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 小泉首相の「改革」は進んだのか?(2002/2/17更新)

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改革を進めるためには「底」も必要(2002/2/17)

ついにこのときがやってきた(2002/2/2)

▽(日本の政治)。


○改革を進めるためには「底」も必要(2002/2/17)

 注目していた2/4の小泉純一郎首相の施政方針演説は冒頭のアドリブ部分(→内閣支持率が低下しても改革への決意は全く揺るがない、など)とむすびの部分(→昭和天皇の歌の引用、など)には確かにいろいろな意味でインパクトがあったが、肝心の演説本体は「普通」の内容であった。内閣支持率の急落を受けても小泉首相にはまだ改革を断行する強い決意があることはよく分かった。いわゆる「抵抗勢力」と妥協する姿勢もまだ見えていない。それどころか道路公団民営化や医療保険制度改革では「抵抗勢力」に対して以前よりも強硬な姿勢を示しているとさえ言える。その後の小泉首相によるデフレ対策の具体案のとりまとめの指示、金融問題・不良債権処理についての指示なども併せて考えれば、とりあえずは国民の更なる失望を先送りすることには成功したのかもしれない。多くの国民も改革の必要性は理解しているだろうし、改革には多少の痛みが伴うことはやむを得ないと考えているだろう。だが、小泉首相が多くの国民と「夢」や「将来展望」といったものを共有して待ったなしで改革を進めていくという段階にはまだ至っていない。今の小泉首相には多くの国民が新たな一歩を踏み出すことができるだけの十分な説得力はないと私は考えている。

新たな一歩が踏み出せない深刻な状態

 相変わらず小泉首相が構造改革を通じて具体的にどのような社会をつくろうとしているのかという肝心な部分については曖昧なままであり、小泉首相の決意が多くの国民の心に強く響く形で伝わっているのかどうかは甚だ疑問である。さらに言えば、もしも小泉首相の目指す将来像が分かりやすい形で示されていたとしてもそれだけでは多くの国民にとっては十分な説得力を持たないと私は思う。今の日本はその場しのぎのバラマキの繰り返しによって膨らんだ膨大な借金と、かつては有効に機能したかもしれないが今では足を引っ張るだけになっている旧来型のシステムのためにがんじがらめの状態になりつつあり、おそらく多くの国民もそういう悪い予感を持っているからである。このままどんどん「制約」が大きくなっていけばやがてはどちらが上でどちらが下かということすらも見えなくなり、仮に見えたとしても思うように身動きが取れない完全な危機的な状態に陥ってしまうだろう。もしも現時点においても「改革」の出発点となる「原点」や「座標軸」がハッキリしておらず、しかもこれからどんどん視界が悪化する可能性が高いとしたら、たとえ小泉首相がどんなに素晴らしい目指す将来像を示したとしてもおそらく多くの国民は新たな一歩を踏み出すことをためらうだろう。今は危機的な状況が迫っているのにもかかわらず新たな一歩が踏み出せないという本当に深刻な状態になっているのではないか。

改革を進めるためには「底」も必要

 このような危機的な閉塞状況を打破するために小泉首相は、 (1)構造改革を通じて実現を目指す「夢」と説得力を併せ持った将来をできるだけ分かりやすい形で示す(→「目標」の提示)と共に、(2)構造改革の過程で失業などの形で痛みを感じたとしても、国が破滅さえしなければ「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(憲法25条)は保障されていること、そしてそれ以上のことは保障しないことを明言し(→「底」を入れること)、(3)どうしたら改革を進めることができ、どうしたら「目標」に速く到達できるのか、逆にどういうことがあると改革が進まずに「目標」への到達が遅くなったり、到達できなくなってしまうのか(→「座標軸」と「経路」の設定)、ということを最低でも明確にしておく必要があると私は考えている。

 危機的な状況下で多くの国民に新たな一歩を踏み出すことを決断させるためには「底」、すなわち「セーフティーネット」が間違いなく存在しているということを示すことが絶対に必要である。「セーフティーネット」が必要不可欠であることには疑問の余地はないが、どこにどういう形で張るのかということについては非常に多くの検討すべき課題がある。「弱者救済」の名の下にその場しのぎのバラマキが繰り返されてさらに国の借金が無意味に増えたり、改革の妨げとなっている旧来型のシステムがどさくさに紛れて温存されてしまったりしたら何にもならないからである。

