散することになりそうかということも、さらに解散して与党が大きな打撃を受けるような場合でも野党の方がずっと大きな壊滅的な打撃を受けて全滅することになってしまうのではないかということなども、そのうち自ずと明らかになっていくだろうと私は思っている。
また、小沢一郎自由党党首のパレスチナ人の行動をテロ行為と認識するのかそれとも民族の抵抗運動と考えるのかという質問に小泉首相が明確に答えなかったことでさらに一歩踏み込んだイスラエル・パレスチナ問題への日本の対応の具体策がまだ定まっていないということが明らかになってしまったと私は思っているし、いつもならいくら注意されても平気で時間をオーバーし続ける土井たか子社民党党首が今回は意外なほどあっさりと引き下がっていたことが冒頭の辻元清美前代議士の辞職を受けての決意表明よりも私にはずっと印象に残った。
党首討論で時間が不足するのはいつものことだが、今回だけは野党間で時間の貸し借りをしてでも土井党首だけ、あるいは土井党首と鳩山代表の2人だけに絞り、小泉首相も遠慮せずに「逆質問」をしていればもう少し充実した討論になっていたのかもしれないと私は思っている。もちろん時間を貸し借りするためには党首討論がほぼ毎週行われていなければならないし、党首討論ですべてのタイムリーなことを無理に取り上げようとしたり、あるいは参考人質疑などの真似事をするべきではないとは私も思っているが…。
ちなみに今回の党首討論ではなぜか辞職したばかりの加藤紘一前代議士の「か」の字も、少し前に辞職した辻元清美前代議士の「つ」の字も出てこなかったような気がする。仮に「か」の字とか「つ」の字程度のことぐらいは出ていたとしても本当にそんなことでいいのだろうか。問題の鈴木宗男代議士と共に2人は永田町が現在進行形で直面している「有事」の主役ではないのか。
何度も繰り返しているが、有権者から自民党という政党に与えられた議席に純粋比例代表候補として座っていたはずなのだから離党したら当然議席は自民党に返上しなければいけないという意味において、やはり鈴木宗男代議士は即刻辞職すべきであると私は考えている。確かに政治家の出処進退は本人が決めることだと私も思っているし、たとえ国会議員としての身分は他の議員と何も変わらないとしても、鈴木宗男代議士が現に座っている議席の「所有権」は選挙区選出の議員とは本質的に異なるということだけは改めて指摘しておかざるを得ない。
4/9に議員辞職を許可されたばかりの加藤紘一前代議士は4/8の衆院予算委での参考人質疑の中で「(前略)…きょうここであと1時間半ほど説明をさせていただきたいと思っておりますが、しかしこの機会に申し上げます。すべての社会的、政治的、道義的な責任を取りまして私は衆議院議員の職を辞したいと思います」(自民党の森岡正宏代議士の質問の最後に)、「(前略)…一言で言えば、政治的、道義的、社会的な責任を取ったということでありまして、法律的な責任ではございません」(保守党の西川太一郎代議士へ)などと答弁して辞職の意思を表明した。
司法当局に任せるべき法律的な責任はともかくとしても、鈴木宗男代議士の「政治的、道義的、社会的な責任」を鈴木宗男代議士本人も、自民党も、そして国会もどれだけ十分に検証したというのか。万一新たな疑惑が浮上していないとしても、鈴木宗男代議士が嘘を付けば場合によっては偽証罪に問われるかもしれないという3/11の衆院予算委での証人喚問の場で「北方領土不要発言」を明確に否定し忘れたという一点においても証人喚問は全く不十分なものであったと言わざるを得ない。現時点においてはどんなに少なくとも鈴木宗男代議士の再度の証人喚問が必要不可欠であると私は考えている。
さて、ここで党首討論本体に再び話を戻す。鈴木宗男代議士の問題について小泉首相は討論の中で「(前略)…私は(議員辞職を)勧告せよとかいう要求に対しましては一貫しています。本人が決めることだと。出処進退は。私はこれは当然のことではないかと思うんであります。ご自身が判断できないでどうするんですか。選挙民が最終的には判断すべき問題だと思いますが、その以前に何か問題があった場合、国会議員っていうのは、世論を聞いたり、あるいは支援者の声を聞いたり、いろんな方々の意見を聞いて判断できるはずであります。そして最終的には選挙で審判を受けるわけでありますから。その前に出処進退についていろいろ言われた場合には、本人自身が私は判断すべきことであるということはこれからも変わりありません」、「(いつから評論家になったのか、何か起きたときには善良な人は辞めていくが悪い人ほど残る、自民党総裁として辞職を求めるべき、などに)既に鈴木氏は自民党を離党しています。私は議員自身の出処進退は議員自身が決めるべき問題だということはこれからも変わりありません。今までも一貫してこれを主張してきました。これ以上ハッキリ言う必要がない。最終的にどうしてもその人が議員の資格がないというときには選挙民が審判します」(いずれも民主党の鳩山由紀夫代表へ)と述べていた。
小泉首相、自民党を中心とする与党にあえて3つの質問だけをして今回のところは終わりにしたい。
(1)鈴木宗男代議士は間違いなく自らの出処進退を自分自身で決めることができるのか、(2)鈴木宗男代議士が座っている議席の「所有権」はいったい誰にあるのか、(3)もしも選挙民が鈴木宗男代議士に議員の資格がないと考えて審判しようというときに自民党は選挙民と共に戦うのかそれとも中立を守るのか、今から旗幟(きし)を鮮明に(→「show the flag」?)しておかなくていいのか。
相変わらず永田町では政治家たちも既存のマスコミも訳の分からない騒ぎ方をして無意味なことに多くの時間を費やしている。ただでさえ無駄なことに時間を費やさざるを得ない私としてはなぜそんなどうでもいいことに大騒ぎをして時間を浪費しなくてはいけないのかがなかなか理解できず、半ば「他人事」として見ている。
3/31に投・開票された横浜市長選では新人の中田宏氏(前代議士)が自民党などの主要政党が推薦した現職の高秀秀信氏を破って初当選した。もちろん多選批判などもあったのだろうが、「主要政党相乗り」で有権者から選択肢を奪うような旧来型の手法では魅力的な対立候補が出てきてそれなりに投票率が上昇した場合には通用しないということが改めて確認されただけだと私は考えている。勝てるつもりになっていた自民党にとっては大きな衝撃だったのだろうし、4/7の京都府知事選や4/28の衆参補欠選挙への影響が心配になるのも無理はないだろう。でも、実は小泉純一郎首相にとっては大きな打撃とは限らない。そんな大騒ぎするようなことにはとても思えない。私から見れば横浜市長選の選挙結果も近年の一貫した政治の流れの中の特に不思議ではない現象の一つにすぎないから、与野党の政治家たちや一部のマスコミが必要以上に大騒ぎしていることに違和感を覚える。今後の選挙では与党側の候補者に中央政界での相次ぐ疑惑による政治不信がある程度の影響を与えるのかもしれないが、横浜市長選と構図が大きく異なるので単純に比較することはできないし、最終的に有権者は候補者の資質を何よりも重視するのではないかと私は思っている。それ以上のことは実際に選挙をやってみなければよく分からない。
4/5には政府のBSE問題の最終報告書がまとめられたことをきっかけに野党が提出した武部勤農水相の問責決議案が参院本会議で否決された。最初は武部農水相の辞任を求めていた公明党が途中で腰砕け(??)になって採決に欠席したことでまだ波紋が広がっている。この問題でも政治家たちと既存のマスコミがよく分からない騒動を引き起こしている。ある程度は与党内に亀裂が入ったのかもしれないが、実はこのことも小泉首相にとっては大きな打撃とは限らないと私は思うし、間違っても野党側が何か「得点」を挙げたわけでもない。万一、与党内に大きな亀裂が入って政権を離脱する勢力が出てきたとしても与党を厳しく批判している野党がその勢力と組めるわけがないし、万一、組んだとしてもたぶん不信任決議案採決までの話だろう。そして野党も与党を離脱してきたその勢力も選挙ではどちらも単独でもあるいはたとえ連携したとしても国民から支持されて新しい与党になれる保証は全くない。
私は基本的には辞めても辞めなくてもどちらでもいいと思っているが、そもそも武部農水相を辞めさせていったい何になると言うのだろうか? 率直な話、武部農水相よりももっとましな人はいないものかと私も思っているが、辞めさせれば確実にもっとましな人が農水相になるとは少なくとも現時点ではとても思えない。「現時点」ということならば辞めさせる必要はないと私は考えている。ちなみにかつて森喜朗前首相やサッカー日本代表のトルシエ監督の去就が注目されたときにも私は全く同じ理由で同じ主張を展開していたが、武部農水相の問題がどちらのケースにより似ているのかということについては現時点では読者の判断にお任せすることにしようと思う。
確かに小泉純一郎内閣の支持率は相変わらず下落し続けているようだし、与党内の抵抗勢力の動きも再び活発になってきているのかもしれないが、それでも小泉首相にとっては大きな打撃とは限らないし、小泉内閣がそう遠くないうちに倒れるということもまずないのではないかと私は見ている。与党が1年ちょっと前に森喜朗前首相をなかなか辞めさせることができなかったことを思い出すべきである。あのときには森内閣の支持率が10%ぐらい(以下?)になってもなかなか辞めさせることはできなかったが、無理矢理支えていたのが他ならぬ小泉首相自身であったことを考えれば、もしかすると小泉首相はたとえ支持率が0%になっても辞めず、そのときに内閣不信任決議案が可決されたならば総辞職ではなく解散を選ぶほどの「変人」である可能性が高いのではないか。そういうときでもあえて選挙で国民に「小泉なんかいらない」と言ってもらってから辞めるべきだと固く信じているのかもしれない。
自民党なのに小泉首相を厳しく批判するような伝統的な手法を使って当選しようとしてもさすがに支持率がほぼ0%の状態で解散されたら一緒の政党にいるだけで致命的な打撃を受けることになるはずである。もしもそこまで小泉首相が「変人」だとなると「抵抗勢力」は自ら率先して小泉首相の「協力勢力」になって聖域なき構造改革を断固進めてなんとしてでも経済再生を図るか、あるいは覚悟を決めてどこかの段階で自民党を飛び出すしか生き残る道はなくなってしまうのではないか。たとえ支持率が0%になっても国民から「小泉なんかいらない」とハッキリ言われるまでは断固改革を進めようと小泉首相自身が固く決意したときに初めて目に見える形で物事が前に進み始めるのではないかと私は見ている。もっともそのまま小泉首相によって改革が進められることになるのか、あるいはその次の誰か別の首相によって改革が進められることになるのかはよく分からないが…。
「自民党をぶっ壊す」という言葉よりも、昨年の参院選の応援演説での小泉首相の「自民党に支持を与え、勝利を与えていただければ必ず自民党は小泉の改革を進めていきます。それで、この私の方針を進めることができなかったら次の衆議院選挙で自民党に鉄槌を下してください。まだ時間はあります。選挙でうそを言ったら次の選挙が待っている」などという言葉の方が私にはずっと強く印象に残っている。単なる「悪い冗談」で済めばいいのだが…。
もしも小泉首相が自民党を含む与党を道連れにするようなときに自分たちが与党になることが約束されたと野党が喜ぶとしたらそれは致命的な間違いである。近年の政治的な流れに忠実に判断すれば、その場合にはかなりの可能性で既存の政党が全滅するのではないかと私は考えている。問題なのは既存の政党が全滅した後にいったい何がやってくるのかということである。正体不明の「新党」が取って代わることはほぼ間違いないとしても日本がどこにどのように導かれていくのかということは誰にも全く分からない。野党の政治家たちが「相乗り」で有権者から選択肢を奪うことと本質的に同じ「野党共闘」などと称したことをやる愚かさにも気付かないとしたら、このまま野党はまとめてジリ貧になって消えていくだけであろう。
このまま野党がまとめてジリ貧になって消えていくだけならば野党幹部らがよく自分勝手な主張をするように野党のために「自民党をぶっ壊す」のではなく、むしろ今こそ野党、特に民主党を「ぶっ壊す」べきではないのか。主義主張が完全にバラバラで中央で造反劇を繰り返すだけでも問題なのに、ある地方選挙では完全な分裂選挙を繰り広げたかと思えば、別の地方選挙では中央で激しく対立しているはずの与党ともなぜか安易に相乗りし、さらには「弔い合戦」に与党から世襲候補が立候補するのをかつては厳しく批判していたかと思ったらいつの間にか自分たちも世襲候補を推薦することにしたらしいそんな一貫性のない支離滅裂な政党が野党の中にはどうやら存在するようである。そんな政党をまず「ぶっ壊す」ことの方がよほど国民のためになるのではないか。
自分たちだけでも主義主張が完全にバラバラだというのにさらに別の政党と一緒になって与党に代わる「受け皿」を作るなどという発想は実にバカげている。与党がダメになったときの「受け皿」を作っておけばそれだけで自分たちが支持されると勘違いしている完全に「時代」から取り残されている政治家たちに未来はないと私は考えている。「自民党ではダメだ」などと唱えることしかできない究極の自民党依存体質の政党や勢力には政権交代は絶対に不可能である。