 例えば、金融危機対応のための資金枠のように、国民に「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を直接的に保障するためだけに用意する「見せ金」として10兆円とか20兆円とか30兆円とか国債を発行する「枠」を設けて必要に応じて現金化する、などとぶち上げてしまえば、「セーフティーネット」が担保されるばかりか、「弱者救済」や「景気対策」と称することのために国債を追加発行できる余地をあらかじめなくしておくことにもつながるわけだから、改革は間違いなく加速すると多くの国民にも市場にも十分な説得力を持って受け止められるのではないか。小泉首相はどのような「底」をどんな形で入れるのか、それとも入れないのか。

旧来型のシステムの温存は許されない

 政府はデフレを阻止する強い決意を示している。政府が具体的にどのような手段を用いてデフレを阻止しようとし、そして実際に阻止できるのかどうかは現時点では不明確だが、旧来型のシステムをそのまま残せばデフレを克服することができないことだけは確かである。かつては有効だったのかもしれない旧来型のシステムこそが今や競争力のない産業・企業を温存し、経済を停滞させ、不良債権を次々と増やしてデフレの大きな原因の一つになっているからである。つまり「構造改革なくしてデフレ克服なし」ということなのである。一層の金融(の量的)緩和を進めるにせよ、財政出動をするにせよ、デフレを阻止することに成功するにせよ、失敗するにせよ、「構造改革なくしてデフレ克服なし」ということを見失ってしまったら日本はまっしぐらに破滅への道を突き進むことになるはずである。

 評論家の立花隆氏は「現代史が証明する『小泉純一郎の敗退』」(「現代」2002年3月号)の中で「1940年代体制」と総称されるべき日本が効率的に戦争を遂行するために作った様々な統制システム、戦後も形を変えて生き残って復興・高度成長を支えたシステムについて論じ、「40年体制の持っていたいい面(社会主義的な平等制、公平性、公正性の要素と日本の伝統的国民性に適合していた部分)を残し、それに資本主義市場経済の持つ活力と自由の精神の部分を結合させる」ことが必要であり、「私は、結局、小泉改革は成功しない可能性のほうが高いと思っている。一つは抵抗勢力の対抗力によって。もう一つは、方法論的有効性の低さによって。もう一つは、予期せぬ状況の悪化によってである(たとえば国債の暴落がそれだが、すでに国債市場では、買手が出てこないための売買不成立という形で、その予兆が出ている)。」などと書いている(→注:この論文は非常に長文であり、かつ内容が濃いのでこれが「要約」になっているわけでないことをあらかじめ断っておく)。

 私に言わせると、何度失敗しても「野党共闘」を唱えるだけの無能な野党しか出てこないために政権交代がまず起こらない政治システム、まだまだ不必要に画一的な教育制度なども旧来型のシステムの代表例として挙げておきたいところである。何にしても「1940年体制」、戦後も形を変えて生き残った旧来型のシステム、それらを支えてきた日本社会の伝統的な特徴を一律に完全に破壊すればすべてが解決すると考えているわけではないが、日本を深刻な危機的な状況に陥れている旧来型のシステムをそのまま残すわけにはいかない。旧来型のシステムの中には構造改革や規制改革を通じて完全に破壊しなくてはいけないものもあれば、根幹は残すとしても大幅に改造しなくてはいけないものもあるだろう。農村共同体的な日本社会では適切な「セーフティーネット」がきちんと用意されているかどうかをまずしっかりと確認した上で改革を進めていくことがやはり効果的ではないのか。小泉首相の「改革」は進んだのか? これから「改革」は進むのか? そしてその「改革」は明治維新や敗戦後の改革に次ぐ「第三革命」と呼ぶに値するものになるのか? 