相変わらず永田町では政治家たちも既存のマスコミも訳の分からない騒ぎ方をして無意味なことに多くの時間を費やしている。ただでさえ無駄なことに時間を費やさざるを得ない私としてはなぜそんなどうでもいいことに大騒ぎをして時間を浪費しなくてはいけないのかがなかなか理解できず、半ば「他人事」として見ている。
社民党の土井たか子党首の秘書が辻元清美前代議士に問題の政策秘書を「紹介」していたことが明らかになって土井党首の責任問題が浮上している。自民党の田中真紀子代議士にも「出向」してきた元公設秘書の給与流用疑惑などが週刊誌の報道で浮上した。土井党首も田中代議士もいつもと違って非常に歯切れが悪いようだが、現時点で分かっていることはどうやら「紹介」や「出向」したことで何か問題が起こり、もしも「紹介」や「出向」がなかったとしたら疑惑はなかったかもしれないということだけである。要するに何か疑惑があるようだがそれがハッキリとした形で解消されたわけではないということである。2人とも曖昧な形で強引に幕引きにしようとしたら結果的により大きな打撃を受けることになると私は見ている。もっとも現時点では曖昧な形での決着だけは避けるべきだとしか言いようがないわけだが…。特に土井党首の場合は疑惑をそのままにしておけば最悪の場合、社民党には立派な党本部以外のものは何も残らなくなってしまうことにもなりかねないのできちんとした決着の付け方を考えるべきだと私は思っている。
その他にも政治家たちの秘書疑惑が次から次へと浮上している。確かに今まで浮上してきた疑惑の順番を考えるとやや不自然さを感じないでもないが、だからと言って疑惑が無理矢理作り出されたとは思っていないし、すべての疑惑を疑惑のままにしておいていいわけがない。疑惑を個別に追及していくこともそれはそれで悪くはないが、これだけ多くの疑惑が浮上してきている以上、その効率的なやり方を考えるべきだと私は思っている。
どうもいくつかのマスコミがそれぞれ別個に全国会議員に秘書問題などでアンケートしたとかするとかいう話があるらしいが、「二番煎じ」とか「三番煎じ」という問題はともかくとしてもほとんど同じようなことをバラバラにとりあえず国会議員に聞いてみるだけ聞いてみることにいったいどれだけの意味があるというのか。もしも抜本的に秘書疑惑の究明に取り組む気があるのならば、例えば、続発する秘書疑惑を受けての政治家の説明責任として可能な限り早急に概ね過去10年以内の全国会議員(基本的に元議員も含む)の公設秘書と私設秘書の氏名・勤務期間・勤務場所・主な職務などの情報をできるだけ詳細に国民に公開するということを与野党の党首会談で合意するように強く求めるべきである。情報公開法が制定される頃から行政機関だけではなく国会や裁判所の情報公開制度も絶対に必要だと私はずっと思っている。
ひとたび与野党で合意すれば、公設秘書の登録情報については国会でしかるべき手続きを踏んだ後に衆参両院それぞれの議長が各事務局に保存されている書類の公開を決断すればたぶんそれで完全に決着するはずである。私設秘書についてはその定義も明確にさせて氏名・勤務期間・勤務場所・主な職務・給与の額・給与の支払元・支払先などの情報をできるだけ詳細に各国会議員に自己申告させればいいし(もちろん何らかの形で形式を統一した方が良い)、公設秘書の勤務実態や寄付などで何か修正申告したり釈明したいことがあるのならばそのときに一緒にすればいい。それぐらい各国会議員の秘書の実態を透明にしてから政治資金収支報告書などと突き合わせたり、「あそこの事務所にそんな秘書がいるのは見たことがない」とか「あそこの事務所に出入りしていたあの秘書の名前が書かれていない」とか「あの公設秘書とあの私設秘書は同一人物じゃないか」などということをチェックしていけば疑惑をかなり整理した形で参考人質疑とか証人喚問を行うことができるはずである。なお書類の提出を意図的に遅らせたり拒むような国会議員は何か大きな疑惑を隠していると見なして優先的に参考人質疑とか証人喚問をするようにしたらいい。これだけ秘書の実態を透明にすれば望ましい秘書制度の改革案というものも自ずと見えてくるのではないか。
終わりの見えない秘書疑惑を個別に追及していくこともそれはそれで結構だが、政治家たちにもマスコミにも他にいくらでもやることがあるはずである。私としては新しく浮上してきた数々の秘書疑惑よりも複数の政治家たちの女性問題の方がまだ興味がある。それに日本の政治における重要性・緊急性から判断すれば、例えば、鈴木宗男代議士の再度の証人喚問が本当にこのまま行われないのかとか、自民党の純粋比例代表候補として当選したが既に離党した鈴木宗男代議士からの「名義借り」を自民党がキッパリとやめて議席の返上を求めることはないのか、などということの方がはるかに注目されるべき問題だと私は思っている。くどいようだが、いったいいつまで鈴木宗男代議士の問題は「保留」されたままなのだろうか? とにかく永田町でのすべての「名義借り」はやめさせるべきである。無駄なことでなるべく時間を浪費しないためには政治家たちにいつまでも訳の分からない言い訳をさせたり、「記者」の名義を借りた悪質な野次馬のような人間に意味のないことをやらせて必要以上に問題をややこしくしないように注意すべきだと私は考えている。
4/8には自民党を離党した加藤紘一代議士と民主党を離党した鹿野道彦代議士、4/10には社民党の辻元清美前代議士がそれぞれの秘書問題などで衆院予算委で参考人招致される予定になっている(辻元氏は体調不良のためまだどうなるかよく分からないらしい)。現時点では加藤氏にも鹿野氏にも辻元氏にも「政治家として言うべきことはすべて言い尽くすべきだ」としか言わないことにする。某代議士が委員会で役人に向かって言っていたように「全部言って楽になってしまえ」とは言わないが、とにかく必要以上に時間をかけずに1回で決着を付けてもらいたいものである。
ここで話は少し変わる。ちょっと目立つとすぐにたたかれるかのような最近の風潮に迎合するつもりは全くないが、実は最近「大活躍」の週刊新潮にもちょっとした「疑惑」が浮上している。辻元清美前代議士の秘書疑惑の続報である2002/4/4号のグラビア記事「アンチョコ記者会見」の結びにこんな記述がある。「そんな彼女が、"これだったらさっさとあそこに行けば良かった"と思っているに違いない場所が、国会内の無所属議員席だ(上の写真)。ここには、中村喜四郎氏や藤波孝生氏ら脛に傷アリの大物議員に加えて、天敵・鈴木宗男氏や加藤紘一氏も引っ越し済。疑惑に目くじらを立てる無粋な輩も居ない。社民党よりも彼女を温かく迎えてくれたはずなのである」とあるが、それは全く違う。写真の「無所属議員席」は「自民党に非常にゆかりのある人たちのためだけに特別に用意された無所属議員席」とでも呼ぶべき場所であり、本当の「無所属議員席」は衆院本会議場の反対側、ちょうど社民党などの少数会派の隣にある。従って仮に辻元氏が社民党を離党して議員辞職をしなかったとしても写真の「無所属議員席」には温かく(?)は迎えてはもらえず、離党したのに社民党の一年生議員たちのすぐ隣あたりに座ることになったはずである。念のために言っておくと、辻元氏も本当の「無所属議員席」がどこにあるのかはよく知っているはずだから「さっさとあそこに行けば良かった」と思うことだけはないだろう。
こんな基本的なことは別に「政治記者」の名義を借りていない国会の事情がよく分かっている本物のベテラン記者を探して聞いてみなくても、おそらく写真を撮ったカメラマンにでもちょっと確認すればすぐに分かることのはずである。そんな誰でも知っていそうなことすらも知らない人間が確認もせずに書いたような記事が掲載されている週刊誌には、たとえ全く別の人間が書いた別の記事であっても「最も基本的な部分の事実関係は本当に間違いないのか」という「疑惑」が常に浮上することになってしまうのではないのか。
たまにチェックしてみると、民放のワイドショー、一部のニュース番組や報道番組などでも似たような間違いや勘違いはたくさんあるし、「評論家」とか「アナリスト」とか「コメンテーター」とかいう人たちの中にはテレビカメラの前でもっともらしく言っているめちゃくちゃな部分以外には全く内容がない人たちも珍しくないし、民放テレビでは他のマスコミの仕事をちょっと焼き直しただけの下手くそな物真似レベルの無意味な情報も結構ある。また新聞や他の雑誌などでも疑問符がいくつも付くような変な記事を探そうと思えばそう難しい話ではないだろう。私にはわざわざチェックをしてまで間違いなどを探してやる気はないし、またそんな余裕も全くないが、目を皿のようにして自らの疑惑報道をチェックしているらしい政治家たちにとっては簡単につけ込むことができるほど隙だらけの状態ではないのか。誰でも間違うことがあるものだとは思っているが、大事なときにはどんな小さなことでも間違わないようにした方がいいに決まっている。マスコミも自らの足元を確認しておいた方がいい。
政治家周辺の疑惑が次々と浮上して「来週はいったい誰が離党したり議員辞職するのだろうか?」という冗談が全く冗談に聞こえない状況になっている。社民党の辻元清美前代議士は一部のテレビ番組出演を記者会見よりも優先するなどして波紋を広げたが、結局、政策秘書の名義借り疑惑浮上から1週間で議員辞職した(→辞職会見は3/26、辞職許可は3/28。辻元氏は入院中)。また自民党を離党したばかりの加藤紘一代議士本人に今度は政治資金流用などの疑惑が浮上し、4/5にも衆院予算委で参考人質疑が行われる方向になっている。一方、鈴木宗男代議士の再度の証人喚問や辞職問題は他の政治家周辺の疑惑が続出したこともあって一時的に「保留」されたような状態になっているが、このまま消えてなくなってしまうようなことはあり得ないし、またそんなことが許されるわけもない。
自民党を離党したとしても、いくら他の政治家周辺の疑惑が新しく出てきたとしても、そのことによって鈴木宗男代議士のすべての疑惑が解明されるわけでも、それらの疑惑に対する政治的・道義的責任をすべて取ったことになるわけでも、ましてやすべての責任が免責されてしまうわけでも何でもないということは当たり前すぎるぐらい当たり前のことである。相変わらず鈴木宗男代議士の問題は「保留」されたままである。このまま疑惑をうやむやにすることなくきちんと最後まで解明しなくてはならない。特に衆院予算委での証人喚問で「断固否定」し忘れている「北方領土不要発言」については鈴木宗男代議士が自ら再度の証人喚問をお願いして「断固否定」してもいいはずである。
そしてくどいようだが、やはり自民党の純粋比例代表候補として当選した鈴木宗男代議士が離党しても議員辞職しないことが認められる根拠は全くないと私は考えている。離党しても議員辞職しない比例選出議員の存在を認めてしまうと、最も極端な場合には、例えば、既に大使ではなくなっているのにそのまま大使館に居座り続けるような人物の存在をも認めなくてはいけなくなってしまうのではないか。鈴木宗男代議士は離党後も自民党に議席を返上せずに「占有」し続けていることについても十分に説得力のある説明を大至急すべきである。いずれにしても鈴木宗男代議士にはまだまだ国会の場で説明しなくてはいけないことが山ほどある。
確かに社民党の辻元清美前代議士は議員辞職という政治家としては最も重い責任の取り方を選んだと思うが、だからと言って疑惑の解明を途中でやめてしまっても構わないということには断じてならない。もちろん「さっぱり分からない」「よく分からない」などという言葉でごまかすようなことも許されない。辻元氏が議員辞職したとしてもしなかったとしても真相は徹底的に究明するべきなのである。辻元氏の政策秘書の給与流用は、自分たちが決めた給与と実際に国から支給される金額との差額を不自然なほど自発的・組織的に法律に触れない形でどこかの政党に献金するような「脱法行為」的なものに近いのか、あるいは探せば秘書として有能な人間はいくらでもいるのにあえて仕事があまりできない身近な人間を秘書に選ぶという税金を使った「非常に高い買い物」をするようなものに近いのかということぐらいは最低でも明らかにしておく必要があると私は思っている。
話は少しだけ本筋からはずれる。メールマガジンを創刊してまだ間もない1999年11月のことだが、当時は社民党の1年生代議士だった辻元清美氏が衆院本会議開会直前の議場に真っ先に現れてタイムカードでも押すかのように自分の議席の名札を立ててまたすぐに議場を出ていくということがあった。まるでその前の本会議で自由党の小沢一郎党首が珍しく一番乗りして名札だけ立てて出ていったことに対抗(?)するかのように辻元氏が一番乗りしていたので思わず笑いそうになったことを思い出す。もちろん真相はよく分からないが…。何にしてもそういうことなどもあって辻元氏はしたたかで負けず嫌いな人物だという印象を私はずっと持ち続けている。
いろいろな意味でしたたかで負けず嫌いだった辻元氏のことだからきっと無理にでも体調を回復させて参考人質疑からも逃げずに再びはい上がろうとするのではないかと私は見ている。辻元清美前代議士はまだ負けず嫌いのままなのだろうか?