 

○ついにこのときがやってきた(2002/2/2)

 
 小泉純一郎首相は1/30に田中真紀子外相を更迭(→辞任?)、2/1には新外相として川口順子環境相を起用した。「人気者」の田中前外相の更迭劇に対する国民と既存のマスコミの反発は非常に大きく、内閣支持率は前例がないほど急落しているらしい。更迭劇をきっかけにして様々なことが言われているようだがどこまで確かなことなのかということは実は誰にもよく分かっていない。永田町では何が「自爆テロ」になり、何が「一寸先は闇」なのかということもどうやら既存のマスコミには見えていないようである。

 現時点でハッキリしていることは、(1)田中前外相が下落し続けていた政治家としての「株」を下げ止めて再び上げたということ、(2) 国民のためには、問題になっている外務省やNGOへの鈴木宗男自民党代議士の「圧力」だけではなく、族議員の各省庁などへの「圧力」も同時に排除されなくてはならず、おそらくそのような方向に向かうであろうということ、(3)たとえどんな立派な人が大臣になったとしてもやはり一人では何もできず、大臣をしっかりとサポートできる高い能力を持った超大物の副大臣が必要だということ、ぐらいであろうと私は考えている。

 世間が騒がしいうちは田中前外相の更迭の是非、小泉内閣に与える影響などについてあまりコメントする気にはなれないのだが、それでもあえてひとことコメントするならば「ついにこのときがやってきた」ということになる。妙に勢い付いている野党のダメな政治家たちや与党内のいわゆる「抵抗勢力」の政治家たちと偶然にも同じようなことを言うことになるわけだが、今までどうしても歯が立たなかった小泉首相が弱ってきているからその弱みにつけ込んでやろうという彼らとは理由が全く違う。

ついに国民は「恋」から冷めたのか?

 「小泉純一郎内閣の異常に高い支持率、小泉首相個人に対する非常に高い人気は、小泉純一郎首相に多くの国民が『恋』をしてしまったような状態であると私は見ています。今のところは『恋人』である小泉首相の言葉のほとんどは多くの国民から好意的に受け止められていますが、『聖域なき構造改革』が具体的になればなるほど『恋』から冷める人たちも少しずつ増えてくると私は思っています。いくら『恋』から冷める人たちが増えたとしても、小泉首相が国民のことを本当に愛しているのならばそれでもあえて厳しいことを言い続けるべきです。『恋』から冷める人たちが増えたときに小泉首相はいったいどうするのでしょうか?」−。
 
 昨年の夏(2001/7/2)にこのように書いたことがある。さすがに小泉首相の「聖域なき構造改革」が進んでその具体的内容が十分に明らかになってくる前に「人気者」の田中前外相が更迭されて「恋」から冷めるという形になるとは予想していなかったが、多くの国民が「恋」から冷めた後に小泉首相がどのように行動し、それに対して国民がどう反応していくのかということに私は大きな関心を持ち続けている。国民の気持ちをつなぎ止めるために小泉首相は急に甘い言葉ばかりを次々とささやき出すのか、それともどんなに厳しいことであっても正しいと信じることを国民に訴え続けるのか、そして多くの国民はもう二度と小泉首相と同じ「夢」を共有し共に歩むことはないのか、甘い言葉をささやいて一時的には「傷心状態」を癒してくれるかもしれないかつてキッパリと見限ったはずの野党のダメな政治家たちや与党内のいわゆる「抵抗勢力」の政治家たちに再び身をゆだねることになるのか…。国民が「恋」から冷め始めた瞬間から小泉首相の「改革」の本番がいよいよ始まり、日本という国の将来がもう少しハッキリと見えてくるはずだと当時も今も私は考えている。そういう意味で私は「ついにこのときがやってきた」と思っているわけである。