最近の加藤紘一代議士は国民の期待を何度も裏切って「敗走」を続けてきたと私は見ている。加藤紘一代議士は脱税で逮捕・起訴された前事務所代表だけではなく民主党の菅直人幹事長らとも完全に手を切っておくべきだった。当時の森喜朗内閣に反旗を翻すのならば「加藤政局」(あるいは「加藤の乱」)を起こした2000年11月ではなく、「選挙敗北」という大義名分もあった同年6月の総選挙直後が最も成功する確率が高かったのではないかと私は今でも思っている。「加藤政局」が11月になったのがやむを得なかったとしても、内閣不信任決議案への賛成を明言して成功の可能性も将来展望もほとんどない無謀な「本会議決戦」に持ち込むことだけは避けるべきだったし、一度「本会議決戦」に突入してしまったのならばやはり欠席ではなくてたった一人ででも賛成票を投じるために本会議場に現れるべきだった。もしも前代未聞の保守党の松浪健四郎代議士による水まき事件後のあの異様な雰囲気の本会議場内に同志に止められながらも一度決めた欠席を撤回して加藤紘一代議士が電撃的に現れていたとしたらさらに何らかのハプニングを引き起こしていたかもしれない。もちろん歴史を語る場合に「もし」は禁句であるが…。
やはり加藤紘一代議士は人を見る目がなかったし、何度も何度も重要な場面で決断を誤ってきたと言わざるを得ない。なんとか政治家として最も重要な決断だけは間違えないでもらいたいものだと私は思っている。さもないと加藤紘一代議士が今までやってきたことのすべてが無駄になり、信じてきた人たちを完全に裏切ることになってしまう。
加藤紘一代議士は参考人質疑では決して嘘を付かず、一切何も言い残さず、国民にも十分に説得力のあることだけを堂々と答えるべきである。その上で自らの出処進退は自らが決めるべきだと私は考えている。国会の場で国民に対してしっかりと説明した上で十分に説得力のある形で政治家としての責任を取るべきである。証人喚問ではなく参考人質疑になったことで加藤紘一代議士がこの期に及んでもまだ「敗走」を続けるつもりなのかということがハッキリすると私は考えている。
それにしても古いタイプの政治家らしい鈴木宗男代議士、永田町では新しい感覚に敏感だった加藤紘一代議士、辻元清美前代議士が同時に政治生命の危機を迎えていることを考えると日本の政治は非常に危機的な状況だという気が私にはしてくる。
鈴木宗男代議士は古いタイプの政治家だったのかもしれないが、もしも今が古い時代だったらここまで「大物」と呼ばれる政治家にはなれなかったのではないかと私は思っている。確かに鈴木宗男代議士はいくつか新分野を開拓したのかもしれないし、裏方としてはかなり優秀だったのだとは思うが有力な古いタイプの政治家がたくさんひしめいていた古い時代の全盛期だったら「派閥の後継候補」どころかせいぜい「派閥の幹部候補」止まりだったのではないかと私は見ている。
対照的な加藤紘一代議士、特に辻元清美前代議士のような新しいタイプの政治家たちも一時は「時代」の流れに乗ることができてもやがて「時代」に追い越されていくのだと私は思っている。例えば、「市民」「女性」「主婦」「若者」などの感覚を取り入れ、そういう感覚を失わないようにいくら努力したとしてもいずれ必ずずれが生じてくると思うし、そもそもそれぞれの立場を代弁するだけでは政治家としては自ずと限界がある。「市民」「女性」「主婦」「若者」などの代表を名乗ったり、あるいは「変化」を売り物にしても「時代」の流れに乗るところまではできるかもしれないが、ずっと政治家として活躍し続けることができるとは限らない。かつては「時代」の流れに乗った政治家たちもいつかは「時代」に追い越され、そのときに「時代」の流れを追っていけるだけの政治家としての十分な能力が備わっていなければ「時代」から取り残されてやがて消えていくだろう。
日本の政治では「時代」の流れに乗った政治家たちが次から次へと使い捨てにされてきた。そして永田町全体としてはとっくの昔に「時代」に追い越され、今や「時代」から完全に取り残されていることにも全く気付かずに縮小再生産を繰り返している。そういうことが状況を一層深刻にしているのではないかと私は思っている。もしも何らかの理由で「時代」から取り残された政治家たちが大量に生き残っているのならば、まずそういう政治家たちに一刻も早く消えてもらわなくては危機的な状況を脱することはなかなか難しい。
ちょうど今、「時代」の流れは田中真紀子代議士を追い越してちょっと先に行ったところぐらいなのではないかと私は思っている。ちなみに小泉純一郎首相は今のところは「時代」の流れも「他人事」なのかもしれないが、必ず「時代」から追い越されるときがくるはずである。もう既に追い越されているのか、まだ追い越されてはいないのかはよく分からないが、もしもそのときまでに十分な成果を挙げて変化に対応できる態勢を整えておかなければ「時代」からどんどん取り残されていくばかりである。
相変わらず政治家たちがよく分からない形で世間を騒がせ続けている。3/18にかつては次期首相候補の一番手と言われた加藤紘一代議士が前事務所代表の脱税事件の監督責任などを取って自民党を離党、3/20には衆院議運委で自民党を離党したばかりの鈴木宗男代議士に対する議員辞職勧告決議案の本会議上程が賛成少数で見送りになったことで波紋が広がった。また週刊誌の記事で浮上した社民党の辻元清美代議士の政策秘書の名義借り疑惑はまだまだこれからが本番だし、海外メディアを巻き込んで小泉純一郎首相などを批判し続ける田中真紀子代議士の「場外乱闘」もまだ打ち止めと決まったわけではない。政治家絡みのよく分からないことばかりが次から次へと飛び出してくるのでさすがにちょっとうんざりしてくるが、だからと言って安易に臭い物に蓋(ふた)をしてはいけないことは言うまでもないことである。
一連の政治家絡みの騒動を通じて最もよく見えてきたのは与党側、野党側、そして既存のマスコミのうんざりするような「手心」「えこひいき」体質であると私は考えている。与党側は身内のスキャンダルにはめっぽう甘いが野党側の疑惑の追及・究明には非常に熱心であるということが改めてよく分かったし、一方の野党側も与党側の疑惑の徹底究明を唱えてはいても自分たちの仲間のスキャンダルにはなんとかして「手心」を加えようとしているように私には見える。さらに既存のマスコミは「悪者」の疑惑だったら言われなくても取り上げるが、なぜか「悪者」の敵や国民的な人気者、あるいは自分たちの仲良しの取材対象の影の部分を取り上げることにはあまり熱心ではない。与党側も、野党側も、そして既存のマスコミも、今こそこのような「手心」「えこひいき」体質と完全に決別すべきであると私は考えている。
鈴木宗男代議士は自ら率先して議員辞職すべきだと私は主張し続けてきたが、そもそも野党側が提出した議員辞職勧告決議案がいったい何のために提出されて採決されようとしていたのかが考えれば考えるほどよく分からなくなってくる。「これだけ多くの疑惑が浮上したのだから自ら辞めるべきだ」と代議士たちの過半数以上が考えているということを国民に明らかにしたいとか、あるいは与党の代議士たちに本会議での記名投票を通じて「踏み絵」を踏ませることが決議案提出の目的だというのならば、私はやってもやらなくてもいいどうでもいいことだと考えている。万一可決されたとしても議員辞職勧告決議には法的拘束力がないから鈴木宗男代議士本人が辞職しない限り議員であり続けるという現実には全く何の影響も与えない。仮に与党の代議士たちが賛成票を投じさえすれば鈴木宗男代議士を確実にクビにすることができるというのならば「踏み絵」を踏ませる意味があるのかもしれないと私も思うが、「可決しても辞めさせることができるわけではない」などという言い訳がそれなりに説得力を持つ状況では野党はともかくとしても多くの国民にとっては「踏み絵」を踏ませる意味もほとんどないだろう。
野党側が議員辞職勧告決議案を提出した目的もよく分からないが、私には与党が決議案の本会議上程や決議案自体に反対する理由も考えれば考えるほどよく分からなくなってくる。「議員の身分は憲法で保障された非常に重いもの。議員の除名には2/3以上の賛成が必要なのに過半数で辞職を勧告できるのはちょっとおかしい」「今後重大な違法行為が明らかになれば本会議で採決することもあり得る」などという主張は一般論としてはその通りだと私も思っているが、鈴木宗男代議士の議員辞職勧告決議案についてそのような主張をしている人たちは本質を見失って本当に守るべきものを守ろうとしていないと私は見ている。鈴木宗男代議士の辞職問題を議員の身分の保障の象徴と捉えるのは致命的な間違いである。この問題の本質は有権者から政党に与えられた一票を政党が大事に扱うかどうかということであると私は考えている。
繰り返しになるが、鈴木宗男代議士は前回の総選挙では北海道ブロックの自民党の名簿1位候補として比例区だけに立候補して当選したのだから、「自民党」などと書いた人たちだけから自民党の政治家だけに与えられた議席を自民党から預かっているだけに過ぎないはずである。「鈴木宗男」と書いた人たちから鈴木宗男という政治家個人に与えられた議席ではないのだから自民党を離党した後も議席を「占有」し続ける正当性は全くない。確かに「自民党=鈴木宗男」と考えて投票した人たちもそれなりにいるのだろうが、そういう人たちの票だけで比例区で当選できたのかどうかは非常に疑わしいわけだから、鈴木宗男代議士は自ら議員を辞職して自民党に議席を返上すべきである。また自民党としても本気で議席の返還を求めなければ、有権者から与えられた票を粗末に扱ってドブに捨てることになるのではないか。鈴木宗男代議士があくまでも辞職しなければ結果的にドブに捨てることにならざるを得ないわけだが、その場合でも真剣に議席の返還を求めていれば少なくとも有権者の票を粗末に扱ったことにはなるまい。
たとえ「鈴木さんは友達」のままであってもそうではなくなっていたとしても自民党には有権者から自民党という政党だけに与えられた大事な議席の返還を鈴木宗男代議士に求める責任があるはずである。小選挙区で自分の名前を書いてもらって当選してきた代議士たちが自ら出処進退を決めて「離党しても辞職せず」という結論を出すことを認めても必ずしも有権者の票を粗末に扱うことにはならないが、少なくとも比例選出の代議士は政党に票をドブに捨てさせることなしに辞職せずに離党することは不可能である。有権者から与えられた票をドブに捨てないためには、離党したのならば議員辞職しかないし、辞職しないのならば即時復党しかあり得ないと私は考えている。どうしても鈴木宗男代議士が辞職しないというのならば、自民党としては党議拘束を外すのではなく党議拘束をしっかりとかけた上で2/3以上の圧倒的な賛成多数で議員辞職勧告決議の採択を目指すことが有権者から与えられた票を粗末に扱わないための唯一の選択肢なのではないか。自民党は有権者の負託をドブに捨てるような政党なのだろうか? せっかく投じた一票をドブに捨てるようなことを平気でやるような政党にいったい誰が投票するというのだろうか? 自民党には「製造物責任」があるはずである。鈴木宗男代議士の「離党しても辞職せず」という選択を他人事として捉えて放置すれば各種選挙で自らに大きく跳ね返ってくるはずである。小泉純一郎首相(自民党総裁)らの決断に注目している。
ちなみに少し話は変わるが、田中真紀子代議士には小泉内閣に対する「製造物責任」はないと私は考えている。田中代議士が小泉政権を誕生させたという説が既存のマスコミなどで流布されているが、私は必ずしもそのようには考えていない。確かに今までならば絶対に自民党を支持しなかった人たちをとりあえず支持に回らせるという形で異常なまでの高い内閣支持率を実現したことについては田中代議士が最大の功労者であることには疑問の余地はないが、やはり伝統的な自民党の支持者でさえも「ここは異端児の小泉しかいない」と判断したことが勝敗を決定付けたのではないか。もちろん判断した理由は様々だったかもしれないが…。そう考えれば、田中真紀子代議士は自らの政治家としての「株」を急落させてまで厳しく小泉首相らを批判する必要はないのではないかと私は思っている。もちろん批判をするのは田中代議士の自由だが…。
最後に社民党の辻元清美政審会長(代議士)の政策秘書の名義借り・給与詐取疑惑についても触れることにする。厳重な処罰を求めようというものからなんとかして「手心」を加えようというものまで実にいろいろな意見があるようだが、現時点でもハッキリしていることは辻元代議士が政策秘書に使われる税金を無駄遣いしていたということである。いくら政策秘書が効率的にアドバイスして辻元代議士に対してどれだけ大きな貢献をしていたとしても、間違いなく給与が全額本人に支払われていたとしても、政策秘書が他の議員の私設秘書を「兼任」していたという事実があるのならば、その事実こそが疑惑そのものであるということには全く何の変わりもないはずである。ハッキリしていないのは、税金がどのような形でどの程度無駄に使われていたかということ、あえて言い換えれば、犯罪になるかならないかということである。それは客観的な資料とか証拠を用意した上で辻元代議士らの証人喚問を行えば一発で決着を付けることも不可能ではない話のはずである。辻元代議士は参考人質疑などで時間を浪費することなしに証人喚問で「疑惑」に完全に終止符を打ち、その上で国民にも十分に説得力のある形で責任を取るべきである。念のために言っておくと、仮に辻元代議士が証人喚問に応じたとしても、自民党を離党した加藤紘一代議士や鈴木宗男代議士、民主党を離党した鹿野道彦代議士らを秘書問題で参考人質疑とか証人喚問できなくなるというわけではない。
現時点では辻元代議士の責任が政審会長を辞任して福島瑞穂幹事長らに「兼任」してもらえば済む程度のものなのかどうかは定かではないが、何にしても辻元代議士は似たようなことやそれ以上のことをやってきた国会議員が免責されてしまうような行動だけは断じて取るべきではないし、他の国会議員たちは何か後ろ暗いことがあってもなくても一切「手心」を加えようとすべきではない。
3/15に数々の疑惑が浮上している鈴木宗男代議士が自民党に離党届を提出して記者会見を行った。記者会見中に思わず「男の涙」を流してしまった鈴木宗男代議士はどうやら今のところは離党しても議員辞職をする考えは持っていないようである。「議員辞職」と「離党」を「並行協議」したのかどうかはよく分からないが、「離党先行論」では国民は納得しないと私は見ている。離党は単なる途中経過の中の一局面に過ぎないと私は見ている。まさかまず離党だけをさせておいて国民の厳しい批判を利用して大きな抵抗なしに議員辞職を納得させるというシナリオを書いた人間がいるというわけでもあるまい。それは田中真紀子前外相の更迭が外務事務次官と鈴木宗男前衆院議運委員長のクビをセットにした「三方一両損」という形になったことに対する国民の激しい反発を利用して誰かが何かをやろうとしていた証拠が見つからないのと全く同じことである。何にしても鈴木宗男代議士は政界を「牛歩」ではなく、自ら率先して離党した上で議員辞職するという形で「早足」で歩くべきだった。
鈴木宗男代議士は記者会見の中で「今回、私の政治活動や言動につき、また私設秘書の件について様々なことが国会などで指摘され、私自身深く反省すると同時にこのままでは党に大変な迷惑をかけると思い離党を決断いたしました」「私は私なりに(3月)11日の証人喚問で精一杯お答えさせていただいたつもりです。しかし外務省という役所は田中(真紀子前外務)大臣が更迭された後、今度は6年前、7年前の一方的なメモ(→北方領土不要発言など)が次々と使われ…、私の排除といいますか、つぶしといいますか…、なにがしかの意図や思いがあって今の事態に至っているなあと、こんなふうに考えております」「(議員辞職について問われて)私は今、与えられた立場で、その中で…、反省おわびをしながら、与えられた中で私の責任を果たして参りたいとこう思っております」などと言っていた。もしかしたら鈴木宗男代議士は衆院予算委での再度の証人喚問で自分と外務省のどちらが国民をバカにしているのかということをハッキリさせたいと考えているのだろうか? 証人喚問の場で国会議員として言い残したことをすべて言い尽くしたら辞職して自民党に議席を返上するという話ならばまだ分からないでもないと私は思っている。