「国民感覚」の方もずれ始めている

 確かに今回の田中前外相の更迭劇は「国民感覚」とは大きくかけ離れており、国民の目には典型的な永田町的決着と映るかもしれない。しかし、その肝心の「国民感覚」の方もちょっとずれ始めてきているように私には見える。「小泉さんにはガッカリだ」「真紀子さんは悪くない」「私は真紀子さんの味方」などと多くの国民が更迭劇に反発する気持ちも分からないではないが、そもそも多くの国民が小泉首相や田中前外相にいったい何を期待し、そして特に田中前外相を応援するためにいったい何をやってきたのかということが私には非常に疑問である。田中前外相に期待した多くの国民はただ漠然と何かを変えてくれるに違いないと信じているだけで結局のところは田中前外相にすべてお任せだったのではないのか。外務省改革にしても、経済問題にしても、その他のどんな重要な問題にしても、民主主義社会では信じている誰かに任せたらあとは黙って見ているだけでも何とかしてくれるというような甘い話では絶対に済まないはずである。

 田中前外相がピンチになったときも更迭されたときも抗議のFAXやメールを送るなどの形では多くの国民は「応援」をしたのかもしれないが、それだけではまだ本当の意味で応援したことにはならない。抗議のFAXやメールでは多くの国民が不満を持っているということを示すことはできるが、具体的に何かを変えることにも、何かを変えるための有効な手順とか戦略を示したことにもならない。「それではどうすればいいのか?」などと質問したがる人たちがきっと出てくるかもしれないが、こういう問題はすぐに誰かが唯一絶対の正解を与えてくれるというような類の話ではない。基本的には現状に不満を持っている国民の一人ひとりがそういう現状を変えるために自分は今何をすべきかということを自分自身の頭で考え、悩み、迷いながら行動していくしかないと私は考えている。

あえて困難な道を選ぶことができるのか

 国民が「傷心状態」になっている今がチャンスとばかりにかつて多くの国民がキッパリと見限ったはずの野党のダメな政治家たちや与党内のいわゆる「抵抗勢力」の政治家たちが甘い言葉をささやきながら国民に再び言い寄ってきているようである。景気対策と称するバラマキをやるから支持してくれと国民に「援助交際」を持ちかける政治家たち、誰彼構わず「一緒にやろう」と声を掛けまくって口車に乗った政治家たちを次々と政治的な「破産」状態に追い込み、期待した国民をも欺くような「結婚詐欺」を繰り返している政治家たち、外務大臣が「終身雇用制」であるかのように強く思い込んで田中前外相をこの問題で「辞めさせる理由はない」とか、今回の更迭劇は「不当解雇」だと労働基準監督署かどこかに訴えそうな勢いの何かを大きく勘違いしている政治家たちの言葉に耳を傾ければ一時的には「傷心状態」を癒してくれるかもしれないが、きっとまたかつてと同じように大きく期待を裏切られることになるだけである。正体不明の魅力的な「新党」が出てくることに期待したとしても、田中前外相に対する期待と同じようにただ漠然と何かを変えてくれるに違いないと信じて待っているだけではやはり何も変わらないはずである。だいたい魅力的な「新党」が出てくるかどうかも定かではない。多くの国民がこれからも安易な道を選び続けるのか、それともあえて困難な道を選ぶことにするのかで日本の将来は大きく変わってくる

 小泉首相は2/4に初めての施政方針演説を行う予定である。果たして小泉首相の「改革」は進んだのだろうか? 多くの国民が「恋」に落ちて異常なほど高い内閣支持率を維持している状態ならば小泉首相はある意味で簡単に「男」を使うこともできたのかもしれない。男の涙も最大の武器にはならない状態で今現在世界で一番格好悪くて情けない男の国民への「釈明」が行われるわけである。国民の支持をつなぎ止める最後の機会になるかもしれない施政方針演説で小泉首相が急に甘い言葉ばかりを次々と並べ出すような安易な道に流されず、必ず国民のためになると信じていることはたとえどんなに厳しいことであっても説得力のある言葉で語るという困難な道をあえて選ぶことができるのか、そして多くの国民と共有できる「夢」を国民の心にしっかりと響く形で訴えることができるのかどうか、それに対して国民がどのような反応を示すのかということに私は注目している。そもそももはや多くの国民が聞く耳すらも持っていないという可能性もあるわけだが…。ついに国民は完全に「恋」から冷めたのか? そして小泉首相の「改革」は進んだのか?


編集・発行:http://www.jchiba.net/、筆者:千葉 潤、ご意見など:jchiba@tokyo.email.ne.jp


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