そもそも鈴木宗男代議士は2000年の総選挙では衆院比例北海道ブロックの自民党の名簿1位候補として比例区だけに立候補して当選したはずである。つまり鈴木宗男代議士の議席は「鈴木宗男」と書いた人たちから鈴木宗男という政治家個人に与えられたものではなく、「自民党」などと書いた人たちだけから自民党の政治家だけに与えられたもののはずである。自民党よりも国民に迷惑をかけたことをもっと反省すべきではないかという問題はひとまず置いておくとしても、鈴木宗男代議士が「このままでは党に大変な迷惑をかけると思い離党を決断」したのならば少なくとも与えられた議席を自民党に返上しなければ筋が通らなくなるのではないか。離党だけでは多くの国民の自民党に対する批判や不信感を解消することができないという意味においても、離党後も自民党の議席を「占有」し続けるという意味においても、鈴木宗男代議士はまだまだ自民党に迷惑をかけ続けることになると私は考えている。自民党にかかる「迷惑」を最小限にするためにも、政治家として心から国民におわびをするためにも、鈴木宗男代議士には議員辞職を含めてまだまだやれることがたくさん残っているはずである。
外務省が内部文書を公開したことに対して鈴木宗男代議士以外の政治家たちからも批判が出ているようである。「外務省にとって都合の良い文書だけを出して都合の悪い文書は一切出していない」という主張、官僚の勘違いが独り歩きする危険性を心配する意見、あるいは、法律に触れるか触れないかのすれすれのことをやって後でとぼけるのが非常に難しくなって「政治主導」を発揮できなくなることを恐れるようなどうしようもないものまで批判の内容は実に様々なようである。何にしても外務省も自民党も既に「ルビコン(川)」を渡った、「采(賽、さい)は投げられた」のである。
外務省は外交上の機密に当たらないはずの鈴木宗男代議士の最近の発言の中で万一不適切なものがあるのならば隠さずにすべて公開して釈明や訂正を求めるべきだし、田中真紀子前外相と各国の外相との会談内容らしきものがなぜか漏れたことについて何か新しいことが分かったのならばそれも隠さずに明らかにすべきである。
そして自民党はすべての政治家がすべての省庁の官僚などに言ってきた意見を原則的にすべて文書に残して保存し、少なくともしかるべき後には国民に広く公開するという仕組みを積極的に作り、決して自民党は特定の人たちのためにしかならないことをやろうとしているのではなく、きちんと国民全体のためになることをやろうとしているのだということを客観的かつ明確な形で国民に示すための努力をしていかなくてはならない。もはや後戻りして国民の期待を裏切っている余裕はないはずである。
もしも官僚の勘違いが独り歩きする危険性を心配するのならば、例えば、与党のときは政府・与党を完全に一体化させた上で大臣、副大臣、政務官だけを通じて、野党のときには政策責任者だけを通じて第三者にも公開する議事録を残す会議のような形式でだけ官僚と接触するような自主的なルールを作ったらいいだけの話である。その場合でも有力政治家が不当な圧力をかけて自分の意見を役所に伝えようとしないようなときに備えて何らかの疑惑を招くことを十分に認識させた上で役人との直接接触を記録が残るような公共の場所に限って例外的に認めるようにすればいいのではないか。政治家の言動の表と裏の差を限りなくゼロに近づけ、政治家が国民に疑念を持たれたり誤解されかねないようなことを言ったりやったりしないように注意させ、もしも万一、政治家が誤解を与えてしまったとしたら公開の場で国民にも十分に理解できる形で誤解を解く、という方向に進んでいかなければならないと私は考えている。原則的には「誤解されたら政治家の方が悪い」し、「誤解や疑惑をそのままにしておいたら政治家はお終い」だということを永田町の新しい常識にできない限り、国民の政治に対する不信感はいつまでも高まっていくばかりである。
ところで野党が提出した鈴木宗男代議士に対する議員辞職勧告決議案で自民党の鳩山邦夫衆院議運委員長が「英断」を下して脚光を浴びるような場面を見ることができるのだろうか? ちなみに鳩山邦夫委員長も2000年の総選挙では比例東京ブロックから当選している。かつて民主党にいた鳩山邦夫という政治家の実績はよく知られていても、自民党に戻った鳩山邦夫という政治家の実績は兄の鳩山由紀夫民主党代表を批判し続けてきたこと以外にはまだあまり知られていない。鈴木宗男代議士が辞職するにしてもしないにしても現時点では「本会議決戦」にまでは持ち込まれそうにないが、自民党はこの機会に「自民党のためになること」と「国民のためになること」が矛盾しないということをハッキリと国民に示すことができるのだろうか?
最近の政治の動きを見れば見るほど、もしかしたら政治家の涙は完全敗北の前兆ではないかと私には思えてくる。鈴木宗男代議士の「男の涙」の他にも、誰に泣かされたのかは定かではないが田中真紀子代議士も外相から更迭される少し前にテレビカメラの前で涙を見せていたし、今週にも自民党を離党するらしい加藤紘一代議士も「加藤政局」のときには「大将なんだから」などと同志たちに止められて涙目になっていたし、ダメな野党の中にもかつて土壇場でなんとか推薦人が集まって感謝・感激して涙を見せていたがその後はやることなすことのすべてが裏目に出ている幹部とか、理由はよく分からないがやたらとテレビカメラの前で泣いていた政治家たちもいたような気がする。
政治家も人間だから思わず涙がこぼれてしまうことがきっとあるのだろう。でも、泣いても何も変わらない、泣いても許してはもらえないということは大人なら誰でも分かっていることのはずである。それにもかかわらず政治家たちはなぜ泣くのだろうか? 涙に弱い人たちが世間には多いそうだが、私にはなかなか理解できない話である。政治家は泣いたら負けではないかと私は思っている。
小泉純一郎首相が鈴木宗男代議士の問題などでクールにこっそりと指示を出しているのかどうかはよく分からないが、万一、小泉首相がこれらの問題を「他人事」と捉えてこのまま流れに身を任せるとしたらそのうち「男の涙」を流さなくてはいけなくなってしまうかもしれない。
自民党の鈴木宗男代議士の証人喚問が3/11午前に衆院予算委で行われる予定である。おそらくしばらくの間はほとんどすべてのマスコミは鈴木宗男代議士一色と言ってもいい状態になるのだろう。野党の政治家たちも既存のマスコミもろくに考えずに「ムネオ・バブル」に浮かれて踊っているようだが、証人喚問ではいったい何が問われるべきなのかということを見失ってしまうと、きっといつものように虚しさだけが残る結果に終わってしまうだろう。今の日本にはダメな野党しか存在しないこと、「自らの取材対象の政治家」と「『普通』の国民」のご機嫌を伺うことしか頭にない低レベルなマスコミがあまりにも多すぎることが日本の政治を堕落させている最大の原因であると私は考えている。与党に何も問題がないと考えているわけではないが、もしも「国民感情」とか「国民感覚」が右だと言えば右を向き、左だと言えば左を向いて右往左往するだけで結局のところは国民を失望させ、政治不信を強めることしかできない無能な野党と低レベルなマスコミしか日本には存在しないのならば与党は安心して堕落できるところまで堕落できるはずである。野党も既存のマスコミも当然のように今回も「敗退」するのだろうか?
議院証言法に基づいて行われる証人喚問ではなぜか「嘘が付けないこと」や「場合によっては偽証罪になるかもしれないこと」ばかりが強調されるが、そもそも嘘とか偽証罪が証人喚問の焦点になるべきではないし、ましてや証人に嘘を付かせて偽証罪という犯罪を作り上げることが証人喚問の目的ではないはずである。だいたい証人の側は想定問答集などを作って偽証罪に問われないための対策を徹底してやってくるわけだから、もしも質問する側がどんなに嘘を付かせて偽証罪にしてやろうと思っていたとしてもそう簡単にはできるわけがない。
もちろん証人喚問で真実が明らかになればそれに越したことはないが、現実問題としては何か真実が明らかになるようなことはまずあり得ないと考えておくべきである。ちょっと乱暴な言い方をすれば、証人喚問(→「取り調べ」??)の時間が長かろうが短かろうが、警察・検察のような強制調査権を持っていようがいまいが、明らかになることはやがて明らかになり、明らかにならないことは明らかにならないままだろう。
そのように考えていくと少なくとも政治家の証人喚問で優先して問われるべきことは「政治家としての責任」ということになるのではないか。あくまでも偽証罪などは政治責任を問うための担保として使うべきである。だいたい国会で政治責任を追及しなかったらいったいどこで問うというのだろうか?
もしも私が鈴木宗男代議士に質問するとしたら (1)「ある疑惑」が事実ではないと間違いなく断言できるか、(2)事実ではないと断言できる理由を30字程度あるいは1分以内で端的に表現するとどうなるか、(3)全国民を代表する代議士(国会議員)として何ら恥じることはやっておらず、間違っても自分を応援してくれる人たちだけの代表ではなく、日本以外のどこの国の国民の代表でもないと自信を持って断言できるか、ということだけに基本的には質問を絞るであろう。(1)、(2)はともかく、いったいどれだけの国会議員が(3)の質問を鈴木宗男代議士に迫力を持ってぶつけることができるのだろうか?
鈴木宗男代議士が第二次橋本龍太郎内閣の北海道・沖縄開発庁長官だったときに本会議場内を早足で歩いていって答弁し、再び早足で閣僚席まで戻って議事の進行を早回ししようとしていたこと、故・小渕恵三内閣の官房副長官だったときには小渕首相の所信表明演説などで率先して「拍手係」を務めて冷めた与党席を盛り上げていたことを思い出す。鈴木宗男代議士は今こそ自ら率先して自民党離党・議員辞職という形で「早足」で歩くことによって閉塞状態に陥っている日本の政治を早回しで動かすべきではないのか。何がどこまで真実かはよく分からないが、これだけ多くの疑惑を招いたことやこれだけ大きな混乱を引き起こしたことに対して鈴木宗男代議士は政治家としてしっかりと責任を取るべきである。自民党離党・議員辞職という方法以外には日本の政治を早回しで動かす方法はないと私は考えている。ちなみにもしも今の段階で議員辞職という形で政治責任を取るというのであれば、たとえどんなに多くの人たちが「当然だ」と冷めた反応を示すだけだったとしても、私はその決断を評価するためにあえて「拍手係」を務めても構わないと考えている。
事務所の前代表(→秘書)の脱税事件を受けて加藤紘一代議士も証人喚問か参考人招致が行われる方向になっている。2000年11月の「加藤政局」(あるいは「加藤の乱」)を含めて加藤代議士も今までいったいどれだけ国民を失望させ続けてきたのだろうか? 実際に国民が加藤代議士の言葉にどれだけ耳を傾けるかは定かではないが、国会の場で行われるであろう国民への説明が最後の機会になっても構わないように加藤代議士は説明すべきことはすべて説明し、言いたいことはすべて言い尽くすべきである。その上で多くの国民が納得できるしっかりとした政治家としての責任の取り方を自ら考えるべきである。加藤紘一代議士はいったいどこまで「敗退」を続けるつもりなのか? 自ら主体性を持って責任が取れない状態になってしまえばそれは誰がどう見てもただの「敗走」である。
なお、あえて固有名詞は挙げないが、某野党幹部の加藤紘一代議士に対する態度の豹変ぶりには本当に驚かされる。今まで散々しつこく「自民党を飛び出して一緒にやろう」などとあらゆる機会にラブコールを送ってきたくせに、事件が明らかになると一転して加藤代議士を「追及」する姿勢を真っ先に示すその変わり身の早さには実に恐れ入る。「追及」が本気なのかポーズだけなのかはまだよく分からないが、某野党幹部のような態度こそを「トカゲのシッポ切り」と呼ぶべきではないのか。もしも加藤代議士の「人物を見極める能力のなさ」が監督責任と共に問われているのだとすれば、某野党幹部ら野党の政治家たちの「人物を見極める能力のなさ」が問題になっていくのはごく自然の流れのはずである。某野党幹部ら野党の政治家たちも相変わらずなぜか足元だけはよく見えていないようである。ちなみに現時点において田中真紀子代議士がこんな野党の政治家たちと距離を置いている点は評価できる。少し見直した。
今まさに小泉純一郎首相も「敗退」しようとしている。与党内の抵抗勢力もダメな野党の政治家たちも小泉首相が「敗退」しつつあるという状況だけはなんとか正しく見えているようである。でも、だからと言って与党内の抵抗勢力がしつこく求めている私利私欲のための国債増発によるバラマキとか、勘違いした野党幹部の「このままでは小泉首相はジリ貧になって野垂れ死ぬから自民党をぶっ壊せ」などというようないつもの自分勝手なお願いを間違って聞いてしまったら、「敗退」を通り越して「破滅」してしまう。
かつて田中真紀子前外相が国民を大きく失望させようというピンチにあったときに国民を大きく失望させた「前科」のある加藤紘一代議士を外務副大臣に起用して連帯責任を負わせて国民の期待に応えさせるべきだと主張したことがある(→メールマガジン版2001/10/21号)。そのときに同時に「もしも小泉首相が国民の期待に応えられなかったとして加藤(紘一)氏と田中(真紀子)外相が『使い捨て』にされることを黙って見過ごすことになるのならば、そのことは必ず小泉首相自身に跳ね返ってくるはずです」とも書いた。
田中真紀子前外相に「感情移入」して小泉首相の下にやってきてそして田中前外相と一緒に去っていった人たちのうちの何人かでも小泉首相は説得力のある言葉で再び振り向かせることはできるだろうか? 少なくとも小泉首相は安易に去る者は追わずという姿勢は示すべきではない。一度でも「敗退」すると徹底的に追い詰められてしまうのが最近の日本の政治の「流行」である。それでも小泉純一郎首相はこのまま「敗退」するつもりなのだろうか?
編集・発行:http://www.jchiba.net/、筆者:千葉 潤、ご意見など:jchiba@tokyo.email.ne.jp
JCATSニュースに関するご意見、ご感想、反論などは、jchiba@tokyo.email.ne.jp
まで電子メールをお送りください。なおJCATSニュースに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての著作権はJCATSニュースに帰属します。
Copyright2002 Jcats-news. No reproduction or republication without written
permission.